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2018/05/18

アメリカン・バラード: チャーリー・ヘイデン

アメリカに行ったことがある人なら、飛行機の窓から初めて眺めるアメリカ大陸の広大さに驚くのが普通だ。何せ昔は4時間飛んでも西海岸から東海岸に辿り着けなかったのである。ニューヨークなどの大都市を別にすれば、アメリカという国の大部分は田舎で、場所によっては地上に降りても山や起伏がどこにも見当たらない場所もある。どこまで行っても地平線しか見えない真っ平な土地なのだ。そういう場所で生まれ育った人がどういう世界観や感性を持つようになるのかは、日本のように四方を山で囲まれた狭い土地で育った人間には想像もできない。

Gitane
1978 All Life
アメリカは同時に雑多な人種が入り混じって出来上がった国でもある。植民地から独立して建国したのは1776年(江戸時代中期)であり、日本の明治維新の頃には内戦・南北戦争があって、1865年にそれまで続けてきた南部の奴隷制がようやく廃止され、表向きは黒人が解放されたものの、彼らに国民として当たり前の公民権を与える法律がようやく制定されたのは、それから100年経った1964年、東京オリンピックの年である。それまで奴隷だった黒人に加え、アメリカ先住民、フランス系、イギリス系、アイルランド系、ドイツ系、オランダ系、イタリア系、ユダヤ系、中南米系、アジア系などあらゆる人種が移民として集まり、混在しながら国を形成してきた。日本人のように、生まれた時から同じような顔をして、同じ言語を話し、同じ文化を持つ人たちに囲まれているのが当たり前で、何千年もそれを不思議とも思わず、海という国境線のおかげで「国家」すら意識せずに生きて来た国民と、アメリカ人の世界観や感性が違うのは当然だろう。彼らは “たった” 240年前から、先祖に関わらず「アメリカ」という自分の属する国をまず意識し、次に「アメリカ人である自分」も常に意識しなければならなくなった。常に「自分は何者か」ということ(Identity)を意識しなければ生きて行けないのがアメリカ人なのだ。そのためにはまず、あるべき理想(Vision)を掲げ、そこに到達するための目標(Goal)と道筋(Strategy)を定め、さらにいくつかのステップ(Milestone)を決め、それを他者に提案し、説明し、合意を得ることを常に強いられることになった。個人レベルでも組織レベルでも、このプロセスは同じだ。自らの主張とそれを他者に分かりやすく伝えるためのプレゼンテーション、というアメリカでは必須とされるコミュニケーション技術はこうして生まれ、育まれてきた。この国では、“黙って” いては誰も自分の存在を認識してくれないのだ。それは絶えざる自己表現と、他者との競争というプレッシャーを受け続けることでもある。だがその重圧を担保してきたのが、広大な土地と豊かな資源、それに支えられた豊かな経済、移民に代表される開かれた社会、誰でも多様な生き方を選べる自由、そして誰にでもある成功のチャンス、アメリカン・ドリームだった。

Beyond the Missouri Sky
1997 Verve
そういう国で生きるアメリカ人が感じる見えないプレッシャーは、いくらアメリカ化してきたとは言え、基本的に何でもお上が決めて、それに従い、同じような人間同士が和を第一として組織や共同体に従順に生きてきた日本人のそれとは違うものだろう。だからその重圧や、そこから逃れてほっとする気分を表現した音楽の印象もどこか違う。差別され続けてきた黒人は歴史的にブルースやジャズという音楽の中で、そのどうにもならない重圧と嘆きを歌うことで、そこから解放されるささやかなカタルシスを得てきたのだろう。一方の白人音楽家も、アメリカのポピュラー音楽の作曲家やジャズ・ミュージシャンに見られるようにユダヤ系の人たちが多く、彼らは黒人ほどの差別は受けなくとも、異教徒としての微妙な疎外感とアメリカで生きる重圧から逃れて、ほっとできる、心を癒す美しい音楽を創り、また演奏してきた。ただし、どんなバックグラウンドを持った人でも、アメリカという新しい国への帰属意識を持ち、そこで生きながら、同時に自分の先祖のルーツを知りたいという潜在的願望は常に持っていることだろう。ジャズは、そうした複雑な人種的、文化的混沌を背景に持つ「アメリカという場所」で生まれた音楽なのだ。果ての見えない大地を感じさせるようなパワーと雄大さ、細かなことにこだわらない自由と寛大さ、現在に捉われずに常に新しい何かを求める革新性を持つ一方で、自分が何者なのかを常に意識せざるを得ない不安と繊細さを併せ持つのがアメリカという国と人とその音楽の特徴だろう。ジャズの中にも、アフリカへの郷愁につながる黒人のブルースの悲哀だけではなく、そうした複雑な背景を持つ「アメリカ人」ならではの哀愁や郷愁を強く感じさせる音楽がある。自らを “アメリカン・アダージョ” と称していたベーシスト、チャーリー・ヘイデン Charlie Haden (1945-2014) のリーダー作や参加作品には、そのような気配が濃厚なアルバムが多い。

