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2019/06/15

Bill Evans with Horns(2)

Live at the Half Note
Lee Konitz
1959/1994 Verve
エヴァンスはクールで先進的なトリスターノ派の音楽とも相性が良さそうに思えるのだが、リー・コニッツが自伝でも述べているように、コニッツとエヴァンスの共演はあまりうまくいった例はないようだ。1959年にはVerveのコニッツのレコーディングに何度か参加し、さらにウォーン・マーシュ(ts) も参加したクインテット(ジミー・ギャリソンーb、ポール・モチアン-ds)による『Live at the Half Note(1959録音/1994リリースにも参加している。これはトリスターノとコニッツの久々の再会セッションで、クラブ「Half Note」での長期ライヴ期間中の共演だった。コニッツとマーシュは当時は好調だったし、ユニゾン・プレイを含めたここでの二人の演奏の出来は相変わらず素晴らしいと思うが、その晩トリスターノが出演できないという理由でコニッツに急遽呼ばれたエヴァンスは、代役でいきなり参加したという事情もあったのか、時おりの短いソロを除いて控えめなバッキング(ほとんど無音のときもある)に終始し、ここではまったく存在感がない。この録音のエヴァンスが適切な状況判断で音を選んでいた、という好意的なP・ペッティンガーの見方にはあまり賛同できない出来だと思う。このライヴ・セッションは、同年春の『Kind of Blue』録音と同時期で、エヴァンス的には決して調子の悪い時期だったとも思えず、むしろラファロ、モチアンとの新トリオ結成に向けて昇り調子だったはずだ。当時、トリスターノとコニッツの間の確執が背景にあった中で急遽受けた代役だったこと、あるいはエヴァンスのドラッグの問題なども関係して、当日はメンタル的にも演奏に乗れなかったのかもしれない(このレコードには、トリスターノがらみの面白い裏話がまだまだあるので、理由はいろいろ想像できる)。いずれにしろ当時売り出し中だったエヴァンスの不調を理由に、Verveはこの録音を結局お蔵入りしにし、1994年まで発表しなかった。コニッツはその後1960年代半ばに、ヨーロッパのコンサート・ライヴ(『Together Again』1965)でも共演しているが(エヴァンスは一部のみ参加、このときもエヴァンスの体調が悪く(たぶんドラッグ)パッとしない演奏に終わっている

Crosscurrents
1978 Fantasy
『Half Note』から20年近く経って、コニッツ、マーシュ、エヴァンス最後の共演となった『Crosscurrents』(1978)でも、あまり相性の良さを感じないが、コニッツはレイドバック気味の自分の演奏に対して、オンタイム (just) で弾くエヴァンスのピアノがリズム的にしっくり来なかったという表現をしている。要は、どこか追い立てられるような気配のあるエヴァンス相手だとリラックスできない、ということのようだが、78年という時期を考えると、コニッツが受けた印象は正直なものだったのかもしれない。エヴァンスの伝記を書いたP・ペッティンガーは、コニッツのピッチが徐々にシャープさを増して来たことを理由に挙げており、『Crosscurrents』では共演したウォーン・マーシュもピッチが不安定だったと、このアルバムが低評価だった理由は二人のホーン奏者のピッチだという見方をしている。確かにそう聞こえるし、コニッツも自分のシャープ気味なピッチのことは認めているが、それよりやはり基本的相性の問題、つまりハーモニーへの嗜好や、リズムへの乗り方が違うことの方が影響が大きいようにも思える。コニッツとエヴァンスは、結局のところ音楽的に相性が悪いのだと思う。Half Note』でもそうだが、柔らかなサウンドも、変幻自在の独特リズム感からも、むしろウォーン・マーシュの方が、サウンド、リズム両面でエヴァンスのピアノとはマッチしているように聞こえる。マーシュのバラード・プレイには非常に魅力があると思っているが、『Crosscurrents』でも、特に<Every Time We Say Goodbye>で、マーシュとエヴァンスによる何とも言えず不思議に美しいバラードの世界が聞ける。これも、揺れるピッチのせいだと言えないことはないかもしれないが、ふわふわと浮遊するがごとくの、この不思議なバラード演奏が私は昔から好きだ。

