ページ

2024/06/12

中牟礼貞則を聴く(at "NO TRUNKS" 国立)

国立 NO TRUNKS
愛器 Gibson ES175と後方のALTEC
久保木靖さんが書いた『中牟礼貞則』を読むか、CDを聴くだけだった中牟礼貞則さんご本人のソロギター・ライヴを、6月7日(金)国立(くにたち)の "NO TRUNKS" で初めて見て、聴かせていただいた。国立は何年も行っていなかったので、駅全体と駅舎の配置と姿がすっかり変わっていて驚いた。三角屋根を復元した新駅舎の中では、ピアノと管楽器によるクラシックの三重奏のライヴ演奏中だった。さすが国立である。駅から数分の店 "NO TRUNKS" も今回初めて訪問したが、場所は富士山の眺望問題で新築マンション解体――という、こちらも「さすが国立」的(?)なニュースで急に話題になった冨士見通りにある。国立で20年以上続くジャズ・バーの老舗で、懐かしいALTECの大型SPを配したジャズ喫茶的な雰囲気を残すが、今は肩の凝らない「ジャズ居酒屋」だそうだ。6時過ぎに店に着いたときは、中牟礼さんがギターとアンプのセッティングを終えて、その日初めての(!)食事に取り掛かるところだった。写真家の平口紀生さんのご招待で伺ったライヴだったが、中牟礼さん、平口さん、久保木さんとも初めてお会いして、中牟礼さんの生演奏を聴き、堪能しただけでなく、皆さんと話もできて大変楽しい時間を過ごした。(以下の写真は、すべて平口紀生さん撮影。ただし一番下の写真はトリミングさせていただいた。)

Sadanori Nakamure
中牟礼貞則さんは1933年(昭和8年)鹿児島県出水市生まれ、今年で91歳になる「現役のジャズ・ギタリスト」だ。海外ではセシル・テイラーが1929年、ジム・ホールとソニー・ロリンズが1930年、 ウェイン・ショーターとスティーヴ・レイシーが1934年生まれ……なので、おおよそ、どういう世代のジャズ・ミュージシャンなのかが分かる。マイルス、コルトレーン、リー・コニッツなど、1920年代半ば生まれの世代よりほぼ1世代近く若いミュージシャンたちである。だが今年93歳のソニー・ロリンズ(現在、私が伝記を翻訳中)を除けば、今やもう全員が故人である。日本では渡辺貞夫、高柳昌行氏らと同世代、昭和一桁生まれであり、一般に短命なジャズ・ミュージシャンと比較して長寿の中牟礼さんは、ジャズ・レジェンド、ジャズ人間国宝など、尊敬を込めて、いろんな呼び方をされてきた。

初めてお会いした、現在の中牟礼貞則氏の私的印象をひと言で言えば、「ジャズ・ギター仙人」である。ギター本体さえ入手できずに自作した少年時代から、上京後ジャズの世界一筋に生きてきて、日本のジャズの盛衰と共に齢を重ね、91歳になった今もなお、俗世を超越して「ジャズ・ギター道」を静かに歩み続けている――まさしく「仙人」そのものだ。久保木靖さん編著『中牟礼貞則 / 孤高のジャズ・インプロヴァイザーの長き旅路』(2021年リットーミュージック)を、私が本ブログでレビューした記事「『中牟礼貞則』を読む」(2022年5月)が、平口さんからのライヴへのお誘いのきっかけだった。そもそもは今年3月の、本拠とも言える横浜「エアジン」での中牟礼さんの91歳誕生記念ライヴにご招待いただいたのだが、私は昨年末以来の腰痛に加えて痛風まで患ってしまい、情けないことに当時ほとんど歩けず、行くに行けなかった。そこで多少痛みが和らいだ今回、初めて中牟礼さんのライヴを聴きに出かけたのだ。

久保木さんの本は、中牟礼さんの愛読書でもある私の訳書『リー・コニッツ / ジャズ・インプロヴァイザーの軌跡』(2015年DU BOOKS)を参考に全体を構成されたそうで、確かに実際に読んでいてそう感じた。私の本は、ジャズにも翻訳にもド素人だった人間が、好きなジャズ・アーティストをリアルに描いた原書の魅力と面白さに感動して、誰にも相談せずに一人で書いた初の翻訳書で、それを当時のDU BOOKSの編集者Aさんが、私の問い合わせ電話一本で取り上げてくれて出版が実現したという、ある意味で奇跡のような翻訳書であり、それゆえ個人的にも思い入れが強い。また平口さんは、この10年間、中牟礼さんのポートレイトを撮り続けながら、マネージャー的なサポートもしてきた人で、久保木さんの著書収載写真の撮影もほとんど手掛けている。というわけで、中牟礼さんの初期のアイドル、リー・コニッツが取り持つ不思議な縁が、国立での3人の邂逅を導いたことになる(リー・コニッツもホーン奏者としては長寿で、最晩年まで演奏を続けていたが、コロナのために2020年に93歳で亡くなった)。

