2017/06/30
オーディオ体型論
アンプはシンプルなデザインが気に入って買ったPRIMAREのプリとパワーで固定されたままだ。スピーカーもJBLやB&Wをはじめ何台入れ替えたか覚えていないくらいだが、これも4,5年前にTADにしては安い小型モニタースピーカーを手に入れ、Pioneerのリボンツイーターを上に乗せてから、そのクセのない素直な音が気に入ってずっと使っている。もちろん低域は限界があるが、今の環境と耳には丁度良い。(ヘッドフォンはあの閉塞感が嫌いなので使ったことはない。趣味のオーディオとはスピーカーを鳴らすことだと思っているので)。隣家が気にならず、広いリビングのあるマンションに引っ越したのも、大きなスピーカーを大音量で気兼ねなく鳴らすのが半分目的だったのだが、移ってからは聞く音量もむしろ下がってしまった。大型スピーカーの魅力は捨てがたいが、所詮集合住宅では限界があるし、昔はチマチマしているとバカにしていた小型システムによるニアフィールドの音体験をすると、これはこれでいいものだと(歳のせいか)思うようになった。ジャズ=大型スピーカー=大空間という古典的法則は、=大音量というもう一つの条件が加わらないと結局面白くない。昔のジャズ喫茶はこれらの条件をある程度満たしていたがゆえに、音に興味のあるジャズファンは通ったのだ。神戸の
“jamjam” のようなジャズ喫茶はその理想で、デフォルメされた仮想空間なのに、リアルに聞こえるジャズの世界を自宅で創り出すことに昔はみな夢中になっていたもので、オーディオの活況もそれが理由の一つだった。
そのオーディオに熱中していた当時に思いついたことがいくつかある。その一つが「オーディオ体型論」だ。あの頃は様々なオーディオ評論家の先生たちが、アンプやスピーカーやCDプレイヤーなど、どの機器が良いとか、どの組合せが良いとか、毎月のように発表されるオーディオ新製品の評価や自身の意見を語っていた。オーディオ誌も色々あって、毎月のように買ってそれらの批評を楽しみに(かつ結構真剣に)読んで、次に何を買おうかと思いあぐねていた。そうした記事をしばらく読んでいるうちにあることに気づいた。それは、それぞれの批評家には、どうも固有の音の好みがあるようだということだった。つまりA氏が素晴らしいという音と、B氏やC氏が素晴らしいという音は違うのではなかろうかという疑問である。そして長年の読書体験からある法則が思い浮かんだ。それは細身の人、筋肉質な人、太目な人…というように、その評論家の体型と彼が好む音との間には、ある種の相関がありそうだということだった。オーディオに興味のない人が聞いたら何を言っているのかチンプンカンプンの、音の感覚的批評語(音がー細い、痩せた、速い、太い、遅い、華やか、芳醇etc.)で語る評論家それぞれの「体型」と、彼らが「好む音」にははっきりと相関があるように思えたのだ。
たとえば私が好きだった長岡鉄男氏の体型は見たところ小柄で筋肉質だったが、好む音も竹を割ったような、と言われるシャープでハイスピードの音だった。やや小太り気味の菅野沖彦氏は豊潤な音を好んでいそうだった。「ステレオ」誌に登場していたブチルゴム制振の金子英男氏もそうだ。一方、中肉中背の人は、バランスの取れたあまり個性の強くない音が好みのようだ、ということが批評(感想)文をずっと読んでいるとわかってくる。私も痩せていた若い頃は細身でシャープな音が好みだったが、歳を経て体重が増すにつれ、比較的肉厚で豊かな音を徐々に好むようになった。大人になって性格が丸くなったとか、聴覚が徐々に衰えたとかそういうことではなく、単純に物理的に体重が増して体型が変わったことの方が、影響が大きいと思ったのだ。つまり「良い音」というのは人によって異なる。そしてその人の「体型」(骨格と肉付き)と、音を聞いて感じる「快感」には相関がありそうだ、ならばその時の自分と体型の近い人の意見を参考にすれば、求めている音に近づけるかもしれない、というのが結論だった(と言うほど大それた話ではないが、まあヒマだったのだろう)。おそらくスピーカーによる空気の振動と、それが自分の肉体に伝わる骨伝導(共振?)によって、聴覚だけではない自分が肉体的に感じる心地良さが関連しているものと推測されるが、この仮説(?)は今でも有効だと自分では思っている。もう一つ思いついたのが「オーディオマニア短命論」だが、これは差し障りがあるので書くのはやめておく。
音楽を聴くためのオーディオには可変要素が多過ぎるし、良くなるか悪くなるかは別にして、「何をいじっても音は変わる」ことは実感した(駄耳の私にもわかる程度に)。また良い機器というものは確かにあるが、機器単体の物理的性能や科学的測定データと、聞く側にとっての「良い音」にはほとんど何の関係もない…と言えなくもない。アナログだろうがデジタルだろうが、PCを使おうが、それは同じだ。音に興味のない一般人には感知できない変化に一喜一憂するオーディオの世界がオカルトと呼ばれる所以だが、(上述の仮説が有効なら)聴く側の人間の肉体と感覚がそもそも千差万別なのだから、ある意味当然と言えば当然だ。あるのは「自分にとって良い音」だけである。その「自分」に近い感覚を持つ人の数が相対的に多ければ、それがマジョリティになるし、機器やシステムの評価も相対的に高いということになるのだろう。しかし考えてみれば、抽象芸術である音楽の評価とはすべからくそういうものであり、ジャズレコードの「自分にとっての名盤」も同じことだろう。自分にとって良い音、理想の音を目指しながら「微妙な音の変化を楽しむ過程」こそがオーディオという趣味の本質だと思うが、それがたとえ自分にしか感知できない変化であっても、むしろ自分にしか感知できない変化であればなおさら楽しい、というところが問題(?)なのだ。おまけに自分の体型、肉体、つまり五感も年齢と共に刻々と変化しているわけで、それはつまり(再び上述の仮説が有効なら)自分にとって良い音、理想の音も実は変化しているということに他ならない。つまりキリのない作業が死ぬまで続くということである。それに人間は飽きっぽいし、物欲もある。昔のように、機器を次から次へと買い替える中毒症状に陥る人が出るのもそれが理由だろう。(大金持ちの人は別にして)これを承知で、身を滅ぼさない程度に分相応の金をつぎ込む限り、良い音楽を良い音で聴きたいと願う音楽好きにとって、オーディオという終わりなき趣味はやはり面白い。
