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2017/02/19

セロニアス・モンク生誕100年

リー・コニッツ(Lee Konitz 1926 -)と並んで、私の好きなもう一人のジャズ・ミュージシャンがセロニアス・モンク(Thelonious Monk 1917-1982)である。

今年2017年はモンク生誕100年にあたる。ということは、モンクが生きていれば100歳ということになり、日本流に言えば大正6年生まれで、日本の団塊世代の父親の世代の人だ。日本でもそうだが、この時代の父親(あるいは祖父)の世代には実業家でも芸術家でも、今では考えられないような破天荒な人生を送った人が多い。モンクも天才の例に漏れず奇人、変人というレッテルを貼られ、モダン・ジャズの源となったビバップに多大な音楽的貢献をしたにもかかわらず、チャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーだけが脚光を浴び、その真価が長い間認められず苦労の多い人生を送った。モンクの音楽と人生はあまりに個性的、独創的であるがために、多くの謎と伝説に満ちており、これまでその「実像」はアメリカ国内でさえ正確に理解されていたとは言い難かった。そのセロニアス・モンクの実像を描くことに初めて挑戦したのが、ロビン・ケリー氏(Robin.D.G.Kelley UCLA教授 米国史)が2009年に発表した「Thelonious Monk: The Life and Times of an American Original」で、独創的ジャズ音楽家セロニアス・モンクの誕生から死に至る生涯と音楽を、著者が14年間にわたる緻密な調査と分析に基づいて描いたノンフィクションの物語である。2009年の初版以降、ジャズと米国黒人史の関係を密接に描き、モンクにまつわる数々の謎や伝説の背景を初めて明らかにした書籍としてアメリカでは大きな反響を呼び、また高い評価を得てきた。

https://www.amazon.co.jp/Thelonious-Monk-Times-American-Original/dp/1439190461
著者は19世紀奴隷制時代のモンクの曽祖父まで遡って物語を始め、人種差別問題を軸にした米国の社会・政治史をモンクの個人史と併行して描くことによって、人間モンクとその音楽世界だけでなく、背景にあった米国固有の社会との関連も探ろうとしている。そして、そこからモンクの音楽的独創性の根幹を明らかにしようと試み、またモンクがモダン・ジャズ形成史において果たした役割と貢献、さらに独創的な人物や天才だけが抱える人間的苦悩も同時にあぶり出そうとしている。1982年のモンク没後、レコードや音楽分析を主体にした評伝や、音楽家モンクの断面を切り取ったすぐれた評論やエッセイもいくつか書かれているが、本書は伝説や逸話の単なる寄せ集めではない、多面的、社会学的手法で「人間モンクの実像」を描くことに挑戦した初めての本格的伝記であり、同時にアフリカ系アメリカ人の著者による初のモンク伝記でもある。

本書中で描かれているモンクを巡るエピソードや批評は、これまでも大筋として語られてきた有名な逸話や言説も多いが、モンク家から録音テープなど新資料の提供をはじめとする特別な協力を得るとともに、著者自身が新たに多くのインタビューを実施し、そこから事実として確度の高い情報を選択して取り上げている。特に息子のセロニアス・ジュニア(T.S・モンク)、姪や甥といったモンク家親族からの直接情報は、これまで活字では語られていないものがほとんどだ。それによって個人としてのモンクの人格や魅力、精神の病、様々な行動の裏側にあった人間味など、奇人や偶像化された謎の音楽家としてではなく、ひとりの人間としてのモンクを従来にない緻密さで生々しく描いている。さらにモンクの友人、マネージャーのハリー・コロンビー、大パトロンだったニカ男爵夫人、プロデューサー、クラブオーナーたちとの交流など、モンクを愛し、モンクを支え続けた人たちのことも詳細に語られている。

本書の舞台は、主として今から半世紀以上前、20世紀半ばのアメリカのジャズ界だ。チャーリー・パーカーやマイルス・デイヴィスを中心とした従来のモダン・ジャズ正史とは別の角度から光を当てることで、モンクという人物を通してこれまで見えなかったジャズ史の影のような部分が初めて明らかにされ、ジャズの世界の奥行きと陰翳が改めて浮き彫りにされている。読んでいると当時のアメリカとニューヨークの原風景、ジャズ・ミュージシャンたちの生活をはじめ、そうした時代の情景と香りが漂ってくるようだ。特にモンクとコールマン・ホーキンズ、バド・パウエル、エルモ・ホープ、ディジー・ガレスピー、マイルス、ロリンズ、コルトレーン他の主要ミュージシャンたちとの音楽的、人間的交流が、「ファイブ・スポット」他のニューヨークのジャズクラブを中心にした演奏活動と共にリアルに描かれていて、録音されたレコードを中心に築かれてきた日本におけるジャズの風景とまったく違うことに今更ながら気づかされる。

英語で600ページに及ぶ大作となった本書は、個人的には「マイルス・デイヴィス自叙伝」に匹敵する面白さがあると思うが、著者が歴史学者ということもあって、マイルス本にあるハッタリやテンション(邦訳にもよるだろうが)、「リー・コニッツ」のようなジャズ演奏思想的な深みはないものの、基本的には真面目で誠実な人柄だったモンクの人間味と、同じく真面目な著者のモンクへの深い愛情が、行間から滲み出て来るような良書である。

