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2019/08/01

京都を「読む」(1)

京都では祇園祭も終わり、次の夏の大イベントは、お盆の ”五山の送り火” だ( ”大文字焼き” ではない)。元々京都好きだったこともあり、時間のある最近は毎年京都に行くようになって、もうかなりの回数になる。名所旧跡を含めた京都市街地の地図はおおむね頭に入ったし、JR、地下鉄、京阪、阪急、嵐電、叡電などを乗りこなせば、もう大体どこへでも行ける(バスはまだよくわからない)。「よく飽きないね」とか言われることもあるが、これはディズニーランドや USJ 好きの人が何度も通うのと同じことだ。京都は、「日本」を主題にしたテーマパークだと指摘した人がいるが、その通りである。何度行っても、見ても、1,200年の重層的な日本の歴史を背景にした尽きない面白さと魅力が京都にはあるからだ。こんな都市は、日本には(世界にも)他にない。京都は日本の宝である。名所旧跡や寺社巡り、食事処で、たとえボッタくられようと、時にはダマされようと、観光目的でたまにやって来る非京都人(よそさん)にとっては、”時空を超えた京都” というイメージ の中で、いっとき楽しい時間を過ごせたらそれでいいのである(地元で普通に暮らす京都人にとっては迷惑だろうが)

最近では、高台寺に登場した般若心経を読経するアンドロイド観音(写真:京都新聞)もその象徴だが、結構高い料金を払いながら、あちこちのアトラクションを巡って楽しむというシステムも、テーマパークと一緒なのだ。TV番組に登場する血色の良い胡散臭そうな坊さんの説教や解説もそうしたイメージを助長しているが、寺社に限らず、各スポットのもっともらしい「物語」が、そもそも歴史的にどこまでが事実で、どこから先が後付けの作り話の類(伝説、神話、宣伝等)なのか、実のところはっきりしないケースが非常に多い。だから眉に唾をつけながらウソとホントの境目を見極めるのも、”よそさん” 流京都の楽しみ方の一つである。とは言うものの、よく観察すれば、人工のテーマパークには望むべくもない本物の歴史と、そこで生きてきた人間の存在もリアルに感じられることも確かだ。このフィクション(ウソ、ホラ)とノンフィクション(ホント)が、至るところで違和感なく不思議に溶け合っているのが京都という街であり、その魅力なのだと思う。(だが、そのキモである日本の歴史や文化という共同幻想と、それに対するある種のリスペクトを持たない外国人観光客の急増で、この絶妙なバランスを保ってきた都市イメージは急激に崩れつつあり、今や単なる観光テーマパーク都市への道を邁進しているようにも見える。)

当然ながら、京都に関する本もいろいろ読んできた。京都はとにかくネタが豊富なので、ネット時代の今でも、学術書以外に数え切れないほどのいわゆる「京都本」が出版されている。大きく分けると、普通の観光ガイド的な総花本、特定の地域や裏ネタに関する中級者向けガイド本、食を中心にしたグルメ本、歴史や文化遺産を中心にした正統的な都市ガイド本、日々の伝統行事や祭事を網羅した本(『京都手帖』など)、京都人気質や文化を語った ”京都論” 的な本、独特の差別の歴史を描いたタブー本、地理・地学本、怪しげな魔界・心霊本……といった具合でキリもなくある。しかし読む人のニーズによってもちろん違うだろうが、「京都本」はやはり京都ネイティヴの人が書いた本がいちばん参考になるし、読んで面白いと思う。単なる知識、情報の伝達だけでなく、ホメてもケナしても、たぶん行間に地元京都への愛情が感じられるからだろう。穴場や、地元の人が楽しむグルメ・スポットの案内など、かつて中心だった ”事実” に関する情報は、ネットとスマホ時代になって、しかも変化が激しいので、あまり有難味はなくなった。むしろネット情報だけでは見えて来ない、歴史、人間や文化面での面白み、深み、謎、といった知的情報を如何にして読者に提供するかが、紙媒体としての「京都本」の今後の存在価値だろう。当然だが、この種の本は出版時期や情報自体が新しければ良いというものでもない。京都伝統(?)の ”イケズ” の様相と分析などは、日本文化論として永遠に続くだろうし、江戸・東京という中央政権に対する怨嗟や対抗意識と歴史認識、大阪・神戸という関西近隣都市への競争意識や優越感もそうだろう。今はそれがさらに細分化されて、京都市と京都府、さらには京都の洛中と洛外の格差、ヒガみとか、目くそ鼻くそ的自虐ネタまで出て来て、まさしくケンミンショー並みの面白さだ。ただし、総じてこの種の「京都本」の語り口は、特に男性著者だと、いわゆる ”京男” らしさ(細かい、まわりくどい、しつこい、喋りすぎ……)が目立つ場合が多いような気がする。京都人が書いた本の中で、実際に京都巡りや、京都のことを知り、考える上で、個人的に参考になったり、読んで面白いと思った本をこのページで挙げてみた。いずれも今から10年以上前、2000年代に入って間もなくの本で、「京都検定」の開始など当時は京都ブームだったようだ。だが、今読んでも内容の価値と面白さは変わらない、つまり私的名著である。

街歩きガイドの類もずいぶん買ったが、結局これまでいちばん役に立っているのは、『京都でのんびり―私の好きな散歩みち』(2007)、『京都をてくてく』(2011  祥伝社黄金文庫, 小林由枝という同じ著者の文庫本2冊だ。ひと通り名所には行った人が、街歩きのときに持ち歩くのにとても適していて、コンパクトだが2冊でほぼ京都市内をカバーし、普通は観光客が歩かないルートや場所、地元の店なども紹介されている。何よりイラストレーターでもある著者(下鴨出身の優しく、きめ細かな心づかいが伝わって来るような地図イラストと、京都愛を感じるほんわかした手書きの文章がとても良い。両方とも出版されて大分経つが、情報的には今でもまったく問題ない(何せ相手は1,200年の歴史がある街なので)。

これも同じく女性の著者だが、こちらは壬生出身(亀岡在)の漫画家で、旅歩きコミックの元祖グレゴリ青山が、地元民ならではの視点と経験から、京都人や京都のおかしさを描いた何冊かのコミックだ。というか、そもそも私が京都本をあれこれ読むようになったキッカケが、確か “グさん” のコミック『ナマの京都』(2004 メディアファクトリー)の笑いがツボにはまったせいだったのだ。その後『しぶちん京都』、『ねうちもん京都』、『もっさい中学生』、最近の『深ぼり京都散歩』など、京都がらみの本は全部読んだが、どれも笑える。面白さの理由は、京都や京都人を観察する距離感、視点が、他の京都本と比べて段違いに普通で、対象に接近しているからだろう(近すぎて、デフォルメされているとも言える)。ただ漫画は人それぞれ好みがあるので、かならずしも笑いの保証はできないが、著者独特の画風とギャグ、ユーモアの世界に波長が合う人なら、間違いなく大笑いしながら、地元民の語る京都の裏話のあれこれを楽しめるだろう。特に初期の何作かは、”京都本・史” に残る傑作ではないかと思う(もう絶版かもしれないが…)。京都は、かしこまっったり、辛気臭い顔で語ったり、持ち上げるだけでなく、「笑い飛ばすもの」でもある、という見方が当時は非常に新鮮だった。

普通の読み物として、これまで個人的に面白いと思った本は、今や定番に近い本なのだろうが、やはり『秘密の京都』(2004)、『イケズの構造』(2005)、『怖いこわい京都』(2007 新潮文庫)など、多くの京都本を書いている入江敦彦の本だ。著者は西陣出身で、ファッション関係の仕事をしつつロンドン在住というエッセイスト・小説家だが、この代表作とも言える3冊は、それぞれ京都の散策ガイド、言語文化考察、京都にまつわる恐怖譚集で、いずれも楽しく読めた。特に『イケズの構造』では、京都ならではの言語文化、京都人ならではの視点を、京男ならではの語り口で開陳している。これを京男っぽい面倒くさくてイヤみな本と取るか、ユニークで興味深い本と取るかは読者次第だろう。”京都語” をそもそも外国語として捉えることや、『源氏物語』やシェイクスピアまで ”京都語” で翻訳してその真意を知ることなどで、単なる意地悪ではない、言語文化としての「イケズ の神髄」を伝えようとする視点や解説は、私的にはとても新鮮で面白かった。ロンドンで暮らし、イギリス人の文化や言語との共通点に気づいたり、京都を地球の向こう側から俯瞰するという経験は大きいと思う。その後現在まで、くだらない本も含めて似たような京都本が数多く出ているが、15年も前に、京都人独特のものの見方や考え方の世界を、学術的な読み物でも売れ線狙いの内容でもなく京都人自身が初めて真面目に語ったという意味で、その後の京都本の原点のような本である。併載されている、同じく京都人のイラストレーター・ひさうちみちおのイラストも、おかしい。

もう1冊は、同時期に出版され、今は文庫化されている『京都の平熱―哲学者の都市案内』(2007 鷲田清一 講談社)だ。こちらは下京区で生まれ育った、現象論・身体論というファッション世界を研究する哲学者である著者の視点から、市中を一巡する市バス206系統の周辺地区を巡りつつ、京都という都市と文化を読み解く試みである。らーめん、うどん、居酒屋など、普通の街の食事処から、通り、建物、寺社、学校、人物に至るまで、観光地とは別の素の京都を、普段の京都市民の目線で考え、語るエッセイだ。併せて写真家・鈴木理策(この人は京都人ではない)によるモノクロ写真が、普段の京都視覚イメージとして提供している。山ほどある京都本の中でも、京都という懐の深い都市を内側から捉えた知的な一冊である。たまたまだが、私的好みでここに挙げた4人の京都出身の著者のうち、女性2人がイラストレーターと漫画家であり、男性2人が共にファッションの世界に関連した仕事をしている――というように、伝統美術工芸に限らず、ヴィジュアル表現の世界と京都文化には常にどこか深いつながりを感じる。「京の着倒れ」とは、舞妓さん(装飾の極限)と修行僧(質素の極限)を両極とする、他所にはない振れ幅の大きいファッションの自由を許容する伝統が生んだものだ、という著者の説を読んで、その理由が分かった気がした

