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Lennie Tristano Eunmi Shim |
私はこれまでに3冊のインタビュー本を翻訳してきたが、初の訳書が『Lee Konitz: Conversations on the Improvisor's Art』(原書 2007 Michigan大学) だった。トリスターノ派の音楽全体に興味を持っていたので、実はリー・コニッツの前に、当時日本ではほとんど情報が手に入らなかった、コニッツの師匠レニー・トリスターノ唯一の伝記である『Lennie Tristano』(2007 Michigan大学) をまず訳してみようと思っていた。10年前にはWeb上(英語)でもトリスターノ派に関する情報がほとんどなく、あれこれ探してやっと見つけた本である。また同じくトリスターノの弟子のベース奏者、ピーター・インド Peter Ind がトリスターノ派の音楽について書いた『Jazz Visions』(2008) も見つけた。前者に関しては著者ユンミ・シム Eunmi Shim(韓国出身、現在はバークリー音楽大学教授)に直接コンタクトして翻訳の可否について問い合わせていたのだが、音楽学の学者である著者のアカデミックな視点が少々私的興味とは違う方向だったこと、またインドの本も少し方向が違う印象だったので、最終的にやはり『Lee Konitz』を手掛けてみることにしたのだ。これはミシガン大経由で著者アンディ・ハミルトン氏に、メールで直接コンタクトして翻訳許可をもらった(次の『セロニアス・モンク』も『パノニカ』も同様に、著者ロビン・ケリー氏およびハナ・ロスチャイルド氏から直接許諾をもらって翻訳している)。
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Lee Konitz Andy Hamilton
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『Lee Konitz』は、老境に入ったアルトサックス奏者リー・コニッツ(1926-2020, インタビュー当時70歳代後半)への5年間にわたるインタビューを通して、彼の音楽人生とジャズ哲学を探るというユニークな一種の自叙伝だ。インタビューは<コニッツx著者>の1対1で、イギリス人著者アンディ・ハミルトン(Darham大教授、美学・哲学者)が強調しているように、マイルス自叙伝のような編集、脚色や他の資料からの引用を一切せずに、「コニッツ本人の言葉」をほぼそのまま載せて、そのユニークな人生とジャズ哲学を語らせている。特に「ジャズ即興演奏とは何か」という自身の疑問に起因する、パーカーやコルトレーンの「固有のヴォキャブラリーの組み立て」に基づく演奏技法と、コニッツの「内発的 (spontaneous) アイデア」による純粋な即興演奏思想との対比は、これまでどんなジャズ本でも語られてこなかった、ジャズの本質に迫るユニークなトピックであり、ジャズ・ミュージシャンが何を考えて、どう演奏しているのか、という音楽家の内面を探る非常に興味深い議論だ。シカゴ時代からの師匠レニー・トリスターノの音楽思想、師弟関係、ビバップとトリスターノ派の音楽の関係、彼らの音楽の本質を語る部分も、これまで日本では読んだことがない非常に貴重な情報だ。そこに、著者ハミルトンがインタビューで取材した、多くのジャズ・ミュージシャン(40人)のコニッツに関するコメントを加えた構成にして、リー・コニッツというミュージシャン像とその音楽を、立体的に描いている。
ジャズは黒人――アフリカ系アメリカ人が中心となって生まれ、発展した音楽だが、いわゆる白人ジャズ・ミュージシャンも数多い。日本ではこうして「黒人」に対して「白人」ミュージシャンとひと言で呼ぶが、アメリカの白人といっても様々なバックグラウンドを持つ人たちの集まりで(もちろん黒人もそうだ)、ジャズの場合いちばん多いのはいわゆるWASPではなく、ユダヤ系アメリカ人である。ハリウッドの映画産業から始まり、ガーシュインやアーヴィング・ヴァーリンのようなポピュラー音楽作曲家、ブルーノートのアルフレッド・ライオンやフランシス・ウルフ、プレスティッジのボブ・ワインストックやアイラ・ギトラーのようなレコード・プロデューサー、ナット・ヘントフ、レナード・フェザーのようなジャズ評論家、ジョージ・ウィーンのようなジャズ興行主、大物ミュージシャンでは古くはベニー・グッドマンはもちろん、本書で出自を公言しているリー・コニッツやスティーヴ・レイシーの他にも、ギル・エヴァンス、ビル・エヴァンス、スタン・ゲッツも、ユダヤ系移民の子孫だと言われている。その他バート・バカラック、ジョン・ゾーンのような音楽家もそうだし、アメリカのクラシック音楽の世界でもその傾向は同じだ(バーンスタインなど)。
