ページ

2020/11/27

スティーヴ・レイシーを聴く #1

リー・コニッツとセロニアス・モンクの本を翻訳中は、ずっと二人のレコードを聴きながら作業していたが、今回出版した『スティーヴ・レイシーとの対話』(月曜社)も同じだ(左記イメージは、Jason Weiss編纂の原書)。そして、今はネット上でヴィジュアル情報へも簡単にアクセスできるので、YouTubeで映像を見たり、インタビューなどの音声記録を聞いたりして、生きて動いている彼らのイメージを把握することもできる。特に「声と喋り」は、インタビュー本の場合、翻訳した文章と実際の話し方のトーンやリズムを、できるだけ近いイメージにしたいので必須情報だ。だがレコードは、コニッツより多作なレイシーの場合、なんと200作近いアルバムをリリースしているそうなので、とても全部は聴けないし、70年代以降はフランスのSaravah、スイスのHat Hut、イタリアのSoul Noteなど、ヨーロッパのマイナー・レーベル録音中心なので、昔ほどではないにしても入手が難しい音源も結構多く、本当にコアなファン以外は聴いたことのないレコードがほとんどだろう。したがって手持ちの代表的音源をあらためて聴き直し、ほとんど知らなかった70年代以降の数多いCDのうちの何枚かを新たに入手し、それらを聴いていた。

セシル・テイラーとレイシー
Vitrolles jazz festival, France
July 1984. Photo: Guy Le Querrec
ジャズ・ミュージシャンに関する翻訳書を出版後、そうして自分で聴いたレコードを紹介するブログ記事を書いているのは、自分なりに音楽の印象を再確認する意味もあるが、むしろ本を購入していただいた読者への私なりのアフターサービスのつもりである。本当なら日本の読者向けに、訳書には(レコードのジャケット写真を含む)ディスコグラフィを掲載したいのだが、リー・コニッツ本だけは何とかそうできたものの、モンクもレイシーも、ページ数の制約もあってそれができなかった。今はネットで調べればレコード情報はすぐに分かるし、訳書の性格からしても、私がここで書くようなことは当然知っているコアなファンや読者も多いだろう。だが、そうではない人たちも当然いるはずなので、そういう読者向けに、訳書の進行に沿って代表的レコードに関する情報をブログで後追いする記事をこれまでも書いてきた。本には書いていないが、調べてみて初めて知ったトリヴィア的周辺情報もそこに加えている。絵画好きなスティーヴ・レイシーは好みの絵をジャケットによく使い、レコードのジャケットと収録曲とのイメージのつながりの大事さについて語っているが、私のようなオールド・ジャズファンも、読みながらレコード・ジャケットの絵柄イメージが湧き、そこから音が聞こえてくるような「ジャズ本」が本当は理想なので、そういう観点からも、このブログ記事が読者の参考になれば嬉しい。

同書の巻末に掲載しているSelected Discographyに沿って、レイシーがデビューした50年代から見て行くと、1950年代前半のディキシーランド時代に参加したレコードも何枚かあるが(『Progressive Dixieland ; Dick Sutton Sextet』, Jaguar 1954他)、今は一般CDでは入手できそうもないので、まず挙げられるのはピアニストで作曲家のセシル・テイラー Cecil Tailor (1929-2018) との共演盤だ。ディキシーという伝統的ジャズの世界から(モダンを飛び越して)その対極にあるアヴァンギャルドの大海に、レイシーをいきなり放り込んだのが5歳年長のテイラーである。そのテイラーのデビュー作がレイシーも参加した『ジャズ・アドヴァンス Jazz Advance』(Transition 1956、録音1955年12月)であり、このアルバムはモンクとデンジル・ベストの共作で、カリブ風のリズムを持つ<Bemsha Swing>で始まる。19歳だった1953年から6年間行動を共にし、モンクやその曲を知ったのもこのテイラー盤を通じてであり、レイシーの音楽人生の基本的方向を決定づけたのは間違いなくセシル・テイラーだろう。デニス・チャールズ Dennis Charles (ds) とビュエル・ネイドリンガーBuell Neidlinger (b)という、当時はほとんど需要(仕事)のなかった若きカルテットの演奏は、1970年代でもまだ前衛というイメージだったと記憶しているが、今の耳で聴くと適度なアヴァンギャルド感が新鮮で耳に心地良い。1956年11月から57年1月にかけて、「ファイブ・スポット」に初めて長期出演したのがセシル・テイラーのこのバンドで、レイシーは途中から加わっている。キャバレーカードをようやく取り戻した40歳のセロニアス・モンクが、7月にジョン・コルトレーンを擁して自身初のリーダーとなるカルテットで登場する半年前のことだ。前衛画家や、詩人や、作家たちが、彼らを聴きに「ファイブ・スポット」に毎夜集まっていた。

