風雲ジャズ帖 山下洋輔 1975/1982 徳間文庫版 |
初エッセイ集である『風雲ジャズ帖』は、1970年代はじめから山下が雑誌等に寄稿したエッセイや対談を編纂した本で、山下のエッセイの他に、グループのメンバーや、筒井康隆(作家)、菊地雅章(ジャズ・ピアニスト 1939-2015)などとの対談も収載されている。中でも文化人類学者の青木保 (1938-) との<表現>と題された長い対話(初出 1971年 社会思想社)では、あの時代のジャズが演奏者と聴き手にとってどういうものだったのかを語り、またジャズと祭事の文化的類似性について探るなど、非常に奥の深い議論を交わしている。昔から思っていることだが、ジャズ本でいちばん興味深く、読んで面白いのは、本音で自らの考えを語る知的なジャズ・ミュージシャンのインタビューである。またこの本には、当時進路に悩み、しかもピアノが弾けない病気療養中に山下が書いたという『ブルー・ノート研究』(初出 1969年 音楽芸術)という、ジャズにおける「ブルー・ノート」の真の意味を探る、彼の唯一の音楽研究論文も収載されている。これは、近代西洋音楽の音階と和声論だけで、ブルー・ノートを含むジャズという音楽を強引に解析することには無理があり、ヨーロッパ的和声とアフリカ的音階・旋律の融和し得ないせめぎあい(アンビヴァレンス)にこそジャズの本質があるという、当時主流だったバークリーを筆頭とするコード(記号化)進行によるジャズの西洋的単純化(システム化)思想に一石を投じた本格的論文だ。そして退院後の1969年に、それまでのジャズ・ミュージシャンとしての悩みのあれこれを払拭すべく、山下は意を決して、ビバップから「ドシャメシャ」のフリー・ジャズの世界へと本気で向かうのである。
DANCING古事記 1969 at 早稲田大学 |
キアズマ Live in Germany 1975 MPS |
ジャズの証言 山下洋輔 相倉久人 2017 新潮新書 |
また当時、日本的な空間美を意識した「芸術系」フリー・ジャズの最重要ミュージシャンだったのが天才ドラマーの富樫雅彦(1940 -2007)だ。「銀巴里」セッションをはじめ、相倉久人と一緒に行動していた1960年代の富樫雅彦と山下洋輔の関係はあまり知らなかったのだが、本書には同じようにフリー・ジャズの世界を指向しながら、二人が結果的に別々の道を歩むことになった経緯も書かれている。富樫は佐藤允彦(p) と共演するなど絶頂期だった1970年に不幸な事故に会い、下半身不随という後遺症と向き合いながら、その後パーカッショニストとして復活して数多くの名演を残した。また70年代半ばからは間章 (あいだ・あきら)の仲介を経て、スティーヴ・レイシーなど多くの海外ミュージシャンとも共演してその音楽世界を拡大し、2007年に亡くなるまで演奏活動を続けた。いずれにしろ、相倉の目指した、アメリカのモノマネを越えて、(世界に通用する)日本独自のジャズを創造するというヴィジョンは、表現手法は異なっても、山下洋輔と富樫雅彦という二人の日本人ミュージシャンによって実現したと言えるだろう。近年「和ジャズ」がブームになっているが、日本ならではのオリジナリティを持ち、しかもメジャーな存在として世界に認知された「正真正銘の和ジャズ」と呼べる音楽を創造したのは、間違いなく50年前の山下洋輔と富樫雅彦であり、また当時二人と共演した日本人ミュージシャンたちだったと思う。