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2023/10/27

ジャズと翻訳(3)伝記・評伝

Thelonious Monk
Robin DG Kelley

インタビュー本と同じく、アメリカで多いジャズ本が「伝記」(biography) である。私の訳書にも2冊の伝記がある。意外に思えるが、一般的にアメリカ人は歴史本、伝記の類が好きだ。米国には「伝記作家」と呼ばれる伝記、評伝を専門にする作家もいるくらいで、ジャーナリストの他にも、大学教授などアカデミズムの世界の人たちが、ジャズやジャズ・ミュージシャンを対象に取り上げて、史実を基にして分析、考察、論評しているのも日本には見られない特徴だ。ジャズを生み、長い歴史と人材を持つ国と、ジャズが単に輸入ポピュラー音楽の一つで、一部の大衆が趣味として楽しむという日本の伝統とは異なる背景があるからだろう。ただし同じ大学教授でも、『リー・コニッツ』のアンディ・ハミルトン(英Darham大)はイギリス人の哲学・美学者、『セロニアス・モンク』のロビン・ケリー(米UCLA) は歴史学者である。大学教授だから偉いとか、すごいとか、そういうことではなく、レコードを中心にした日本の典型的な「ジャズ語り」とは、また違う切り口と内容を持った「ジャズ書」が生まれるということである。

アメリカ人の伝記好きの理由はいろいろと想像できるが、一つには、国としての歴史が短いので、余計に自分たちの「歴史」を大事にして、「国家としてのアイデンティティ」を共有したいという社会的なニーズが強いことだと思う。もう一つは移民による国家なので、自身の「ルーツ」を知りたいという強い潜在的願望を多くのアメリカ人が個人として持っているからだろう。そして3番目が、その個人が新世界で闘って生き抜くという、建国以来の「個人主義」とそこから派生した「ヒーロー像」という伝統だろう。創造性と革新性が米国型ヒーローの特徴であり、デジタル時代以降の創造的ビジネス変革者なら、ビル・ゲイツ、スティーヴ・ジョブズ、今なら最近評伝が出たイーロン・マスク(南ア出身)などが、そういうヒーローだ。

ジャズミュージシャン個人の伝記もたくさん書かれていて、調べてみると大物ミュージシャンにはほとんど自伝とか評伝がある。しかし「読み物」として、外国のジャズファンが読んでも興味を持てるような普遍性のある本はそれほど多くはないだろうと思う。パーカー、ホリデイ、マイルスやコルトレーンのような大物、あるいはモンクのような謎多き人物(インタビュー記録がほとんどない)を除けば、よほどの個人的ファンでもないかぎり、有名ジャズマンといえども、単に事実を並べただけのような伝記類はそう面白いものではない、というのが個人的な感想だ。ジャズ・アーティストの誰もが、魅力的で立派な人物なわけでもないし(むしろその逆の人が多い?)、また伝記に書いて面白いような人生を送ったわけでもないだろう。もう一つは、やはり音楽家やその人生に対する「著者」独自の視点と洞察が、文章の底に常に流れていなければ、異文化圏の人間が読んで感動したり、興味を抱くことはないだろう。伝記には物語性もないと面白くない。したがって著者の「筆力」も当然ながら重要だ。

The Baroness
Hannah Rothchild
 
そういうわけで私はジャズ・ミュージシャンの伝記類はこれまであまり読まなかった。その例外が、ロビン・ケリー氏が14年の歳月をかけて、それまで伝説や謎に包まれていた人物セロニアス・モンクの人生を辿った初の本格的伝記『Thelonious Monk』だった。『リー・コニッツ』『 スティーヴ・レイシー』もそうだったが、日本ではあまり紹介されることがなく、情報が限られていて、しかも自分がその音楽に魅力を感じ、もっと知りたいと思っているミュージシャンの個人史は、当たり前だが一文を訳すたびに新たな発見があって、やめられないほど面白い。もう一人は、ジャズ・ミュージシャンではないが、そのモンク本を読んで、謎のパトロンという存在から興味を持ったニカ夫人だ。以前から多少の知識はあったが、そのニカ本人の人生を描いた本があることを知って、こちらも読んでみた。