2017/02/17

訳書『リー・コニッツ ジャズ・インプロヴァイザーの軌跡』

今更ですがブログを始めます。
第1稿はリー・コニッツに関する表題自著PRです。

リー・コニッツ  ジャズ・インプロヴァイザーの軌跡』(アンディ・ハミルトン著 2007 ミシガン大学出版局)という翻訳書を、DUBOOKS様より2015年10月に出版しました。私は「本書の翻訳者」ではありますが、同時に「原著の一読者」でもあります。原著の内容に感動したあまり、翻訳者としての経験がまったくないにもかかわらず、無謀にも、いわばボランティアで邦訳版を出版したいきさつがあります(DUBOOKS様の英断に感謝しています)。おそらく普通なら日本では日の目を見ることはなかった本書ですが、幸いなことに、出版後特にミュージシャンの方々から好意的な書評をいただいています。ジャズファンにとってさえあまり人気があるとは言えないコニッツが主人公で、内容もいささか敷居が高そうで、しかも大部のこの本の面白さをもっと多くの人たちに知っていただくには、多少の導入情報が必要ではないかと思い、ここで「原著の読者」としての立場で、ご参考までに本書について以下にレビューさせていただきます。この本は約5年という歳月をかけた対談形式による一種の自伝ですが、その美点は以下の3点です。

まず第1に、読み物として非常に面白いことです(邦訳がどこまでその面白さを伝えているか、自信はありませんが)。対話の中身は時に真面目、時におかしく、長い本ですが読者を飽きさせません。トリスターノ派の固いイメージはまったくなく、リー・コニッツの真面目ではあるけれど、飄々とした性格(たぶん)がよく出ています。時に他のミュージシャンの批判もしていますが、持ち前の人間性から、常にリスペクトを忘れず、また自らの信念、ジャズに対する愛情が根底に感じられるので、まったく嫌味がありません。

第2に、日本でこのようなジャズ本が出版されたことは未だかつてない、ということです(過去何十冊ものジャズ本を読んできた私がそう思うのですから間違いありません)。ジャズの歴史書でも、レコード紹介でも、個人の感想文でも、ジャズの聴き方の類でも、ジャズ理論や楽器の奏法教授でも、自伝と言う名の自慢話でも、未確認情報や逸話を寄せ集めた伝記の類でもありません。レニー・トリスターノやチャーリー・パーカーと同時代を生きた存命のジャズ巨匠が(今年10月で90歳です)、どのような思想でジャズという音楽に取り組み、即興演奏の本質とは何かを追求し続け、人生を賭して求めてきたものは何なのか、そうした奥の深い問題を、なんの脚色もなく淡々と、かつ明快に自分の言葉で語っています。そして哲学の徒、イギリス人のアンディ・ハミルトンが鋭く、しかしわかりやすい言葉で対話することによって、上手にコニッツの考えを引き出しています。併載されている39人のジャズ・ミュージシャン他によるコニッツを語るコメントも、それぞれ実に面白く興味深いです。そこからジャズの歴史も、ミュージシャンたちの思想も、ジャズ即興演奏の本質も浮かび上がって来ます。おそらく、このようなジャズの世界を日本人が書くのは残念ながら難しいでしょう。

第3に、皮肉にもアーティストという言葉がはびこってから「芸術」という言葉も死語になったような時代にあって、一貫して「芸術としてのジャズを追求する」というコニッツ独自の視点で書かれた本であるということです。だからと言って決して小難しい内容ではありません。ショービジネスと芸術、というコインの表裏のような関係は、他のポピュラー音楽にはない20世紀に生まれたジャズという音楽の持つ宿命です。あらゆるジャズ演奏家がこの問題と格闘してきたのだと思います。本書で語るコニッツの話は、純粋にこの音楽を突き詰めるとどうなるのか、という思想と生き方を示す一例です。それはジャズ創生期から今日まで、70年以上にわたってジャズ・ミュージシャンとして生き抜いてきた人物だからこそ語れる話です。

おそらく、本書にいちばん触発されるのは、ジャズに限らず「音楽の演奏」を志している人たちではないかと思いますが(事実そのような反応が多いです)、聴く人、それもジャズファンだけでなく、音楽を愛する人なら何かを感じ取れる言葉が全編に散りばめられています。むしろ、これまで何となくジャズや即興演奏というもののイメージを掴みかねてきた人が読んだら、目からうろこの話として聞ける部分がとても多いと思います。米国における黒人やユダヤ人という出自の問題、すなわちジャズとアイデンティティの関係などは、音楽が消費材のようになってしまった現代においても、「音楽を演る」、「音楽を聴く」ことの意味を根底から問い直したくなるほどです。

ちなみにジャズ好きな村上春樹氏が、この本の原著(Lee Konitz: Conversations on the Improviser’s Art)2007年に米国で出版された後、2011年に小澤征爾氏との対談本を出版しています(「小沢征爾さんと、音楽について話をする」)。ジャズがクラシック音楽に置き換えられていますが、対談によるスタイル、コンセプト、タイトルともに本書に触発されて書いたことは間違いないでしょう。ジャンルは違いますが、両書の対話で語られていることを比較してみるのも一興だと思います。