古典を含めて、京都を舞台にした「小説」は読まないが、そもそも今や存在の半分はフィクションである京都に、さらにフィクションを上塗りするような物語にはあまり興味を引かれないからだ。しかしNHKの『京都人の密かな愉しみ』は、フィクション(常盤貴子主演のドラマが軸)とノンフィクション(京都で今も続く伝統行事や文化の紹介)が同時に進行してゆくというユニークな構成で「京都人」という不思議な存在を描くテレビ番組で、こちらは2015年の初回放送以来、毎回楽しみに見てきた。ドラマと一体化した、阿部海太郎の美しいサウンドトラックのCD『音楽手帖』も買って楽しんでいるし、番組を書籍化し、背景や裏情報などをまとめた同名の本 (2018 宝島社)も読んだ。ドラマ編の主人公、「老舗和菓子屋の一人娘、跡継ぎで、いつも美しい着物姿の常盤貴子」という ”イメージ” が象徴するように、またドラマと併行して、今も生きている京都の様々な伝統行事等が紹介されるように、このフィクションとノンフィクションの絶妙な融合こそが「京都の実体」だと思ってきたので、この番組は実によく考えて作られているなと、放映中ずっと感心しながら見ていた。監督・源孝志のアイデア、脚本、演出は素晴らしいし、他の出演者たちも全員がとても良い味を出している。今はシリーズ2「Blue修業中」という別のドラマの途中で(常盤さんはもう出演していない)、今月はNHK BSで久々に新作の放送があり、また過去の放送分も集中的に再放送する予定らしいので、京都好きだが、これまで見逃していた人は、そのユニークな物語、美しい映像と音楽をぜひ楽しんでみては如何だろうか。

2019/05/03

「サラリーマンNEO」と現代コント考

サラリーマンNEO
NHK (2006-11)
昔からギャグ漫画やコントが好きなので、昨年から今年3月までNHKで放送していた、過去のNHKコント番組を振り返る「コンとコトン」をずっと見ていたが、久々に「サラリーマンNEO」の再放送を見て笑った。堤幸彦監督の「トリック(TRICK)」(テレ朝 2000-) の刑事・矢部謙三以来、私は生瀬勝久のファンで、特に生瀬と池田鉄洋(たいていは部下役)がカラむコントが好きなので、今回の再放送でもずいぶんと笑わせてもらった。雨の降りしきる中、自宅玄関前でずぶ濡れになりながら、「普通の」サラリーマン生瀬の “弟子” にしてくれと哀願(?)して騒ぎまくる池田と、妙に冷静にそれに対応する生瀬のおかしな演技(<雨の降る夜に>)は、最初はピンと来なかったが、回を重ねるごとに、そのシュールで不条理劇的なおかしさにハマったコントだ。「サラリーマンNEO」には多くのシリーズもののコントやコーナーがあったが、人によって好んだシリーズは異なると思う(笑いのツボは個人によって違うので)。私はストーリーやキャラに凝るよりも、まず設定のおかしさとシンプルな笑いが好みなので、他に好きだったコントは報道番組<NEO EXPRESS>で、キャスター生瀬(報道男 ぬくいみちお)と中田有紀(中山ネオミ)とのやり取りとお約束のオチ、それに、これも中田有紀と田口浩正の<よく見る風景>だった。両方とも中田有紀のドS的キャラと雰囲気を見事に生かしたコントで、後者は空港でも旅行会社でもエステサロンでも、客の田口を高慢な態度であしらう受付嬢・中田とのやり取りに毎回大笑いした。もう一つ個人的に好きなコントは、これも田口と入江雅人の<博多よかばい食品物語>か。こちらはどことなくおかしい、という類の笑いで、田口浩正という人は存在そのものが既にしておかしい。どう見ても部長か役員風の平泉成が実は新入社員という「大いなる新人」も、設定そのもののおかしさと、平泉や生瀬の真面目にとぼける演技に毎回笑った。

生瀬勝久と池田鉄洋
(写真:逢坂 聡)
しかし「コンとコトン」で、生瀬勝久のコント作りと芸に対する厳しさを、池田をはじめとする出演者の多くが口を揃えて語っていたのが印象的だった。生瀬は関西出身だが、アドリブよりも徹底して作り込むタイプの演劇人なのだということがよく分かった。他の番組のユルいコントとの違いは、作品としてのコントへの拘りと真剣さが生む演劇的緊張感の故なのだろう。第一、生瀬はどんなにおかしな役柄を演じても、目が決して笑っていないところがすごい(コワい。時には狂気さえ感じる)。この番組は、レギュラー男優陣も女優陣も、皆さん普通の俳優さんばかりなのに、本当によくぞやったという名演技ばかりで(演じていて、どこが面白いのかよくわからない、というコメントにも笑ったが)、コントというものの奥の深さを教えてもらった。いくつかのコントに代表される「サラリーマンNEO」は、手法や出演者の性格は違うが、個人的には、バブル末期(昭和ー平成)の「夢で逢えたら」(フジテレビ)以来の、斬新な傑作コント番組だったと思う

夢で逢えたら
フジテレビ(1988-91)

日本のコントには歴史的にいくつかの流れがあると思うが、吉本新喜劇や浅草演芸系の舞台もの (私はこれも結構好きだ)、クレイジーキャッツからドリフターズという元ミュージシャン系のコント、それにお笑い芸人によるテレビ番組ものが主流で、その大部分は老若男女を問わず、大衆受けを狙った分かりやすいコントだった。それに対して「シャボン玉ホリデイ」-「ゲバゲバ90分」-「夢で逢えたら」-「サラリーマンNEO」、と(勝手な私的印象で)つながる流れは、いわゆる関西系のお笑いではないこと、コントに斬新さとヒネリがあり、どれも作り込みが凝っていたところ、そして基本的に子供や一般大衆受けよりも、一部の大人層にしか受けないシュールな(時にシニカルな毒を含む)笑いを最初から目指していたところが違うように思う。漫才、漫談など、コメディアンの喋りの反射神経、即興性と、ジャズ・ミュージシャンのインプロヴィゼーション(アドリブ)の近似性は洋の東西を問わず昔から指摘されているが、コントの場合は、台本、演出など、より構造的に強固な枠組みと筋書きが前提としてまずあるので、その中で演者個人がどうやっておかしさを表現するかは、プロの役者や芸人といえども相当難易度が高い世界なのだろうと想像する。「サラリーマンNEO」は、そういう見方からすると非常に演劇的で、出演者もお笑い系の人ではなく、ほとんどが普通の俳優さんたちであり、生瀬勝久を中心に、アドリブなしで、台本に忠実なきっちりとした演技で笑わせることをポリシーとして徹底していたのだろう。「サラリーマン」と銘打ってはいるが、どんな日本人の組織にも「あるある」的エピソードをネタにしているところも面白かった理由の一つだ。

しかしながら2011年以降、テレビの笑いは、はっきりと変質したように思う。3.11以降のこの8年間とは、“世相が許さない笑い” というものを、無意識のうちに皆が避けてきた(自粛してきた)時代なのだと思う。「笑ってる場合か?」という意識の蔓延である。その結果、すべてがどことなく無難で窮屈な笑いになって、バカ笑い(=くだらないことで大笑いする)ができなくなった。それまでの社会の安定した枠組みが崩れ、今や現実そのものがブラックで不条理に満ちているので、リアル過ぎて、不条理をギャグや笑いにしにくくなったということもあるだろう。もう一つは、(NHKを除き)インターネットに押されて番組制作費の制約が強まり、金が回らなくなって時間も手間もかけられず、テレビの笑いが刹那的になり、小粒化して、内向きになった(コント制作は、当然ながら非常に時間と費用がかかるそうだ)。一方の視聴者側も、SNSによる仲間内意識が閉塞感とこじんまり感を増幅し、彼らのネット上の監視による炎上恐怖が、ますます表現者側の萎縮に拍車をかけている。そして、特に若者がネットに流れ、テレビを見なくなったことも、もちろん大いに関係しているだろう。

根本的な見方をすれば、大衆が求める「時代の笑い」とは、そのときの国の経済状況(景況感)によって深層でもっとも大きな影響を受けるものだと思う。世の中の空気によって、個々人の基本的な「日常の気分」がほぼ決まるからだ。高度成長期の「シャボン玉ホリデイ」や「ゲバゲバ」、バブル時代の「天才たけし」や「ひょうきん族」や「夢で逢えたら」、ITミニバブル時代の「サラリーマンNEO」など、いずれも景気の良いイケイケの時代には、その時代なりの斬新さがあり、多少の毒もあり、しかし視聴者が安心して心底笑える、お笑いやコント番組が登場している。そして、景気が良いときは人間の喜怒哀楽のレンジ、もっと言えば文化のダイナミックレンジが拡大し、バカ笑いもあるが同時に深い洞察も存在する、というように社会の感性も多様化し、寛容度も増し、大衆のニーズも多彩になる。しかし景気が悪いときの笑いは、当然だが、どこか湿っていて、はじけないし、文化的ダイナミックレンジ全体が狭まり、何もかもがこじんまりしてしまうものだ。事実2008年のリーマンショック後になると、「サラリーマンNEO」も初期(2006年 Season 1)のコントにあった大胆さ、チャレンジ精神が徐々に薄れたし、お笑い番組全体の勢い、面白さにも翳りが出始め、それが3.11後の自粛ムードで決定的になった。現在の、低コスト井戸端会議的な芸人内輪ネタや、素人イジリのお笑いやバラエティ番組全盛時代はこうして生まれた。

誰も傷つけない健全な笑いが、世の中的には一番無難なのだろうが、人間の笑いの世界とは、そもそも多少のトゲや毒を孕んだものだと思う。関西系の笑いの文化とは、歴史的にこれを洗練させてきたものだろう。東側も、ビートたけしや爆笑問題はもちろんのこと、あの欽ちゃんですら、デビュー当時は大いに過激な毒を吐いていたのだ。しかし、今のまま出口の見えない格差社会が定着し、国全体の景気の良し悪しにかかわらず、大衆(特に若い世代) の基本的気分が低調な状態が続けば、笑いの世界も窮屈なままでいることだろう。だが人間の生活に笑いはいつでも必要だ。今後、新たなコント番組や笑いの探求者が登場して、今の笑いの閉塞感を打破する時代はやって来るだろうか? 日本も、没落後の大英帝国的喜劇 (「空飛ぶモンティ・パイソン」や「Mr.Bean」)のように、過激でブラックで、突き抜けた自虐的笑いの方向に向かう可能性があるのだろうか? 同じフィクションでも、小説やコミックやアニメではなく、生身の人間が演じる、不特定マスを対象とした無防備なテレビ・コントの時代はもう平成で終わり、こうした笑いは、映画や、小劇場などの閉じられた空間でしか見られなくなる運命にあるのだろうか? 