英国ロスチャイルド家出身のニカ男爵夫人(パノニカ)は、当時のジャズ界全体の大パトロンで、パーカーとモンクの最後を自宅で看取ったという伝説的人物だ。『パノニカ(原題:The Baroness)』はノンフィクション伝記なのだが、破天荒な人生を歩んだ謎の大叔母(祖父の妹)の誰も知らなかった人生の足跡を、ハナ・ロスチャイルド氏が親族ならではの視点と情報で辿りつつ、著者の一人語りで、ある種「20世紀小説的な」筆致で描いているので、翻訳中は小説を訳しているような気がしていた。実話とは思えないような圧倒的スケールの人生もあって、読後感も伝記というより、小説を読んだような気がする作品である(著者は女性映像作家であり、小説家でもある)。特に、ニカがNYに移る前の前半生部分は、ヨーロッパにおけるロスチャイルド家の謎の歴史や実態を描いた貴重な情報も含まれている。この2冊ともに、謎多き個人の伝記であると同時に、20世紀という時代の深層、アメリカという国家、20世紀半ばのジャズ界とそこで生きるミュージシャンたちの暮らしや、相互の人間的、音楽的なつながりが生き生きと浮かんで来るところが、私的には読んでいて非常に面白く、日本語に翻訳してみたいと思った理由だ。

Miles:
The Autobiography
Quincy Troupe

自分で訳した上記2冊を除けば、私がこれまで日本語で読んで「面白い」と思ったジャズマン伝記は、『マイルス・デイヴィス自叙伝』(クインシー・トループ 1989/中山康樹・訳 1991)だけだ。なんといっても、ジャズの本流中の本流であるマイルスの「一人語り」という形式がいい。そして上記モンク本もそうだが、こうしたジャズ史上に残る大物ミュージシャンの伝記は、本人だけでなく、ジャズの時代的、音楽的背景、周辺の人物との様々な関係なども同時に描かれているので、それがまさに「ジャズ史そのもの」になっているのである。それも事実だけでなく、裏面史や、人生や、微妙な人間関係が具体的に見えてくる。だから、マイルスの人生と音楽に加えて、登場人物も含めてジャズ史的な読み方をしても面白くないはずがないのだ。

ただし、この本は「ノンフィクション」としては原書、訳書ともに少し問題(?)があったようだ。原書はクインシー・トループのマイルスへの「インタビュー」に基づく聞き書き(共著)だが、「自叙伝」と呼ぶには情報引用の出所、編集の問題(内容のどこまでが著者とのインタビューに基づくものか?)があり、訳書は翻訳者による無断改編が多いという。昔はこのへんは寛容で、かなり手を加えた訳書も多かったようだが、今はいずれも出版にあたって普通は厳しくチェックされる。原著の「引用」部分は出典を明示することが求められるし、訳書の「改編」は原著者、版元の承諾が前提である。私は自分の訳書はすべて基本的に原書通りに完訳(パラグラフの変更や、テキスト抜粋なし)しているが、『セロニアス・モンク』の場合、長すぎてどこも出版してくれないので、やむなく一部をカットして短縮したし、他の訳書も含めて、一部の章タイトル名など日本人には分かりにくい部分を変更しているが、いずれも「事前に著者の了承」を得たうえで行なっている。しかし、そうした点を別とすれば、中山康樹・訳のマイルス自叙伝は、ジャズファンが読んで楽しめる日本語ジャズ伝記の筆頭だろう。

ところで、今年出版した私の訳書『カンバセーション・イン・ジャズ』の中で、ラルフ・J・グリーソンが行なった12人のミュージシャンへのインタビューのうち、他は「です、ます」調なのに、ディジー・ガレスピーの章だけ口語体に近い表現になっているが、「原文」はどうなっているんだ?と疑問を呈している、さるブログ記事を読んだ。まあ、そう思うのも無理はないし、日本語への翻訳で常に問題になる点だろう。異言語(文化)間には、単語の意味を含めて完全な「等価」表現はない。そこを微妙に「調節」して、違和感なく他言語に置き換える技術が翻訳である。ガレスピーの場合は、二人の「関係性」を日本語の「書き言葉」で表すために、あえてガレスピーだけそういう訳文にしたのである。原書の英語は、録音したインタビューの口語表現を著者(トビー・グリーソン)が文字起こしする際に、ほとんどすべて普通の文体に編集して書いている。だからガレスピーの章も、多少くだけた表現が多いが、基本的には他と同じ会話文体だ(口語表現をそのまま文章にすることは普通はない)。この二人は同年齢であり(1917年生まれ、モンクとも同じ生年)、家族ぐるみの付き合いをしていて、グリーソン家が1964年のガレスピーの米大統領選出馬の応援までしていた仲なので、グリーソンの「自宅」で行なったプライベートな対話時に、堅苦しい表現で「話すはずがない」からだ。