Stan Getz & Bill Evans
1964/1973 Verve
エヴァンスのワン・ホーン・カルテットでは、いろんな意味でいちばん楽しめ、聴きごたえがあるのは、やはりスタン・ゲッツ(ts)との共演盤だろう。ゲッツは他のテナー奏者とは才能の次元が違うミュージシャンなので、相性云々を超えて、ジャズ・レジェンド同士の演奏はやはり風格が違う。ただこの二人は、遊び人と大学教授(昔の)くらい人格の雰囲気の違いがあるので、真面目なエヴァンス的には決して真にリラックスして共演できる相手ではなかっただろうと思う。『Stan Getz & Bill Evans』(1964) は、当時ボサノヴァのヒットで絶好調だったゲッツとエヴァンスという大物同士の組み合わせだったが、両者ともに満足できない演奏があったことが理由でお蔵入りになっていたものを、1973年にVerveが(勝手に)リリースした作品だ。エルヴィン・ジョーンズ(ds)、ロン・カーター(b)、リチャード・デイヴィス(b)  が参加したこのアルバムは、エルヴィンの個性的ドラミングもあって、いかにも60年代半ばというジャズ・サウンドを感じさせ、全体として初共演としては決して悪くない出来だと思う。ただメンバー構成が異質なこともあって、互いの出方を伺うような雰囲気があり、そこがどことなく硬さを感じさせる理由だろう。(ところで、このレコード・ジャケットの日の丸らしきものには、何か意味があるのだろうか?)

But Beautiful
1974/1996  Fantasy
それから10年後に新たに録音されたのがオランダ、ベルギーでのライヴ演奏(カルテット、トリオ)を収めたCD『But Beautiful』(1974, エディ・ゴメス-b, マーティ・モレル-ds) だ。73年にリリースされた上記レコードの反響を受けて企画されたコンサート・ライヴということだが、こちらもリリースされたのは20年以上経った1996年である(もちろん二人とも亡くなった後)。ここでは相変わらず流麗でセンシティヴなゲッツのテナーと、当時はたぶんまだ元気だったエヴァンスのピアノが美しく絡んで、名人同士の絶妙のコラボレーションを聞くことができる。64年当時からは二人とも年齢と経験を重ねており、何よりエヴァンスの当時のレギュラー・トリオにゲッツが客演したライヴという条件もあって、どの曲もリラックスした心地良い演奏だ。<But Beautiful>や、<The Peacocks>などのバラードにおけるゲッツのテナーと、それを支えるエヴァンスのピアノはさすがに美しい。ゲッツとエヴァンスという大物二人の個人的相性が実際はどうだったのかはよく分からないが、ヘレン・キーンのライナーノーツによれば、トリオ演奏のために待ち時間が伸びていたゲッツが、(たぶんイライラして)登場後、予定外だった曲<Stan's Blues>をいきなり吹いて、気分を害したエヴァンスが途中で演奏を止めたという話や、次の会場ではそのお詫びの印なのか、ゲッツがエヴァンスの誕生日であることを紹介して<Happy Birthday>のメロディを吹くなど(実際にCDに入っている)、いったいどっちなのかよく分からないエピソードもある。二人仲良くにこやかに微笑むジャケット写真がその象徴なのだろうか? しかしこれも、どう見ても合成写真なのがどうも気になる……

Quintessence
1976 Fantasy
1970年代のコンボ代表作は、ハロルド・ランド(ts)、ケニー・バレル(g)、レイ・ブラウン(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds) というクインテットによる『Quintessence』(1976) だろう。50年代ハードバップはエヴァンスとは水と油だったと思うが、これは60年代の『Interplay』の再現のようなアルバムで、当時はすっかり枯れて渋さを増したドラムスのフィリー・ジョーのみそのままで、ジム・ホールに代ってバレルのギター、ハバードのトランペットに代ってランドのテナー、パーシー・ヒースに代って相変わらず重量感のあるブラウンのベース、というメンバーだ。どう見ても、エヴァンスではなくてオスカー・ピーターソンの方が似合いそうな組み合わせだが、フュージョン全盛の70年代半ばのこの頃は、こうした大物を集めたバップ・リバイバル的企画のレコードが数多くリリースされていた。ジャズ的緊張感こそないが、さすがに全員ベテランならではの余裕と味わいを深めた、実に安定したバンドによるリラックスできるアルバムだ。ケニー・バレルはエヴァンスとは初共演ということらしいが、やはりバレルのブルージーなギターはいつ聞いても素晴らしい。ここでのエヴァンスからは、あの神経質な昔からは考えられないほど、非常にリラックスしたムードが感じられ、おそらくベテラン・メンバーの醸し出す余裕と安定感にどっぷりと浸って演奏していたのだろう。

