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2022/07/29

夏のオーディオ

夏のオーディオはあまり楽しくない。音が悪いからである。夏場はエアコンを使わざるを得ない日が多いので、まずエアコンが発する音そのものがどうしても気になる。我が家のエアコンはもう10年くらい使用しているので、なおさらだ。住んでいるマンションは立地、部屋の位置、間取りなど、オーディオ環境もかなり考慮して選んだ物件なのだが、皮肉なことに、外部ノイズに対する環境が良くなればなるほど、今度は内部で発生するノイズが気になるようになる。つまり部屋全体のSN比 (signal / noise) が悪化したように聞こえる。そうなると微妙な音の聞こえ方や、音質の違いがどうのこうの、などと言えるレベルの環境ではなくなるのだ。SNとは比率なので、原理的には再生音量(signal)を上げてやれば、対ノイズ比は向上し、相対的によく聞こえるようになるはずだが、一般家庭の環境ではそうそうスピーカーの音量も上げられない。さらに集合住宅の場合、夏場は自宅だけでなく各家庭のエアコン使用率が高いので、必然的にAC電源ラインに乗るエアコン由来のノイズが増える。そのせいで、「再生音場」の静けさに影響を与える背景ノイズ(バックグラウンド・ノイズ)も増えるので、やはりSNに影響が出て、音の「鮮度」が落ちる。

PS Audio Noise Harvester
ド素人なのに、なぜACノイズの存在が分かるかというと、大分前からPS Audioの "Noise Harvester" というノイズ・フィルターを2つ、別々の電源タップのコンセントに挿しているからだ。文字通りノイズを取り込んで(harvestして)それを光に変える、というふれ込みのフィルターで、原理や効果のほどはよく分からないが、ACノイズが多いと、それぞれが(目ざわりなくらい)派手なブルーのLEDランプを点滅させてノイズを「吸収する」(ことになっている)ので、「ああ今はノイズが多いのだ」と誰でも判断できる。事実、そういうときの音は明らかにクリアさに欠け、曇ったようになる(フィルターがなかったら、もっとひどいはず…ということになるが)。エアコンの他、蛍光灯、電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機、掃除機などから発生するノイズが影響することもよく分かる(使用中にランプが点滅するので)。自分の家で使っていなくても、隣近所がそうしたノイズをまき散らす機器を使っていると、青ランプが時に激しく点滅したり、ジーッと音がするほど点きっぱなしになることもある。これらのノイズの影響が少なく、ほとんどランプが点灯していないときは、明らかにSNが向上し、再生音場が非常に静かになるので、小音量でも細かな音がよく聞き取れ、見違えるように楽音のクリアさ、立体感等が向上して、聴いていて非常に「気持ちの良い音」になる。低域や高域がどうとか、音質が良くなるとか、そういうことよりも、「音場が静かになる(透明度が増す)」という点で効果があるというべき機器だ。

   マイ電柱
柱上トランスを自宅専用にする
長年こうした経験をしていると、いくら良い(高価な)機器を使っていても、一般家庭で楽しむオーディオとは、結局のところ「ノイズ制御」が肝心だということがよく分かる。真っ白なキャンバスを背景にして絵を描くか、薄汚れたようなキャンバスを使うか、という違いのようなもので、線や色彩(オーディオの場合は、音の輪郭、音色)と、背景とのコントラストに明らかな差が出てくるからだ。「マイ電柱」を立てて配電トランス段階から自宅専用回線にしたり、屋内に専用の「200V回線」を導入して100Vとは別回線にするとか、「家庭用バッテリー」を使うとか、昔からマニアが追及してきたACノイズ遮断のための大掛かりな方法もいろいろあって、もちろん効果はきっと大きいのだろう。しかし、私のような中途半端なオーディオ好きで、しかもマンション住まいの身では、家人を説得して、そこまでやる根性も知識も資金もないので、(大方のオーディオ好きはそうだろうと想像するが)何もしないよりはましだという結論で、せいぜいアイソレーション・トランスとか、電源コンセントとか、電源ケーブルとか、上記ノイズフィルターとかいった導入可能な機器を選び、自分なりに工夫しながら何とかノイズ低減対策をしてきたわけである(それすら「普通の人」からみると、わけが分からない行為だろうが…)。