一方、他のインタビュイーはTV出演時のデューク・エリントン(1998年生まれ)を除き、これもグリーソンの自宅での対談だが、全員グリーソンより「年下」で、なおかつジャーナリスト、ジャズ評論家として当時のグリーソンは当然それなりの人物として尊敬されていた。だから、いくらフランクなアメリカといえども、一流ミュージシャンたちが「タメ口で話す」はずもなく、当然それなりの態度と言葉遣いをしていただろう。つまり、そこも「想像」である。英語には日本語のようなあからさまな敬語表現が少ないが(あるにはある)、会話の場合、話し手の「トーン(話しぶり、短縮表現など)」がかなりそこを表現している。だから「書き言葉」としての日本語訳の文章は、性別、年齢や、上下関係など、「日本文化的に見て」違和感のない表現にするのが望ましいと思う。そこは、不自然にならない限り訳者の裁量範囲なのだ。私は原テキストに忠実に、逐語的に翻訳することを心掛けているが、マイルス自叙伝も含めて「作家的な」翻訳者だと、このへんはかなり表現に幅が出てくるだろう。

個々の人格や個性に関しても、原書テキストのトーンを大きく逸脱することなく、訳文の表現で、ある程度は違いが出せると思う。この本の場合、12人のミュージシャンは、ジャズ界での実績や演奏の個性、原文のリズムや使用する言葉(短縮など)を勘案して、それぞれの「人物の雰囲気」が感じられる訳文になるように心がけた。たとえばジョン・コルトレーン、ジョン・ルイス、ビル・エヴァンスのような生真面目な雰囲気のある人たちと、クインシー・ジョーンズやフィリー・ジョー・ジョーンズのようなやんちゃな感じのタイプとでは印象が違うと思う。今はヴィジュアルやオーディオの記録も簡単に視聴でき、リズムを含めた話し方、話しぶりの情報も、実際に目や耳で確認できるので、それも参考にしてできるだけ訳文に反映させるようにしている。特にリズムには話し手の個性が出る。この本で面白かったのは、12人の発言を訳してみて、レコードなどで聞ける彼らの「音楽」と、インタビューでの「語り口」に、明らかに「相関がある」のを感じたことで、そこにジャズという音楽の本質がよく表れていると思う。

もう一点、英日翻訳者にとっては当たり前のことだが、英語では、大統領もホームレスも、男も女も、大人も子供も、1人称の主語「私」は「I」しかない。「私、アタシ、俺、オレ、僕、ボク、ワシ、自分、おいら、おいどん、拙者……」などと多様な表現で、その人の性別、立場、地位とか性格まで表す日本語のような豊富な語彙は英語の主語にはない(複数のweも、2人称youも、3人称he/sheも同様)。上述した中山康樹氏訳の『マイルス・デイヴィス自叙伝』では、独白するマイルスはずっと「オレ」で通している。第三者も「奴」が多い。もちろん原書はすべて「I, (my, me)」であり、「he (his, him)」である。共著者クインシー・トループとの対話とはいえ、品のない「マザファッカー」という語を連発するジャズマン・マイルスが、「私は」とか「僕は」とか言ったらやはり妙なので、ここは「俺」でもなく、視覚的にも「オレ」がいちばんぴったりだ、と訳者が判断したのだろう。これを「私」で始めたら、全体のトーンがまったく違う物語になったことだろう。そのいかにも「らしい」マイルスの語り口のおかげもあって、この本は面白い「日本語」の読み物になったのである。ただそのイメージがあまりにハマりすぎて、それ以降(私もそうだが)マイルスはいつも「オレ」と言わないとサマにならないのが困ったところでもある。当然だが、マイルスが「私は」と真面目な顔(?)で言っていたときも彼の人生にはあったはずだ(実際の人間マイルス・デイヴィスは知的で、シャイで、繊細な人だったと言われている)。今の生成AI翻訳は、このへんも、「主語」を選択することで、訳文はどうにでも書き分けられるようだ。ただし周知のように、日本語は「私は」とか、「それが」とかの「主語」なしでも文章が成立するところが、英語と異なる。(続く)