とはいえ多少の希望がないこともない。最近のNHKは、ドラマでも昔では考えられないような意欲的かつ斬新な作品を送り出しているし(「トクサツガガガ」、「ゾンビが来た…」、「スローな武士に…」など、どれも面白かった)、コムアイとスーパー・ササダンゴ・マシンというよく分からないコンビのユルいナビで進行してい「コンとコトン」をはじめ、お笑いやコントの振り返り番組もいくつか制作しているので、ひょっとしたら何か新しい企画を練っているのかもしれない。来年はオリンピック・イヤーで、世相も多少はポジティブになっているので、期待できるのかもしれない……というか、21世紀資本主義下の日本における革新的、挑戦的なテレビ番組は、BBCと同じく、もうスポンサー・フリーのNHKにしか期待できないのではなかろうか(今はネットを見ても、企業でも個人のページでも、宣伝だらけーしかも最近は動画だーで、うるさくて仕方ないので、自局の番組PR以外に宣伝のないNHKを見ていると、ほっとして気分が落ち着く)。「サラリーマンNEO」を生み出したYプロデューサーに続く、新しい感性を持った若い作家や演出家、あるいは堤幸彦やバカリズムのような才人が手がける、映画でもネット上でも見られない、シュールで笑える、大人向け深夜枠のドラマやコントをぜひ見てみたいものだ。

(追)…と書いていたら、連休中にそのバカリズムが、平成をネタにしたショート・コント的ドラマを本当にNHKでやっていた。喋りはともかく(?)、ドラマはやはり面白かった。

2018/06/02

NHK「ブラタモリ」と「日本縦断こころ旅」

今回もジャズとは直接関係のない話だが、独特の当意即妙の反応と、がちがちの決めごとを嫌い、基本的に ”適当で、ゆるい” 雰囲気醸し出す自然な振る舞いが、いかにもジャズを感じさせる人について。
このキャラも…

テレビ離れが指摘されて久しいが、私も最近テレビは、ニュースとドキュメンタリーとサッカー以外ほとんど見ない。お笑いが仕切る内輪ネタやイジリ中心のバラエティ番組は、どれを見ても新味がないのでもう飽きた(こっちの年のせいもあるが)。ドラマも同じような題材と俳優ばかりで興味が湧かないが、今季のNHK朝ドラ「半分、青い。」はリズムとテンポが良く、今のところは面白いので別だ。「あまちゃん」以来の出来だろう。漫画的だが、脚本も演出も、主人公も俳優陣もとても良い。少し前だが「ちかえもん」や「おそろし」といった時代劇、今も続編をやっている「京都人の密かな愉しみ」のように、これぞNHKという名作もたまにあって、このあたりはさすがだ。やはり基本的に脚本と演出が良ければ、質が高くて楽しめるドラマができる。ところがそのNHKが、業績好調を背景に調子に乗っているのかどうか知らないが、民放の "まがいもの" のようなちゃらちゃらした、しかもいかにも金をかけたような毒にも薬にもならないバラエティ番組を最近やたらと増やしているように見える。若者受けや視聴率アップを狙ったお気楽なエンタメ指向を強めた上に、民放の仕事まで奪ってどうするのか。最近はNHKブランドに引かれて集まるタレントも多くなったようだが、それを利用しているようにも見える。同じ金をかけるなら、ネットでは伝えられない硬派のニュースやドキュメンタリー、あるいは民放にはマネのできない、良質な大人の番組にもっと投入してはどうか。こちらはそのために長年受信料という金を払っているのだ。NHK自身が放映している海外のドキュメンタリーなどは、派手さはなくとも深く鋭い番組がたくさんあるし、制作手法としてもまだまだ学ぶべきところがいくらでもある。そうした中にあって、金も旅費以外たいしてかかっていない低予算番組のように見え、視聴者への媚びもなく、中高年の鑑賞にも耐え、しかもリラックスして楽しめる貴重な番組が、地上波の「ブラタモリ」と、BSの火野正平の「日本縦断こころ旅」だ。

「ブラタモリ」は、タモリとアシスタントの女性アナウンサーが日本各地を訪ねて、その土地ならではの隠れた地理、地質、歴史や面白さを、実際に現地の人や専門家(これがまた個性的な人が多くて面白いが、特に素人然とした人の方が面白い)の案内で歩きながら探り、引き出すという番組だが、タモリのオタク度満点の博識ぶりと反応と解説で、地学や歴史を笑いながら学べる教養番組でもある。この番組は酒を飲みながら見ると、なぜか非常に楽しめる。こうしてNHKに出演するようになったタモリは、昔と違って今や大物感がないわけではないが、それでも知性に裏打ちされ、かつ肩の力を抜いた本来のオタク的タモリは、普通のお笑い芸人と違って受けようとか、媚びようとかする気配がまったくないので、そのカラッとしたクールさが相変わらず素晴らしい。何より、タモリ本人がいちばん面白がっている様子が伝わって来るところがいいのだ。草彅剛のナレーションも、井上陽水のテーマソングも、番組コンセプト通りに力の抜けた感じで統一されている。開始当初はNHK的でやや硬い部分もあったが、徐々に「タモリ倶楽部」の、あの ”ゆるい” 味わいをあちこち散りばめるようになって、今や番組全体のトーンも安定している。最初緊張してぎこちない新アシスタントの女性アナウンサーが、いずれも徐々に番組のペースに慣れて、タモリ氏とぴったり息が合うようになってくるところも見どころだ(今度のリンダ嬢は少しタイプが違うが)。ただ彼女たちがどういう基準で選ばれているのかはわからないがNHK女子アナの出世コースデビューの場のようになって、背後のNHK的売り出し意図がどことなく見えるようになってきたことは、番組の素朴な面白さを損なうようで、私的には何となく抵抗を感じる最初からそういう意図があったのかも知れないし、タモリ氏との相性や好みも当然反映されているのだろうが)

一方火野正平の「こころ旅」は、自転車に乗った全員貧乏そうな(?)クルーが、これも日本の各県、全国津々浦々を走りながら視聴者の手紙に書かれた思い出の場所「こころの風景」を、夏冬の休憩期間を除き、雨の日も風の日も週4日間毎日訪ねるという趣向で、こちらも番組としてはスタッフの旅費以外たいして金はかかっていないだろう(夜の宴会はどうか知らないが)。名所旧跡に行ったり、上等な料理を食べて蘊蓄を語るわけでもなく、どこにでもあるような日本の町や村を、山坂超えて毎日一箇所訪れて、時にはしみじみとしながら手紙を読むだけの番組で、火野正平の昼食など毎日のようにナポリタンやオムライスだ(本人が好きなこともあるが)。貧富で言えば、タモリの番組より低予算だろうし(たぶん)、正平の体力だけが頼りの番組だが、こちらも正平氏の肩の力の抜き加減が絶妙だ。それに自転車目線の映像を見ていると、どことなく懐かしさを感じるあちこちの町や村の田舎の風景が毎回のように出て来る。正平氏も言うように、この番組がなかったら絶対に行かないような場所が毎日テレビで見られるのだ。自分が自転車に乗ってそこを走っているように思えてくるし、不思議なことに風の匂いまで感じられるような気がするときもある。この空気まで感じられるライブ感は他の番組では絶対に味わえない。生きもの、動物、草木への興味と意外な知識(妙に目が良くて、すぐに何か見つける)、特に昆虫から爬虫類、犬や猫、牛や馬、といった動物まで、生きもの人間の子供含)たちとの垣根をまったく感じさせない火野正平のほとんど小学生並みの野生児ぶりも見もので(相手も確かにそういう無防備な反応をするのだ)、これも子供時代を思い出して懐かしく感じる理由だろう。自虐ネタ、ダジャレ、下ネタやあからさまな女好きの性向、途中で出会う相手によって微妙に距離感を変える態度や反応(やはり構える人は苦手のようで、動物と同じく無防備な人が好みのようだ)、一方で、時折見せる子供のような純真さや温かな人間味など、とにかく正平氏の体力と同時に、その唯一無二とも言うべき自由な自然体キャラの魅力で持っている番組だ。当初は独特の正平ファッション(頭部以外)にも感心せず、たまにしか見なかったのだが、のんびりした展開や彼の人間性の魅力に段々と気づき、何よりリラックスできるので今ではすっかりファンになって毎日見ている(ファッションも以前よりだいぶ垢抜けた)。歌や音楽もなかなかいいので、番組のテーマ音楽CDまで買ってしまった。

「ブラタモリ」は放送開始後10年、「こころ旅」も既に7年になるそうで、両方とも今や立派な長寿番組だ。その間タモリ氏は72歳に、正平氏は69歳になり、普通のサラリーマンならとっくに引退している年齢である。それでも体を張って頑張るその元気さと好奇心に、中高年から絶大な支持と声援を得るのは当然だろう。両方とも旅番組の一種なのだろうが、あまたのその種の番組と違って、企画力と、知恵と、何より主人公のキャラの魅力で勝負していて、無駄に金をかけた感じがせず、作り物感のないライブ・ドキュメンタリーという印象を与えるところが共通している。片や、一見勉強はできるが陰で何やら怪しいことをしていそうな学級委員長、片や勉強は嫌いだが愛すべきクラスの悪ガキという、同じ面白さでも、いわば知と情という両者のキャラの対比も良い。それとおそらく、タモリと火野正平本人が番組の企画内容そのものに深く関与しているのだろう。それがNHKらしからぬ自由と自然さを番組に与えている。タモリ氏はたぶんもう金持ちだからいいだろうが、NHKはくだらないバラエティに金を使う代わりに、時代劇やドラマの仕事が減り1年の大半をこの番組に捧げていて、しかも日本中にファンがいる火野正平のギャラを上げるか、感謝の印としてたまには御馳走を食べさせたり、酒をたっぷり飲ませてやるとか(やっているのかも知れないが)、あるいはいつも前歯で噛んでいて、ついに抜けてしまったかに見える奥歯の治療費の援助でもしてやったらどうか(奥歯は番組のための彼の体力維持に必須だ。つまり治療は必要経費だ。多少痛いがインプラントを勧める。今ならまだ間に合う)。タモリ氏と正平氏には、こうなったら頑張って死ぬまで番組を続けてもらいたいものだと思う。

2018/05/25

初夏の金沢から京都を巡る

金沢「もっきりや」
2年ぶりに金沢へ行った。会社時代のOB会を定期的にやっているのだが、昔は金沢で定例会議をやっていて、そのとき一緒に酒と仕事で楽しんだメンバーが集まってやる宴会だ。金沢には1980年前後からたぶん何十回となく行っていると思うが、兼六園など12度しか行ったことがなく、よく知っているのは片町周辺の飲み屋街だけだ。そこなら目をつぶっても歩けるくらいだ。しかし、何十年も昔から通った飲み屋やバーも今はほとんど店を閉めてしまい、1軒だけ残っていたバーも今回はついに店をたたんでいた。経営者もみんな年をとるので仕方がない。水商売の宿命だ。しかし地元の馴染みの店や人がいなくなるということは、長年楽しい時間を共有していた場と記憶も一緒に消え去るということで、その土地とも縁が切れるということなのだろう。寂しいがこれも仕方がない。かつてにぎわっていた夜の片町も随分と人出が減ったように感じた。どこでもそうだが、昔みたいに毎晩のように飲みに出かけるサラリーマンの数が減ったからだろう。企業の地方支店が減ったこともある。それに銀座を見てもわかるが、かつての日本企業の交際費の威力がどれほどだったのかも思い知らされる。金沢でもその代わり町を歩く外国人の姿がだいぶ増えたようだ(ただし地元の人の話では、余り金は落とさないという)。新幹線も来て、金沢城も美しく修復・整備され、町も相変わらずきれいで清潔なので、やはり益々夜の酒より観光で生きる街になるのだろう。だが便利になった一方で、昔のようにはるばるやって来たという旅情はどうしても薄れる。雪も昔ほどには降らなくなって、酒と魚を楽しむ冬の風情もやや薄れた(地元の人には歓迎すべきことなのだろうが)。昼間、久々に兼六園に行く途中、市役所裏手にある「もっきりや」に初めて行ってみた。金沢最古のジャズ喫茶兼ライブハウスということだが、ピアノが置いてある以外、昼間はごく普通の喫茶店だった。ライブ・スケジュールを見ると、ジャズに限らずなかなかコアな人選で、今も元気に営業しているようだ。当日はノルウェーのヘルゲ・リエン(p)他のトリオが出演予定だったが、宴会と重なってしまったので、残念ながら行けなかった。