私の場合、Mac主体のPCオーディオシステムなので、電源系統に加えて、音の起点となるPC本体から発生する信号経路へのデジタルノイズの影響も対策が必要になる。音の入り口なので、これは普通に考えられている以上に大きな影響がある(と思う)。MacBook Pro本体(再生時はバッテリーで駆動)、HDD/SSDの電源(外部アナログ電源化)、USBケーブルの選択(長さ、質)、MacからDDC/DACへのUSB給電方法(電源/信号分離)などいろいろと工夫して、何とかしてオーディオ回路へ影響を与えそうなノイズを極小化しようとしてきた。こうした細かなノイズ対策は、やればやるほど「音場が静かになる(見通しが良くなる)」ので、ド素人でもその効果のほどが分かるのだ。それでも、夏は電源系ノイズが侵入しやすいで、夏場の音はどうも気に入らない。

長年Macを使ってiTunes(データ管理)とAudirvana(再生ソフト)という組み合わせで再生してきたが、設定をあれこれいじっているうちに、歳のせいか、うっかりAudirvana側ではなく、いつの間にかiTunes側の再生で聴いていることが時々ある。もっさりしたメリハリのない音なので、今日はノイズがひどいなと思っていると、実はiTunes側で再生していた、という経験が何度かある。それくらい音が違うので、PCオーディオの場合「再生ソフト」の質は非常に重要だ。アナログの音の入り口であるターンテーブル、アーム、カートリッジの質と同じである。当初はMac専用ソフトだったAudirvanaだが、やがて"Plus" へヴァージョンアップし、その後はWinにも対応した。さらに昨年ストリーミングに対応するサブスク型の "Studio" へと変遷してきたが、今年になって、ローカルファイル専用で、かつサブスクではない買い切り型の "Audirvana 本(もと)" を日本専用にリリースして、いわば「先祖返り」した。私が使っているのは、原点とも言える買い切り型の "Audirvana Plus" で、確か当時日本円で7,000円台だったと思う。何でもかんでも「コスパが…」とかいう今の風潮は嫌いだが、それに従えば、オーディオという高額になりがちな趣味の世界で、これほど「コスパの高い」ソフトはないと思う。

山下達郎 「Softly」
「ストリーミング&サブスク」という、主流となりつつある音楽配信市場に関しては、ライヴを再開し、アルバム『Softly』をマルチ・パッケージで発売し、自作品は死ぬまでサブスクのチャネルには載せないと最近コメントした山下達郎のミュージシャンとしての思想に深く共感した。つまり音楽制作者側ではなく、音楽表現行為に一切関わっていない外部のサービス業者が最大の果実を受け取る、というビジネス構造への疑問である。配信は、新譜紹介など、昔のラジオが果たしていた機能をもっと便利にし、完全有料化したものと考えられなくはないが、関心を持った音楽を個人が入手するために、CDやLPなど何らかの音楽パッケージを購入するチャネルは、音楽家を擁する音楽制作・販売会社・レコード店など、別のビジネスだったのだが、デジタル化が根本的にその構造を変えてしまった。現代の配信ビジネスは、ごく限られた数の大資本がサブスクによって顧客を囲い込み、ビジネス全体を一手に支配してしまうのだ(これはDAZNなどスポーツ配信なども同じだ)。