テイラーのカルテットは、その57年7月のニューポート・ジャズ祭にも出演して3曲約30分間の演奏をしている(『At Newport』Verve)。左の盤のジャケット写真に写っているのは、同じくジャズ祭に出演したドナルド・バード(tp)とジジ・グライス(p)で、こっちが主役扱いだ。これら3曲のトラックは、テイラーのコンピ盤等にも収録されているので、そちらで聴いてもいい。テイラーの下でまだ修業中だったレイシーは、テイラーとのこの時代の自分の演奏を気に入っていないようだが、ニューポート・ライヴは、Transition盤よりはバンドの一体感も出て、当然だがレイシーも明らかに腕が上がっている。1950年代のテイラーの「バド・パウエルと、エロル・ガーナーと、バルトークをミックスしたようなサウンド」(レイシー談)は、その独特のリズムと共に、実に魅力的なサウンドで、いつまでも聴いていたくなるほど個人的には好みだ。レイシーが何度も語っているように、モンクと同じく、当時はまったく受け入れられなかったテイラーだが、およそハードバップ時代の演奏とは思えない、これらの斬新な演奏を聴くと、50年代のセシル・テイラーは、まさに1940年代後半のビバップ時代におけるレニー・トリスターノと、ほぼ同じ立ち位置にいたのだということがよく分かる。

カナダ出身のギル・エヴァンスGil Evans (1912-88) は、1940年代後半にジェリー・マリガンやリー・コニッツと共に、クロード・ソーンヒル楽団のピアニスト兼首席編曲者として在籍していた。よく知られているように、その後40年代末に、このメンバーにマイルス・デイヴィス他が加わって、『クールの誕生』に代表される、ビバップとは対照的な抑制のきいた多人数アンサンブル(ノネット)からなる、いわゆるクール・ジャズを生み出す。エヴァンスは『Round Midnight』(CBS 1956)などで、その後もマイルスとのコラボレーションを続けながら、初のリーダー作『ギル・エヴァンス・アンド・テン Gil Evans & Ten』(Prestige 1957)をリリースするが、本書にあるように、このレコードが、ソプラノサックスを吹くレイシーを初めて全面的にフィーチャーした録音となり、レイシーをジャズ界に実質的にデビューさせ、また生涯続いたレイシーとエヴァンスの親しい交流のきっかけとなった。

『Gil Evans & Ten』は、セシル・テイラーとのアヴァンギャルドな響きの共演盤とは異なり、スタンダード曲を中心に、全編エヴァンスらしいスムースでメロウな演奏が続くが、レイシーの繊細かつ滑らかなソプラノプレイは曲想にぴたりと合ってすばらしい。たぶんこれは、エヴァンスが思い描いていた通りのサウンドだったのだろう。このときは譜読み技術がまだ未熟で、バンドの他のメンバーに大変な迷惑をかけたとレイシーは述懐しているが、このエヴァンス盤での演奏自体は本人も気に入っているという。ギル・エヴァンスは、その後しばらくして、自身のアルバム『Into the Hot』(Impulse! 1961)でセシル・テイラーのユニットのプロデュースをしている。レイシーが作曲面で大きな影響を受けた素晴らしい作品だ、と本書中で言及しているテイラーの3曲、<Pots>, <Bulbs>, <Mixed>は、エヴァンスのこのアルバムに収録されている(他の3曲はジョニー・カリシ作品)。レイシーが言うように、確かにこれらはいずれもすごい曲と演奏であり、60年代に入って、テイラーがさらに進化し続けていることを如実に示している。