2017/06/25
紀尾井ホールで山中千尋を聴く
「極私的5つのピアノ名演と名曲」と題した前半のトークでは、神舘和典氏(音楽ライター)を相手にグレン・グールド、ミシェル・ペトルチアーニ、ジョー・ザビヌル、ポール・マッカートニー、ブラッド・メルドーという5人について、それぞれの奏者の好きな点や裏話を語った。ザビヌルやウェイン・ショーターの天才性や変人ぶり、メルドーのお茶目な性格などの話は面白かった。音楽家、ピアニストとしての影響は、中でもペトルチアーニがもっとも大きいようだ。幼稚園児のときに既に父親が好きだったグレン・グールドのレコードを聴いていて、アンプのイコライザーをいじって演奏中のグールドの唸り声が変化するのを面白がったり、トーレンスのアナログ・レコードプレーヤーをいじりまわしてレコードと針を傷だらけにした話などを聞くと、既にして筋金入りの音楽好きだったと想像される。好きなマッカートニーの曲(ついでながら彼の曲と声には、常に哀愁があると私は思う)にインスパイアされて小学生のときに作曲した2曲を、今の教え子の小学生の女の子が登場してヴァイオリンで弾き、山中千尋がピアノで伴奏した。紀尾井ホールの美しい響きも相まって、両方ともとても良い曲だった。こうした話からも、やはり自由な発想、好奇心が旺盛なこと、もともと作曲の才があること、そして自分ならではの世界を創りたいという願望が小さい頃からあったことがわかる。クラシック・ピアノで入学した桐朋学園を卒業後、アメリカに渡ってバークリーでジャズの道に進んだのも(1997年)、そうした彼女の生まれ持った資質が選ばせたのだろう。まさにジャズ向きな人だったのだ。
そう考えると、今回のセロニアス・モンクへのオマージュと言うべきアルバム「Monk Studies」の意味もわかる。モンクは基本的には作曲家であり、そして束縛を嫌い、誰よりも自由を愛し、誰のものでもない独創的世界を創り出した芸術家だったからだ。さらにその死後になっても、早逝した娘のバーバラ、その遺志を継いだ息子T.S.モンクの尽力でセロニアス・モンク・インスティチュート・オブ・ジャズが設立され、モンク・コンペティションが開催されるなど、アメリカのジャズの発展と未来に向けて非常に大きな貢献もしてきた。そうした日本ではあまり知られていない、あるいは誤解されているモンクの偉大さを、今回のような場でジャズ・ピアニスト本人の口から(初めて)語ってくれたことは、モンクファンとしては単純に嬉しい。当夜のモンク代表曲の演奏も、魅力的だが難しいモンク作品をモチーフにしながら、リスペクトを忘れずに、しかし同時にモンク・ワールドから飛び出して、どこまで自分ならではの音楽世界が提示できるかという挑戦だろう。アコースティック・ピアノではなくエレクトリック・キーボードを使ってオルガンや管楽器のアンサンブル的サウンドを出したり、モンクの音楽の大きな特長である独特の "リズム" を彼女なりに解釈、消化して、現代のリズムセクションとのコラボでどこまで新たな表現として拡張できるか、というのがおそらくテーマだったろう。その意味では非常に斬新な試みだったと思う。またこの日のライブは日本人のプレイヤーが相手だったが、発売したレコードでは米国のプレイヤー、8月末から国内で行なう予定のツアーでは別の女性リズムセクションを選んでいるようだ。それぞれのリズムセクションを相手に、どのような変化を見せながら、独自の表現世界をどう発展させてゆくのか非常に興味深く、また楽しみだ。
ただし、新アルバムの予備知識はモンクということ以外まったく無しで行ったこと、また会場が紀尾井ホールということもあって、アコースティック・ピアノの演奏を期待していたので、ほとんどがエレクトリック・トリオの演奏だったのには少々面食らった。ライブの場合アコースティックでもエレクトリックでも私はあまり気にしないのだが、おそらくこのホールは音の響きが良すぎて(上品すぎて?)、ジャズ的ダイナミズムが薄まることと、また私にはエレクトリック楽器の音にどうしても残響がまとわりつく感じがした(2曲だけのアコースティック・トリオは音も演奏も素晴らしく、もっと聴いてみたかった)。エレクトリック・トリオの音はジャズクラブで聴けば、もっとジャズ的グルーヴがダイレクトに伝わってくるのだろう(予定しているツアーではクラブ中心のようだ)。しかしモンクファンとして言わせてもらえば、せっかく「Monk Studies」に取り組んだ以上、願わくはその第2弾として、アコースティック・バンドで、ホーンセクションを入れて(ビッグバンド的に)、モンクの世界を現代的解釈とアレンジで再構築する、という試みにもぜひ挑戦してもらいたい。そのフォーマットなら彼女のアレンジ能力もさらに生きるだろうし、モンクの音楽には、そうした挑戦を受け入れるだけの懐の深さと、発展可能性がまだまだあると思う。
それにしても小柄なのに超パワフルな演奏を聴くと、山中千尋はまさに秋吉敏子、大西順子に続く、スケールの大きな日本人女性ジャズ・ピアニストの星だ。アンコールで弾いた彼女の地元・桐生の<八木節>は初めて生で聴いたが、そのスピード感といい、スウィング感、力強さといい、最高だった。さすが上州女子だ。会場では新アルバムCDを販売していて、買えばコンサート後に山中千尋本人からサイン入りクリアファイルを手渡される(ただし握手は不可)という特典付きだったので、近くで顔を見てみたかったが、休憩時間のCD販売時も、コンサート後も、すごい行列(自分と同じような中高年おっさん群?)だったので、行列の嫌いな私はあきらめて帰った。
それにしても小柄なのに超パワフルな演奏を聴くと、山中千尋はまさに秋吉敏子、大西順子に続く、スケールの大きな日本人女性ジャズ・ピアニストの星だ。アンコールで弾いた彼女の地元・桐生の<八木節>は初めて生で聴いたが、そのスピード感といい、スウィング感、力強さといい、最高だった。さすが上州女子だ。会場では新アルバムCDを販売していて、買えばコンサート後に山中千尋本人からサイン入りクリアファイルを手渡される(ただし握手は不可)という特典付きだったので、近くで顔を見てみたかったが、休憩時間のCD販売時も、コンサート後も、すごい行列(自分と同じような中高年おっさん群?)だったので、行列の嫌いな私はあきらめて帰った。