ユダヤ人には特別な能力があるからだとか、陰謀論的な見方とか、根拠の曖昧な議論には与しない。ジャズを含めてそもそも「芸能」というものが、主として(宿命的に支配者層にはなれない)被差別階層の人たちによって作り上げられてきたのは、アメリカだけでなく、諸外国や日本の芸能の歴史を見ても明らかだからだ。元々、様々な社会的ハンディを背負って生き、進路の選択肢が限られているがゆえに、個人としての才能、能力を最大限生かせる分野に人生を賭ける――という生き方を選ぶしか方法がないので、結果的にそこで名を遺した人が多いということではないかと思う。アメリカという新しく複雑な移民国家では、人種間競争が厳しく、ヒエラルキー形成の歴史も短いので、それがより顕著な形で表れているということを学習したのも、数冊のジャズ書の翻訳を実際に手掛けて、翻訳過程でその背景を知ったからだ。黒人の音楽を白人が「拝借」して商業的に成功させた、という見方が一般にあるが、芸術的な観点から見れば、そんな単純なものとは言えない。どんなミュージシャンにも、それぞれ「個人としての」歴史や背景があるのだ。トリスターノや初期のコニッツから感じられる強靭な意志と音楽的テンションの源は、当時のビバップという「本流の黒人」が作った強力で魅力的なジャズの世界の内側から、何とかして「自分たち固有の音楽」を創り出したい、という「傍流の白人」アーティストとしての強い芸術的願望であることも、コニッツの本を通じて初めて理解した。トリスターノがもっとも敬愛していたのは、ビバップの権化チャーリー・パーカーとバド・パウエルなのだということも、この本で初めて知った。日本のギタリスト高柳昌行の音楽を知ったのも、トリスターノ派が起点だった。
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Steve Lacy Jason Weiss |
2番目のインタビュー本『スティーヴ・レイシーとの対話』(原書 2006) は、ソプラノサックス奏者<スティーヴ・レイシーx多彩なインタビュアー>という組み合わせで、20世紀後半に、主にヨーロッパで40年以上にわたって行なわれたレイシーへの34篇のインタビューを、編者ジェイソン・ワイスが一部翻訳し(仏→英)、年代順に解説を加えて再編集し、そこにレイシー本人のメモなども加えて彼の人生と音楽思想を描く――というこれもまたユニークな構成のインタビュー集である。特にレイシーが私淑し、自身の音楽の基盤となったセロニアス・モンクの音楽の分析と解釈は、類を見ない深さで師のサウンドの構造と本質を語っている。モンクの音楽をここまで深く理解し、語っている音楽家はいない。そして、そのインスピレーションがいかに自身の音楽を形成してきたかを詳細に述べている。この本は月曜社の企画で、私が選んだものではないが、セロニアス・モンクを通じてレイシーに興味を持っていたこともあって翻訳を引き受けた。翻訳作業を通じて、あまり詳しく知らなかったスティーヴ・レイシーという音楽家と、その音楽を知る非常に良い機会となった。
これら2冊はインタビューを通じて掘り下げた、白人サックス奏者、リー・コニッツとスティーヴ・レイシーのある種の自叙伝とも言える。アルトとソプラノという楽器、年齢の違い(レイシーは1933年生まれで2004年没)に加え、コニッツはビバップから出発して、トリスターノとの邂逅を経て独自の音楽を追及し、一方のレイシーはディキシーランドから出発して、セシル・テイラーを通してモンクを知り、フリージャズに向かった、という経歴上の違いがあるが、この二人にはいくつか共通点もある。両者ともにユダヤ系白人(コニッツはオーストリア系、レイシーはロシア系)サックス奏者であり、片やレニー・トリスターノ、片やセロニアス・モンクという、ともにジャズ史上の巨人というべき人物だが、「ジャズ本流」のミュージシャンとは言い難い師に、青年時代に薫陶を受けたという経歴を持っていること、さらに両者ともに1960年代後半という、人生の半ばで、実質的に米国の地を去って新天地ヨーロッパを活動拠点とし、そこで晩年まで暮らしたということである(コニッツはケルン、レイシーはパリ)。逆に言えば、米国では彼らの音楽は受け入れられなかったと言える。2冊のインタビュー本による個人史からは、ジャズ・ミュージシャンの人生の背後にあった、20世紀生まれのジャズという音楽の特質が鮮明に浮かび上がってくる。
