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2024/09/21

昔のジャズ本を読む

ウィリアムズバーグ橋にて
"Saxophone Colossus"より
(1961 撮影:川畑篤彦)
ソニー・ロリンズの伝記『Saxophone Colossus』(Aidan Levy著) を翻訳中だが、どうも進み具合が遅い。この夏、ついTVを見てしまったオリンピックのせいもあるが、ハードカバー800p(本文720p)という分量、ページあたり語数ともに長大な原書というのがいちばんの理由だ。同時に膨大な出典、参照、引用元を明記する最近のノンフィクション書籍の特徴が、もう一つの理由だ。最近のWikipediaを読めば分かるが、「引用元、出典を曖昧にするな」という指示のおかげで、まるで昔の学術書のように、ほとんど一行おきに引用元情報やその解説が書かれていて、またそれぞれが結構な長さと量なのだ。新しく書かれた記事ほど、ネット上入手可能な参考資料や情報量も増すので、本文テキスト以外の付加情報も増加傾向にある。だから現代のノンフィクション翻訳の場合、昔のように本文だけ読んで、原注や参考情報は適当に扱うというわけにはいかない。本文テキストを読み、訳しつつ、同時に背景情報として、それらの引用元、参照記事等に当たり、それを「解読する」作業が必要であり、重要な情報は当然「原注」の訳文として加える必要もある。特にこの本は、膨大な原テキストから(たぶん短縮化のために)省いた部分を、背景やエピソードとして小フォントの「Note(註)」に書き込んでいる部分もあるので、そこだけでもすごい分量だ。ただし、初出のそうした情報を読む作業は、ジャズ好きには面白くて、やめられない側面もある(つまり時間も食う)。

「私有の書籍」も、翻訳上の参考情報として役立つことがある。ソニー・ロリンズのインタビュー記事は私の訳書『リー・コニッツ』、『カンバセーション・イン・ジャズ』両書にも掲載されているが、昔の本の中にも参考記事がないかどうか…と、結構な量のジャズ本が並ぶ本棚を探してみた。昔のジャズ本は内容をすっかり忘れているものも多いが、そこで見つけたのが、『ジャズ・オット(Jazz Hot):ジャズ・ジャイアンツ・インタビュー集』(フランソワ・ポスティフ Francois Postif 編著、JICC出版局、山口 隆子・訳、1990年。原書は『LES GRANDES INTERVIEWS DE JAZZ HOT』 1989)という、フランスの代表的ジャズ誌『Jazz Hot』の主要インタビューだけを収載した本だ。同誌は1935年にユーグ・パナシエによって創刊された世界初のジャズ批評誌で(米国よりも早い)、著者は同誌に約30年間勤務していたフランス人編集者だ。邦訳版を出版したJICC出版局(現・宝島社)は、同じ頃1991年に『マイルス・デイビス自叙伝』(クインシー・トループ共著、中山康樹訳)を出版している。この頃はバブル絶頂期で、ジャズ喫茶店主などによるジャズ本もたくさん世に出ていた時期だったので、こんなコアな翻訳書でさえ出版されていたのだろう(もちろん、きっとJICCにジャズ好き編集者がいたからだろう)。

JICC邦訳版 (1990)

インタビュー年月不明の記事もいくつかあるが、明記されているのは1958年から1981年まで、パリを訪れた以下の米国大物ジャズ・ミュージシャ18名にポスティフ自身がインタビューした記事を集めたものだ(ロリンズは1958年と1965年という2回のインタビューが掲載されている)。構成と内容からして、ラルフ・J・グリーソンのインタビュー集『カンバセーション・イン・ジャズ』(原書2016、訳書2023)の元祖、フランス版とも言える。しかし、案の定、読み出したらロリンズ以外のジャズ巨人たちとのインタビューも面白くて、つい全部読んでしまった(何度も読んだはずなのだが、もう忘れているので)。フランスのジャーナリストやジャズ批評家には、芸術に関してアメリカ人とは異なる感性、論理があって、アメリカ人には聞けそうにないような質問をするなど、質問や議論の角度、ポイントが独特で、読むとそこがやはり興味深い。

米国の大物ジャーナリストだったグリーソンとのインタビューでは、当然だが、発言に多少よそ行き感があるジャズマンたちも、アメリカの外、それもフランスでのインタビューでは、普通にあった自国での差別を感じず、それどころかアーティストとして尊敬すらされるパリ独特の空気ゆえに解放感を覚えるのだろう、構えずに答える自然なインタビューが多い。米国ニューオーリンズの歴史が示すように、フランスはジャズという音楽を生んだ親の一人でもあり、また(オリンピックのJUDOチームを見ればわかるように)アフリカ植民地からの移民も多く、米国黒人ジャズマンには居心地の良さを感じる国なのだろう。たとえばスイング期のシドニー・ベシェや、モダン期になってからは本書に出て来るケニー・クラークを筆頭に、バド・パウエル、デクスター・ゴードン、ケニー・ドリューなど、フランスには多くのジャズ・ミュージシャンが米国から移住している( スティーヴ・レイシーのような白人ジャズ・ミュージシャンも、1970年代以降パリに移住した)。

本書には下記のように、エリントンからキースまで大物がほぼ顔を揃えるが、グリーソン本と同じく、マイルス・デイヴィスだけがいない。珍しい記事は、滅多にインタビューを受けなかったモンクや(当然短いが)、リー・モーガン、エリック・ドルフィー、亡くなる1年前のレスター・ヤングなどだろう。何度も書いているが、私的にはジャズ・ミュージシャンのインタビューは、ジャズ史、ミュージシャン個人史的にも、音楽的にも、本当に面白く興味が尽きない。ちなみに、原書表紙も、邦訳版の表紙カバー写真も共に、やはり画になる男ソニー・ロリンズである(このフォルムは、まさに『ブルージャイアント』だ)。