嵐山 外人和装コスプレ?
二日酔い気味のまま北陸本線で京都に移動した。せっかくなので回り道したのだ。京都は何度も行っているし、行くたびにもういいかと思うのだが、しばらくするとまた行きたくなるのが不思議である。こちらは今の銀座と同じで、それこそどこへ行っても外国人だらけだ。ごったがえす錦市場など歩いている人の9割が外国人で、残る1割の日本人のそのまた9割が修学旅行生だ。それがあちこち立ち止まって見物しているので、満員電車並みの混雑でほとんどまともに歩けない。ただし銀座と違うのはアジア系が少なく、西欧系の人が多いことだ。昔、アジアの人たちを連れて京都を案内したことがあるが、彼らがいちばん興味を示したのが安売り家電店とかそういう買い物の場所だった。聞くと、特に中国、台湾系の人たちは京都の神社仏閣を見ても別におもしろくも何ともないという。東アジアの古代文化は共通しているものが多いし、たぶん自分たちの方が先祖だと内心思っているからで、そこは韓国系の人も同じだろう。しかし今の台湾の若い人たちなどは、親近感と日本のファッションやカルチャーに関心が高いので、昔とは違うようだ。だが共通しているのは、派手な赤い鳥居の平安神宮や伏見稲荷が好きなことだろう。彼らは西洋人と違って日本的 “わびさび” に興味はなく、とにかく縁起の良さそうな場所や派手な建物が好きなのだ。それと嵐山のような風光明媚な場所が好まれるのは洋の東西を問わない。妙な和服を着たコスプレ観光客もたくさん見かけた。まあ、せっかくはるばるやって来た観光地なので、大いに楽しんでもらったらいいと思う。海外の観光地と違って、“おもてなし” 日本、特に京都では、こうした気軽なエンタテインメント性が過去は確かに不足していた。

京都「YAMATOYA」
前日の大雨があがって天気が良かったので、今回も嵐山、嵯峨野、南禅寺周辺などいつものコースを歩いたが、どこも外国人観光客で一杯だ。ところが普段ろくに歩かないのと、炎天下に水も飲まずに歩いたせいか熱中症気味になって頭が痛くなった。高齢者に熱中症になる人が多いのは、子供時代に「水を飲むとバテる」と昔の運動部などで刷り込まれた原体験が影響しているような気がする。今は知識として水分補給が大事だと頭ではわかっているのだが、水を飲むことにどこか罪悪感のようなものがあって、無意識のうちについ避けているからだ。そこで冷たいコーヒーを求めて、超有名になり、もはやジャズ喫茶とは呼べない気もするが、京都に残された数少ないジャズを流す喫茶店「YAMATOYA」に2年ぶりに行った。平安神宮裏手の路地にあって、いつも穏やかな老夫妻がやっている店だ。店内は昔のジャズ喫茶とは大違いで、木目のアップライトピアノをはじめ、京都らしくゴージャス感さえ漂う洗練された内装と調度類、大量のレコードに加え、ヴァイタボックスのスピーカーやアナログ・プレイヤーなど、これまた美しいオーディオ機器が鎮座している。音も昔のような大音量ではなく、小さな音で静かな店内に流れているだけで、何度行ってもどこかほっとして落ち着ける店だ。ジャズが流れ、ゆっくりできる、こうした雰囲気を持つ喫茶店はもう京都ではここだけだろう。ご夫妻にはいつまでも元気で続けてもらいたいものだと思う。そこに置いてあった「Rag」というライブハウスのスケジュール表で、長谷川きよしの名前を見かけた。まだ京都で暮らしているようだ。613日には誕生日ライブがあるそうだ。金沢「もっきりや」に出ていたヘルゲ・リエンの名前も、その週のライブ予定にあった。

鞍馬といえば
翌日は叡山電鉄のワンマン電車でのんびりと鞍馬寺に向かった。一度も乗ったことがなかったが、確かに京都北方の山々は奥行きが深い。徐々に山奥へと向かって行く途中、大学がいくつもあるのに驚いた。とはいえ、出町柳から鞍馬口駅まではたった30分だ。考えたら新宿駅から高尾山口に行くよりずっと近い。本殿金堂(標高410m)までの急坂を歩いて登る気はしなかったので、当然往復とも途中までだがケーブルカーを使った(寺が運営している)。それでも最後の急階段の上り下りには手こずった。もっと年を取ったら間違いなく来られないだろう。ここも参拝者の半分以上は欧米系外国人で、本殿金堂前の六芒星のところで、彼らも律儀に例のパワースポットのおまじないをやっていた。この辺りはやはり秋に来たらさぞかし景色が素晴らしいだろうと思った(大混雑は必至だろうが)。貴船神社にも行って、貴船川の川床で涼みたかったのだが、とにかくその日は暑くて行く気力が出ずやめた。

暑さで「もういや」と駄々をこねる馬
山から下りて、次に北山通の賀茂川近辺で「葵祭」の午後の部を見学した。葵祭は初めてだったが、混雑するという下鴨神社あたりは避けて、並木道で木陰のある沿道を事前に調べておいたのだ。仮装行列みたいなものだが、古(いにしえ)からの凝った装束や、道具や、飾り立てた牛車など、京都ならではののんびりとした優雅な一団の行進は確かに見ごたえがある。ところが5月なのに当日は30度を超え、余りの暑さに、重たそうな重ね着装束を着た人たちも、人を乗せた馬も、牛車を引く牛も、全員「もう堪忍してや」という顔をして歩いていた。7月の祇園祭は一度行って、文字通り蒸し風呂のような余りの暑さに二度と行かなくなったが、本来爽やかな季節のはずの5月半ばの葵祭がこんな気候では、もうやる方も見る方も、あまり楽しめなくなっているのではないか。今の5月はもう新緑も終わっているし、亜熱帯化している近年の日本の5月は、はっきり言って、もう初夏どころではなく真夏に近い日が多い。最近は春も秋も本当に短くて、あっという間に夏や冬になる。京都のいちばん良い季節も益々短くなってきているということだ。実際もうベストシーズンは4月と11月だけになっていて、そこに世界中から観光客が一気に押し寄せるのでごったがえして、とてもゆっくり観光などできない。冬がすいていていちばん楽しめると思って、一度2週間ほどゆっくり滞在しようと2月初めに企てたことがあるが、確かにすいてはいたが、余りの寒さにあっという間に風邪をひいてしまい、早々に退散した。いったい、いつ行けばいいんだ?

2018/01/16

「長谷川きよし」を聴いてみよう

年末の船村徹の追悼番組以来、美空ひばり、藤圭子、ちあきなおみ…と演歌系の歌手の歌ばかり聴いてきた(ちあきなおみが唄う「都の雨に」も、船村徹らしい中高年の心の琴線に触れる良い歌だ)。それに今はテレビでYouTubeを見ているので、放っておくと次から次へと勝手に再生し、忘れかけていた歌や、懐かしい歌などが出てきて、ついつい聴いてしまい、止まらなくなってしまうのだ。しかし、昔の演歌や歌謡曲は素晴らしい歌もあるが、基本的に曲の構造がシンプルなものが多いので、続けて聴いているとさすがに飽きてくる。たまに自分で唄っていると、いつの間にか別の曲になってしまうほど、コード進行やメロディが似通っている曲が多いからだ。そこで、正月明けには真逆のようなインスト・ジャズ聴きにいきなり戻る前に、その前段として少し複雑な曲や歌が聴きたくなる。ただし私が好きなのは、独自の世界を持っている「本物の」歌手なので、そうなると大抵聴きたくなるのが、古いジャズ・ヴォーカルと、日本人なら長谷川きよしだ。

ひとりぼっちの詩
(1969 Philips)
長谷川きよしが<別れのサンバ>でデビューしたのは1969年で、対極にあるような歌の世界の藤圭子が<新宿の女>でデビューしたのと同じ年だ。この時代は日本の転換期のみならず音楽史上も最大の変革期で、とにかく若者の数が多く、ロックも、フォークも、グループサウンズも、演歌も、歌謡曲も、初期のJ-POPも、歌なら何でもありの混沌の時代だった。長谷川きよしもデビュー曲で一躍脚光を浴びたが、最初からいっしょくたにされた他のフォーク系の歌の世界とはまったく異質の歌い手だった。だから、いわば初めからある意味で「浮いて」いた。今でも時々「懐かしのフォーク」とかいう類の番組に他の歌手と出演することがあるが、当然ながらやはり「浮いて」いる。最初から独自の歌の世界を持った人であり、そもそも音楽の質が違うからだ。60年代に人気のあったシャンソン・コンクールの圧倒的な歌唱で入賞したのがデビューのきっかけになったように、当時から、彼を支持していたのはシャンソンやジャズなどを好む「大人の」音楽好き、あるいはそうした世界を好むほんの一部の若者であって、同時代の大多数の若者ではなかった。だから長谷川きよしの歌を好む人の層は今でも基本的に限られていると思う。要するに本質的に「大衆」を聴き手とする歌手ではないのだ。<別れのサンバ>で使っているような当時としては複雑なコードを、これもサンバ的リズムに乗せて、ガットギターで弾いて唄う歌手などあの頃の日本には一人もいなかった。シャンソン<愛の讃歌>や<そして今は>を、ギター一本で、大人びた陰翳のある歌唱で、しかもフランス語で唄う若い歌手などもちろんいなかった。だから新鮮だったかもしれないが、正直よくわからないと思った人が当時は多かったと思う。盲目の青年という売り出しイメージが先行したために、暗い歌ばかりのように思われていたが、長谷川きよしの歌の世界は当時のフォークのような日本的なものではなく、シャンソン、カンツォーネ、フラメンコ、サンバ、ボサノヴァ、ジャズなど世界中の様々な音楽の要素が混在した、もっと乾いた無国籍的な音楽で、いわばワールドミュージックの先駆だったのだ。妙な政治的メッセージもなく、四畳半的な貧乏くささもなく、日本的な暗さもなく、熱い青春応援歌でもなく、純粋に曲と歌の美しさだけが伝わって来るような、都会的でお洒落な「非日常」の音楽だった。ある意味リアリティのない音楽とも言えるが、そこが良いという人もいるわけで、超絶のギターとともに、豊かな声量と正確なピッチ、クセのない美声による本格的歌唱が、無色透明の非日本的世界を唄うのに適していた。そういう歌手は、それまでの日本には存在していなかったのだ。70年代初めの銀座の「銀巴里」で、目の前で、ギター1本で「大人の」歌を堂々と唄う、同年齢の長谷川きよしを初めて聴いたときの衝撃は今でも忘れられない。

