あいみょんは作曲するとき、ギターを弾いて唄いながら歌詞とメロディを「同時に」作ってゆくらしい。ギターコードもそれほど知識はないのだという。だからシンプルなコードとその進行と同時に、歌詞とメロディが無理なくごく自然につながっていて、どの曲も妙な飛躍やひっかかりがなく、「歌」がストレートにこちらに訴えかけてくる。大半の作品で、曲全体の構成の「起承転結」が明瞭で、ゆっくりとした独り言のような低域の導入部から徐々に盛り上げて高域側へと移行し、記憶に残るキャッチーなサビのメロディが必ずあり、最後も絶叫や、静かに落として終える、という安定したパターンが多い。また一部のラップ的な曲を除けば、テンポ(bpm)もゆったりした曲が多く、多少テンポが上がっても、発声がクリアなので歌詞やメロディが聴き取りやすく、かつ覚えやすい。だから聞き終わったあと、かならず歌詞とメロディが頭の中に何度も繰り返し浮かんで来る。最低5回は聴かないと(?)何を言っているのかさっぱり分からない歌詞と(歌詞が分かっても意味が分からない…)、メロディも覚えにくい最近の他の歌とはそこが違う。世代、年齢を超えて人気があり、特に中高年層にも人気があるのは、メロディ自体の魅力に加え、こうした伝統的な日本のポップス(大衆曲)の基本を備えているからだろう。そこに1970-80年代の日本のポップス黄金期の香りが加わっているので、どの曲も中高年にとっては懐かしく、抵抗なく覚えられ、自分でも「唄ってみたい」という気にさえなるのだ。ライヴ会場での「君はロックを聴かない」のように、大ホールの大観衆が一緒になって唄えるような楽曲は最近聴いたことがなかった。しかも単なるその場のノリだけではなく、会場全体に、聴衆の「この歌への共感」が溢れているところがすごい。感動的ですらある。
椎名林檎は、ユーミンが全盛期だった高度成長下1978年に生まれた団塊ジュニア世代、あいみょんはその椎名林檎が登場した時代、バブル崩壊後の不況下1995年という阪神大震災の年に生まれた世代だ。その後 9.11、リーマン、東日本大震災、コロナという厄災を経て日本経済が完全失速した「失われた30年」という時代を生きて来た。アーティストの作品が、音楽家としての個々の音楽性以外に、それぞれの世代の経験と、生きた時代の空気を映し出すのは当然だ。そしてそれは、後の時代になって振り返って見えて来るものだ。たとえばユーミンは「70年代的希望」、椎名林檎は「90年代的挫折」だったように思うが、あいみょんはどうなるだろうか。時代の空気は「沈滞とあきらめ」だが、あいみょんの音楽には、その時代背景から生まれる肩の力が抜けたクールネスと、逆境をバネにして反発するくじけない姿勢、かすかな希望が常に感じられる。つまり時代はネガティヴだが、彼女の音楽そのものは超ポジティヴなのだ。英語にheartful(心のこもった)とencourage(勇気づける)という単語があるが、あいみょんの歌にはheartfulな温かさと、聴き手をencourageするパワーが常に感じられるのである。だから聴くと元気が出る(私のような年寄りでさえも)。そこが彼女の音楽のいちばんの魅力であり、5年近い「コロナの鬱」を乗り切るのに、あいみょんの歌は日本中に癒しと力を与えたと思う。私の世代にとって明るい1970/80年代の音楽がそうだったように、あいみょんと同世代の若者にとっては、きっと生涯忘れられない音楽になることだろう。あいみょんはギターコードもその進行も、それほど詳しくなくて、あくまで浮かんでくるメロディライン優先の作曲のようだ。「マリーゴールド」や「愛を伝えたいだとか」が何かのパクリだとかいう説が、ネットの一部で取り上げられているが、最近ポップスの定型コード進行と、メロディの近似についてやたらと吹聴する人間が多い。