2017/06/23
3枚の「バラード」アルバム
「全編がバラード」というジャズ・レコードは一般に単調になりがちで、聴き手を飽きさせずに最後まで聞かせるだけの魅力を維持するのは難しい。だから奏者にとっても難易度が高く、同時にジャズ・ミュージシャンとしてのセンスが問われるものであり、昔はよほどの力量と自信がないと挑戦できなかったと言われている(イージー・リスニングやBGM的なレコードはまた別である)。だからそうして残された名盤の数はそれほど多くない。その中でもっともよく知られているのが、ジョン・コルトレーン John Coltrane (1926-1967) がカルテットで録音した文字通りの「バラード Ballads」(1962 Impulse)だ。1960年代、フリーに突き進んでいた頃のコルトレーンが一休みして鼻歌を歌ったものだとか、色々な評価をされてきたが、コルトレーンは既に50年代から歌心のあるバラード・プレイを数多く残しているし、セロニアス・モンクとの邂逅によってその技術とセンスにさらに磨きをかけていた。したがって、このアルバムは当時ジャズの本流にいたコルトレーンが持つ本質の一部を抽出した集大成と言うべきものだろう。今やジャズ・バラードのデフォルトのような存在になっており、誰が聴いても納得の永遠のジャズ・レコードの1枚だ。
もう一人のテナー奏者ウォーン・マーシュ Warne Marsh は、生涯を通じて「リズム」を極める道を進んだ。譜面上の小節線からの解放と自由を目指したマーシュは、特にリズムに対する優れた感覚を持った真に独創的なインプロヴァイザーだった。その特徴は、独特の複雑なリズム感、高音域の多用、小節線を意識させない漂うような長いメロディ・ライン、そしてトリスターノ派特有のエモーションを排したべたつかないクールな表現だ。マーシュの「ア・バラード・アルバム A Ballad Album」(1983 Criss Cross)は、1987年にロサンジェルスのクラブで演奏中に倒れて亡くなる4年前、晩年のマーシュがバラードに挑戦したアルバムだ。よく知られたスタンダードのバラードやミディアム・テンポの曲で構成されており、ルー・レヴィーの美しいピアノ他とのカルテットによる演奏である。微妙に揺れ動く、漂うようなタイム感で、ゆったりと曲を料理することを楽しむかのような演奏は、トリスターノ派の原点と言うべきレスター・ヤングのあのリラックスした演奏を思い起こさせ、聴く側も全編でその独特の味わいをくつろいで楽しむことができる隠れたバラード名盤である。
1965年生まれのマーク・ターナー Mark Turner は、特に強い影響を受けたミュージシャンとして、上記ジョン・コルトレーンとウォーン・マーシュの2人の名前を挙げている。新世代のテナーサックス奏者とはいえ、コルトレーンは珍しくはないが、マーシュの名前を挙げるのは極めて異例だ。バークリー時代に出会ったトリスターノ派の音楽に、バークリー・メソッドにはない独自性を見て新鮮なショックを受け、その後トリスターノやマーシュの研究を始めたという話だ。このアルバム「バラード・セッション Ballad Session」(2000 Warner Bros.) では、スタンダードの名曲とウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ポール・デスモンド、カーラ・ブレイなどのオリジナル曲という多彩な選曲によるバラード演奏に挑戦している。ケヴィン・ヘイズ(p)、カート・ローゼンウィンケル(g)、ラリー・グレナディア(b)、ブライアン・ブレイド(ds)によるカルテット、クインテット、トリオと編成も多彩だ。ターナーのテナーはコルトレーンとマーシュを融合し自身の中で消化することによって、固有のサウンドを生み出すことを目指してきたものだろう。このアルバムは、バラード・アルバムをそれぞれ録音している先人二人へのオマージュとして聞くこともでき、全体を通して時折コルトレーンと、とりわけマーシュのサウンドが聞こえて来る。先人に比べると当然ながらモダンで、サウンドの肌合いも乾いているが、同時にずっと深くクールに沈潜してゆく音楽だ。ここでのローゼンウィンケルのギターは、ターナーとの相性も、アルバム・コンセプト的にも素晴らしいと思う。
コルトレーンとマーシュの音楽的方向性を考えると、片や最後はジャズという枠を超えた世界に突き進んだジャズの巨人の一人であるのに対し、片やジャズの枠組みの内部で、白人の非主流派としてどこまで独自の表現が可能かということを深く地道に突き詰めようとした、名声とはまったく無縁の人だ。黒人と白人ということも含めて2人には一見共通項がないように見えるが、非常に思索的で内省的な人格を持ち、生涯にわたって自分の信じる音楽をストイックに追求し続けたという点ではよく似ている。ベクトルの向かう方向が違っただけだ。マーク・ターナーの音楽から受ける印象からすると、おそらく資質的にこの2人に近いものがあるがゆえに、先人の音楽に共通する、範とすべき何かを見出したのだろう。
2017/06/21
ウォーン・マーシュ #2
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| Warne Marsh 1957/58 Atlantic |
この件について書かれたものを読んだことがないので、まったくの想像(妄想?)に過ぎないが、これらの選曲とテープ編集にはレニー・トリスターノの意向(と嗜好)が大きく反映されているような気がする。口を出し過ぎたので結果として「監修」とクレジットすることになったのか、最初から「監修」者なので責任上あれこれ口出ししたのか? とにかく、トリスターノがからむ話はおもしろい。しかし、そういうトリスターノの「メガネにかなった」演奏のみが選択され収録されていると考えれば、このアルバムにおける演奏のレベルと音楽的価値についての説明は不要だろう。さらにLAでの作品と印象が違う理由もわかる。リー・コニッツは、マーシュの特にチェンバース、モチアンとの4曲のピアノレス・トリオ演奏について何度も最高度の賛辞を送っている。これらの演奏からのインスピレーションが、その後コニッツのピアノレス・トリオの名作「Motion」(1961 Verve)の録音に結びついた可能性は十分にあるだろう(これも想像ですが)。蛇足ながら、特にこうしたピアノレス・トリオものを楽しむには、ある程度ステレオの音量を上げて、ベースとドラムスの動きも良く聞こえるようにしないと、レコードとプレイヤーの真価を見誤ります。