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Conversations in Jazz Ralph J Gleason |
一方、今年初めに出版した3冊目のインタビュー本『カンバセーション・イン・ジャズ』は、米国の著名ジャーナリストであるラルフ・J・グリーソンが一人で行なった<グリーソンx12名のジャズ・ミュージシャン>というインタビュー集で(原書は14人)、1960年前後に行なわれたグリーソンの私的インタビュー音声を、2016年に息子のトビー・グリーソン氏が初めて文字化してイェール大から出版したもので、ほとんどのインタビューが初出だ。1960年代に日本でモダン・ジャズ・ブームが起こる前の米国のジャズ黄金時代に、若きコルトレーンやロリンズ、ビル・エヴァンス、MJQの全メンバー 、フィリー・ジョー・ジョンーズのような大物ミュージシャンたちが、何を感じ、考えていたのか、当時の彼らの音楽思想を、すぐれたインタビュアーが一人で切り取ったもので、ミュージシャンたちのナマの声を通してジャズ史の一断面をとらえた興味深く、また貴重な記録である。個人的には、マイルス・デイヴィスに関する各ミュージシャンの意見や、ビル・エヴァンスのトリスターノとモンクに関するコメントが面白かった。
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Notes and Tones Arthur Tailor
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このように、同じインタビュー本だが、上記3冊はそれぞれ個性的な内容を持ち、いずれもインタビューを通して、いわば「ジャズ・ミュージシャンという存在」を様々な角度から描くという書籍である。ジャズとは結局、ミュージシャン個人の声を聴く音楽なので、今の私の関心は、昔と違ってレコードやテクニカルな情報よりも、ジャズサウンドの根本にあるミュージシャン個人の人生や演奏思想にあり、「彼らがなぜそのような演奏をするに至ったか」という事実を知ることにある。そういう視点で翻訳候補に挙げている興味深いインタビュー本が、まだ他にも何冊かある。たとえばその中の1冊で、ドラマーのアーサー(アート)・テイラー著の『Notes and Tones』(1977/93) は、グリーソンの本と同じ構成(インタビュアー1人 x 複数ミュージシャン)だが、これはグリーソン本から約10年後、すなわちフリージャズ登場後の1970年前後、およびそれ以降に行なわれたインタビューである点と、インタビュアー自身がアート・テイラーというビバップ以降、ジャズの巨人たちとの数々の名演に加わってきたジャズ・ドラマーである点が違う(サブタイトルが "Musician-to-Musician Interviews")。ロックやポピュラー音楽が米国の音楽市場の主役になる以前、モダン・ジャズがまだまだ隆盛だった1960年前後で、訊き手が白人の著名ジャーナリストであるグリーソン本では、どことなく「よそ行き」の雰囲気が感じられるジャズ・ミュージシャンたちが、それから約10年後に、ミュージシャン同士でリラックスして本音を語り、またマイルス・デイヴィスなど主流のアーティストの他に、オーネット・コールマンやドン・チェリーなどフリージャズ以降のミュージシャンも登場し、ロックやフリージャズ登場後の米国ジャズ界の変化やミュージシャンたちの反応も見られ、ある意味でアメリカという国、ジャズという音楽の歴史の複雑さを表出している非常に興味深い1冊だ。こうした原書を年代順に何冊か翻訳出版して、一種の「日本語によるジャズ・オーラル・ヒストリー」にしてみたいと考えているのだが、今後これらを訳書として日本で出版できるかどうかはまだ未定だ。(続く)