私もコニッツ、モンク、レイシ―のような、自分好みの個性的ジャズ・ミュージシャンに関する訳書を出版してきたが、久保木さんが書いた中牟礼さんの本は、レジェンドと言うべき一人の「日本人ジャズ・ミュージシャン」の音楽思想、人生、生きた時代を、コニッツ本と同じく、ご本人への直接インタビュ-を中心にして愛情をこめて描き出した、本邦初とも言うべきすぐれたジャズ書である(貴重なCD音源が付属している点も画期的だ)。ライヴ後、家に帰ってから久保木さんの本を改めて読み直してみると、耳に残っている中牟礼さんの「生の声」が各ページからそのまま聞こえて来るようで、言葉の一つ一つが一層リアルに響く。この本での語り口がそうであるように、「偉ぶらず」「気負わず」「淡々と」「飄々と」、まさに仙人のごとく、ジャズとギターと人生を語るその言葉は、控え目だが、同時に実に深く、哲学的だ。そして、誰もが「ムレさん」と呼びたくなる、中牟礼さんの温かで誠実な人柄が、人生における様々な人との出会いや音楽の仕事を、自然に招いてきたのだということがよく分かる。

ジャズほどその演奏に奏者の人格が現れる音楽はないと私は思っているが、とりわけ混じり気のないソロ演奏は、それを包み隠さず表すフォーマットだと言える。中牟礼さんのギターソロはまさに、その人柄と語り口そのままだ。訥々としていながら、遠くまでよく通る、どこまでも温かな声質(トーン)を持つ氏のギター・サウンドは、その語り口とまったく同じだ。しかし、一方で薩摩隼人のような潔さ、厳しさも感じられ、氏のジャズに対する信念をそのまま表すかのように、演奏には少しの揺らぎもなく、常に確たるリズムとラインがその底部にしっかりと流れている。

有名な曲ばかり演奏したはずだが、曲名を言わずに演奏に入ることもあり、また高柳昌行氏と同様にトリスターノ派が原点にあることから、原曲のメロディ・ラインをほとんど弾かずに、ベース音、コード進行とヴォイシングだけで曲を形成してゆく中牟礼さんのソロギターは、私のようなジャズ演奏経験のない、聞き専のド素人には難しくて原曲がよく分からないときもある。現に何の曲かと思いながらも、よく分からず、じっと聴いていたら、演奏後に「今のは ”パノニカ” でした」と言われてがっくりきたこともあった。私は多少ギターも弾くし、自慢ではないが『パノニカ』も翻訳出版し、モンク作の「パノニカ」も数えきれないほど聴いてきた愛聴曲だったはずなのに、分からなかった。ジャズ・ギターを弾かれる久保木さんは(当然だが)「分かりました」ということだった。最初の方では、緊張してギターの「音色」に聴き耳を立てていたせいで、逆に全体を聞き取れなかったせいもあるのかもしれない。だがやはり、コードが身(耳)に付いていないと、ジャズのソロは一回聴いただけでは分からないものだ……というわけで、自分の「駄耳」を再確認した次第である。

知ってはいたものの、実際に目にしてやはり驚いたのは、中牟礼さんは91歳の今も、2時間近いライヴの間、小柄な体にギターを抱えて、ずっと立ったまま演奏していることだ。演奏後もあまり座ろうとしないで、席をすすめても立っていようとする。最近はさすがに平口さんが車で送迎するようになったそうだが、以前は重いギターとアンプを抱えて、電車でライヴ会場まで通っていたそうだ。今はどうか知らないが、久保木さんの本のインタビューでは、タバコも酒もやらず、毎日ランニングを欠かさないと言っているので、やはりストイックなその生き方のおかげなのだろう(毅然としたその立ち姿を拝見すると、腰痛と痛風で、情けなくも、まともに歩けない最近の自分は、中牟礼さんの爪のあかでも煎じて飲む必要がある)。終了後、中牟礼さんと多少お話しさせていただいた。久保木さんや、平口さんが惚れ込むのも分かる、その飾らない人柄をすぐに実感した。そして(図々しく)以前から興味のあった左手を触らせてもらった。朝から晩までギターをいじっているイメージがあるので、そういうジャズ・ギタリストの左手の指先は、てっきり「かちかちに」なっているだろうと思いきや、手も指先も実に柔らかいのだった。聞くと、最近は以前ほど弾いていないのだと仰る。しかし、あの演奏をしながら、その人柄と同じく、この柔らかな手と指先は……やはり「仙人」とお呼びしたい。

90年代に、リー・コニッツと名古屋でデュオ共演したときの感想や、高柳昌行さんとの関係や、あの時代のことなど、もっとお聞きしたかったのだが、時間も遅くなったので切り上げて、お見送りさせていただいた。平口さんの車の中から、最後に「ありがとう!」と、言われた大きな声は誠実さに満ちていた。次回、また機会があれば、あれこれと昔話もぜひ聞かせていただきたいと思う。

日本を代表するもう一人のジャズギター・レジェンド、愛弟子の渡辺香津美さんが闘病中の今、師匠の中牟礼さんには、ぜひともお元気で、いつまでも演奏を続けていただきたいと願っている。