この後1959年には、コニッツ、マーシュに当時新進のピアニストだったビル・エヴァンスが加わったクラブ「ハーフノート」でのライヴ録音が残されている(ジミー・ギャリソン-b、ポール・モチアン-ds)。ビル・エヴァンスは、当日教師の仕事のために出演できなかったトリスターノに代わって急遽参加したものだという。だがコニッツ名義のこのレコード「ライヴ・アット・ザ・ハーフノート」がVerveレーベルからリリースされたのは1994年で、何とピーター・インドによる録音から35年後だが、この背景には録音テープを巡るトリスターノとコニッツの師弟間の様々な確執があったと言われている。(コニッツの演奏部分だけトリスターノがテープ編集で削除し、マーシュの部分のみ残して別のレコードとして一度リリースされたという逸話も残っている)。そうしたややこしい背景も理由の一つだったのか、「リー・コニッツ」の中でコニッツが語っているように、ビル・エヴァンスがコニッツの背後ではほとんど弾かず、まるでピアノレス・トリオのように聞こえる場面が多い。またコニッツ本人も認めているように、リズムの点を含めてこの二人は音楽的に相性があまり良くなかったようだ。だが一方のマーシュは、そうした状況だったにもかかわらず、このレコードでも相変わらず素晴らしい演奏をしていると思う。
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| Live at the Half Note 1959 Verve |
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| Release Record: Send Tape 1959/60 Wave |
ウォーン・マーシュのこの時期の他のワン・ホーン・カルテットとしては、これもピーター・インド(b) の私家録音だが、トリスターノ派のメンバーと共演した「Release Record:Send Tape」(1959/60 Wave)がある。緊張感に満ちた高度なインプロヴィゼーションの続くAtlantic盤と違い、こちらは仲間内で非常にリラックスした当時のマーシュの演奏が楽しめる。本アルバムはマーシュ、インドの他、ロニー・ボール(p)、ディック・スコット(ds)というトリスターノ派によるカルテットの演奏が収められていて、時期からすると「ハーフ・ノート」でのライヴのすぐ後に当たる。録音された11曲はスタンダードとマーシュのオリジナルが約半々だ。「ハーフノート」でのマーシュの演奏も冴えわたっていたが、ここでは気心の知れたメンバーということもあってか、伸び伸びと独特のインプロヴィゼーションを楽しむマーシュの様子が伝わって来る好演の連続で、同じくロニー・ボールのリラックスした小気味の良いピアノも楽しめる好アルバムだ。
マーシュはコニッツ同様に、60年代、70年代とそれほど注目を浴びたわけではないが、72年から、チャーリー・パーカーのアドリブラインを5人のサックス奏者がプレイする "スーパーサックス" の一員として参加している。その後リリースされた「クロスカレンツ Crosscurrents」(1978 Fantasy) は、リー・コニッツ、ウォーン・マーシュとビル・エヴァンス、という3人の共演(エディ・ゴメス-b、エリオット・ジグモンド-ds)で、一体どういう音楽になるのか期待一杯だったこともあって(まだVerveの「ハーフノート」ライヴ盤はリリースされておらず、初のエヴァンス・トリオとの共演に興味があった)、最初にアルバムを聴いた時は正直言って少々がっかりした記憶がある。当時はもうみんな年だったせいか、緊張感、躍動感というものがあまり感じられなかったからだが、こちらも年のせいか近年はそれなりの味わいがあるなと感じるようになった。「ハーフノート」盤同様に、ここでもエヴァンスはコニッツのバックではあまり弾いていない。しかしこのアルバム中で唯一、マーシュの短いバラード<Everytime We Say Goodbye> だけは、なぜか最初に聴いて以来ずっと耳から離れず、私にとって永遠のバラードとなった。コニッツのクールで理知的な表現とは異なり、マーシュのバラ―ドには不思議な味わいと温かみがあり、そのふわふわとした、つかみどころのない独特のテナーサックスの音色、メロディライン、演奏リズムには、マーシュにしかない音世界がある。ピッチが揺れるような、ゆらめくようなここでのマーシュのバラードは、聴いていると全身から力が脱けていくような気がするのだが、単なる抒情というものを超えて、遠くから、まるでこの世とあの世の境目から流れて来るかのような、実に摩訶不思議な音の詩になっている。ビル・エヴァンスのピアノも、コニッツのシャープな世界よりも、やはりリズムを含めてマーシュのソフトで柔軟な音世界の方がずっと相性が良いように思う。マーシュは、後年の「ア・バラード・ブック A Ballad Book」(1983 Criss Cross)でも、カルテットでこうしたバラード・プレイを中心に聞かせているので(ピアノはルー・レビー)、この独特の世界に興味がある人はぜひそちらも聞いてみていただきたい。
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| Crosscurrents 1978 Fantasy |
2017/06/19
ウォーン・マーシュ #1