そこには、常に「消費」を促す便利なサービスの介在が利用者の選択肢を狭めるという基本的問題に加え、その音楽を愛するがゆえに「自らの意志で」音楽パッケージ(CD、LP、テープ等)を購入してきた聴き手と、創り手であるミュージシャンとの間に存在してきた「見えない絆」を断ち切ってしまうのではないかという危惧もある。音楽配信は、世界中「いつでもどこでも音楽を垂れ流す」ことによって、音楽のもっとも大きな存在意義だった、個々の音楽家と聴き手を直接結びつけてきた関係を崩壊させ、ひいては音楽そのものの「消費材化」をますます加速することになる――という危惧を本能的に感じている音楽家や音楽ファンも多いのではないかと想像する。いったい音楽とは誰のために、何のために存在しているのか、という根本的疑問である。「個人が選択し、所有する音源」を聴くことの意味を再認識したり、ジャンルに関わらず、リアルな「音楽共有体験」を提供するライヴの場が増えてゆくのは当然だろう。

好きな音楽やミュージシャンを自分の意志で選び、気に入った音源(音楽パッケージ)を自分で探し、対価を払ってそれらを購入し、その音楽を最良と思える音で再生し、味わい、そこに込められた音楽家の意志や思想を聴き取る――という、かつては当たり前に行なっていた音楽を楽しむための一連の作業は、便利だとか速いとかいった実利の尺度とは何の関係もない、今振り返れば実に「ぜいたくな行為」であった(それゆえ「趣味」として成立していたのである)。今やYouTubeでもApple Musicでも、こちらが頼んでもいないのに、AIがお勧めの音楽や曲を「リスト」にして次から次へと勝手に提案してきて、勝手に再生し始め、CMなしにもっと快適に聞きたければ金を払え、と迫る。大きなお世話だ、ほっとけ、自分で選ばせろ、と思いつつも、人間というのは、やがてそのイージーさに慣れると、いつの間にか向こうの提案を口を開けて待っているのが普通の状態になるのだろう(こうして単細胞化がますます進行する)。

それやこれやで、オーディオ的には暑い夏場はあまりやる気が起こらない。昼間のオーディオはほどほどの音で聴き、夜ベッドに寝転んでいるときは、やむなくイヤフォンで聴くしかないので、iPhoneでYouTubeの音楽を聴くことが増えた。そこで山本潤子の楽曲をiPhoneで聴いているうちに、あの美しい声は圧縮音源ではなく、もっといい音で聴いてみたいという欲求が起きてきて、ついでにジャズやJ-POPの手持ちのiTunes の楽曲も、久々にiPhone側に転送してみる気になった。iPod時代は定期的にやっていたのだが、そもそも外出することが減ったし、iPhoneを使うようになってからは、イヤフォンで音楽を聴くこともなくなったからだ。今はAppleがMac/iTunesのサービスを終了してMusicに変わっているが、そもそもの基本機能だった音楽データ管理に使うかぎり、長年使い慣れたiTunesは、音楽ファンにとっては、やはりよく練られた使いやすいソフトなのだ。

iTunesに保存してあるオリジナルデータは、XLDを使って非圧縮のAIFFで手持ちのCDからリッピングしているので当然データ量は大きく(50MB/曲くらい)、そのままだと音は良いが、大した曲数は転送できない(大容量のiPhoneを使えばいいのだが、そこまでやる気はない)。「適度に」圧縮したデータに変換して転送する方法が必要になるが、いろいろ調べたところ、なかなかこれといった参考情報が見つからない。今はみんな、クラウドやストリーミングで、元々圧縮された音源をそのまま聴くのが主流になっているので、昔ながらの「非圧縮データをPCから転送する」といったニーズが少ないからなのだろう。しかし、MP3などの圧縮音源は確かに軽くて便利ではあるが、私見では、やはりスカスカだったり、不自然な音が多いように思う(これは聴く人の「音」への姿勢と感度次第。それとイヤフォン、ヘッドフォンなのか、スピーカーなのか、でも違う)。音楽のジャンルにも依るが、特にJ-POPなど、ポピュラー系の音楽は最初からデジタル加工しすぎて、元々の音がつぶれたようなものが結構多いので、それを圧縮したり2次加工すると、さらに音が劣化するものと推察される(特に80年代など、デジタル化初期のCDなどがひどい。またミニコンポやラジカセ再生が流行した時代のCDもそうだ。同じ時代の楽曲でも、リマスターなど、改善され再発されたCDなどを聴くと、その差がよく分かる)。

