The Baroness Hannah Rothschild 2012 |
Nica's Dream David Kastin 2011 |
その1冊は、デヴィッド・カスティン (David Kastin) が書いた『Nica’s Dream; The Life and Legend of the Jazz Baroness』(2011年) である。カスティンはニューヨークの名門スタイベサント高校(モンクが中退した学校)で、英語教師をしながらジャズやアメリカ音楽に関する記事を書いてきた人で、2006年に「Journal of Popular Music&Society」誌にニカ夫人に関する記事(Nica's Story) を寄稿し、それが好評だったこともあって、その後もインタビューや調査を続けながら、5年後の2011年にこの本を出版している。この本は未邦訳だが、その一部が村上春樹の翻訳アンソロジー『セロニアス・モンクのいた風景』(2014年 新潮社) の中に収載されている。ニューヨーク在住の米国人音楽ライターであるカスティンの本は、イントロをパーカー変死事件で始め、ニューヨークのジャズシーンにおけるニカ夫人の存在に比重を置いており、ハナ・ロスチャイルドの本に比べると、当然ながらジャズ関連情報の量、洞察の質の両面で、よりジャズ寄りだが、一方でニューヨークに来る前のロスチャイルド家側を中心にした彼女の来歴情報は、同家の強固な秘密主義によって入手するのが難しかったと著者自身が語っている。カスティンのアプローチは、ジャズとニカ夫人の関係を、ケリーと同じくノンフィクション作品として正攻法で正確に描こうとしている。一方、ハナ・ロスチャイルドの本はカスティンの淡々とした筆致とは対照的で、ニカ夫人本人や彼女の兄姉をはじめ、ロスチャイルド家の親族たちと実際に面識があり、彼らに対する情愛と一族の異端児の物語としてのロマンを常に感じさせるが、ノンフィクション作品としては細部が多少甘い部分がある。残されている記録の大元は同じなので、両書で取り上げているエピソードに大きな違いはないが、事実関係についての細部の語り口が違う。ハナは次作では小説 (『The Improbability of Love』2015) を発表しているように、映像作家でもある彼女は、細かな事実を積み上げてゆくことよりも、むしろストーリー・テラーとしての資質が強い人なので、ハナの本は物語性が強く、ノンフィクションというよりも小説を読んでいるような気がしてくるのが特徴だ。したがって、このへんは読者側の好みもあるだろうと思う。あるいは、ロスチャイルド家を中心としたニカ夫人の前半生とその人物像はハナの本で、ジャズやモンクの音楽との関係を中心とした後半生はカスティンの本で、という読み方もできるだろう(掲載写真も前者は主としてロスチャイルド家関連、後者はニューヨーク時代が中心である)。私がハナの本を邦訳した理由は、やはりロスチャイルド家側を核にしたニカ夫人の人物と経歴描写の具体性と物語性が新鮮で、そこにより強い興味を抱いたからだ。
Three Wishes Nadine de Koenigswarter 2006 (仏) / 2008 (米) |
もう一冊『Three Wishes; An Intimate Look at Jazz Greats』(2008年) は、文章ではなく、写真と短いインタビュー回答文によるユニークな構成の作品で、ニューヨーク時代のニカ夫人とジャズ・ミュージシャンたちの交流が、いかに広範かつ親密で、想像以上にものすごいものだったかという事実を衝撃的に示す、いわばジャズ・ドキュメンタリー書籍だ。上記の本では想像するしかなかった彼らの実際の交流の模様と関係が、ニカ夫人自らがポラロイド・カメラで撮影した数多くのジャズ・ミュージシャンの写真の中にリアルに残されているからである。そして、"If you were given three wishes, to be instantly granted, what would
they be?" (今すぐかなえてもらえる3つの願い事があるとしたら、それは何かしら?) というニカ夫人の質問に対して、セロニアス・モンクに始まる約300人のジャズ・ミュージシャンの回答(1961年から66年)をニカ夫人が書き留め、それが上記写真群と併せて掲載されている。中にはバド・パウエルのパトロンだったフランシス・ポードラの写真や回答(フランス語風の英語発音をニカ夫人がそのまま綴っている)や、秋吉敏子の名前もある。超有名人から無名のミュージシャンまで、おふざけから真摯なものまで、バラエティに富むそれらの回答は実に示唆に富んでいて、当時のジャズが置かれた状況から、個々のミュージシャンの性格、人生観、理想、悩み、苦しみまでが短い答の中から見事に浮かび上がっている。モンクやコールマン・ホーキンズ、ソニー・ロリンズ、アート・ブレイキー、ソニー・クラーク、ホレス・シルヴァーといったニカ夫人と特に親しかったミュージシャンをはじめ、マイルス、コルトレーン、フィリー・ジョー、ミンガスなど、綺羅星のようなモダン・ジャズのレジェンドたちの言葉と、大部分がウィーホーケンのニカ邸(Cathouse あるいは Catville)で撮影された、素顔をさらけ出してリラックスしている多くのミュージシャンたちのスナップショットが渾然一体となって、この本自体がまさにモダン・ジャズの世界そのもののようだ。