Affinity
1978 Warner Bros
70年代からもう1作挙げるとしたら、マーク・ジョンソン(b), エリオット・ジグモント(ds)というレギュラー・トリオに、トース・シールマンズ Toots Thielemans (harm)、ラリー・シュナイダー(as,ts,fl) が加わった異色アルバムAffinity(1978)だろう。シールマンズのハーモニカをフィーチャーした、あの時代を象徴するような肩の凝らないイージーリスニング的な聞き方もできるレコードだが、デュオ、トリオ、カルテットと編成を変えたり、エヴァンスがエレピを弾いたり、あれこれ工夫を凝らして、楽しめるアルバムに仕上がっている。体力、精神ともに安定感を欠いて行った晩年のエヴァンスのトリオ演奏に聞ける、追い立てられるような、何とも言えない切迫感や緊張感はここにはなく、シールマンズの哀愁と懐かしさ溢れる、美しいハーモニカのサウンドと共演するのを楽しむかのように、リラックスしたエヴァンスの最後の姿が浮かんで来るようだ。その意味でも、夕暮れ時に聴くのにぴったりのアルバムである。

2019/06/01

Bill Evans with Horns(1)

映画『Bill Evans; Time Remembered』を見たこともあって、久しぶりにビル・エヴァンスのレコードを初期のものから聴き直してみた。エヴァンスと言えばまずピアノ・トリオで、超有名盤中心にジャズファンなら誰でも知っているようなレコードがほとんどだ。しかし、あまり紹介されることはないが、リーダー作は少ないながら、ホーン楽器の入ったコンボへの参加作品も結構多い。エヴァンスのコンボ共演盤における音楽的頂点は、言うまでもなくマイルス・デイヴィスの『Kind of Blue』だが、それ以外のレコードでは一定水準には達していても、エヴァンスの参加によって、これぞという決定的名盤が生まれたことはなかったようだ。マイルス・バンド参加時のように、グループとして作り込む時間があったケースは例外で、エヴァンス独自の音楽世界を表現するには、即席コンボではなく、やはりソロ、デュオ、リーダーとして率いるトリオまでがふさわしい、ということなのだろう。

今回あらためて感じたのは、エヴァンスがホーン楽器と共演したときの、バンドの編成やホーン奏者との "相性" についてである。相性というのは、理由はよく分からないが、何となくウマが合うとか合わないとかいうもので、ジャズ・ミュージシャンの世界でも技量とは別に、バンド編成の好みや奏者間の相性というものが当然あるだろう。たとえば共演相手なら、人種や血筋、性格や個性、演奏スタイルに加え、音楽的コンセプト、ジャズ観のような音楽家としての哲学が大きく影響するのではないかと思う。とはいえ、実際に即興セッションをやる現場でいちばん重要なのは、ジャズの場合 ”頭” ではなく、バンド全体や、互いの持つリズムやハーモニーに対する根本的な "感覚"(=何を心地良いと感じるか)だろう。それには音楽的技量やスタイルに加え、育った環境やキャリアがあるだろうが、突き詰めるとその人の生得的な資質、つまり血筋から来るものが影響しているようにも思う。いずれにしろ、エヴァンスのコンボ共演レコードを聴いていると、そうした相性の影響というものを強く感じる。(グローバル化した現代では、みんな生まれた時から世界中の音楽を耳にしながら成長し、かつ学習もしているので、吸収している情報量が圧倒的に違う。だから感覚的な次元の相性さえ、昔に比べてずっとバリアが少なくなっていることだろう)

もう一つ感じたのは、ピアノ・トリオのリーダー作だけ聴いているとあまり気づかないが、ホーン楽器が入った編成のコンボと共演したときの若きエヴァンスのピアノ・サウンドは、バッキングからソロに入った途端(たとえ短いフレーズでも)、瞬時にその場の “空気” を変えてしまうほど斬新だということだ。エヴァンスのピアノは、現代のジャズ・ピアノの底流であり雛形と言うべきもので、あまりに聴き馴染んでいるために、今の耳で聴くと、サウンドの美しさは別として、それほど “個性的” だとは感じない。しかしデビュー当時のエヴァンスのサウンドのインパクトは、生み出した音楽はまったく異質だが、ある意味で、あの時代のセロニアス・モンクと実は同じくらい強烈だったのではないかと思う(もちろん、歴史的に振りかえれば当然のことなのだが)。モンクの場合も、自身のリーダー作ではなく、他の作品に客演した数少ない初期のレコードで、そのユニークさ、インパクト(つまり当時の普通の演奏とのギャップ)が実際にどういうものだったかを聞くことができる。1950年代半ばという時代に、この二人がいかに独創的な音の世界を持ったピアニストだったかが、ハードバップ全盛期の主要レコードを時系列で聴いてゆくと、あらためてよくわかって興味深い。エヴァンスの ”相性” の問題も、結局のところ、この時代を超えた独創性に帰結するのかもしれない。

