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2026/03/29

ジャズ・バラードの森(9)Darn That Dream

例年春先の2,3月になると、毎晩のように面白い夢を見る。それもカラーで、面白いストーリーで、イヤな夢とかはほとんど見ない。シチュエーションや登場人物は、やはり会社員時代のこと、同僚とか先輩、後輩が多くて、基本的には仕事関係で、何か話し合っていることが多い。それと私の場合、仕事上の経験から海外で一人で外人に囲まれている会議の場なども多くて、そこでは英語で会話したり、議論している(何を喋っているのか、内容はもちろん覚えていないが)。こちらは懐かしく、楽し気なこともあるが、「難しい議論」をしていることもあって、目が覚めると、結構頭が疲れていることも多い。夢の中で、何と言おうか英語の表現を考えているからだろう。普通の日本人はみなそうだと思うが、今思えば、やはり海外でのそういう場は、かなりストレスがあったのだろうと想像する。

さて "ダーン・ザット・ドリーム Darn That Dream" も、「いったい何なんだ、あの夢は…」というニュアンスの曲である。Darnは"Damn"からの派生語と言われていて、「チクショー」とか、「チェッ」とかいう意味なので、昔は『いやな夢』という、ずいぶんあっさりした邦題までつけられていた。だがこの曲のタイトルは、悪夢とかそういう夢を指すのではなく、「別れた恋人が毎晩夢に現れて、私を抱きしめたりするけど、目が覚めると、そこにあなたはいない…。いったい何なのあの夢は…」という、切ない気持ちを唄った曲なのだ。Jimmy Van Heusen作曲、Eddie De Lange作詞で、1939年のブロードウェイ・ミュージカル『Swingin' the Dream』で初めて唄われた(この時代、1930/40年代のアメリカのポップスは本当に名曲が多い)。最初のヴォーカルはミルドレッド・ベイリーだったようだが、私はヴォーカルはビリー・ホリデイBillie Holidayのヴァージョンしか持っていない(マイルスの『クールの誕生』のケニー・ヘイグッドのヴォーカルは別)。収録されたアルバム『Body and Soul』は1957年の録音で、ノーマン・グランツが企画し、衰えつつあったホリデイの歌を、ベン・ウェブスター(ts)、ハリー"スウィーツ"エディソン(tp)、ジミー・ロウルズ(p)、バーニー・ケッセル(g)、レッド・ミッチェル(b)といった豪華布陣でバックアップしている。ホリデイの歌だけでなく、このバックのベテラン・ミュージシャンたちの、懐かしくも、豊潤で、リラックスした演奏を楽しめるのもこのアルバムの魅力だ。

私有の他のCDはインストばかりだが、やはりピアノがいちばん多い。ホーンではアート・ファーマー(tp)の『Art』や、デクスター・ゴードンDexter Gordon (ts)のブルーノート・レーベル収録のバラード・コンピ盤『Ballads』があって、後者は私の愛聴盤だ。この曲のオリジナル録音は『Daddy Plays the Horn』(1955)に収録されていて、ケニー・ドリュー(p)、リロイ・ヴィネガー(b)、ローレンンス・マラブル(ds)というワン・ホーン・カルテット。「朗々とした」という日本語がいちばんふさわしいのが、この時代のデクスター・ゴードンのテナー・サウンドだが、このバラード集では、どの曲からも、朗々としていながら、言葉にできない不器用な男のやるせないような哀愁が聞こえてくるデクスターのバラード・プレイは最高だ。特にこの曲は素晴らしい。

ビル・エヴァンスBill Evansとジム・ホール Jim Hall のデユオ『Undercurrent』(UA) における、密やかで、静謐で、それでいて緊張感に満ちた演奏は、この二人にしか作れない世界だ。しかし実はジャズ初心者の頃、この演奏が "Darn That Dream" だとはまったく気づいていなかった。二人のインタープレイによる曲の解体ぶりが見事すぎて、初心者の駄耳ではメロディさえもよく聞き取れていなかったからだ。ジム・ホールはデュオの名手だが、ビル・エヴァンスを相手に実にきめ細やかに、しかも常に空間、余白を感じさせるさすがの演奏を繰り広げている。このアルバム収録曲はどれも美しく、ジャズ・デュオの最高の手本というべき演奏がつまっている。