ジャズファンにとっては、今にもそこから音が聞こえてきそうな文字通り夢のような本である。生前出版しようとして果たせなかったニカ夫人の遺志を継いで、ナダイン・ド・コーニグズウォーター(英語読み)という、ハナ・ロスチャイルドと同じくニカ夫人を大叔母とする、フランスのコーニグズウォーター家(ニカ夫人の元夫側)のヴィジュアル・アーティストが、ニカ夫人の子供たちの協力を得て編纂し、2006年にフランスで出版して好評を博し、その後英語版としてゲイリー・ギディンズの序文を加えて2008年に米国で出版されている。私が読んだのはこの英語版だが、仏語版も含めて編集した邦訳版も出版されている(2009年、P-Vine Books)。ただミュージシャンたちの英語の回答はほとんどが短いもので、イメージを膨らませながら彼らの生の言葉を原文で味わうのも楽しいので、興味のある人はぜひ英語版を読まれてはどうかと思う。掲載されているカラーとモノクロ写真の多くは構図も質もプロの撮った写真とは違うし、保存状態も様々だが、何よりミュージシャンたちの飾り気のない姿がどれも生きいきとしていて美しく、彼らを見つめるニカ夫人の眼差しがどのようなものだったか、ということが実に鮮明に伝わってくる。ちなみに、この英語版の表紙に使われている写真は、セロニアス・モンクと、モンクを長年支えたテナー奏者チャーリー・ラウズである。
Thelonious Monk Robin D.G. Kelley 2009 |
これら4冊の本が2008年以降5年ほどの期間に相次いで発表されたことによって、モンクとニカ夫人にまつわる神話や謎が完全に解明されたとまでは言えないまでも、二人の実像らしきものがようやく見えてきたことは確かだろう。しかし、ハナも自著で触れているように、公に報道されたものを除き、故人の生前記録はすべて抹消するというロスチャイルド家の家訓と、伝記を含めて彼女に関するいかなる企画にも協力しない、とニカ夫人の子孫たちが合意していることもあって(『Three Wishes』の写真とインタビューは唯一の例外である)、今後彼女に関する新たな情報が出て来るかどうかは疑問だ。モンクとニカ夫人と特に親しく、いちばん身近で二人を見ていた存命のジャズ・ミュージシャンは、おそらくウィーホーケンのニカ邸で一緒に暮らしていたバリー・ハリスと、二人といちばん親しかったソニー・ロリンズだと思われるが、調べた限りハリスがこれまで二人について詳しく語ったことはないようだ。ロリンズも知人について語ることを基本的に拒否してきた人物のようなので、この可能性も低いだろう。またニカ夫人が、モンクを中心に幾多のジャズレジェンドたちの演奏をジャズクラブ、コンサートホール、ホテル自室、ウィーホーケン自邸で収録していた数百時間に及ぶとされる未公開の私家録音テープも存在するが、それらも依然としてロスチャイルド家の管理下にあって、門外不出と言われている。仮にこれらの録音がいずれ陽の目を見ることになれば、まさにロスチャイルド家が間接的に支援したツタンカーメン王墓発見並みの、ジャズ史上最大の未発表音源発掘となることだろう。それと同時に、音によるドキュメンタリーとして、上記4冊の本の世界にさらなるリアリティと深みを付加することは間違いない。これは20世紀のジャズを愛するジャズファンに残された、最大にして最後の夢というべきものだろう。
1982年にモンクが亡くなった後、予想外の死亡原因となった1988年の心臓手術の前日に、ニカ夫人は病室のベッドで、その少し前に亡くなった姉のリバティとモンクの二人がすぐそこにいるような気がする、と子供たちに語ったという。またモンクを長年献身的に支えたテナー奏者で、ニカ夫人とも親しく交流してきたチャーリー・ラウズが、ニカ夫人と同年同日の11月30日に肺癌のためにシアトルで亡くなっている。同じ年1988年に制作されたモンクのドキュメンタリー映画『Straight, No Chaser』には、ニカ夫人、ラウズの二人も登場しており、「そろそろ、このへんで…」と、まるでモンクが二人一緒に迎えに来たかのようである。知れば知るほどニカ夫人にはまだまだ謎と伝説が多く、その人物と人生に興味は尽きない。
1982年にモンクが亡くなった後、予想外の死亡原因となった1988年の心臓手術の前日に、ニカ夫人は病室のベッドで、その少し前に亡くなった姉のリバティとモンクの二人がすぐそこにいるような気がする、と子供たちに語ったという。またモンクを長年献身的に支えたテナー奏者で、ニカ夫人とも親しく交流してきたチャーリー・ラウズが、ニカ夫人と同年同日の11月30日に肺癌のためにシアトルで亡くなっている。同じ年1988年に制作されたモンクのドキュメンタリー映画『Straight, No Chaser』には、ニカ夫人、ラウズの二人も登場しており、「そろそろ、このへんで…」と、まるでモンクが二人一緒に迎えに来たかのようである。知れば知るほどニカ夫人にはまだまだ謎と伝説が多く、その人物と人生に興味は尽きない。