テナーサックス奏者ウォーン・マーシュWarne Marsh (1927-1987) は、リー・コニッツと共にトリスターノのもう一人の高弟だった。「リー・コニッツ」のインタビューで、インプロヴァイザーとしての同僚マーシュをコニッツは何度も絶賛している。ロサンジェルスの高名な映画カメラマンとヴァイオリニストの母親という芸術家の両親の下で、裕福だが孤独な家庭に育ったマーシュは、1948年から50年代半ばまでニューヨークでトリスターノに師事していた期間を除き、1987年にLAのクラブDonte's 出演中に倒れて亡くなるまで、生涯LAを中心に活動した。サフォード・チェンバレン著の「An Unsung Cat」(謳われざるジャズマン)という伝記でも描かれ、またコニッツの発言からもわかるように、あまり自分を表に出して売り込むような人物ではなかったようだ。そのため脚光を浴びる華やかな場とは生涯縁のないミュージシャンだった。しかしジャズマンらしからぬその内省的で深く沈潜する人格からか、通常のジャズ・ミュージシャンにはない陰翳を感じさせる独特の表現力を持っていた。特にリズムは、生涯にわたってトリスターノのポリリズム的理想を忠実に追求し、類例のないリズム感覚を築き上げた。後年一層磨きをかけた変幻自在のリズムに支えられた、「水底でゆらめくような」としか形容できない不思議なラインと音色の魅力は、マーシュにしか生み出しえなかった独創的な音世界である。
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| Jazz of Two Cities 1956 Imperial |
トリスターノ・グループのレコードやコニッツの「サブコンシャス・リー」等で、常にサイドマンとして参加していたマーシュが、トリスターノの下を一時離れていた1956年に、故郷のLAに帰って録音した初リーダー作が「ジャズ・オブ・ツー・シティーズJazz of Two Cities」(Imperial)だ。マーシュと同じくトリスターノの弟子だったテッド・ブラウンTed Brown (1927-) との2テナーに、ロニー・ボール(p)、ベン・タッカ―(b)、ジェフ・モートン(ds)というリズム陣 が加わったクインテットによる演奏である。コニッツと同じく、マーシュも50年代半ばのこの頃の演奏が何と言っても最高で、特にこのアルバムでは、おそらく師匠の呪縛から逃れて、明るい故郷LAに戻って演奏したこともあるのか、解き放たれて伸び伸びと飛翔しているかのような実に気持ちのいいプレイの連続である。重たいジャズはどうも…という人にぜひ聴いてもらいたいアルバムだ。トリスターノ派のクールネスとジャズ的エモーションが、高いレベルで程良くバランスした最高度のジャズ的快感を味あわせてくれる演奏の典型であり、今聴いても全く色褪せていない。ロニー・ボールのピアノもその象徴で、トリスターノ的硬質感を保ちながら、実に小気味よくクールにスイングしている。
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| Free Wheeling 1956 Vanguard |
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| Art Pepper with Warne Marsh 1956 Contemporary |
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| Warne Marsh Quartet 1957 Mode |
2017/06/17
リー・コニッツを聴く #8:ウィズ・ストリングス
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| An Image 1958 Verve |
リー・コニッツは自伝でも述べているように、特にバルトークなどの20世紀クラシック音楽を好み、また造詣も深い。そういう嗜好もあって、若い時からストリングスと共演するアルバムを何作かリリースしてきた。幼なじみで、シカゴ時代に一緒にトリスターノに師事していたヴァルブ・トロンボーン奏者兼アレンジャーのビル・ラッソ Bill Russo (1928-2003) と親しく、1952年にスタン・ケントン楽団にコニッツを招いたのもラッソだった。Verve時代に、そのラッソ(作・編曲・指揮)と組んで作った初めてのウィズ・ストリングス作品が「アン・イメージ An Image」(1958)である。当時はガンサー・シュラー等が中心となり、現代音楽とジャズを融合した“サード・ストリーム・ミュージック”が流行していた時代でもあり、このアルバムもチャーリー・パーカーの「ウィズ・ストリングス」的な、添え物的ストリングスとは異なるアレンジメントで、ジャズとクラシックとの融合を試みた作品だ。モンクの<ラウンド・ミッドナイト>他スタンダード3曲と、ラッソの自作4曲を演奏していて、ビリー・バウアーもギターで参加している。コニッツの繊細極まりないアルトサウンドは、当時から確かにクラシックの弦楽器との馴染みも良く、ラッソのモダンなアレンジメントとも非常によく調和した作品に仕上がっている。
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| Strings for Holliday 1996 Enja |
ドイツのEnjaレーベル創始者で、コニッツのファンだったプロデューサーのマティアス・ウィンケルマンと組んで1996年に制作したアルバムが「ストリングス・フォー・ホリデイ Strings for
Holiday」だ。ビリー・ホリデイが好きだったコニッツが、ストリングス・セクステット(2vln,
2viola, 2cello)をバックにした漂うようなワン・ホーンで彼女に捧げた美しい作品である。アレンジはダニエル・シュナイダーで、マイケル・フォーマネクがベース、コニッツとも親しいマット・ウィルソンがドラムスで参加している。曲目はいずれもホリデイの愛唱曲で、ジャズファンならどれも聞き馴染んだ名曲ばかりである。当然ながらどの演奏も、コニッツのアイドルであり、ホリデイとも親しかったレスター・ヤングを彷彿とさせるもので、柔らかで流れるようなメロディに、背後で現代的にアレンジされたストリングスが美しくからんでいる。難解ではないので、ゆったりとイージーリスニング的に聴いても十分楽しめるが、そこはコニッツなので、じっくり耳を澄ませば、インプロヴァイズされたそのメロディも、音色も、リズムも深みが違うことがわかる。90年代のコニッツは二度目の全盛期とも言えるような充実した作品が多く、このアルバムからも好調だったその時期のコニッツのスピリットが感じられる。