外部ソフトを使えば簡単にデータの変換ができることは分かったが、Macは自己完結的に何でもできるように設計されている優秀なコンピュータなので、ド素人なりにさらに調べてみた。その結果、iTunesのAIFFファイルをAACに圧縮変換してMac内に(追加)保存する方法もあるが、元のAIFFデータをiTunesからiPhoneに転送(同期)する時、手動設定でビットレートを任意に決めてAACに圧縮できる方法があることを知った。まあ結局は圧縮なので、音質が劣化するのは仕方がないが、手持ちのファイルから、自分で曲(プレイリスト、アーティスト、アルバム、曲など何でも選択可能)やビットレート(圧縮率)を自由に選択できるところが気に入った。AACの128kbpsだと、やはりスカスカ感があったので256kbpsで転送したところ、イヤフォンならまずまず許容できる音になった(スピーカーではダメだろうが)。この、必要なら自分でデータ圧縮条件を変えて、iPhoneのデータ容量に応じて転送できる、という自由度があるところがいい。それで、よく聴いているジャズやポップスの楽曲を選んでiPhoneに数百曲ほど転送し、夜寝るときにはそれらを聴いて、快適に楽しんでいる。暑い夏は、こういう気楽な聴き方で過ごすのがちょうどいい。しかし快適すぎてそのまま眠ってしまい、イヤフォンのコードが首に巻き付いて、何度か夜中に苦しくて目が覚めたので、仕方なく初の「コードレス・イヤフォン」を入手してみたが、今度は、朝起きると、ベッドのどこかに転がってしまって、見つからない。夏のオーディオはどうやってもやはり面倒くさい。

2022/07/09

山本潤子の歌が聴きたい

普段は飽きもせずに、ほとんどジャズばかり聴いている。抽象的で、複雑で、多彩な音楽なので、何度聴いても飽きないところがジャズの魅力だ。しかし、さすがに年に何度かは気分転換したくなることがあって、そういうときはクラシックの他に、日本の演歌、J-POPなど分かりやすい音楽を集中的に聴く。自分のCDをリッピングしたファイルをiTunesで聴くわけだが、どうしても同じ曲に偏るので最近はYouTubeを覗く機会が増えた。YouTubeを「徘徊」していると、知らない歌、忘れていた歌、知らなかった歌手、知らなかった演奏を、文字通り芋づる式に「発見」することが多く、タイムスリップ感も加わって止まらなくなる。スマホやPCのチマチマした画面ではなく、最近は目にも楽な高画質・大画面のテレビで簡単に過去の映像と音楽を楽しめるようになったので、エンタメ好き中高年にとっては、今やなくてはならない娯楽ツールだ。インターネットとつながったテレビは、「放送時間」という制約から解き放たれて、完全に新たなジャンルを獲得したと言えるだろう。私はサブスクはやらないので、YouTubeでお試しで聴いて、気に入ったらCDを買うか、曲をダウンロードする(できるだけ圧縮されていない高音質の音源を入手する)。そうして聴くときのJ-POPの歌は新旧、男女を問わないが、中でも時おり無性に聴きたくなるのが「山本潤子の歌」だ。

女性歌手が唄う歌には、人の心の奥底に直接届くような不思議なパワーがあると思う(それは男性歌手にはないものだ)。中には唄っているときに「降りて来る」――巫女的なものを感じさせる人もいて、たとえば、ちあきなおみ、藤圭子、中島みゆき、宇多田ヒカル等にその種の不思議な力を感じることがある。だが山本潤子の声と歌から感じるのは、そうした「交信」的パワーとは違う――いわば天から降り注いでくるような、清廉な響きを持った「天上の声」だ。低域から高域まで、透明で、柔らかく、彼方まで行きわたるような澄んだ歌声を聴いていると、人生の悩みや苦しみ、自分の俗物性や精神の汚れ等々……大げさだが、そういう諸々の内部の汚れを「浄化」してくれるような気がする。疲れたとき、癒されたいときに、何も考えずに聴いていると、ある種のカタルシスを感じる特別な「歌」なのである。