先日、テレ朝の『徹子の部屋』に渡辺貞夫氏が出演していた。93歳になるが元気に語り、演奏も聞かせていた。徹子氏が、自分のことを棚に上げて「いつまでもお元気で…」と驚いたように言っていたのがおかしかった(二人とも1933年生まれだ)。同年生まれのギタリスト中牟礼貞則氏は昨年まで元気にライヴ出演していたが、サポーターの写真家中内さんによると、最近体調を崩して入院したということだ(お元気になってまた演奏に復帰されることを祈っている)。ソニー・ロリンズ(1930年生まれ)は存命で95歳だが、もう10年以上前に演奏活動は休止している。ホーン奏者としては長生きだったリー・コニッツ(1927年生まれ)は、2020年にコロナのために92歳で亡くなった。パーカーは34歳、コルトレーンは40歳、マイルスは64歳没とホーン奏者はおしなべて短命だが、原因はほぼドラッグだ。長生きするジャズマンはドラッグの影響を回避できた人たちである。モンク(64歳没)もドラッグさえやっていなければ90歳までは生きたはずだ、と奥さんのネリーが言っている。さて、世界中でも最長老と言えるジャズ・ミュージシャンの一人は、渡辺貞夫の先輩だった我らが秋吉敏子氏(1929年生まれ97歳)である。私が最後に見た来日公演は2018年の「東京文化会館」での夫妻共演で、あれから7年以上経つが、昨年も元気に来日して演奏を披露している。1956年、26歳で単身渡米して以来70年以上を、米国のジャズシーンで生き抜いてきたまさにレジェンドである。その秋吉敏子が1994年にリリースしたアルバム『Night and Dream』(日本コロンビア)で "Darn That Dream" を取り上げている。この曲はMickey Roker(b), Peter Washington(ds)というトリオに、3管が加わったセクステットによる演奏。録音も良く、秋吉のピアノも美しく捉えられた好アルバムである。「理」の人、秋吉敏子によるクールなバラード演奏も一聴の価値がある。

手持ちのピアノ・トリオはホレス・パーラン、ジョン・ライト、大西順子、ソロは、レニー・トリスターノ、ピート・ジョーリー盤などがある。私は、ピアノはモンクとバド・パウエルを別格とすれば、凛とした気品のあるトミー・フラナガン、いぶし銀のバリー・ハリス、哀愁のデューク・ジョーダンという3人の名ピアニストが好きだ。この曲もピアノトリオでは、初期のデューク・ジョーダンによる『Duke Jordan Trio』(1954)での演奏が好きだ。ジョーダンはテクニックや華々しさはないピアニストだし、これもなんということもない地味なアルバムだが、"Embraceable You" とともに、ここでの"Darn That Dream" の、シンプルだがしみじみした演奏はとてもいい。この頃から60年代ヨーロッパ時代にかけてのデューク・ジョーダンは、とにかく「美メロ」製造機のようで、イントロから始まり、日本人好みのメロディが次から次へと出て来る。スローバラードを解体して、まったく別の曲のごとく再構成して演奏するのもジャズの魅力ではあるが、バラードは妙な技巧もひねりもいらない、名人が美しいメロディをそのまま弾けばいいのだ、と言っている典型的演奏。

ピアノのもう1枚は、セロニアス・モンクThelonious Monkのソロ。モンクは『The Unique Thelonious Monk』(1956 Riverside) では、トリオでこの曲を演奏しているが、15年後の1971年のヨーロッパ・ツアー時に、ロンドンで録音したBlack Lionレーベルの『London Collection Vol.1』というアルバムでもソロで演奏している。これはモンク最後の公式録音であり、ソロ演奏(録音)もこれが生涯最後だ。モンクはやはりソロが最高だと思う。「余計な音を加えるな。コードなんかどうでもいい。メロディをプレイするんだ」という、「メロディの髄」を弾くモンクの演奏思想をそのまま体現しているからだ。衰えた晩年のこの演奏でも、それは同じだ。モンクはこの曲 "Darn That Dream" のメロディが好きだったのだろう、一つ一つの「音」を慈しむように弾いていることがとてもよくわかる。Vol.1は全編ソロ演奏を集めたもので、静謐なスタジオに鳴り響くモンクのサウンドが美しい。アルバム最後の、曲とも言えない試奏 "Chordially" での、弾いていない、音のない空間という余白にも響き渡る音が聞こえてくる感覚は、まさにモンクのソロならではの世界だ。晩年のバド・パウエルもそうだったが、衰えた手指の多少のもたつきなど関係ない。天才のサウンドは技巧など超えているのである。