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| Play French Impressionist Music 2000 palmetto |
「Play French Impressionist Music」 (2000) というアルバムは、リー・コニッツによるライナーノーツの説明だと、そもそもは彼のアルトサックスと弦楽四重奏を組み合わせるという企画を、日本のヴィーナス・レコードの原哲夫氏が発案したらしい。そこでアレンジャーとして、若いオハッド・タルマー
Ohad Talmor (1970-) をコニッツが指名したものの、ヴィーナス側の事情で実現しなかった。だが、その構想に基づいて作業を続けていたタルマーが、ライヴ演奏での試みを経て最終的にPalmettoレーベルから2000年にリリースしたのがこのアルバムだということだ。コンセプトは、タルマーがフランス印象主義派の音楽(フォーレ、サティ、ラヴェル、ドビュッシーなどのピアノ・ソロやデュオ曲)を弦楽四重奏向けにクラシック的にアレンジし、その上にコニッツのアルトサックスをかぶせるという、ある意味50年代サード・ストリームの現代版の趣の音楽である。演奏は譜面通りではなく、ストリングス側(アクシス・ストリングス・カルテット)もコニッツ側も部分的にインプロヴァイズしており、それをいかに破綻なく譜面通り演奏しているように感じさせるか、といういささか屈折した、しかしある種挑戦的な楽想に基づいている。若いアレンジャーによるジャズとクラシックの不思議な融合の美を聴くこと、さらに弦楽四重奏の上で浮遊するコニッツのメロディ・ラインと音色を楽しみ、クラシック音楽の土台の上でインプロヴァイズして(いないように聞かせながら)どこまでジャズ的な表現が可能かというコンセプトを感じ取れるか、そこを聴くのがこのアルバムの楽しみ方だろう。
2017/06/15
リー・コニッツを聴く #7:ピアノ・デュオ
1967年の全編デュオのアルバム「デュエッツDuetts」(Milestone)以来、コニッツはピアノレス・トリオと並んで、デュオのフォーマットを好んできた。インプロヴィゼーションのためのスペースがより広いことがその理由で、自分のコンセプトをより自由に実行でき、かつ相手の音をより緊密に聴くことができるからだ。一方、50年代半ば以降、自身がリーダーのバンドを持たなかったコニッツは、60年代後半からはヨーロッパでの活動が増え、北欧、ドイツ、イタリア、フランスなど各国の現地ミュージシャンとの他流試合を重ねていて、さながら「アルト一本渡り鳥」のような人だった。オーストリアが自身のルーツの一つであり、またその後近年までドイツのケルンに住んでいたように、クラシックの伝統とフリー・インプロヴィゼーションの発展など、ジャズだけでなく様々な音楽を受け入れてきたヨーロッパの懐の深さが、コニッツにとっては居心地が良かったのだろう。そうした経験がその後のコニッツの音楽に影響を与えたとも言えるが、その過程でヨーロッパ各国のミュージシャンとの人脈も形成し、その中から有望な人たちを発掘することにも貢献してきた。
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| Toot Sweet with Michael Petrucciani 1982 Owl |
ピアニスト、ミシェル・ペトルチアーニ Michael Petrucciani (1962-99) との邂逅もそのひとつであり、1982年にフランスOwlレーベルに録音されたデュオ・アルバム「トゥート・スウィート Toot Sweet」でのコニッツとの共演をきっかけに、ペトルチアーニがアメリカや世界のジャズ・マーケットに初めて紹介されることになった。録音時コニッツは55歳、ペトルチアーニはデビュー間もない19歳でコニッツとは初顔合わせのセッションだった。まだ19歳のペトルチアーニは巨匠との一対一の共演という場に、おそらくさすがに緊張と尊敬の入り混じった複雑な心理だったろうが、コニッツの繰り出すアブストラクトな独特のフレーズに対し、見事に音楽的応答をこなしている。また、このアルバムでのコニッツのサウンドは、厚くハスキーに録れていて、ペトルチアーニの華麗なピアノ・サウンドと好対照だ。それぞれのソロ各1曲を含む6曲はいずれも聴きごたえがあるが、中でも約16分に及ぶ<ラウンド・アバウト・ミッドナイト>と<ラヴァー・マン>という2曲に聞ける両者の長く美しい、かつ刺激的な対話は、「汲めども尽きぬ」という表現がまさにふさわしい即興デュオのひとつの極致だろう。ソロやデュオ作品というのは、ずっと聴き続けるのが結構大変なものが多いが、このアルバムはそうではなく、インプロヴィゼーションを通じた二人の対話には最後まで興味がつきることがない。
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| Solitudes with Enrico Pieranunzi 1988 Philology |