だが、そんなことを言い出したら、ジャズなどどうなるのか…という話だ。メロディとコード進行に基づく即興演奏(変奏)がジャズの基本なので、同じコード進行を基にしたメロディなどいくらでもできる。だから、そのジャズを片親にした洋楽(ロック、ポップス)など昔から、いわばパクりのオンパレードだ。12音を使ったメロディは無限に作れるはずだが、コード解析が進んだ21世紀の今はもう出尽くした感があるのと、1990年代以降のデジタル音楽時代になってから、20世紀の人間が個人として持っていた素朴な音楽的感性と創造力が、世界的に衰えてしまったのではないかと私は思っている。昔からポップスにはクラシックのカノン進行など、近代の人間が「心地よく感じる和声の動き」を応用した例がたくさんあるのは事実だ。しかし、その和声を基にして本当に素晴らしい「メロディ」を新たに生み出す才能はまた別なのである。人を気持ちよく感じさせるそうしたコード進行は、料理にたとえれば「上質な出汁(だし、スープ)」みたいなものだ。その出汁を使って、「うまい料理」をいかに作るかは、料理人の創造力と腕なのだ。あいみょんの音楽には、そういう出汁をベースにしながらも、どの曲にも名料理人的な確かな腕と、発想のオリジナリティを感じる。そして味を仕上げるリズムとメロディの引き出しが多彩で、しかも、完成した料理の味は大多数の人が好むものだ。1曲や2曲だけならまだしも、味付けの異なる上質な曲を何十曲も創作する彼女の才能は本当にすごいと思う。「おいしい街の洋食屋さん」という所以である。
あいみょんのもう一つの個性は地域性だ。関西人だが、ど真ん中の大阪ではなく神戸に近い西宮市出身なのでアクは強くない。だが当然ながらネイティヴ関西女子特有のユーモアとウィットがあり、ラジオの『オールナイトニッポンGOLD』を聞けば分かるように、喋りも明るく、親しみやすく、何と言ってもとにかく面白い。コンサートで客席と楽しくやり取りするMCぶり、エンタテイナーぶりも素晴らしい。しかし一方で、路上ミュージシャン時代からグループに属さず、ギター一本で自分の道を独りで切り拓いてきた「孤高の人」が持つ体育会系の強靭さも感じる(映像で見ても、ライヴのステージ上ではすごいオーラを感じさせる)。人格は(想像だが)、潔く、さっぱりしていて男前、ストイックかつ真面目で、常に冷静に自分のことを見ている。年上、先輩の人たちに対する態度も控え目で、礼儀正しい。幸福な家庭で育ったことを伺わせるように、両親や家族への愛を、常におおらかにあけっぴろげに語っているところも関西人らしい。彼女に直接会った年長の芸能人たちがみなファンになるのは、曲もさることながら、こうした礼儀正しさと、バリアを感じさせない、おおらかな関西風キャラのせいだろう。というわけで、今さらながらの私的感想だが、あいみょんは「女性シンガーソングライター」として、間違いなく1970年代のユーミン、中島みゆき、1990年代の椎名林檎、宇多田ヒカルに続く才能だと思う。ちなみに今の私(後期高齢者)の愛聴曲は……特に独自の選曲はなく全部気に入っているが、中でも特に好きなのは「ハルノヒ」「愛を伝えたいだとか」「君はロックを聴かない」「今夜このまま」「ラッキーカラー」「あのね」…等々だ。椎名林檎と同じで、こうした名曲群をほぼ20代前半までに作っているところもすごい。椎名林檎は、サブカル的あぶない少女歌手のイメージから、セクシーでゴージャスな大人の女性アーティストへと変身していったが、今年30歳になったあいみょんが、音楽家として今後どういう道を歩んで行くのか興味深い。個人的希望を言えば、ありきたりのデジタル音楽やAIに負けず、今の手作り的、アナログ的で、シンプルでストレートというオリジナルな音楽世界を、今後もアコギで追及していって欲しいと思う。