私は映画ファンとは言えないのであまり詳しくは知らないのだが、ジャズを効果的BGMに使った映画は、MJQの「大運河」、マイルスの「死刑台のエレベーター」、モンクとアート・ブレイキーの「危険な関係」、マーシャル・ソラールの「勝手にしやがれ」など、1950年代のフランス映画の名作をはじめとして、古くから数多くあるのだろう。一方、ジャズそのものを題材にした映画もあって、それには「ドキュメンタリー」と、いわゆる「普通の映画」の2通りあり、さらに普通の映画にはおおまかに言えば、ジャズ・ミュージシャン個人を描いた伝記的映画と、ジャズという音楽を題材にしたフィクション映画の2種類がある。
ドキュメンタリー映画は、ジャズの場合、ミュージシャンたちの古いテレビ番組他の映像記録を集めたものが大部分で、昔からミュージシャン別のそうしたビデオ映像は数多く残されているが、中にはそうではなく、最初から映像作品として制作されたものもある。そうしたドキュメンタリー映画として、古くからいちばん有名なのは「真夏の夜のジャズ」(公開1960年)だ。原題は‟Jazz On a Summer’s Day” (夏の日のジャズ)で、映画としては昼間の屋外シーンがほとんどなのだが、日本的にはこの邦題の方が「いかにも」という感じで受けると考えたのだろう。これはジャズ・プロモーターのジョージ・ウィーンGeorge Wein (1925-) が企画し、1954年から米国ロードアイランド州の保養地ニューポートで始めた野外ジャズ祭、「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」の1958年のコンサートの模様を記録した映画である。ジョージ・ウィーンはその後ニューヨークに場所を移したり、世界各地で「ニューポート」と冠したバンドやジャズ祭を数多く企画しており、バブル時代の日本で流行った野外ジャズ・フェスも、ニューポート・ジャズ祭が基本モデルだ。この映画は、マリリン・モンローの写真などで有名なファッション・カメラマンで、映画監督に転じたバート・スターンBert Stern (1929-2013) が撮影した美しい映像と、登場する数々のジャズ・ミュージシャンたちの演奏、それを聞く聴衆の姿や表情を、ナレーションなしでクールに描いた斬新な演出が光るジャズ映画の傑作である。チコ・ハミルトン、エリック・ドルフィー、セロニアス・モンク、ジェリー・マリガン、ジミー・ジュフリー、ボブ・ブルックマイヤー、ソニー・スティット、ジョージ・シアリングなど当時の新進ジャズ・ミュージシャンに加え、アニタ・オデイ、ダイナ・ワシントン、マへリア・ジャクソンといった女性ジャズ・ヴォーカルやゴスペル歌手、さらにスウィング時代のベテラン大スター、ルイ・アームストロングや、当時人気が高まっていたロックンロールのチャック・ベリーまで登場する。
言うまでもなく、この時代はアメリカという国家の最盛期であり、それはつまり当時のアメリカを代表するハイカルチャーとしての音楽モダン・ジャズの最盛期でもあった。豊かな経済に支えられ、数多くの名盤と呼ばれるレコードが作られ、音楽的にも高度化し、多くのジャズ・ミュージシャンの創造力が最も高まっていた1950年代後半は、あらゆる意味でジャズの黄金時代だった。多くのジャズ・ミュージシャンが一堂に会した貴重なライヴ映像というだけでなく、この映画は、上流階級の保養地だったニューポートの美しい自然、豊かな聴衆の姿とファッション、そして当時最先端の音楽だったモダン・ジャズの3つを融合した、幸福なアメリカとその豊かな文化を象徴的に描いた作品でもある。まだ国外のベトナム戦争も、国内の公民権闘争も激化する前で、差別はあっても黒人と白人が分相応に棲み分け、白人中産階級がゆったりと暮らせ、少なくとも表面的にはまだ穏やかだった最も幸福な時代のアメリカの空気が、この映画の中に封じ込められているのである。映像の素晴らしさに加えて映画のハイライトはいくつもあるが、やはり一番人気はアニタ・オデイ(1919-2006)のヴォーカルだろう。衣装、仕草、表情、そしてもちろんその歌声も歌唱力も素晴らしく、まさにあの時代のアメリカを象徴する映像だ。