2023/10/14

ジャズと翻訳(2)インタビュー本

Lennie Tristano
Eunmi Shim
私はこれまでに3冊のインタビュー本を翻訳してきたが、初の訳書が『Lee Konitz: Conversations on the Improvisor's Art』(原書 2007 Michigan大学) だった。トリスターノ派の音楽全体に興味を持っていたので、実はリー・コニッツの前に、当時日本ではほとんど情報が手に入らなかった、コニッツの師匠レニー・トリスターノ唯一の伝記である『Lennie Tristano』(2007 Michigan大学) をまず訳してみようと思っていた。10年前にはWeb上(英語)でもトリスターノ派に関する情報がほとんどなく、あれこれ探してやっと見つけた本である。また同じくトリスターノの弟子のベース奏者、ピーター・インド Peter Ind がトリスターノ派の音楽について書いた『Jazz Visions』(2008) も見つけた。前者に関しては著者ユンミ・シム Eunmi Shim(韓国出身、現在はバークリー音楽大学教授)に直接コンタクトして翻訳の可否について問い合わせていたのだが、音楽学の学者である著者のアカデミックな視点が少々私的興味とは違う方向だったこと、またインドの本も少し方向が違う印象だったので、最終的にやはり『Lee Konitz』を手掛けてみることにしたのだ。これはミシガン大経由で著者アンディ・ハミルトン氏に、メールで直接コンタクトして翻訳許可をもらった(次の『セロニアス・モンク』も『パノニカ』も同様に、著者ロビン・ケリー氏およびハナ・ロスチャイルド氏から直接許諾をもらって翻訳している)。

Lee Konitz
Andy Hamilton
『Lee Konitz』は、老境に入ったアルトサックス奏者リー・コニッツ(1926-2020, インタビュー当時70歳代後半)への5年間にわたるインタビューを通して、彼の音楽人生とジャズ哲学を探るというユニークな一種の自叙伝だ。インタビューは<コニッツx著者>の1対1で、イギリス人著者アンディ・ハミルトン(Darham大教授、美学・哲学者)が強調しているように、マイルス自叙伝のような編集、脚色や他の資料からの引用を一切せずに、「コニッツ本人の言葉」をほぼそのまま載せて、そのユニークな人生とジャズ哲学を語らせている。特に「ジャズ即興演奏とは何か」という自身の疑問に起因する、パーカーやコルトレーンの「固有のヴォキャブラリーの組み立て」に基づく演奏技法と、コニッツの「内発的 (spontaneous) アイデア」による純粋な即興演奏思想との対比は、これまでどんなジャズ本でも語られてこなかった、ジャズの本質に迫るユニークなトピックであり、ジャズ・ミュージシャンが何を考えて、どう演奏しているのか、という音楽家の内面を探る非常に興味深い議論だ。シカゴ時代からの師匠レニー・トリスターノの音楽思想、師弟関係、ビバップとトリスターノ派の音楽の関係、彼らの音楽の本質を語る部分も、これまで日本では読んだことがない非常に貴重な情報だ。そこに、著者ハミルトンがインタビューで取材した、多くのジャズ・ミュージシャン(40人)のコニッツに関するコメントを加えた構成にして、リー・コニッツというミュージシャン像とその音楽を、立体的に描いている。

ジャズは黒人――アフリカ系アメリカ人が中心となって生まれ、発展した音楽だが、いわゆる白人ジャズ・ミュージシャンも数多い。日本ではこうして「黒人」に対して「白人」ミュージシャンとひと言で呼ぶが、アメリカの白人といっても様々なバックグラウンドを持つ人たちの集まりで(もちろん黒人もそうだ)、ジャズの場合いちばん多いのはいわゆるWASPではなく、ユダヤ系アメリカ人である。ハリウッドの映画産業から始まり、ガーシュインやアーヴィング・ヴァーリンのようなポピュラー音楽作曲家、ブルーノートのアルフレッド・ライオンやフランシス・ウルフ、プレスティッジのボブ・ワインストックやアイラ・ギトラーのようなレコード・プロデューサー、ナット・ヘントフ、レナード・フェザーのようなジャズ評論家、ジョージ・ウィーンのようなジャズ興行主、大物ミュージシャンでは古くはベニー・グッドマンはもちろん、本書で出自を公言しているリー・コニッツやスティーヴ・レイシーの他にも、ギル・エヴァンス、ビル・エヴァンス、スタン・ゲッツも、ユダヤ系移民の子孫だと言われている。その他バート・バカラック、ジョン・ゾーンのような音楽家もそうだし、アメリカのクラシック音楽の世界でもその傾向は同じだ(バーンスタインなど)。