山本潤子の最大の魅力は、もちろんその「声」にあるが、もう一つは、日本語、外国語を問わず「歌詞」が持っている「音」と「意味」を、非常に丁寧に表現する歌手であるところだ。だから正確なピッチと、正確なイントネーションで唄う彼女の正統的歌唱に適した曲では、情感のこもった深い「メッセージ」が聴き手にストレートに響いてくる。1970年前後に登場した、ほぼ同世代の五輪まゆみ、中島みゆき、ユーミンのように、自作の詩を自作のメロディに乗せて唄う個性的な「シンガー・ソングライター」ではなく、彼女は(何曲か自作曲もあるが)基本的には「歌手(ヴォーカリスト)」だ。だから「与えられた歌詞」の意味を正確に理解し、自分なりに咀嚼し、常にそれを丁寧に表現しようとする姿勢があって、それが歌詞に込めた情感をより豊かにしているのだと思う。「歌」に対するこの姿勢は、50年前の「赤い鳥」時代からずっと変わっていない。逆に言うと、月並みで薄っぺらな歌詞の曲、あるいは個性の強すぎる歌は彼女には合わない。クセのない素直な表現で情緒、情感がそのまま伝わって来るような、深い意味や味わいのある歌詞を持った楽曲こそが彼女の持ち味をもっとも発揮する。ユーミン作品のカバーが成功してきたのは、それが理由だろう。

全共闘時代の「赤い鳥」、その後70年代半ばからバブル時代までの「ハイ・ファイ・セット」、90年代半ばからの「ソロ」活動時代と、山本潤子は3つの時代を通じて唄ってきた。赤い鳥は60年代モダン・フォーク、ハイ・ファイ・セットは "Singers Unlimited" や "Manhattan Transfer" など、70年代の米国ジャズ・コーラスグループの影響下にあったのだろうが、赤い鳥から分かれてポピュラー音楽系コーラスを目指してスタートし、70年代後半には「フィーリング」やユーミン作品など、おしゃれで都会的なサウンドでヒットを連発したハイ・ファイ・セットこそ、まさに最近の「City Pop」と称される音楽の嚆矢だった。80年代初めには佐藤允彦(p) と組んで、ジャズ寄りの高度なコーラスに挑戦した時期を経て、その後バブル時代になるとよりポップな音楽へとシフトした。何でも聴けるYouTubeでは、ベスト盤だけではなく、年代ごとにリリースされた単独アルバムが追いかけられるので、当時のハイ・ファイ・セットがコーラス・ユニットとして何を目指してどう変遷していたのか、山本潤子がそれぞれの音楽にどう対応して唄っていたのかも見えてくる。また各アルバムには、人気曲中心のベスト盤には収録されていない知られざる名曲がいくつもあって、それらを発見するのも楽しい。