マーシャル・ソラール他とのイタリア録音がきっかけで、コニッツにとってヨーロッパの中でもイタリアとの交流が特に深いものになった。その後イタリアのレーベルPhilologyに数多くの録音を残しており、エンリコ・ピエラヌンツィ Enrico Pieranunzi とのピアノ・デュオ「ソリチュード Solitudes」(1988) もその1枚である。ピエラヌンツィは自己のソロやトリオでの活動の他、ジョニー・グリフィンやチェット・ベイカーと、また80年代はコニッツとも頻繁に共演していたが、二人が共演したアルバムとして残されているのは本作のみのようである(調べた範囲で)。ピエラヌンツィはクラシック的な構築感のある美しい演奏が多いが、かなりフリー的表現も試みる人で、それは80年代に共演したコニッツの影響が大きいと語っている。このアルバムでは、二人がよく知られているスタンダード全11曲(+別テイク3曲)にチャレンジしている。コニッツはこの後1990年代にもペギー・スターンなどピアニストとのデュオ作品をPhilologyに残しているが、当然のごとく各アルバムには二人の奏者間の対話独特の味があって、それぞれが違い、それぞれが楽しめる。デュオというのは、普通は聴き手にもある種の緊張を強いるものだが、イタリア録音のこれらのアルバムは、お国柄もあってどことなくリラックスしているところが良い。しかし、さすがにピエラヌンツィとのこのCDは、82年のミシェル・ペトルチアーニとのデュオに近いハードなジャズ的緊張感もそこはかとなく漂わせていて、じっくり聴くことを要求する。
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| Italian Ballads Vol.1 with Stefano Battaglia 1993 Philology |
コニッツとステファノ・バターリア Stefano Battaglia (1965-) のデュオ「イタリアン・バラッズ
Italian Ballads Vol.1」(1993 Philology)は、タイトルが示すように、よく知られたイタリアのポピュラー曲を素材にしている。この当時66歳のコニッツは2度目の絶頂期であり、安定した、成熟したプレイを聞かせていた時期で、一方バターリアはまだ20代後半の若さで、ライナーの写真ではスキンヘッドの今と違って長い髪をしている。コニッツは80年代以降のデュオ録音では、非常にアブストラクトな表現をするときと、繊細に美しくメロディを歌わせるときがある。他の作品と違ってこのアルバムでは全体としてアブストラクトな表現を避け、丁寧にメロディを歌わせることに徹しており、安定したピッチで、微妙な音色とニュアンスによって「歌う」表現を試みている。素材そのものが通俗的で、感傷的な歌ものだということもあるが、バターリアのクラシカルでクールな美しいピアノ伴奏を得て、それをどこまで洗練されたジャズ・デュオにできるかがテーマだったろう。そして見事にそれに成功していると思う。何も考えずに、深夜いつまでもじっと聴いていたくなるような、クールで美しいデュオである。
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| Live-Lee with Alan Broadbent 2000 Milestone |
「ライヴ・リー Live-Lee」(2000 Milestone)
は、ロサンジェルスのクラブ「ジャズ・ベイカリー」でアラン・ブロードベントAlan Broadbent
(1947-) とのデュオをライヴ録音したアルバム。全11曲で、スタンダード中心の選曲だが、お馴染みトリスターノの<317 East32nd>と<Subconscious-Lee>も取り上げている。ブロードベントはニュージーランド出身という珍しいピアニストで、コニッツが完全に師の元を去った後のトリスターノ・スクールで、1966年から約2年間トリスターノに直々に師事した人だ。その間コニッツたちと同じく、レスター・ヤングのソロを研究するという指導を受けている。その後ウッディ・ハーマンをはじめ、ネルソン・リドル、ヘンリー・マンシーニ等の楽団編曲の経験を経て、歌手ナタリー・コールの伴奏者、編曲者、さらにチャーリー・ヘイデンのカルテット・ウエストに参加、また歌手ダイアナ・クラールの編曲者としても活動し、グラミー賞も2度受賞している。しかしこのアルバム以前にコニッツとの共演記録はない。そういうわけで、このアルバムはトリスターノ・スクールの先輩と後輩による同窓デュオのようだとも言える。ブロードベントは、歌手アイリーン・クラール Irene Kral (1932-78) との素晴らしいデュオ・アルバム、「ホェア・イズ・ラヴ? Where Is Love?」 (1974 Choice) での寄り添うような見事な歌伴が記憶に残っているが、その後も女性ヴォーカリストの伴奏を手がけているように、非常に繊細な表現をする人だ。ここでのコニッツのプレイはいつも通り、時々出て来るアブストラクトな感じと、メロディアスな部分が微妙に入り混じっていて、2人の対話が不思議な心地良さを感じさせるデュオ・アルバムとなった。
2017/06/12
リー・コニッツを聴く #6:1970年代以降
「Lee Konitz」を翻訳する前に私が聴いていたコニッツのレコードは1960年代までで、70年代以降のレコードははっきり言って聞いたことがなかった。70年代以降コニッツは大量にレコーディングしていたが、日本ではこれまであまり紹介されていなかったこともある。だが、本文のインタビュー中で触れている録音記録をフォローするために、かなりの数のレコードを初めて聴いてみた。その中で印象に残ったレコードを何枚か挙げてみたい。
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| Jazz á Juan 1974 SteepleChase |
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| The New York Album 1987 Soul Note |
80年代に入るとコニッツはピアニスト、ハロルド・ダンコと組んで正式なグループではないが双頭カルテットで演奏しつつ、実質的なリーダーとしてヨーロッパや日本へのツアーを含めて活動を続けていた。比較的短期間の活動ではあったが、「The New York Album」 (1987 Soul Note)は、「Ideal Scene」(1986同)と並んで、そのカルテット時代に録音した80年代を代表する1作だろう。リズム・セクションは何人か入れ換わっていたが、このCDではマーク・ジョンソン(b)、アダム・ナスバウム(ds) が共演している。このアルバムは、演奏からみなぎるカルテットの一体感と解放感、ジャズ的グル―ヴ、選曲、メロディアスな表現など、すべてにおいて優れていて、私的にはコニッツの80年代のベスト・アルバムだと思う。こういう高い完成度を持った自身のカルテットとしての演奏は、傾向は違うが50年代半ばのStoryville時代以来と言える。スタンダード2曲、コニッツのオリジナル2曲の他、<Candlelight Shadows>(ダンコ作)、<Everybody’s Song but My Own>(ケニー・ウィーラー作)、<September