透明なひとときを
(1970 Philips)
デビュー・アルバム『ひとりぼっちの詩』(1969)は<別れのサンバ>の他に、<冷たい夜にひとり>、<心のままに>、<恋人のいる風景>などフレッシュでシンプルだが、当時の歌の中では断トツで斬新な自作曲が並ぶ。中ではシングル盤B面だった<歩き続けて>が、やはり永遠のラヴソングというべき名曲であり、当時の年齢でしか唄えない名唱だ。2作目のアルバム『透明なひとときを』(1970)は、70年代の作品中ではもっとも完成度の高い傑作だ。ジャケット写真が表すように、デビュー作の暗い、孤独なイメージから一転して、お洒落なボサノヴァの<透明なひとときを>、ジャジーな<夕陽の中に>、<光る河>などの優れた自作曲、さらにジャズ風アレンジのシャンソン<メランコリー>、イタリアンではミーナの<別離>や<アディオ・アディオ>、さらにサンバ風<フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン>のようなカバー曲など、バラエティーに富んだ選曲も良い。いずれにしろ、当時まだ20歳の若者が普通に唄うような曲ではなかったが、彼の本質と歌の世界がもっとも良く表現されたアルバムだった。この初期2枚のアルバムで聴ける曲は、若く瑞々しい歌声もあって、ほとんどが今聴いてもまったく古臭さを感じさせず、それどころか、いまだに新鮮な曲さえある(これらの歌は、たぶん現在はコンピレーションCDで聴くことができる)。その後<卒業>、<黒の舟歌>などのヒット曲も、『サンデー・サンバ・セッション』のような楽しいアルバムもあったが、レコード会社の販売戦略もあったのか、徐々にポピュラー曲寄りで、長谷川きよし本来の美質が生かされていないような歌曲や演奏が増えてゆく。優れた自作曲も減り、迷走しているな、と当時感じた私は、確か70年代の後半、九段会館で行なわれたエレキバンドが参加したコンサートを最後に、彼を聴くのをやめたように思う。もう自分の好きな長谷川きよしの世界ではなくなっていたからだ。

ACONTECE
(1993 Mercury)
その後80年代には、歌手としてもいろいろと苦労したようだ。そして長谷川きよしと久々に再会したのが、バブルが終わった90年代であり、既に(お互い)40代になっていた。当時フェビアン・レザ・パネ(p)、吉野弘史(b)、ヤヒロトモヒロ(perc)というトリオをバックにしたユニットで活動していたが、NHK BSのテレビ番組にこのユニットで出演したときの演奏は実に素晴らしかった。「あの長谷川きよしの歌」が帰って来たと思った。そしてその最高のユニットでレコーディングしたアルバムが『ACONTECE(アコンテッシ)』(1993)である。共演陣の素晴らしさもあって音楽的完成度が高く、歌に集中した長谷川きよしの歌手としての実力がもっとも発揮された最高傑作であり、日本ヴォーカル史に残るレコードだと思う。藤圭子の「みだれ髪」でも思ったが、歌い続けている優れた歌手というのは、若いときの瑞々しい歌ももちろん良いが、技術も声も衰えていない40代の大人として円熟してきた時代が、やはりいちばん歌の表現も味わいも深まる。<バイレロ>、<別れのサンバ>、<透明なひとときを>といった初期の名作に加え、新作<別れの言葉ほど悲しくはない>、さらにいずれも自作の詞を付けたジルベール・ベコーのシャンソン<ラプサン>、ピアソラの<忘却 (Oblivion)>、そして極め付きはカルトーラの<アコンテッシ(Acontece)>で、まさに長谷川きよしにしか歌えない、彼の歌の世界を代表する名唱ばかりである。このCDはその後ずっと再発されずに来たが、今は長谷川きよしのコンサート会場だけで、限定販売されているようだ。

人生という名の旅
(2012 EMI)
その後はライブハウスを中心にした活動を続けていたようだが、2000年代に入ってから、椎名林檎が、あるライブハウスで唄う長谷川きよしを「発見」したことによって、予想もしなかった二人のコラボが実現するなど、再び陽の当たる場所に顔を出すようになった。私もこの時代からまたコンサートやライブハウスに足を運ぶようになった。仙道さおり(perc.)や林正樹(p)をバックにした当時の演奏は非常に楽しめた記憶がある。一時期さすがに衰えを感じたこともあったが、還暦を過ぎた近年はむしろ声量、ピッチともに安定し、美しい声も未だに維持していて、昨年出かけたコンサートでは素晴らしい歌を聴かせてくれた。当然だろうが、年齢と共にあの無国籍性も多少薄れ、歌もギターもどこか日本的になってきたように感じるときもあるが、そうは言っても、やはり歌手としての出自とも言える仄暗いシャンソン風弾き語りが、長谷川きよしがいちばん輝く歌世界であることに変わりはない。歌のバックに伴奏を付けるなら、ピアノがいちばん彼の音楽と声質に合うと思う。ギターを弾く手を休めて、歌だけに集中したときの長谷川きよしの歌唱は本当にすごい。私が好きな近年のアルバムは『人生という名の旅』(2012)で、<Over the Rainbow>や2010年のヨーロッパでのライヴ演奏も収録されているが、特に40年以上前の<歩き続けて>のカップルが、歳月を重ねた後のような<夜はやさし>が、優しくしみじみとしてとても良い曲だ。この曲はライヴで聴いたときも素晴らしかった。

エンタメ全盛の今は、テレビ番組にもレギュラー出演していろいろな歌を唄ったり(唄わされたり)しているし、YouTubeでも、画面にアップになったギターテクニックを含めた長谷川きよしが見られるが、やはり彼の真価はライヴ会場で唄う歌とギターにこそあり、歌手としての本当の実力もよくわかる。コンサート(小規模会場が良い)やライブハウスで、生で、身近で、彼の素晴らしい歌とギターを聴くのがいちばん楽しめるので、未体験の人は、近くで機会があれば、ぜひ一度出かけてみることをお勧めしたい。藤圭子やちあきなおみの歌はいくら素晴らしくとも、もはや二度と生では聴けないが、長谷川きよしはまだ現役の、それも「本物の」歌手であり、あの美声とギターで今も元気に唄い続けているのだから。

2018/01/10

藤圭子「みだれ髪」の謎

天才的な音楽アーティストというのは、常人には理解不能な面があるものだが、当然ながら本人に尋ねたところでそのわけが明らかになることはない。特に、普通に会話していると、まったく常人と変わらないごく普通の人なのに、いざ演奏なり、歌うことなり、その人が自分の「演技(performance)」を始めた途端に、神が降臨したとしか思えないような音楽が突然流れ出して唖然とするアーティストがいる。ジャズの世界にもそうした歌手や奏者がいるし、クラシックでも、昔、五嶋みどりのヴァイオリンを初めて生で聴いたときに、その種の驚きを感じたのを思い出す。音楽には人の心に直接的に働きかける不思議な力があるが、そうした特別な感動は、実はいわゆる「芸の力」とか「プロの技」というべき高度な技量によって生まれるものなのか、あるいは、それ以外の特別な「何か」が演奏中のアーティストを動かしているからなのか、素人には判然としない。最近いちばん驚いたのは、今から多分20年ほど前、1990年代半ばと思われる、あるテレビの歌番組に出演した藤圭子の唄う「みだれ髪」をネット動画で聴いたときのことだ。

藤圭子* 追悼:みだれ髪
YouTube 動画より
年末の船村徹の追悼番組で、東京ドームの『不死鳥コンサート』(1988年)で美空ひばりが唄う「みだれ髪」(星野哲郎・作詞、船村徹・作曲)を聴いて改めて感動したのだが、他の歌手も同曲をカバーしているのがわかったので、YouTubeであれこれ比べて聞いていたときに見つけた動画だった。『藤圭子 追悼:みだれ髪』と題されたこの動画がアップされたのは、藤圭子が自殺した1年後の2014年8月で、既に3年以上経ち、視聴回数は150万回を越えているので、私はずいぶん遅ればせながら見たわけだが、それだけ多くの人がこの動画を見ていることになる(おそらく、その素晴らしさから何度も繰り返し見ている人が多いと思う)。藤はこの曲をカバーとして正式に録音していないので、どのCDにも収録されておらず、聴けるのはテレビ番組をおそらくプライベート録画したこのネット動画だけである。調べたが、当時は宇多田ヒカルのプロデュース活動をしていた時期だったと思われ、90年代の後半は結構テレビに出演していたようだが、コンサートなどで藤自身が頻繁に唄っていた形跡もないようだ。同時期ではないかと思われるテレビ録画をアップした別のいくつかの動画では、他の曲を明るく唄ったり、屈託なく喋る普段の藤圭子の姿が映っているが、「みだれ髪」は唄っていない。したがって記録された藤圭子の唄う「みだれ髪」は、どなたかが投稿した、このときの貴重なテレビ録画映像だけなのだろう(確証はないが)。

番組の構成がそういう前提だったのかもしれないが、まず驚いたのは、この番組で藤が美空ひばりの曲を選んでいることだった。昔のカバー・バージョンが入った藤のCDを調べたが、美空ひばりの曲は見つからなかったので、それだけで珍しい。これも番組の設定なのだろうが、司会者など周囲に聴衆が座っている中、普段着のようなカジュアルな服装をして登場した多分40代半ばくらいの藤圭子は、カラオケのように右手でマイクを握り、イントロの最初の部分では特に変わったところはないが、中頃から、昔の藤ではたぶん見られなかっただろう、和装のときのような左手の「振り」を入れ始め、それが意外な印象を与える(この曲の世界に入ってゆくための儀式のようなものなのだろう)。そして「みだれ髪」の歌に入った途端、カジュアルな藤圭子はどこかに消え去り、あの懐かしい、哀愁を帯びた独特の声と節回しで、完全に「藤圭子のみだれ髪」を唄い出したのだ。聴いた瞬間に思わず引き込まれてしまうその歌唱は衝撃的だった。この曲は美空ひばりの歌のイメージしかなかったので、あまりの歌の世界の違いに唖然としたのである。