ユダヤ人には特別な能力があるからだとか、陰謀論的な見方とか、根拠の曖昧な議論には与しない。ジャズを含めてそもそも「芸能」というものが、主として(宿命的に支配者層にはなれない)被差別階層の人たちによって作り上げられてきたのは、アメリカだけでなく、諸外国や日本の芸能の歴史を見ても明らかだからだ。元々、様々な社会的ハンディを背負って生き、進路の選択肢が限られているがゆえに、個人としての才能、能力を最大限生かせる分野に人生を賭ける――という生き方を選ぶしか方法がないので、結果的にそこで名を遺した人が多いということではないかと思う。アメリカという新しく複雑な移民国家では、人種間競争が厳しく、ヒエラルキー形成の歴史も短いので、それがより顕著な形で表れているということを学習したのも、数冊のジャズ書の翻訳を実際に手掛けて、翻訳過程でその背景を知ったからだ。黒人の音楽を白人が「拝借」して商業的に成功させた、という見方が一般にあるが、芸術的な観点から見れば、そんな単純なものとは言えない。どんなミュージシャンにも、それぞれ「個人としての」歴史や背景があるのだ。トリスターノや初期のコニッツから感じられる強靭な意志と音楽的テンションの源は、当時のビバップという「本流の黒人」が作った強力で魅力的なジャズの世界の内側から、何とかして「自分たち固有の音楽」を創り出したい、という「傍流の白人」アーティストとしての強い芸術的願望であることも、コニッツの本を通じて初めて理解した。トリスターノがもっとも敬愛していたのは、ビバップの権化チャーリー・パーカーとバド・パウエルなのだということも、この本で初めて知った。日本のギタリスト高柳昌行の音楽を知ったのも、トリスターノ派が起点だった。

Steve Lacy
Jason Weiss
2番目のインタビュー本『スティーヴ・レイシーとの対話』(原書 2006) は、ソプラノサックス奏者<スティーヴ・レイシーx多彩なインタビュアー>という組み合わせで、20世紀後半に、主にヨーロッパで40年以上にわたって行なわれたレイシーへの34篇のインタビューを、編者ジェイソン・ワイスが一部翻訳し(仏→英)、年代順に解説を加えて再編集し、そこにレイシー本人のメモなども加えて彼の人生と音楽思想を描く――というこれもまたユニークな構成のインタビュー集である。特にレイシーが私淑し、自身の音楽の基盤となったセロニアス・モンクの音楽の分析と解釈は、類を見ない深さで師のサウンドの構造と本質を語っている。モンクの音楽をここまで深く理解し、語っている音楽家はいない。そして、そのインスピレーションがいかに自身の音楽を形成してきたかを詳細に述べている。この本は月曜社の企画で、私が選んだものではないが、セロニアス・モンクを通じてレイシーに興味を持っていたこともあって翻訳を引き受けた。翻訳作業を通じて、あまり詳しく知らなかったスティーヴ・レイシーという音楽家と、その音楽を知る非常に良い機会となった。

