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2020/10/15

あの頃のジャズを「読む」 #10 (完):されどジャズ

80年代バブル景気に沸く東京のジャズの中心は、70年代までのアングラ的新宿から、オシャレな六本木、青山方面へと移動し、難しい顔をして聞く前衛的音楽から、バブルを謳歌する小金持ちや、中堅の団塊世代が集まるジャズクラブで、ゆったりと酒を飲みながら聴く「大人の音楽」へと完全に変貌した。もう「反商業主義」などと面倒臭いことを唱える人も消えて、みんなで楽しく気楽に聴けるフュージョン全盛時代となり、大規模ジャズフェスなども盛況で、ミュージシャンの仕事の場も数多く提供されていた(たぶん音楽的進化や深化はほとんどなかっただろうが、ショウビズ的には大成功で、それはそれで大衆娯楽としての音楽の本来の役割を十分に果たしていた)。ライヴのみならず、日本伝統のオーディオとジャズも相変わらず元気で、高額なオーディオ機器が飛ぶよう売れていた時代だ。それから30年、今や日本中のどこでも(蕎麦屋でも、ラーメン屋でも、ショッピングモールのトイレでも、TVでも)何の違和感もなく普通にBGMとしてジャズが聞こえてくる時代となり、プロアマ問わずジャズを演奏する人の数も飛躍的に増えて、日本中で今や毎月のように開催されているジャズフェスに出演している(今年はコロナのせいで減ったが)。つまり相倉久人が1960年代に主張していた、日本における「ジャズの土着化」は、時間はかかったが(50年)、こうしてついに実現したと言えるのかもしれない(ある意味で)。

一方、ジャズの本場アメリカは常に日本より10年ほど先を進んでいて、1960年代にはベトナム反戦や公民権運動に呼応したフリー・ジャズが台頭したが、特に64年のビートルズの米国進出以降、若者音楽の中心は、完全にロック、フォーク、ポップスへと移行し、ジャズ市場は縮小する一方だった。そうした時代に反応したマイルスの電化ジャズが60年代末期に登場したものの、70年代はじめになると、そのコンセプトを分かりやすく商業化したファンクやフュージョン時代が既に到来していた。そして67年のコルトレーン、70年のアイラ―というフリー・ジャズのカリスマたちの死、続く74年の王様エリントンの死、75年の帝王マイルスの一時引退、76年の高僧モンクの引退…等々、20世紀ジャズ界の「巨人」たちが相次いでシーンから退場し、70年代半ばには戦後のビバップに始まる「モダン・ジャズ」は実質的にその30年の歴史を終える。その後も78年のトリスターノ、79年のミンガス、80年のビル・エヴァンス、82年のモンクの死と続き、日本のバブルとは対照的な不況の80年代を通過して世紀末の最後の10年に入ると、ジャズ・メッセンジャーズを率いて多くのスターを輩出してきたアート・ブレイキーが1990年に亡くなる。そして翌91年には、白人ジャズの巨匠スタン・ゲッツ、さらにマイルス・デイヴィスという残された最後の巨人たちもついにこの世を去って、1990年代初めには、「20世紀の音楽ジャズ」の主なアイコンはほぼ消滅する。こうして、いわゆるモダン・ジャズは文字通り「博物館」へと向かうべく、ウィントン・マルサリスによっておごそかに引導が渡されたのである。

コロナ禍で時間があったこともあって、予想外に長引いたこの連載も区切りの良い#10となるので、(まだまだ面白い内外のジャズ本はあるが)とりあえず今回で終わりにしたい。最後に、「20世紀のジャズ」を心から愛し、ジャズと共に生きた日米の代表的批評家が書いた2冊の本を紹介したい。