哀しい女の心情を切々と謳い上げる美空ひばりは、星野・船村コンビの世界をある意味忠実に、古風に、美しく表現しているのだと思う。それに対して、べたつかない乾いた抒情を感じさせながら、しかし心の底の寂寥と哀切を絞り出すように唄う藤圭子は、まったく別の、救いのないほど哀しい世界を瞬時に構築して、聴き手の心の真奥部を揺さぶるのである。同じ歌詞とメロディで、ここまで別の世界が描けるものかと驚くしかなかった。誰しもが言葉を失うほどのこの歌唱は、まさに「降臨」としか言いようのない、突き抜けた別の歌世界である。1番を唄い終えたとき、じっと静まり返っていたスタジオ中に一気に広がった何とも言えないどよめきと拍手が、いかにその歌が素晴らしかったのかを物語っている。そして、3番を唄い終えると(2番は飛ばしている)、藤圭子は何事もなかったかのように、いや、まるでカラオケで自分の唄う順番を終えた素人のように、にっこりして、照れたように飄々と自分の席に戻ってゆくのだ。私は彼女のこの一連の動作と、唄ったばかりの歌の世界とのギャップに呆然として、その謎を少しでも理解しようと、何度も何度も繰り返しこの動画を見ないわけにはいかなかった。「巫女」とか「憑依」とかいう言葉を、どうしても思い起こさざるを得なかった。

いったい藤圭子の「みだれ髪」にはどういう秘密があるのだろうか? なぜあれだけの歌が唄えるのだろうか? 私はジャズ好きで、美空ひばりや藤圭子の特別なファンというわけでもなかったので、えらそうなことは言えないが、ジャンルに関係なく、少なくともこの二人が歌い手として別格の存在であることはわかる。美空ひばりの没後、様々な歌手が同曲に挑戦しているのをネット動画で聴いた限り、当然のことだろうが美空ひばりに比肩するような歌はなかった。しかしこの当時、歌手活動は既にほとんど休業状態だったと思われる藤圭子がいきなりテレビに出演して、自分の持ち歌でもない、あの美空ひばりの名曲にして難曲に挑戦し、本人に勝るとも劣らない歌唱で平然と自分の歌のように唄ってしまうのである。美空ひばりのためにこの曲を書いたと言われている作曲者・船村徹が、もし藤のこの歌を聴いていたら、どんな感想を持ったのか知りたいと思って調べてみたが、この歌唱についての船村のコメントはネット上では見当たらなかった。そしてその船村徹も昨年亡くなってしまった。

流星ひとつ(文庫版)
沢木耕太郎
(2013/2016 新潮社)
あまりに不思議だったこともあって、沢木耕太郎が書いた『流星ひとつ』(新潮文庫)を、こちらも遅まきながら読んでみた。これは1979年、当時まだ31歳の沢木が、引退宣言後の藤圭子(28歳)とのインタビューを元に書き起こしたもので、諸事情から30年以上未発表だったが、彼女が自殺した直後の201310月に出版した本だ。私が翻訳した『リー・コニッツ』も含めて海外の音楽書籍ではよくある形式だが、日本では今でも珍しい、全編アーティストと著者による一対一の対話だけで構成されたこの本は、売ることだけを目的に書かれた芸能人の商業的なインタビュー本ではなく、一人のアーティストの内面と思想に真摯に迫る、当時としてはきわめて斬新なノンフィクションである。この形式の成否は、アーティスト本人の魅力以上に、聞き手側の人格と感性、さらに作家としての力量にかかっているが、若き沢木は見事に成功していると思う。そして、すべてとは言えないが、少なくとも私が抱いた彼女の歌の謎の一部はこの本で氷解した。

本の前半、少女時代から歌手になるまでの記憶のかなりの部分が、ある意味「飛んで」いて、その当時についていろいろ質問しても、藤は「覚えていない」を繰り返し、沢木を呆れさせている。歌についても「何も考えずに無心で歌っていた」と何度も言い、あの無表情なデビュー当時の藤圭子のままだ。ところが後半に入り、酒の勢いもあって徐々に打ち解けて来ると、「別に」、「記憶にない」とそっけない回答が多かった前半の藤の体温が上昇して行くかのように本音を語り始め、彼女の人生や人格に加え、歌手としての信条が次第に浮かび上がって来る。特に、歌の「心」について自らの信念を語る部分は圧巻だ。そして「面影平野」を例に、自分の「心」に響く(藤は「引っ掛かる」という言い方をしている)歌詞についてのこだわりもはっきり語っている。演歌に限らず、プロ歌手はみな歌の「心」を唄うとよく口にするが、実際に歌の表現としてそれを聴き手に伝えられるほど高度な技量を持つ人は一握りだろう。藤圭子はまさにその稀有な「表現者」の一人だったのだということを、これらの発言から改めて理解した。その生き方と同じく、曲そのもの(歌詞とメロディ)、歌手として唄うことに対するこだわりと純粋さ、ストイックさには感動を覚えるほどで、単に天才という一語ではくくれないものがあることもわかる(これはセロニアス・モンクをはじめ、どの分野の天才的音楽家にも共通の資質だろう)。

そして、インタビューの前半では言い渋っていた少女時代の家庭生活、特に父親に関する凄絶な体験と記憶、よく見る夢の話などを読んでいるうちに、逃げ出したいと思い続けていた過去、封印したいと思っていた原体験が、無表情で「何も覚えていない(=忘れたい)」藤圭子の表層を形成し、同時にあの底知れないような寂寥感を深層で生み出していたのだと思うに至った。少女時代の彼女は、よく言われる「151617と…」という、デビュー当時の月並みなイメージとは比べ物にならないほどの体験をしていたのだ。70年代前半の何曲かにみる圧倒的で、凄みのある歌唱は、いわば表現者として第一級の「プロの芸」と、人には言えない彼女の深層にある「原体験」が、「自分が共感する曲」の内部で接触し、化学反応を起こした瞬間に形となって現れるものだったのだろう。だから、どんな曲でもそれが起きたわけではないし、積み上げたプロの芸は維持できても、ショービジネスで生きるうちに、深層にあった原体験の記憶が時間と共に相対的に薄れ、与えられた曲の世界が変化してゆくにつれて、そうした反応が起こる確率も減って行ったと思う。79年の引退の引き金になったと藤自身が語る74年の喉の手術による声質の変化は、そのことを加速した要因の一つに過ぎないようにも思える。

それから約15年後にこの「みだれ髪」を唄ったときの藤圭子は、プロの芸にまだ衰えはなく、おそらく唯一崇拝していた歌手、亡き美空ひばりへのオマージュという特別な感情を心中に抱いていたのと同時に、星野・船村コンビによるこの曲そのものに、歌手として心の底から共感を覚えていたのだと思う。だから藤にとっては単なるカバー曲ではなく、純粋に「自分の歌」として唄った入魂の1曲だったのだと思う。ただし、少女時代からスターだった美空ひばりの唄う「哀しさ」と、藤圭子の唄う「哀しさ」は、やはり質が違うのである。若い時代、1970年代前半の藤圭子の歌も素晴らしいが、一時引退後の約15年間、別の人生(体験)を生きてきた40代の藤圭子が唄う、ただ一人、美空ひばりと拮抗するこの「みだれ髪」こそ、おそらく歌手としての彼女の最高傑作であり、たった数分間の画も音も粗いネット動画にしか残されていない、文字通り幻の名唱となるだろう。そして何より、この動画の中の藤圭子は、歌だけでなく仕草、表情ともに実に美しく、可憐ですらあり、その映像と歌が一体となったこの動画は、何度も繰り返し見たくなり、我々の記憶に残らざるを得ない「魔力」のようなものを放っている。150万回を越える視聴回数と数多くの賛辞は、それを物語っているのだと思う。 

この歌からまた15年以上が過ぎた後、藤圭子は自ら命を絶ってしまった。藤圭子とおそらく同等以上の才能を持ち、同じような人生を歩んでいるかに見える宇多田ヒカルの歌と声からは、母親と同種の哀切さがいつも懐かしく聞こえて来るので、今となってはその同時代の歌声だけが慰めだ。今年もまた年末、正月といつも通り時は過ぎて行ったが、そうして暮らしているうちに、天才歌手・藤圭子は遥か彼方へとさらに遠ざかって行くのだろう。

2017/12/07

映画館の音はなぜあんなに大きいのか

先日、新聞の投書欄で、今の映画館の音はどうしてあんなに大きいのかと、70歳の女性が投稿している記事を読んだ。アニメ映画なのに小さな子供は怖がり、途中で出てゆく子供もいて、自分も疲れて、あれでは難聴になりそうだと訴えていた。同感である。私は滅多に映画には行かないのだが、今年の初めに「ラ・ラ・ランド」の封切り上映を観るために久しぶりに映画館に行ったところ、そのあまりの爆音に耳が痛くなり、気持ちが悪くなるくらいだったからだ。後半はほとんど耳を半分塞いで見ていたが、あれでは興味も半減してしまう。コツコツという靴の足音が異様に大きな音で響きわたり、車のドアを閉める衝撃音の大きさにビクッとし、踊りや演奏の場面では耳をつんざくような音が流れている。いくら年寄は耳が遠くなるので丁度いいとか言われても、やり過ぎだろう。あの調子で昔のように何本も続けて見たら、それこそ耳がおかしくなる。たまたまその映画や映画館がそうだったのかと思い、ネットで調べてみたら、同じ疑問と悩みを訴えている人が実際にたくさんいるということがわかった。見に行きたくても、あれでは怖くて行けないという人もいる。小さな子供にとっては拷問に等しく、危険ですらある。日付を見ると、ずいぶん前からそういう訴えが出ているが、その後改善されたという話は掲載されていないし、現に私も今年になって体験しているので、あまり変わっていないということなのだろう。

昔のジャズ喫茶でも結構な大音量でレコードをかけていて(今でもそういう店はある)、一般の人がいきなり聞いたらびっくりするような音量ではあった。しかし、それはオーディオ的に配慮した「音質」が大前提であり、機器を選び、再生技術を磨き、耳を刺激する歪んだ爆音ではなく、再生が難しいドラムスやベースの音が明瞭かつリアルに聞こえる音質レベルと、家庭では再生できない音量レベルで、きちんと音楽が聴けることに価値があったわけで、「音がでかけりゃいい」というものではなかった。もちろん個人の爆音好きオーディオ・マニアは昔からいるし、一般にオーディオ好きは、普通の人たちに比べたら大音量には慣れているはずなのだが、一方で音質にも強いこだわりを持っている。そういう人間からみたら、今の映画館の、あのこけおどしのような音は、ひとことで言って異常である。マルチチャンネルやサラウンド効果を聞かせたいとかいう商業的理由もあるのだろうが、パチンコ屋やゲームセンターじゃあるまいし、静かに「映画」を見たい普通の人間にとってはそんなものは最低限でいい。密閉された空間では、爆音やそうした人工的なイフェクトはやり過ぎると聴覚や平衡感覚をおかしくするのだ。座る場所を選べ、とかいうアドバイスもあるが、そういうレベルではない。耳栓をしろ、とかいう意見もあるが、これもなんだかおかしいだろう(音に鈍感な人間からアドバイスなどされたくもないし)。とにかく空間に音が飽和していて、耳が圧迫されるレベルなのだ。大画面で迫力のある音を、という魅力があるので映画館に足を運ぶ人も多いのだろうが、大画面はいいとして、あの爆音は人間の聴力を越えた暴力的な音だ。だから映画を見たいときは、家の大画面テレビで、オーディオ装置につないでDVDやネット動画を見る方がよほど快適なので、今では大方の人がそうしているのだろうが、封切り映画だけはそうもいかないので、見に行くという人も多いのだと思う。