これら2冊はインタビューを通じて掘り下げた、白人サックス奏者、リー・コニッツとスティーヴ・レイシーのある種の自叙伝とも言える。アルトとソプラノという楽器、年齢の違い(レイシーは1933年生まれで2004年没)に加え、コニッツはビバップから出発して、トリスターノとの邂逅を経て独自の音楽を追及し、一方のレイシーはディキシーランドから出発して、セシル・テイラーを通してモンクを知り、フリージャズに向かった、という経歴上の違いがあるが、この二人にはいくつか共通点もある。両者ともにユダヤ系白人(コニッツはオーストリア系、レイシーはロシア系)サックス奏者であり、片やレニー・トリスターノ、片やセロニアス・モンクという、ともにジャズ史上の巨人というべき人物だが、「ジャズ本流」のミュージシャンとは言い難い師に、青年時代に薫陶を受けたという経歴を持っていること、さらに両者ともに1960年代後半という、人生の半ばで、実質的に米国の地を去って新天地ヨーロッパを活動拠点とし、そこで晩年まで暮らしたということである(コニッツはケルン、レイシーはパリ)。逆に言えば、米国では彼らの音楽は受け入れられなかったと言える。2冊のインタビュー本による個人史からは、ジャズ・ミュージシャンの人生の背後にあった、20世紀生まれのジャズという音楽の特質が鮮明に浮かび上がってくる。

Conversations
in Jazz
Ralph J Gleason
一方、今年初めに出版した3冊目のインタビュー本『カンバセーション・イン・ジャズ』は、米国の著名ジャーナリストであるラルフ・J・グリーソンが一人で行なった<グリーソンx12名のジャズ・ミュージシャン>というインタビュー集で(原書は14人)、1960年前後に行なわれたグリーソンの私的インタビュー音声を、2016年に息子のトビー・グリーソン氏が初めて文字化してイェール大から出版したもので、ほとんどのインタビューが初出だ。1960年代に日本でモダン・ジャズ・ブームが起こる前の米国のジャズ黄金時代に、若きコルトレーンやロリンズ、ビル・エヴァンス、MJQの全メンバー 、フィリー・ジョー・ジョンーズのような大物ミュージシャンたちが、何を感じ、考えていたのか、当時の彼らの音楽思想を、すぐれたインタビュアーが一人で切り取ったもので、ミュージシャンたちのナマの声を通してジャズ史の一断面をとらえた興味深く、また貴重な記録である。個人的には、マイルス・デイヴィスに関する各ミュージシャンの意見や、ビル・エヴァンスのトリスターノとモンクに関するコメントが面白かった。

Notes and Tones
Arthur Tailor
このように、同じインタビュー本だが、上記3冊はそれぞれ個性的な内容を持ち、いずれもインタビューを通して、いわば「ジャズ・ミュージシャンという存在」を様々な角度から描くという書籍である。ジャズとは結局、ミュージシャン個人の声を聴く音楽なので、今の私の関心は、昔と違ってレコードやテクニカルな情報よりも、ジャズサウンドの根本にあるミュージシャン個人の人生や演奏思想にあり、「彼らがなぜそのような演奏をするに至ったか」という事実を知ることにある。そういう視点で翻訳候補に挙げている興味深いインタビュー本が、まだ他にも何冊かある。たとえばその中の1冊で、ドラマーのアーサー(アート)・テイラー著の『Notes and Tones』(1977/93) は、グリーソンの本と同じ構成(インタビュアー1人 x 複数ミュージシャン)だが、これはグリーソン本から約10年後、すなわちフリージャズ登場後の1970年前後、およびそれ以降に行なわれたインタビューである点と、インタビュアー自身がアート・テイラーというビバップ以降、ジャズの巨人たちとの数々の名演に加わってきたジャズ・ドラマーである点が違う(サブタイトルが "Musician-to-Musician Interviews")。ロックやポピュラー音楽が米国の音楽市場の主役になる以前、モダン・ジャズがまだまだ隆盛だった1960年前後で、訊き手が白人の著名ジャーナリストであるグリーソン本では、どことなく「よそ行き」の雰囲気が感じられるジャズ・ミュージシャンたちが、それから約10年後に、ミュージシャン同士でリラックスして本音を語り、またマイルス・デイヴィスなど主流のアーティストの他に、オーネット・コールマンやドン・チェリーなどフリージャズ以降のミュージシャンも登場し、ロックやフリージャズ登場後の米国ジャズ界の変化やミュージシャンたちの反応も見られ、ある意味でアメリカという国、ジャズという音楽の歴史の複雑さを表出している非常に興味深い1冊だ。こうした原書を年代順に何冊か翻訳出版して、一種の「日本語によるジャズ・オーラル・ヒストリー」にしてみたいと考えているのだが、今後これらを訳書として日本で出版できるかどうかはまだ未定だ。(続く)