NHK 夢千代日記 吉永小百合 |
毎冬のように見てきたのはもちろん録画してあるからで(今はNHKオンデマンドでも見られる)、『夢千代日記(5話)』(1981)『続・夢千代日記(5話)』(1982)『新・夢千代日記(10話)』(1984) という3部作で、いずれもオリジナルはもちろん冬に放送された。原作・脚本が早坂暁、演出が深町幸男、音楽が武満徹という制作陣に加えて、主演が(たぶんいちばん奇麗だった頃の)吉永小百合という豪華な布陣のドラマだ。私は(タモさんのように)吉永小百合の熱烈なファンというわけではないが、夢千代役にはやはり吉永小百合以外の女優は思い浮かばない。実際、ドラマの夢千代の年齢設定と、当時の吉永小百合の実年齢はほぼ同じで、早坂は吉永を念頭にこの作品を書いている(しかしこのときの吉永が、今の綾瀬はるかとほぼ同年齢だった、というのは何となく意外な気がする)。
1985年の映画版も見たが、NHKドラマの方がずっと出来が良い。個人的には、林隆三、ケーシー高峰、楠木トシエなどが出演し、ドラマの基本的イメージを作った第1作目がやはりいちばん記憶に残る。山陰の小さな温泉町で夢千代が営む置屋「はる家」の芸者役、樹木希林(菊奴)、秋吉久美子(金魚)、中村久美(小夢)の他、夏川静江、中条静夫、加藤治子、佐々木すみ江、長門勇、緑魔子、あがた森魚などのレギュラー陣、さらに林隆三、石坂浩二、松田優作という1作ごとに変わる客演男優等、それぞれ味わいのある役柄キャラクターと物語をじっくりと楽しめる。しかし、今はもうこの名作ドラマのことさえ知らない人も多いらしい。制作陣もそうだが、画面の中にいるこれら出演者の約半数がもう故人なのだと思うと、なんだか寂しく、また時の流れをつくづく感じる。
NHK 夢千代日記 左から夢千代、小夢、金魚、菊奴 |
夢千代日記、波の盆 岩城宏之指揮(JVC) |
学生だった1970年頃に、何度か山陰地方を旅行したことがあるが、「表日本」「裏日本」と呼んでいたあの時代の両地域の「差」に何度も驚いた経験がある(当時はとっくに硬貨に切り換わっていた「百円札」が、山陰ではまだ流通していた、など)。そうした旅行経験からすると、80年代バブルが到来する以前の山陰地方には、ドラマで描かれているような風情や情緒や人間関係が、実際にまだ色濃く残っていても不思議はないと思った。原爆症や中国残留孤児など、あの時代(1970年代)の日本には、戦争の影を引きずりながら生きている人たちが、まだたくさんいただろう。東京ですら、バブル前には文字通り昭和の風景や風情がまだたくさん残っていたし、人間関係ももっと密で濃いものだった。一方で、都会と地方との間には、地理的にも、心理的にも、また情報面でも容易には近づけないような距離があって、良きにつけ悪しきにつけ、両者を隔てる見えないバリアがまだ残されていた。だから夢千代ドラマの定番、訳あって雲隠れしたり警察から追われる逃避行なども、監視カメラやスマホ映像、ツイートですぐに見つかってしまう現代とは違って、まだまだ可能だった。逆に言うと、常にどこかで誰かから監視されている現代人は、現実からの逃げ場が物理的になくなりつつあるとも言える。ジャンルに関わらず、最近「ファンタジーもの」に人気が集まるのは、こうした現代日本人の心理を反映しているのかもしれない。
人生に疲れ、あるいは心や身体に傷を抱えたまま、人知れず「表日本」から日本海に面した小さな温泉町に流れ着き、そこで互いを気遣いながらひっそりと寄り添うように暮らしている人々を描くこのドラマは、余命短い原爆症の主人公も含めて、死をモチーフにしたやりきれないような物語が続く。しかし、ゆっくりと流れるドラマの時間と登場人物の造形には、昔の日本人が持っていたつつましさ、やさしさ、我慢強さ、運命に逆らわずに生きてゆくけなげさ――などへの、原作者・早坂 暁の郷愁と深い思いが込められている。そしてドラマの中で、夢千代他の登場人物たちが体現しているのが、そうした時代の懐かしい日本人像だ。『夢千代日記』は、今となっては、ロマンとメルヘンの香りさえ漂う懐かしき昭和の日本昔話なのである(ただし、男性向けではあるが)。
大人が楽しめる、こうした純文学的なドラマは、エンタメ全盛の現代ではもう望むべくもないが、『夢千代日記』を含むNHKのシリーズ「ドラマ人間模様」(1976 - 88)には、向田邦子の名作『あ・うん』や、大岡昇平原作で『夢千代日記』と同じく早坂暁、深町幸男コンビによる『事件』シリーズなど優れた作品がいくつもあった。これらはいずれも人生の深さと哀感をしみじみと感じさせる大人の「冬ドラ」だ。振り返ると、こうした名作ドラマはどれも、1970年代の日本列島改造論に始まり、日本がバブルに向かう途上にあった1980年前後に制作されたものが多い。現代の感覚からすれば、もちろん筋立ても構成もシンプルだが、昭和も終わりに近づく頃に作られた、どこか心の琴線に響くそれらの「冬ドラ」をじっと見ていると、その後80年代後半のバブルを通過し、グローバル化と情報革命に戸惑いながら必死に生きてきた日本人が、この30年間に失ったものが見えてくるような気がする。それに、最近の冬は昔ほど寒くない。真冬の日本海側に雪が降っても、さらさらと乾いた粉雪はめったになく、湿った重い雪ばかりになってしまった。こうして、昔の日本人を包んでいた冬の風情も徐々に失われてゆくのだろう。