1&2 (1982)
そんな折、佐藤允彦がプロデュースして81-83年に発表したものの、長い間廃盤になっていた3枚のジャズ系アルバムのCD(『3 NOTES』『1&2』『I Miss You』)が、最近のCity Popブームもあって6月末に限定復刻された。私は当時聴いたことがなかったので早速入手した。曲の多くが大川茂(作詞)、山本俊彦(作曲)のコンビによる日本語によるジャズ・コーラス曲で、たとえば81年の『3 NOTES』では、佐藤允彦トリオに加えて伴奏陣にも豪華なジャズ・ミュージシャンが集結している(宮沢昭、中村誠一、清水靖晃-sax、中牟礼貞則-g)。だから演奏全体が悪かろうはずがないし、3枚のCDを聴いた限り、高度なコーラス技術を核にした本物のジャズであり、個人的には大いに楽しめた。しかし当時のジャズファンは「和製ジャズ」を見下す傾向があり、特に日本語によるコーラスには抵抗を感じた可能性があるだろう。かといってこれらは、赤い鳥、ユーミンや小田和正のファン層が好むタイプの音楽とも思えない。何より昔から、この種の都会的でモダンなジャズ・コーラスは、日本ではあまり「大衆受け」しない(売れない)のだ。フュージョンが盛り上がって、ジャズが70年代に比べて大衆寄りになっていた80年代初めでさえ、そこは変わらなかっただろうと思う(その後バブル時代にポップ寄りになったのは、そうした背景があったのかもしれない)。いずれにしろハイ・ファイ・セットのように、素朴で日本的な歌から、モダンでジャジーな音楽までを自在に唄いこなす「男女混成」コーラス・ユニットは日本に存在したことがなく、山本潤子はその中心として20年間それらの多彩な曲を唄いこなしていた。だからファン層も「竹田の子守歌」や「翼をください」を好む人たちから、ユーミンや小田和正の曲、さらには80年代のモダンな歌を好む人たちまで、世代や好みに応じて様々だっただろう。個人的見解だが、山本潤子の声は、アコースティック楽器とブレンドされたときがいちばんきれいに響くと思うので、年代や音楽スタイルにかかわらず、私はその種のアレンジの曲が好みだ。

翼をください Junko Best
1998 (EMI)
YouTubeであれこれ聴いているうちに出会ったのが、手持ちの音源 (LP、CD)では聴いたことのなかったアレンジで、山本潤子がソロで唄っているバージョンだ。気に入ったので、曲とアレンジを基にしてアルバム名を特定して入手したのが左掲のCDで、数あるベスト盤の中の1枚『翼をください Junko Best』(1998 EMI) である。これは1994年のハイ・ファイ・セット解散後、ソロ活動を開始してから録音したアルバムで、今はもう中古CDしかないので、それを入手した。このCDは彼女が40歳代後半の録音なので、高音域にも声量にもまだ余裕があり、そこに年齢相応の中低域の豊かさが加わっていて、私的にはより好ましい声だ。そして、控え目なバックコーラス、軽いボサノヴァなど、ピアノやギターを中心にした小編成バンドによるシンプルなアレンジが、山本潤子本来の声と歌を引き立たせている。代表曲を10曲収録した本ベスト盤でも「フィーリング」「中央フリーウェイ」「スカイレストラン」など、定番曲を取り上げているが、バックのアレンジが違うので、ハイ・ファイ・セット時代の録音とは違った味わいが楽しめる。好みの問題もあるだろうが、軽やかなムードでナチュラルに唄う「ソロ」の山本潤子が好きな人は、非常に楽しめるアルバムだと思う(主な編曲者は、ハイ・ファイ・セット時代にも一部アレンジを手掛けていた新川博)。

アカシアの雨がやむとき
YouTube / miyalotus
90年代半ばに「ソロ」になってからの山本潤子は、単独でテレビ出演したり(YouTubeにかなり映像がアップされている)、オリジナル曲以外にカバーアルバムも積極的に発表している。ギター一本とかデュオでアコースティックな演奏に回帰する一方、エレクトリック楽器をバックにしたスタイルにも挑戦している。YouTubeで、渡辺香津美のギターをフィーチャーしたバンドをバックに、西田佐知子の60年代の名曲「アカシアの雨がやむとき」を唄う山本潤子のビデオ映像が流れたときは思わずのけぞった(知らなかったので)。しかも、カントリー風のアレンジが実にいい。この映像は、私的にはYouTubeで遭遇した藤圭子が唄う「みだれ髪」のカバーに匹敵する衝撃だった(ただしテレビ放映だけだった藤圭子の幻の名唱と違って、こちらはカバーアルバム『Slow Down』(1995) にも収録されていた)。いつもの山本潤子らしくない(?)唄い方で、60年安保後の虚脱感(投げやり感)を醸し出すこの歌は、渡辺香津美のギターと共に最高だ(調べたところ、1995年の関西テレビ『夢の乱入者』という番組だった。バンドリーダーの渡辺香津美がメインホストで、毎回ゲストを呼んでセッションをするという趣向だ。関西には昔からこうした面白いローカル番組がある)。