ジャズ・イズ
ナット・ヘントフ
1976/1982 白水社
昔は、飽きずに擦り切れるほど繰り返し聴いたジャズ・レコード(LP)が何枚かあったものだが、ナット・ヘントフ Nat Hentoff (1925 - 2017) の『ジャズ・イズ (Jazz Is)』(1976 / 1982 白水社 /志村正雄訳) は、そうしたレコードと同種の魅力を持ち、年齢を重ねて読むたびに新たな面白さを発見するという名著だ。11人のジャズの巨人たちの肖像をヘントフ独自の視点で描いたものだが、ジャズという音楽と、ジャズ・ミュージシャンという人種を、ここまで味わい深く描いたジャズ本はない。ナット・ヘントフはジャズ評論家として有名だったが、同時に小説家、歴史学者、政治評論家でもあった。だから社会やアーティストを見る視線の角度と、深さが、他の普通のジャズ批評家たちとは違う。大手新聞や「ダウンビート」誌等の主要雑誌のコラムニストの他に、ジャズ・レーベル創設(Candid)、ジャズ作品のプロデュース(セシル・テイラー)など、全盛期のジャズ界で多彩な活動を行なっていた。特に50年代のモダン・ジャズ黄金期を牽引した世代、マイルス、コルトレーン、マリガン、コニッツなど1920年代半ば生まれのジャズ・ミュージシャンとヘントフは同世代であり、故郷ボストンでの少年期から同時代の音楽としてジャズに触れ、ジャズを愛し、その発展、変化と共に生きてきた、いわば「モダン・ジャズ史の目撃者」である。それゆえ、本作を含めてジャズ現場における実体験に裏付けられたヘントフの本は、どれも陰翳と示唆に富み、ジャズの世界を内側から見るその分析と洞察は常に深く、また鋭い。

『Jazz is (ジャズとは)』の後に続く「…である、…のことだ、…ものだ」といった部分には、一言では語り尽くせないジャズを巡る様々な文言が入るだろう。この本では、スウィング時代のルイ・アームストロング、テディ・ウィルソン、デューク・エリントン、ビバップ時代のパーカー、ミンガス、マイルス、前衛からはコルトレーン、セシル・テイラー、女性ボーカルはビリー・ホリデイ、白人からはジェリー・マリガン、そして唯一の非アメリカ人ミュージシャンであるアルゼンチンのガトー・バルビエリというように、一読してジャズ史とジャズの持つ多様性を俯瞰できる人選になっている(ただしモンクがいないが)。また政治や社会に対して発言し続けたヘントフ独自の視点で、ジャズやジャズ・ミュージシャンと社会・経済との関わりについて随所で触れているのも、単なるアーティスト評伝や一般的なジャズ本にはあまり見られない部分だ。読むたびに、本書で描かれた11人のジャズの巨人たちの知られざる部分を発見するような新鮮な感覚を持つので、何度読み返しても飽きない。何というか、マクロレンズで近接撮影したかのように、彼らの人間としての内面が、著者の目を通して独自の角度から鋭く切り取られているので、文章は短いのに、彼らの存在がリアルに感じられるのである。ジャズ・エッセイと言うべき読み物だが、このような深さでジャズとジャズ・ミュージシャンを語った本は、やはりこれまで読んだことがない。

上述したように、原書が出版された1976年という時点で、本書で描かれた11人の巨人たちのうち6人が既に故人となり、一方でジャズのポップ化もますます進行し、その未来には疑問符が付けられていた。そうした時代に書かれたこの本は、ジャズの本質と魅力をあらためて探ると同時に、ヘントフが体験した最もジャズが幸福だった時代へのオマージュとも、彼のジャズへの別れの挨拶とも読める(ヘントフは、これ以降ジャズ関連の本は書いていない)。私が買った版の帯に書かれている本文中の記述「根本的な意味で、ジャズとは不屈の個性派たちの歴史である」という短く鋭いフレーズも、今となっては懐かしい。歴史を継ぐべき《不屈の個性派》は、その後のジャズ界に登場しただろうか。

されどスウィング
相倉久人 / 2015 青土社
ジャズの歴史と厚みにおいて、日米間には埋めがたい差があるので、ナット・ヘントフに匹敵するような経験と視点を持つ日本人ジャズ批評家が見当たらないのは仕方がないだろう。しかしただ一人、かなり近いスケールと眼力を持っていたと思える存在を挙げるなら、やはりそれは相倉久人だ。ヘントフがアメリカなら、同じように常に現場に関わってきた相倉は「戦後日本ジャズ史の目撃者」と言えるだろう。相倉久人の批評家としての素晴らしさと名著については#5で詳述したので繰り返さないが、ヘントフの本から40年後の2015年に出版し、著者の遺作となったのが『されどスウィング』(青土社)である。ジャズへの深い愛情と哀惜がにじむヘントフの『Jazz is』と、どこか似たニュアンスが感じられる『されどスウィング』という絶妙なタイトルが私は好きだ。著者最後の書き下ろしとなった本書中の短いエッセイ、《たかが0秒1、されど0秒1》(2015年)は、「スウィング(ゆらぎ)」という、ジャズの持つリズムの神髄について語ったもので、まさに相倉久人の遺言と呼ぶにふさわしい文章である。