デューク・エリントン、ホレス・シルバー、リー・モーガン、ジーン・ラメイ、ケニー・クラーク、セロニアス・モンク、ソニー・ロリンズ、キャノンボール・アダレイ、ローランド・カーク、チャールス・ミンガス、テッド・カーソン、エリック・ドルフィー、ジョン・コルトレーン、マッコイ・タイナー、ビル・エバンス、キース・ジャレット、オスカー・ピーターソン、レスター・ヤング

本棚で見つけたもう一冊の参考書が『モダン・ジャズの発展-バップから前衛へ』(植草甚一著、1968年スイングジャーナル)だ。上記フランスのインタビュー集より、20年以上も前に出版された本だが、内容的には同時期のインタビューも含まれている。これは大部分がジャズ月刊誌『スイングジャーナル』に掲載されていた1950年代末から約10年間の植草甚一のジャズ・エッセイをセレクトしたもので、前著『ジャズの前衛と黒人たち』(1967年晶文社)に続く2冊目の単行本だ。私が所有しているのは、ジャズに夢中になっていた頃、1975年(昭和50年)発行の第14刷の本なので、当時かなり売れていたのだろう。植草甚一の本は、他に晶文社の『植草甚一スクラップブック』など、ジャズ以外のテーマを含めて今も数多く出版されている。

本書の内容は、その前著(これも売れたらしい)に掲載されなかった同誌向けエッセイを、当時『スイングジャーナル』誌の編集長だった児山紀芳氏が選択、編集して出版したものだという。ほとんどリアルタイムのジャズエッセイというべき内容で、海外(米、仏)のジャズ雑誌に掲載された記事を引用して翻訳し、それを「コラージュ」のように継ぎ合わせて書いてゆくという独特のカジュアルな文体で、どこまでが元記事で、どこまでが植草甚一の意見なのか、よく分からないという不思議な印象の文章なのだ。たとえば、上記『Jazz Hot』からの引用もかなりあり、著者フランソワ・ポスティフ(植草版では "ポズティフ" と表記)の名前もしょっちゅう出てくる。書いてあるロリンズの情報も、このフランス発信のものだ。

植草甚一とCurtis Fuller
植草甚一(通称 J.J. 1908―1979)は元々ミステリー小説、外国映画の紹介などで売り出した人で、「ジャズ沼にハマッた」のはなんと50歳近くになってからだという。熱中するとレコードを買い漁るのは、昔のジャズファンなら誰もが通った道だが、そこからの没頭ぶりが常人とは桁が違う。「モダン・ジャズを聴いた600時間」(1957年)というエッセイがあるくらい徹底的にレコードを買い、それを聞き(ジャズ喫茶でも)、海外文献に目を通しまくり、久保田二郎のようなジャズ業界人との交流を通じて、あっという間にジャズ通になった。早稲田の建築科中退らしく、上記単行本に掲載されている自筆イラスト類も非常に精緻、精密なものだ。基本的に理系の頭脳をしているので正確に深く掘り下げる姿勢が強く、それと同時に芸術的センス、感性が豊かで、新しい文化に対する反応も鋭い人物だったのだろう。ただし、当時はよくジャズと一緒くたに議論されていた政治的な匂いがまったくしないのも特徴で、そこが平岡正明のような人たちとの違いだ。むしろ1960年代後半には『平凡パンチ』のような雑誌でも取り上げられて、先端文化の道案内人として、当時の若者の間でも人気を博したようだ(私は、その少しあとの世代なので、あまり記憶がないが)。日本橋生まれの江戸っ子の粋人であり、いわゆる後年のサブカル文化人の先駆だったのだろう。

上述したように、毎月の海外情報をほぼリアルタイムで翻訳、紹介していたわけで、情報の鮮度が違う。今や、すっかりアーカイブ化したジャズやジャズマン情報が、まだ新鮮だった当時に直輸入して紹介しているわけで(というか、これらが「オリジナル日本語情報」になったか)、読んでいると、つい最近の話を聞いているような気がしてくるのである。ロリンズはもちろん、モンク、マイルス、コルトレーン、ミンガス、オーネット、セシル・テイラー、アイラーなど、いろんなミュージシャンが登場するが、元の情報が海外発記事なので、当時の日本人評論家のような後追い紋切り型コメントではなく、批評の鮮度と切れ味がよく、そこに猛勉強していただろう植草甚一自身の意見がコラージュされて乗せられているわけで、そこがまた独特で面白い。当時「最先端の音楽」だった全盛期のモダンジャズを、先頭きって追いかける「モダン爺さん」という図柄もまた面白い。だから彼の好みは常に「前衛」(アヴァンギャルド)である。今読んでも結構刺激的で、本人がわくわくしながら書いている気分が伝わってくるし、今でも参考になる当時のジャズや、ジャズマン情報がたっぷり楽しめる(ただし、文庫を含めた昔の本はたいていそうだが、フォントが非常に小さくて、目が疲れる。なぜなのか分からないが、情報を目いっぱい詰め込みたい、それを読みたい、という当時の出版・読者双方のニーズのゆえか? それと昔の人は目が良かったのだろうか?)

1979年に植草甚一が亡くなったあと、残された万単位の蔵書は作家の片岡義男氏が媒介して古書店に委託販売し、数千枚のレコードはタモリ氏が引き取ったという。ただし、お金はみなこうした「道楽」につぎ込んでしまい、少しも残さなかったので、未亡人になった奥さんは苦労したらしい。「死んでくれてせいせいした」と言った(?)とかいう話もある(やっぱりね。もって他山の石とすべし、か)。