The Jazz Workshop
George Russell
1956 RCA
モンクの斬新さがよくわかるのは、ソニー・ロリンズの作品に加え、特にマイルス・デイヴィスの『Bag’s Groove』と『Modern Jazz Giants』の2枚(1954) における短いソロがその代表だ。一方、エヴァンスの場合それが鮮明な作品は、実質的デビュー作とも言えるジョージ・ラッセルの『The Jazz Workshop』(1956) だろう。1950年代半ばに、マイルスにも影響を与えた独自理論で既にモードを指向し、当時としては圧倒的にモダンだったジョージ・ラッセルの音楽と、既にラッセルやトリスターノを研究していたエヴァンスの音楽的相性の良さは当然で、その後エヴァンスは、ラッセルの『New York, New York(1959)、『Jazz in the Space Age(1960)、『Living Time』(1972) という3枚のアルバムに参加している。とても1956年録音とは思えないセクステット(アート・ファーマー-tp, ハル・マキュージック-as、バリー・ガルブレイス-g、ミルト・ヒントン-b、ポール・モチアン-ds)による『The Jazz Workshop』では<Ezz-Thetic>をはじめとして、タイトル通りラッセルの実験的かつ革新的な曲と演奏が並ぶが、そこで最初から最後まで当時のエヴァンスのモダンなピアノが聞こえて来る。特にエヴァンスのために書かれた<Concert for Billie the Kid>をはじめ、随所に聞ける若きエヴァンス(27歳)のピアノは、ため息が出るほど斬新かつシャープでスリリングである。初のリーダー作であるピアノ・トリオ『New Jazz Conceptions』を吹き込んだのがこの録音とほぼ同時期で、そこでも、その後の内省的な、いわゆるエヴァンス的ピアノ・トリオの世界に行く手前の(たぶんドラッグの手前でもある?)、デビュー当時のエヴァンスの若々しくフレッシュな演奏が聞ける。まったくの個人的趣味ではあるが、ジャズに限らず音楽界の巨人やスターになる人たちというのは、まだ未完成で粗削りだが、その時代、その年齢、その瞬間にしかできない表現の中に、未来の可能性を強く感じさせるようなデビュー時代の新鮮な歌や演奏が、聴いていていちばん刺激的で面白い。

1958 Miles
Miles Davis
1958 CBS/Sony
エヴァンスは次に、ラッセルの作品で共演したハル・マキュージックの『Cross Section Saxes(1958)、アート・ファーマーの『Modern Art(1958) など、当時全盛のハードバップ的世界とは異なるクールな演奏を指向するプレイヤーのアルバム に参加しつつ、マイルス・バンドとそのメンバーとの共演を重ね、徐々に音楽的洗練の度合いを高めて行く。そしてその頂点となったのが、コルトレーン、キャノンボールを擁したマイルス・デイヴィス・セクステットによる『Kind of Blue(1959) だ 。『1958 Miles』(1958) というアルバムは、その頂点に辿り着く直前の、セクステットのLP未収録音源を集めた日本制作盤(CBS/Sony)である。池田満寿夫のジャケット・デザインもそうだが、当時エヴァンスが傾倒していた禅の思想を反映するように、余分なものを削ぎ落し、まさにジャズにおける ”端正” の美を絵に描いたようなシンプルで美しい演奏が続く。聴きやすく、美しく、モダンで、かつジャズとして優れた内容を持つこれらの演奏全体のトーンを支配しているのが、マイルスの美意識と共に、ビル・エヴァンスのピアノであることは誰の耳にも明らかだ。ジャズ・レコード史上の頂点でもある『Kind of Blue』の価値も、音楽的コンセプトと楽曲の提供を含めたエヴァンスの参加があってこそだということがよくわかる。

