たぶん、昔からの大方のジャズファンはそうではないかと思うが、レコードも散々聴き、関連情報も何度も見聞きし、伝記(『How My Heart Sings』, 1999, Peter Pettinger 著) も読んでいるので、正直、今更ビル・エヴァンスの伝記映画も……と思っていた。モンクと違って、エヴァンスには内外の文献情報だけでなく映像記録も多く、それをネット上でもかなり見ることができるので、DVDがあるのも知っていたが、持っていなかったのだ。しかし「日本だけの劇場公開」というコピーについ釣られて、(ヒマなこともあり)話題の映画『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード(原題 Time Remembered : Life & Music of Bill Evans)』(2015、ブルース・スピーゲル監督)を見に、連休中に吉祥寺まで出かけた。PARCO の地下に映画館(UPLINK)があるのもまったく知らず、一時住んでいて、その後もよく来た久々の吉祥寺では、ほとんど浦島太郎状態だった。人が多く、活気があって、雑然とした街並みは相変わらずだが、やたらと増えた知らない店やカフェやらで、周辺の景色はずいぶん変わっていた。そもそも、昔よく行ったジャズ喫茶 “Funky” は、このPARCOのあたりにあったのだ。今は少し移動した場所で飲食店(名前は “Funky” で同じ)になっているが、うす暗い地下で鳴り響いていたJBLパラゴンの強烈な音は今でも覚えている。1970年代半ばのことだ。
音楽面では、代表的レコードをかなりの枚数取り上げていたが、これもダイジェスト版CDのようで目まぐるしく、エヴァンスのレコードや演奏をよく知るジャズファンは別にして、馴染みのない人たちのために、もっとじっくりと聞かせる方がいいのではないかと感じた(元のDVDがそういう作りなので仕方がないが、モンクの映画ではもっと個々の演奏をきちんと聞かせている)。今振り返れば、晩年の一部の演奏を除き、基本的にエヴァンスの作品に駄作はなく、すべてが素晴らしいとしか言えないが、スコット・ラファロ と共演したRiversideの諸作は当然として、私的エヴァンス愛聴盤は①『New Jazz Conceptions』(1956)、②『Everybody Digs Bill Evans』(1958)、そして③『Explorartions』(1961)というピアノ・トリオ3枚である(数字は録音年)。溌溂として、新鮮で、切れ味の良い①、ジャズ・ピアノにおけるバラード・プレイの極致と言うべき演奏が収められた②、三者の深く味わいのあるインタープレイが全編で聞ける③の3枚は、何度聴いても飽きるということがない。映画でも、特に②と③が名盤として紹介されていたが、意外だったのは、私がいちばん好きな③が、実は三人(エヴァンス、ラファロ、モチアン)の人間関係がぎくしゃくしていた時に録音されたものだ、という話だった。これは知らなかったので帰ってから確認すると、伝記にもそういう逸話が短く書かれていた。ラファロからも注意されていたように、エヴァンスのドラッグ耽溺が原因だった。このアルバムに聞ける、何とも言えない憂い、沈潜したムードと不思議な緊張感が漂う美は、そのことが背景にあったからのようだ。これが、体調も良く、みんなで仲良くやっていれば良い演奏が生まれるわけではない、というジャズの持つ不思議さなのだろう(演奏者自身のその時の意識と、聴き手側が受け取る印象の違いということでもある。こうした例はジャズではよくある)。また、若きエヴァンスが風にそよぐカーテンの向こうから端正な顔でじっとこちらを見ている、一見、知的で静かで美しいが、どことなくこの世の世界とは思えないような不思議な印象を与えるジャケット写真が、実はゴミため のように乱雑なエヴァンスのアパートメント自室内で、いちばんそれが目立たない窓際で撮られたものだった、というエピソードも実にエヴァンス的だ。つまり、内部(精神)に満ちた混沌、葛藤と、外部に向けて表現された美の世界(演奏)とのギャップである。ただし、エヴァンス的にはそれで ”均衡” していたのだとも言えるが。
Explorations
1961 Riverside
ビル・エヴァンスの人生は、大まかなことはほぼ知っているので、映画の中にそれほど目新しいエピソードはなかった。エヴァンスには、セロニアス・モンクのような神話や謎めいた逸話はなく、モンクの傑作ドキュメンタリー映画『ストレート・ノー・チェイサー Straight, No Chaser』(1988、クリント・イーストウッド制作)のように、本人の日常の行動を間近に追った映像記録も映画中にほとんどないので、映像そのものに特に新鮮な驚きはない。ただ、盟友スコット・ラファロの事故死(1961年)によるショックから徐々に立ち直り(ドラッグからは逃れられなかったが)、70年代に入ってから再婚して子供も生まれ、束の間の幸福そうな結婚生活の一部を記録した映像は、初めて見たこともあって、その明るい雰囲気が意外であり非常に印象的だった。それがエヴァンスの人生で最良の瞬間だったのかもしれない。しかしそのときでさえ、長年にわたって彼を支えてきた前妻(内縁)の自殺(1973年)という死の影をエヴァンスは引きずっていたのである。その後、再びドラッグに溺れ、新しい家族とも別れ、さらに幼少期から彼のただ一人の庇護者であり、敬愛してきた兄の自殺(1979年)という一撃で、エヴァンスの人格と人生は完全に崩壊する。 チャーリー・パーカー以降、モダン・ジャズ時代のジャズマンの多くがドラッグで破滅的人生を送ったのは周知のことで、エヴァンスもその一人だった。しかし同じように生涯ドラッグ漬けで、最後には肉体も精神も崩壊したセロニアス・モンクの人生が、全体に奇妙で、おぼろげで、くすんだような色彩なのに、どこかゆったりとして、その音楽同様に明るさとユーモアさえ感じさせるのと対照的に、この映画で描かれている死をモチーフにしたかのような人生、そしてリー・コニッツが指摘したように、何かに追われるがごとくオンタイムで前のめり気味に弾くピアノと同じく、死に急いだエヴァンスの人生の印象は、ずっと暗く沈んだ色調のままである。その色調こそが、まさしくエヴァンスが弾くピアノの根底にあるもので、ジャズファンが愛するビル・エヴァンスの、ピュアで、深く、沈み込むような濃い陰翳を持つサウンドの美しさは、そうした彼の人生から生まれたものだったことがよくわかる。