Nocturne
2001 Verve
チャーリー・ヘイデンというベーシストは、私にはいわゆるアメリカ人の原型のような人に見える。基本的にアメリカを心から愛し、知性とチャレンジ精神に満ち、人間的包容力と人格に秀で、また善意のコスモポリタンであり、世界の様々な国の人と分け隔てなく協働でき、幅広い人脈を持ち、しかしアメリカ的正義の観点からは他国の政治問題にも口を出し、思想やコンセプトを重視し、またそれを実現するためのプロデュース能力に秀でている……という私の勝手なイメージが正しければ、これは伝統的アメリカ中産階級のリーダー像そのものだ。これに、どんな相手にも合わせられるバーサタイルなジャズ・ベーシストという本来の仕事を加えるとチャーリー・ヘイデンになる。この人間分析が当たっているかどうかはともかく、ヘイデンのキャリアと、そのベースからいつも聞こえてくる悠然とした、豊かで安定した音からすると、あながちはずれていないような気もする。ジャズ史に残る白人ベーシストと言えば、早世したスコット・ラファロや今も活動しているゲイリー・ピーコックなどが挙げられるが、ヘイデンも彼らとほぼ同世代だ。ベースの専門家でもないので、黒人ベーシストと非黒人ベーシストとの演奏上の本質的違いなどはよくわからないが、ニールス・ペデルセンやエディ・ゴメスなども含めて、共通点はどちらかと言えば “ビート” の印象よりも、よく “歌う” ということではないだろうか。ヘイデンはこれらの奏者に比べると高域まで歌いあげることは少ないが、ウッド・ベース本来の低域の太く重量感のある歌を伝える技量にとりわけすぐれていると思う。フリージャズで鍛えられた和声とリズムへの柔軟な対応もそうだ。そして彼のもう一つの特徴が、上記のアメリカ的抒情と郷愁を強く感じさせる演奏と作品群である。

ヘイデンは1950年代末からオーネット・コールマン、キース・ジャレット、ポール・ブレイ、カーラ・ブレイ、パット・メセニーなど数多くの、多彩な、かつ革新的なミュージシャンと共演し、数多くのアルバムを残してきた。ここに挙げた私が好きな4枚のアルバムはそれぞれ異なるコンセプトで作られているのだが、どの作品からも “アメリカン・バラード” とも言うべき、癒しと懐かしさの漂う、ある種のヒーリング・ジャズが聞こえてくるような気がする。ジャズシーンへの本格的参画がアヴァンギャルドだったことを思うと意外だが、アイオワ州出身のヘイデンが子供の頃から聞いてきたヒルビリーやカントリー・アンド・ウェスタン(C&W)という、黒人のブルースとは別種の、これもまた多くのアメリカ人の心に深く染みついた固有のフォーク音楽がその音楽的ルーツとなっているからなのだろう。

Nearness of You
The Ballad Book
2001 Verve
『ジタン Gitane』(1978)は、フランスのジプシー系ギタリスト、クリスチャン・エスクードとのギター・デュオでジャンゴ・ラインハルトへのトリビュートだが、雄大で骨太なヘイデンのベースがエスクードのエキゾチックで鋭角的なギターを支え、最後まで緊張感が途切れず、聞き飽きない稀有なデュオ作品だ。ヘイデンはこの他にも多くの優れたデュオ・アルバムを残しているが、中でもパット・メセニーとの美しいギター・デュオ『ミズーリの空高く Beyond the Missouri Sky』(1997)は、タイトル通りメセニーの故郷ミズーリ州をイメージしたアメリカン・バラードの傑作だ。一方キューバのボレロを題材にし、漆黒の闇に浮かび上がるような甘く濃密なメロディが続くラテン・バラード集『ノクターン Nocturne』(2001)もヘイデン的傑作であり、ゴンサロ・ルバルカバ(p)、ジョー・ロヴァーノ(ts)に加え、ここでも一部メセニーが参加して、究極の美旋律を奏でている。そして、マイケル・ブレッカー(ts)をフィーチャーし、パット・メセニー、ハービー・ハンコック(p)、ジャック・デジョネット(ds)、さらに一部ジェームズ・テイラーのヴォーカルまで加えた『ニアネス・オブ・ユー The Ballad Book』(2001) も、まさしくヘイデン的アメリカン・バラードの世界である。これらのアルバムとそこでのヘイデンのベースを聴くと、私はまず「アメリカ」をイメージし、そして会社員時代に付き合っていた、素朴で善良なアメリカ人の典型のような人物だった、心優しいある友人をいつも思い出すのである。