The Blues and 
the Abstract Truth
Oliver Nelson
 1961 Impulse!
1960年前後に、エヴァンスがマイルス・バンド以外に参加したコンボ作品には、チェット・ベイカー(tp) の『Chet』(1958/59)、リー・コニッツ (as) のVerveの何枚かの盤(1959)、キャノンボール・アダレイ(as) との『Know What I Mean』(1961)、デイヴ・パイク(vib) の『Pike’s Peak』(1961) などがあるが、総じて、当時まだ主流だったいわゆるハードバップ的作品に、エヴァンスのモダンなサウンドはミスマッチでとまでは言わなくとも、正直あまり合っているとは思えない(勿体ない?)。またワンホーン作品(カルテット)もピアノ・トリオほどの緊密性がないので、中途半端な感じがして、意外と面白味がない。やはりコンボにおけるこの時代のエヴァンスの斬新なピアノがいちばん効果的だったのは、マイルスが見抜いたように、マルチ・ホーンをはじめとする複数の楽器による重層的で、かつモダンなサウンドを持った作品であり、マイルス・バンドでの諸作を除けば、その代表はオリヴァー・ネルソンの『The Blues and the Abstract Truth (ブルースの真実)』(1961) だろう。これは『Exploration』直後の録音であり、当時新進の作編曲家ネルソンのサックスと、フレディ・ハバード(tp)、エリック・ドルフィー(as,fl)、ジョージ・バーロウ(bs)、ポール・チェンバース(b)、ロイ・ヘインズ(ds) というオールスター・バンドに、エヴァンスのピアノが加わると、伝統的ブルースを基調にしながら、より現代的なサウンドを目指したネルソンの曲にアブストラクト感が一層加わって、当時の他のどんなバンドでも絶対に表現できない、きわめて美しくモダンなブルースの世界が出現する。だから名曲<Stolen Moments>をはじめ、何度聞いても飽きない新鮮さがこのアルバムにはある。

Interplay
1962 Riverside
61年夏にラファロを事故で失ったショックからエヴァンスは不調に陥るが、この時期には、フレディ・ハバード(tp)、ジム・ホール(g) とのクインテットによる人気盤『Interplay』(1962) を録音している。企画を提案したエヴァンスは、トランペットには相性の良いアート・ファーマーを希望していたが、ファーマーの都合により当時新人だったフレディ・ハバードを起用することになり、結果としてこのアルバムは、クールでモダンというよりも、スタンダード曲を中心にハバードのプレイをフィーチャーした、アップテンポで明るい印象のハードバップ的色彩が濃厚な作品になった。エヴァンスは、時々は自分を解放して、思い切りストレート・アヘッドな演奏をしてみたくなることがあると語っているが、このアルバムはまさにその種の演奏を中心にしたものなのだろう。確かに聴いていて、どれもストレスのない気持ちのいい演奏が続く。しかし上述のように、個人的には、トリオ作品を含めてエヴァンスのピアノはこうした曲調、演奏は、基本的に似合っていないように感じる。どうしても「無理して弾いている」感が付きまとうからだ(もちろんこれは個人的感覚であり、それが好みの人もいるだろうが)。

Loose Blues
1962/1982 Riverside
この時代の私的好みの1枚は、むしろ『Loose Blues (ルース・ブルース)(1962録音/1982リリース) の方だ 『Interplay』と同時期に、似たようなメンバーで録音されているが、ジム・ホールとフィリー・ジョー・ジョーンズ(ds) は変わらず、ハバードに替わりズート・シムズ(ts)、パーシー・ヒースに替わってロン・カーター(b)が参加しているところが違う。当時はRiversideの倒産や、エヴァンスのVerve移籍問題などもあって、この録音は結局お蔵入りとなり、リリースされたのはエヴァンスの死後で、録音後20年たった1982年だった。派手なInterplayに対して、『Loose Blues』はエヴァンスの自作曲を中心にした地味なアルバムだ。初めての曲が多く、演奏の一部に満足できなかったという理由でお蔵入りにしたらしいが、ゆったりしたテンポと、ズートとホールの陰翳のあるサウンドは、エヴァンス的にぴたりとはまって、完成度は別にして、個人的にはこのアルバムの方がずっと気に入っている。これが初録音と思われるTime Remembered>は、ズート、ホール、エヴァンスの3人の叙情的かつアンニュイな雰囲気のプレイが非常に美しい。エヴァンスとジム・ホールはそもそも相性が良く、この数ヶ月前に、ピアノとギターによる名作デュオ『Undercurrent』を録音して息も合っているし、異例とも言える人選であるズートの温かく、歌心のあるテナーも実に良い味で、クールで繊細なエヴァンスのサウンドと予想以上によく調和している。これを聴くと、エヴァンスとズート・シムズの共演がこのレコードだけだった、というのは非常に残念に思える。