おそらく当時世界中のジャズファンが、この映画でのアニタには痺れたことだろう。そしてもう一人は短い出演だがセロニアス・モンク(1917-82)だ。モンクは3年前の55年のニューポートに初出演してマイルス・デイヴィス他と共演していたが、この映画はようやくスターとして頭角を表し始めたモンクの実際の姿と音楽を初めて映像で捉えたものだ。特にモンク・グループが演奏する<ブルー・モンク>をBGMに、湾内を競走するアメリカズ・カップのヨットレースとラジオ実況放送、という映像、音楽、実況音声の組み合わせは、ドキュメンタリー映画史に残る斬新な演出であり、この印象的なシーンによってモンクもまた世界的に有名になった。
ジャズ・ドキュメンタリー映画のもう一つの傑作が、そのセロニアス・モンクの生の姿を映像で捉えた「ストレート・ノー・チェイサー Straight, No Chaser」(1988年制作)である。ドイツ・ケルンの放送局に勤務していたブラックウッド兄弟が1967年にモンクの許可を得て、6ヶ月にわたって日常、クラブ・ライヴでの演奏、スタジオ録音、ヨーロッパ・ツアー時などにおけるモンクの姿を映像に記録し、それをその後ヨーロッパでテレビ放映した2本のモノクロ・フィルムを中心に編集したものだ。当時のモンク・カルテットのメンバーの他、ツアーに参加したジョニー・グリフィン、フィル・ウッズ、さらにネリー夫人やニカ男爵夫人、当時コロムビアのプロデューサーだったテオ・マセロなどの映像と肉声も記録されている。そこに、それ以外のモンクの記録映像や、モンクの死後80年代に新たに撮影したカラー映像を加えたもので、バンドメンバーだったチャーリー・ラウズ(ts)、モンクのマネージャーだったハリー・コロンビー、息子T.S.モンク等のインタビュー、モンク同様ニカ邸で当時暮らしていたバリー・ハリスがトミー・フラナガンとピアノ・デュオでモンクの曲を演奏する映像(その後ろにはアート・ファーマーとミルト・ジャクソンの姿も見える)、さらにウィーホーケンのニカ邸内のモンクの部屋とピアノ、そこからのマンハッタンの遠景、そして1982年のモンクの葬儀の模様などが追加されている。映画化はモンクの存命中から計画されていたようだが、紆余曲折あって、モンクの死後になって最終的にクリント・イーストウッド(1930-)が製作を引き受け、女性監督シャーロット・ズワーリン(1931-2004)が映画を完成させて配給にこぎつけたという。1967年のモンクは全盛期を過ぎ、肉体的、精神的にも苦しんでいた時期で、特にこの撮影は前年のバド・パウエルに続き、エルモ・ホープ、ジョン・コルトレーンという盟友3人を相次いで失った直後であり、精神的には落ち込んでいたはずだが、ピアノを弾き、踊り、くるくる回り、喋り、歩くモンクの動く姿はとにかくファンにとっては面白く興味が尽きない。この映画の素晴らしさは、全編に流れるモンクの代表曲の演奏に加え、演奏中であれ、会話中であれ、街を歩く様子であれ、ほとんど演出、脚色なしの“素の”モンクが捉えられていることだ。ジャズ映画も様々だが、ジャズ・ミュージシャン、それも伝説の人物をこれほど身近な視点でストレートに捉えた映画は歴史上皆無だ。また80年代に撮影されたカラー映像でモンクを語る人たちのインタビューや演奏も、モンクという音楽家を理解するための貴重な証言になっている。モンクファンのみならず、ジャズファンすべてが楽しめる傑作ドキュメンタリー映画である。
この他に、破滅的人生を送ったトランぺッターのチェット・ベイカーを描いた「Let’s Get Lost」(1988)というドキュメンタリー映画もあるが、音楽はともかくとして、人間チェット・ベイカー自身が個人的にあまり好きではないこともあって、私は見ていない。今やインターネット上で、多くの映像が自由に見られる時代となっている。作品としてのジャズ・ドキュメンタリー映画は、古い映像記録そのものに限りがあり、これからジャズを主題に描こうにも時代が違うし、材料(人材を含めて)が手に入らないなどの理由もあって、今後ここに挙げたような傑作映画が作られることは永遠にないだろう。