カー・オーディオを積んで、特にウーファーの低音をドスドス響かせながら爆音で走っている車を時々見かけるが、あれと似たようなものだ。あの狭い空間であの音量を出して、よく耳がおかしくならないものだといつも感心しているが、迷惑だし、公道を走っているとはいえ、車の中は一応個人の空間なので、耳を傷めようとどうしようと勝手だが、映画館は不特定多数の人たちがお金を払って集まるパブリック・スペースであり、全員があの拷問のような爆音を無理やり聞かされるいわれはないだろう。画面サイズと音量との適切なバランスについては、昔からAV界(オーディオ・ヴィジュアルの方だ)に通説があるが、そういうバランスをまったく無視したレベルの音量なのだ。いったい、いつからこんな音量になったのだろうか? なぜあれほどの音量が「必要」なのだろうか? ひょっとして、昔アメリカで流行った野外のドライブイン・シアター時代の音の効果の名残が基準にでもなっているのだろうか? 屋内の狭い空間であの異常な音量を出すのは、何か別の理由でもあるのだろうか? 誰があの音量を決めているのだろうか? 映画関係者に一度訊いてみたいものだ…と思って調べていたら、何と以前から「爆音上映」なるものがあって、むしろ爆音を楽しむ映画館や観客がいるらしい。家では楽しめない音量で、爆音愛好家(?)が映画館で身体に響くほどの音量を楽しむ企画ということのようだ。遊園地のジェット・コースターとか3Dアトラクション好きや、耳をつんざく大音量音楽ライヴが好きな人と一緒で、要は体感上の迫力と刺激を映画にも求めているのである。映画によってはそうした爆音が音響効果を生んで、リアルな体験が楽しめるという意見を否定するつもりはないが、それもあくまで映画の内容と音量の程度次第だろう。 

思うに、昔は「音に耳を澄ます」という表現(今や死語か?)にあるように、外部から聞こえる虫の声や微妙な音に、じっと感覚を研ぎ澄ます習性が日本人にはあった。虫の出す「音」を、「生き物の鳴き声」として認識するのは、日本を含めた限られた民族特有の感覚らしく、西洋人には単なる雑音としか聞こえないという。日本人の音に対するこの繊細な感覚は、音楽鑑賞においては世界に類をみないほどすぐれたものだった。ところがそれが仇になって、今の都会では近所の騒音とか、他人の出す音に対してみんなが神経質になっていて、近所迷惑にならないようにと誰もが気を使って毎日生きている。これが普通のスピーカーで音を出して聴くオーディオ衰退の理由の一つでもある。ところが、そういう環境で育った今の若者は、携帯オーディオの普及も一役買って、子供の頃から音楽をイヤフォンやヘッドフォンで聴く習慣ができてしまった。外部に気を使っている反動と、一方で外部の音を拾いやすいイヤフォンなどの機器の特性もあって、常時耳の中一杯に飽和する音(大音量)で思い切り音楽を聴きたいという願望が強くなり、おそらく彼らの耳がそうした聞こえ方と音量に慣れてしまったのだろう。要するに外部の微細な音を聞き取る聴覚が相対的に衰え、鈍感になったということである。映画館の大音量に変化がない、あるいはむしろ増えているのは、供給者側(製作、配給、上映)にそういう聴感覚を持つ人たちが増え、需要者(観客)側にもそういう人が増えたということなのだろう。感覚的刺激を求める人間の欲望には際限がないので、資本主義下では、脈があると見れば、それをさらに刺激してビジネスにしようとする人間も出て来る。最初は感動した夜間のLEDイルミネーションも、どこでもでやり始めて、もう見飽きた。プロジェクション・マッピングも、今は似たようなものになりつつある。テクノロジーを産み、利用するのも人間の性(さが)なので、これからも、いくらでも出て来るだろうし、そのつど最初は面白がり、やがて刺激に慣れ、飽き、次の刺激を求めることを繰り返すのだろう。こうして、かつて芸術と呼ばれた音楽も、映画も、あらゆるものがエンタテインメントという名のもとに、微妙な味や香りはどうでもいいが、大味で、瞬間の刺激だけは強烈な、味覚音痴の食事のような世界に呑み込まれつつある。これはつまり、文明のみならず、文化のアメリカ化がいよいよ深く進行していることを意味している、と言っても間違いではないような気がする。

2017/08/25

ジャズ漫画を読む (2)ブルージャイアント考

注目されているジャズ漫画のもう1作は「ブルージャイアント」(石塚真一/2013-16)だ。単行本は10巻で第1話が完結したが、こちらはまだ続編「ブルージャイアント SUPREME」が「ビッグコミック」に継続連載中である。この作品もジャズを描いているが、女性作者による「坂道のアポロン」が持つどこか抒情的で、文学的な雰囲気とは正反対の熱い男の熱血物語で、「静」に対して「動」のイメージだ。また時代設定のおかげで「アポロン」がいわばファンタジーの世界でジャズを描いているのに対して、「ジャイアント」は現代を背景に、ジャズ・プレイヤーを主人公に据えて真正面からジャズを取り上げているのも対照的だ。常にポジティブだが、ジャズのジャの字も知らない田舎(仙台だが)の高校生・宮本大が、ゼロからスタートしてテナーサックスを学び、世界一のジャズサックス奏者を目指してひたすら猛練習しながら様々な仲間や人間と出会い、徐々に成長してゆくという、いわゆるスポ根ものに近い物語である。

ロックやポップスならいざしらず、ジャズの世界でそんなに熱く一直線の人間とか成功物語が今どき存在するのか、そんなに簡単にジャズサックスが吹けるようになるものか…等、常識的的疑問を含めて突っ込みどころがないではないが、おそらく作者はデフォルメという漫画の特技を駆使して、そういう常識や思い込みにも挑戦したかったのではないかと推察する。確かにジャズを題材にして、音の出ない漫画でここまでストレートな描き方をしたのは画期的なことだし、物語もわかりやすく、この種の熱い話が好きな人には魅力があるだろう。とっつきにくいジャズを、若い世代により身近に感じさせることになるだろうし、多分ジャズに限らず自分で実際にバンドをやったり、楽器を演奏する人たちにはきっと響くものがいろいろあるのだと思う。しかし私は楽器は少々やったことがあるが、そもそも人間が熱血型ではないので、物語も画風も最初はいささか暑苦しいなと思っていた。

100年以上の歴史を持つジャズは多彩で奥の深い音楽だ。熱くハードでストレートなジャズもあれば、クールでソフトだが複雑なジャズもあり、また枠に囚われないフリージャズもあるように、様々なスタイルがあって、それぞれ好む聴き手もいる。ジャズの魅力は、エモーション一発ではなく、冷静さ、知性、知識、技術という多面的要素を持った即興演奏が要となった高度で複雑な音楽であるというところにある。時代と共にジャズ演奏のイディオムも、流行も、奏者と聴き手の感性も変わるので、表層的な部分は変化してきたが、優れたジャズに古いも新しいもなく、ジャズが持つ音楽としての本質に変わりはない。ジャズのバンドもメンバーを固定して活動するケースが多いが、通常は短命であり、メンバーは頻繁に入れ替わるのが普通だ。なぜなら、「みんなで仲良く一緒に」ではなく、つまるところジャズが「個人」の音楽だからだ。あくまで独立した「個」と「個」が演奏を通じて互いを理解し、刺激し合い、時には挑戦しながら、より高い次元で他者と音楽的に繋がる瞬間にこそジャズの醍醐味があるわけで、何よりも、それを支える「自由な精神」をリスペクトすることがジャズという音楽の最大の魅力なのだ。何をどう演奏しようが聞こうが基本的には自由であり演るのも聞くのも行き着く先はあくまで個々人の自由な価値観と嗜好である。こうあらねばならない、こうすべきだ、という硬直した思想は最もジャズから遠いものだ。だから一般的に言って、真のジャズ好きが単一価値観のスポ根風を嫌うのは当然であり、当初「ブルージャイアント」にどことなく感じた違和感は、たぶんそのあたりが理由だと思う。

ところが読み進めるうちに、作者の強引なストーリー展開と、これまた主人公の強引な行動(と人間味)につい感情移入して引き込まれてしまい、徐々になかなか面白いと思うようになってしまった(ただしジャズ云々よりも人間ドラマとしてなのだが、自分が意外に単純な人間だということもわかった)。ほとんどセリフのない場面とコマが延々と続いたり、もちろん絵から音は出ないので、楽器の音を表現する擬音とスピード感や迫力を伝える線のオンパレードで、こちら側で想像するしかないのに、なぜか「ジャズ」が聞こえて来るような気がするから不思議だ。演奏中のジャズ・ミュージシャンの一瞬の姿や表情を捉えた昔のスティル写真と同じで、写真を見ただけでその人の音が聞こえて来る、あの感覚と同じなのだろうが、この場合は、そのミュージシャンの演奏を実際にレコードなどで聞いた記憶があって、そこから音楽が脳内イメージとして聞こえて来るわけである。「アポロン」でも同じように、有名なジャズ・スタンダード曲の記憶から湧いてくるイメージがあったのだが、「ブルージャイアント」では、若いミュージシャンの卵たちがオリジナル曲をただひたすら熱く演奏している画が延々と続くだけで、それが具体的にどういう演奏なのかは誰にも想像がつかないはずなのだ。たぶん読者全員がそれぞれ勝手なジャズのイメージを思い浮かべているのだろうが、それでも聞こえて来るイメージは確かにジャズである(私の場合、どちらかと言えばフリー系だが)。

作者は当然ジャズを良く知っている人のようだし、昔から小難しい蘊蓄ばかり語ってきた中高年の世界(私も含めて)とか、知識と情報をやたらと詰め込んだ頭でっかちな奏者や、あれこれごった煮のように混ぜ合わせたジャズが増えてきた現状を一度ご破算にして、「熱くひたむきな」主人公の成長物語を通じて、音楽としてのジャズが本来持っていたはずの激しさやパワーという根源的魅力をダイレクトに伝えるために、敢えてわかりやすい物語とシンプルな表現を選択したのだろう。考えてみれば、ジャズをまったく知らない人からしたら、有名曲だろうがオリジナル曲だろうが、伝統的演奏だろうがフリージャズだろうが、多分どのジャズもみんな同じようにぐちゃぐちゃに聞こえるかもしれない。しかし奏者の真剣さや情熱や演奏の持つエネルギーは、聴き手にジャズの知識があろうとなかろうと、誰にでも伝わって来るはずだというメッセージのようにも思える。