         青い夏 
   YouTube / dendelion
ソロになってからのオリジナル録音では、当時活動を共にしていた伊勢正三が作った「緑の季節」や「青い夏」など、70年代フォーク的な素朴な味わいの曲が印象深い。伊勢正三は、短編恋愛小説のような物語を楽曲で描くのが得意な人だ。バブルがはじけた90年代前半、TBS系列で日曜日の夜に放映されていた一話完結ドラマの名作『泣きたい夜もある』の主題歌「ほんの短い夏」(1993) は、あの時代の都会の気分が切なさと共に伝わって来る名曲だ。「緑の季節」(1998) と同じく、山本潤子のために書いたと思われる「青い夏」(1999)も、それらに劣らぬ名曲である。この曲はYouTubeにいくつもアップされているが、ここに挙げたバージョン(歌詞つき)は、美しい写真(イメージ)を背景に使って、この歌のノスタルジックな世界を見事に映像で表現している。切なくなるような懐かしさに満ちたこの恋歌は、伊勢正三の控え目なコーラスとアコースティック・ギターをバックにした、山本潤子の実にやさしい歌声が素晴らしい。

ソロ時代の山本潤子の歌は、美しい高音部だけでなく、上述したように中低域が若い時よりも豊かなので、男性歌手の歌を唄っても、曲想が彼女の世界と合うと素晴らしい歌になる。小田和正が書いたオフコースの「秋の気配」(1979) は、上記「青い夏」と曲想がよく似ている(「海の見える丘」を舞台にした別れ歌)。稲垣潤一が全曲女性歌手とのデュエットで唄ったユニークなカバー集『男と女』シリーズ Vol.1(2008)に、山本潤子と一緒に唄う「秋の気配」が収録されている。大人の恋の終わりを描いたこの曲を、さりげない悲哀をにじませてナチュラルに唄う山本潤子は素晴らしく、本当にこんなふうに唄える人は他にいないだろうと思う。こういう歌を聴くと、彼女に唄って欲しかった曲を他にもいくつか思いつく。たとえば、しばたはつみが唄い、椎名林檎もカバーし、作曲者・来生たかおもセルフカバーした名曲「マイ・ラグジャリー・ナイト」を山本潤子があの声で唄ったら、どれだけ静かで美しい、透明なムードの(イヤらしくない)大人のラブソングになるだろうか……とか、今はかなわぬ企画を夢想したりする。

だが振り返ってみると、結局のところハイ・ファイ・セット時代のユーミンの曲が、いちばん彼女に似合っていたのかもしれないとも思う。70年代のユーミンの楽曲は、どれも斬新で本当に素晴らしかったのだ。まだ20代だった山本潤子が唄う素朴な「幸せになるため」(作詞・荒井由実、作曲・村井邦彦、1975) などを聴いていると、現代に比べたらずっと貧しかったが、みんな穏やかに暮らし、未来にまだ希望があったあの頃の日本を懐かしく思い出す。その山本潤子が2014年2月に歌手活動からの無期限休養宣言をして、5月の公演を最後に引退してから既に8年が過ぎた。日本中に彼女の復活を望むファンがいると思うが、体力的にもう難しい年齢になっているのだろう。私は、東京での最後のステージとなった2014年4月の新宿文化センターでの公演を聴きに出かけた。コンサートでは素晴らしい声と歌を堪能したが、実はその前月に、赤い鳥時代からの盟友でもあったご主人(山本俊彦氏)が急逝していた。新宿文化センターの4月公演は、その直後のコンサートだったわけで、精神的にも肉体的にも大変な時期だっただろう。しかし、最後のステージとなったその年に、山本潤子の「天上の声」を生で聴くことができた自分はつくづく幸運だったと思う。