『されどスウィング』は、一部を除き、1970年代初めにジャズ界を離れた後に発表してきた代表的な文章を、著者自身が選んだ「自選集」である。主に80年代以降にジャズを回顧し語った文章と、その後手掛けたポピュラー音楽に関する批評から成り、随所にジャンルを超えた著者の音楽哲学が垣間見え、全体として相倉の遺書というべき本だろう。細野晴臣、サディスティック・ミカ・バンド、はっぴーえんど、桑田佳祐、吉田拓郎、坂本龍一、町田康、上々颱風、菊地成孔等々…さらにはアイドルや浅川マキに至るまでの幅広いジャンルのアーティストを対象に、独自の視点で興味深い観察と批評を展開している。60年代の新宿時代からの知己で、2010年に亡くなった浅川マキについて、「変わらずにいること」の難しさと価値を語り、アーティストとしての浅川マキの姿勢に深い敬意を表している。相倉久人の思想と批評は一見クールだが、表面的な分析や印象論だけではなく、深い部分でアーティスト個人に対する人間観と敬意が常に感じられる。そこが音楽批評家として、ナット・ヘントフやラルフ・J・グリーソン、ホイットニー・バリエットのような優れた米国人批評家に通じる部分なのだ。

20世紀初めから、アメリカという特異な場所で異種混淆を繰り返しながら進化した「雑種」音楽であるジャズは、誕生後半世紀足らずの1950年代から60年代にかけて、芸術的にも商業的にもその頂点に達した。いろいろな見方があるが、1970年代以降、現在までの半世紀に及ぶジャズシーンの変化もその延長線上にあって、60年代まではジャズの強い音楽的影響下にあった他の大衆音楽であるR&B、ロック、ポップスなどとの混淆が更に多彩に、複雑に進行し、特に90年代以降「xxx ジャズ」と呼ばれる様々な形態を持つ音楽が世界中で登場し、それらが同時併行的に存在してきたと言える。それをジャズ側から見ると「ジャズが多彩になった」という言い方になるが、むしろ、総体としてのジャズが、アメーバのように境界線を越えて、様々な音楽ジャンルの中に「薄く広く拡散してきた」、あるいは「徐々に吸収されてきた」過程だったと言えるのではないかと(ド素人ながら)私は思う。つまりジャズと他のポピュラー音楽との主客が、1970年代を境に逆転した、あるいは各ジャンルがそれ以降横並びになって、互いに混淆を続け、20世紀半ばまでに出来上がっていたポピュラー音楽のヒエラルキーが、徐々に解体してゆく過程だったとも言える。

マクロで見れば、20世紀の前半に芸術として創造面での進化がほぼ止まった西洋クラシック音楽が、和声やモード他のコンセプトや理論を介して、発展する新世界アメリカで生まれたジャズという新たなポピュラー音楽の中に、半世紀にわたって溶け込み生き続けてきたように、次にはそのジャズ自身が、即興音楽としての急速で短期間の芸術的進化を20世紀半ばすぎには終え、その後世界の多様な音楽の中に徐々に拡散し、溶け込んできた過程が、1970年代に始まり現在までの半世紀に起きてきたことではないだろうか。それを加速した社会的背景は、言うまでもなく、同期間に急速に進展した資本主義経済のグローバル化と、それに伴う文化・芸術の大衆化(商業化)である。そこで新たに生まれた音楽の需要者、消費者としての「大衆」が、新たな感覚を持った「聴き手」として「21世紀のジャズ」の形と針路を決めてゆくことになるのだろう。

こうした見方からすると、1971年に「狭いジャズ界」に見切りをつけ、ロック、ポップス、フォーク、歌謡曲など、ジャズの外側に開かれ発展していた日本のポピュラー音楽全体へと目を向けた70年代以降の相倉久人の足取りは、まさにこの半世紀のジャズの歩みと変化をそのまま映し出しているようにも見える。40歳までの前半生を振り返って、「自分の生き方がジャズだった」と言ってジャズ界を去った男にまさにふさわしい後半生である。相倉久人は2015年、ナット・ヘントフは2017年と、ジャズを愛し、日米のジャズ史の目撃者だった二人の代表的批評家は、ほぼ同時期に亡くなったが、1970年代の前半に、この二人が見ていたジャズの未来のイメージは、おそらく同じものだったのだろう。
(完)