ダンスの伴奏が主だった1940年代半ばまでのジャズを別にすれば、即興演奏の技術が高度化し、多様化したビバップ以降のモダン・ジャズには「万人が楽しめるジャズ」というものはなく、ジャズは本質的に自由な個人の音楽となり、また「知と情」を併せ持つ独特の音楽となった。他のポピュラー音楽と違うジャズだけが持つ魅力と深みは、単に聴き手の感情に訴えるだけではなく、同時に知性を刺激し、知的な美しさを感じさせるという「知と情」の独自の音楽的バランスにある。ロックやポップスなどのポピュラー音楽にも「知」の要素はあるが、それは主として言語(歌詞)から想起されるものであり、楽器演奏による音だけで「知」を感じさせる音楽は、クラシックとジャズだけだ。マイルス・デイヴィスの音楽は、この「知と情」が高度にバランスしたジャズの代表である。また後期コルトレーンのように、考え抜いた末に行き着いた熱狂的でエモーション全開の演奏もあれば、一方、頭で考えたジャズの典型のごとくかつて批判されたアルト奏者リー・コニッツのようなクールな演奏もある。だがコニッツが自伝の中で述べているように、出て来た音がいかに頭で考えたようなクールで複雑な音楽に聞こえても、演奏している奏者をつき動かしているのはあくまで自身の内部から湧き出るエモーションであり、彼の内側は熱く燃えたぎっているのである。

このようにプレイヤーによって表現の形は様々だが、黄金期の優れたジャズでは、「知と情」が音楽の中で高い次元で見事にバランスしていたのだ。しかし、ジャズが「知」の領域で生み出した、ハーモニーやリズムにおける独自の音楽概念や複雑な演奏技法の多くは、この半世紀の間に他のあらゆるポピュラー音楽の中に見えない形で拡散、浸透し、今や当たり前のものとして吸収されており、かつてジャズと他の音楽を隔てていた境界線はもはや曖昧だ。大衆の感情に直接訴えかける音楽上のパワーとエモーションも、今やもっとシンプルで聞きやすいポピュラー音楽が席捲している。したがって音楽上「ジャズ」だけに残されている核の部分、ジャズをジャズたらしめているものがあるとしたら、それはモダン・ジャズ以降のジャズが獲得した「知」の象徴である「即興演奏」による高度で抽象的な音楽表現だけだとも言えるだろう。だがそれだけでは音楽として多くの聴き手の心を掴むことは難しいのだ。ジャズはこうして一種のジレンマを抱えながら、過去半世紀、芸能と芸術との狭間を漂い続けてきた音楽なのである。「ブルージャイアント」は、ジャズから失われてしまったかのように見える純粋なエモーション、すなわち「情」の持つパワーを再提示し、ジャズを本来の「知と情」の音楽という原点にもう一度回帰させたい、という作者の願望が込められた作品だ――というのが「これまでの」物語を読んだ私の勝手な解釈である。

第10巻で少年期を終えて、物語のベクトルは徐々に「個人」と「自由」というジャズのキーワードに向かいつつあるように思える「世界一」のサックス奏者を目指す主人公が、「個人」と「自由」に常に見えない足枷をはめようとするローカル日本を離れて、まずは一人でグローバルな世界に向かうという展開は当然のことだろう。最初の行き先がジャズの本場アメリカではなく、クラシック音楽の厚い土壌を持ち、ジャズを芸術と認め、様々な音楽を受け入れる知性と懐の深さがあり、歴史的に独自のジャズ、フリージャズ、さらにはジャズを超えたフリー・インプロヴィゼーションの世界を生んで来たヨーロッパ、中でもドイツを選んだことに、主人公が今後体験する「知」の部分に関する何がしかの意味があるのかもしれない。そしてもう一つのキーワードは、アーティストとしてのジャズ・ミュージシャンにとって究極の目標であり、主人公が物語の最初からその片鱗を見せている「独創」(originality) だろう。続編「SUPREME」(2017-) の中で、今後これらをどう描いてゆくのか興味深いが、物語の最後には、様々な体験を経てミュージシャンとして成長しながら自己表現の手法を確立し、真に「独創的な」ジャズテナー奏者となった主人公が、本場アメリカで勝負する舞台が当然用意されているのだろう。いずれにしろ、今までのところ、この作品がジャズの魅力の一面を描いていることは確かで、これまでジャズにあまり馴染みのなかった人たちにも支持されているなら、それはとても良いことだと思う。私的には、今後の展開の中で、作者が考えるジャズの真の魅力を描き切ってくれることを期待したい。

音楽の世界を漫画で描くのは難しいことだろうが、ジャズをテーマにした「アポロン」や「ジャイアント」のような優れた作品が登場したことを思うと、まだまだ「ジャズ漫画」の将来には可能性がありそうだ。ジャズというユニバーサルな音楽をテーマにしながら、紙の上に創作物語、それもヴィジュアルな世界が描けるのは世界中で日本のコミックだけだろう。これからもさらに魅力的で斬新な作品や、それらを生み出す新しい作家が登場することを一ジャズファンとして楽しみにしている。

2017/08/18

ジャズ漫画を読む (1) 坂道のアポロン

昔はジャズ漫画と言えば、ラズウェル細木の『ときめきJAZZタイム』くらいしか思い浮かばなかった。ラズウェル細木の漫画は、ジャズ史やジャズ・ミュージシャンのエピソード、ジャズマニアのおかしな生態などを、コアなジャズファンが思わず吹き出してしまうような画風とユーモアで描いた、いわばプロフェッショナル・ジャズ漫画だ。したがって読む側にもかなりのジャズ知識がないと、どこが面白いのかさっぱりわからないという特殊な世界である(ただしジャズファンが読むと、自虐的なギャグ漫画のようで大いに笑える)。だが普通の漫画(コミック)の世界だと、クラシック音楽を描いた『のだめカンタービレ』や『ピアノの森』といった有名な傑作漫画が既にあるが、その種の「ジャズ漫画」というのは読んだことがなく、そうしたジャンルがあるのかどうかも知らなかった。クラシック音楽もジャズと同じで最近は聴く人が減っているようだが、クラシックファンだけでなく、日本人は基本的に誰でも学校でクラシックを習うし、自然に耳に入る機会も多く馴染みがあるので、それほど敷居の高さを意識せずに抵抗なく物語に入っていける「潜在読者」の数も多いのではないかと思う。何より、音の出ない絵だけを見ても、記憶されたクラシックの名曲が頭の中で聞こえて来るので、イメージが喚起しやすいのである。しかしジャズはそうはいかず、昔からまず聞く人が限られているし、今は基礎知識もなくジャズを聞いた経験もない人がほとんどなので、まずジャズという音楽そのものを知らないと、漫画といえども、なかなかすんなりと読んで楽しむわけにはいかないだろうと思っていた。そういうわけで、数年前に娘から教えてもらうまで、ジャズをテーマにした普通の漫画作品があるなど夢にも思わなかった。当然その種の(売れそうもない)漫画を書く作家など出て来るはずもないし、たとえいたとしても、どうせたいしたものじゃないだろうと勝手に思い込んでいて、まったく興味もなかった。ところが、遅ればせながらだが、ジャズをテーマにした漫画にも素晴らしい作品があるということがわかったのだ(知っている人はとっくに読んでいたわけではあるが)。

それが『坂道のアポロン』(小玉ユキ/2007-12)で、1960年代後半の長崎県・佐世保を舞台にしてジャズと恋、友情を描いた爽やかな青春物語である。まさに団塊の世代ど真ん中の時代設定もあり、当時夢中になった若者がたくさんいたモダン・ジャズをテーマとBGMにして、昭和的ノスタルジーを強く感じさせる出色のオールタイム・ジャズ漫画だ。そもそもは少女漫画月刊誌に掲載されていたということだが、題材からして作者が若い(かどうかはよく知らないが)女性というのも驚きだ。物語全体に漂う静謐感、詩情が秀逸で、登場人物の造形、物語の展開、ジャズの描き方など、実際に音が聞こえなくとも紙の上でこういう世界が描けるものかとびっくりした。だが文化祭のシーンが象徴するように、当時の日本はジャズの「全盛」時代だったにもかかわらず、若者の間で人気のあったロックやポップスやフォークの陰に隠れたマイナーな存在だったことも、昨日のことのように思い出す。当時はファッションで聞く人もいたので、本当のジャズ好きはさらに一握りの人たちだけだったのだろう。70年代、張り詰めたような政治の時代が終わり、世の中が軽く明るく(?)なって、ジャズもわかりやすいフュージョンに変容し、聴き手も大学を卒業して普通のサラリーマンになると、ポップスばかりか演歌や歌謡曲ファンに「転向」した人も多かった。これには楽器ができなくても誰でも自分で歌えるカラオケ登場の影響も大きかったと思う。そうした大衆とは縁のない音楽、何をやっているのかわからない音楽、金にならない音楽、精神がとんがった連中(変わり者)が好む音楽…という日本におけるジャズのイメージは昔も今も基本的にはそう変わらないのだろう。ただし、気取った大人が聞くお洒落な音楽というスノッブなイメージが付加されたのは、日本が80年代に入って金回りが良くなり、若い時にジャズを聞いた客層を中心にジャズクラブがあちこちにできたりして、ジャズがそこそこ大衆化したバブル期以降である。それまで、つまり「アポロン」前後の時代は、ショービジネスが出自ではあっても、基本的にはシリアスな音楽芸術、難しいが深い大人の音楽、という受け止め方の方が日本では主流だったと思う。つまりジャズが本当にカッコいい時代だったのだ。

この作品はTVアニメ化もされたのでこれも見たが、菅野よう子が手がけた音楽の出来も良く、しかも漫画では想像するしかなかった「ジャズの音」が、ドラマの中では実際に聞こえてくることもあって、放映中は年甲斐もなく嵌った。若手ミュージシャンによるジャズのサウンドトラックも新鮮で、若者だけでなく、おそらく多くの中高年ジャズファン層が支持したこともあって、番組終了後にはアニメ中のジャズをモチーフにしたライヴ公演の企画まであった(残念ながら聞き逃したが)。そして、来年2018年にはついに映画まで公開されるらしい(現在制作中)。予定キャスティングは、私のような年寄には知らない若い人も多いが、脇役のディーン・フジオカ(桂木先輩役)や中村梅雀(律子の父、ベースを弾くレコード店主役。この人は実際にベースを弾くようだ)など、なるほどと思わせる人たちだが、主人公の一人、迎律子役の小松菜奈(この人はなぜか知っている)は漫画とイメージがちょっと違うのかな、という気がする(原作はもっと素朴で地味なイメージ。ただしそれも映画を見てみないと何とも言えないが)。映画の中でジャズをどう描くか、誰がどういう演奏をするのか等楽しみだが、同時に、この映画の観客層がいったいどういう年齢構成や男女比になるのかということにも非常に興味がある。まさか中高年のおっさんばかり、ということはないだろうと思うが…。