Waltz>(フランク・ウンシュ作)、という3曲のコニッツの盟友ミュージシャンのオリジナル曲との選曲バランスが良く、またどの曲もメロディが非常に美しいのが特徴だ。何よりコニッツも、ダンコを始めとするリズム・セクションも、時にハードに、時にソフトに全体として実に伸び伸びと演奏しているところがいい。したがってコニッツのアブストラクト度もいつもより低く、リズムもシンプルで、メロディを素直にリリカルに歌わせているので非常にわかりやすい。おそらくメロディアスで伸びやかな演奏というこのアルバムの延長ラインで、90年代のペギー・スターン(p)と組んだハッピーなブラジリアン・バンドへと向かったのだろう。
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| Thingin' 1995 Hatology |
1990年代のコニッツは、50年代に続く生涯2度目のピークとも言える充実した時期を迎えており、ハードで抽象的な表現から益々リリカルでメロディックな演奏に変貌しつつあった。「シンギンThingin’」は、リー・コニッツ(as)、ドン・フリードマン(p)、アッティラ・ゾラー(g) のトリオによるスイス・タルウィルでのクラブ・ライヴ録音だ(1995 Hatology)。ハンガリー生まれのギタリスト、アッティラ・ゾラーに50年代末にアメリカ移住を勧めたのがコニッツであり、その後ゾラーはフリードマンと共にフリー・ジャズを指向し、60年代後半にはコニッツも加わり三者で共演している。したがって、このアルバムは言わば旧知のベテラン同士の邂逅である。場所がスイスで、かつクラブ・ライヴということもあるのか、リラックスした3者の静かで緻密なインタープレイが実に楽しくまた美しい。録音も素晴らしく、アルトサックス、ピアノ、ギターそれぞれの音色、さらにそれらが混じり合い空間に響き渡る様子が見事に捉えられている。コニッツ作
<Thingin’>(<All The Things You Are>が原曲のライン)で軽やかに始まり、ゾラー、フリードマンの各ソロ曲を含め全7曲で、いずれもスローないしミディアム・テンポのオリジナル中心の構成だ。わかりやすくメロディックなコニッツのアルト、相変わらず透明感あふれる響きが美しいフリードマンのピアノ、無駄がそぎ落とされたタイトでクリーンなゾラーのギター、という3つの楽器が微妙に溶け合い、互いに反応し合う会話の流れが素晴らしい。3人ともにフリーの経験を経ていて、またレニー・トリスターノからの影響もあり、陳腐なジャズとは無縁のサウンドを求めている点で互いの音楽的資質と感性が近いのだろう。特に、フリードマンとコニッツは、この時期日本で共演したカルテットのライヴ録音(1992 カメラータ)もそうだが、おそらくリズムと空間の使い方、求めるサウンドの美に共通するものがあって、互いにストレスなく自由に会話できる非常に相性の良い相手だと思う。録音時点で60歳を超えるベテラン3者の美しいインタープレイが紡ぎ出す音空間に、ひたすら耳を傾け心地良さに浸れる秀作である。
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| Parallels with Mark Turner 2000 Chesky Records |
もう1枚は、2000年12月リー・コニッツ73歳の時に、Chesky Recordsによってニューヨーク市チェルシーにあるSt. Peter’s教会でSACD/CD Hybrid録音されたアルバム「パラレルズ Parallels」だ。全8曲の内、コニッツが当時から高く評価していたギタリスト、ピーター・バーンスタインとのカルテット演奏に加え、マーク・ターナー(ts)が4曲でゲスト参加したクインテットによる演奏が収められている。リズム・セクションはスティーヴ・ギルモア(b)とビル・グッドウィン(ds)。スタンダード2曲の他は、コニッツのオリジナル曲4曲(Subconscious-Lee、Palo Alto他)、トリスターノ作が1曲(317 East 32nd)、コニッツ・ターナー共作(Eyes)が1曲という構成。Cheskyの音はナチュラル過ぎてジャズの録音には向かない気がする時もあるが、コニッツのアルトサックスの微妙な音色を味わうには非常に適している。コニッツの録音としては、1992年の日本でのカメラータによるライヴ録音以来のナチュラルさだ。コニッツのアルトサウンドはアコースティックな良い録音でないと、特に晩年になって本人が常に意図している微妙なサウンド・テクスチュアの変化が捉えきれない。サウンドにしまりがなくなったとか色々言われていたが、今さら半世紀以上前のトリスターノ時代と比べられても迷惑だろうし、年齢を考えたらそれは当たり前のことで、むしろ本人はまったく違う美意識でその時期の自分のリアルなサウンドを常に再構築しようとしているのだ。本アルバムの聴きどころは、やはりマーク・ターナーとの共演だ。ターナーはトリスターノ派、とりわけウォーン・マーシュから受けた影響を広言してきた人だが、特にトリスターノの<317 East 32nd>やコニッツの<Subconscious-Lee>に聞けるコニッツとのユニゾン・プレイなどを聞くと、息もぴったりでまさにコニッツ&マーシュの往年の演奏を、時代を超えて見事に再現しているかのようで楽しい。ピーター・バーンスタインのギターは、あのビリー・バウアーに比べるとずっとオーソドックスで、バランスのとれた現代的なサウンドだ(当たり前だが)。録音のナチュラルさもあって、色々な意味で、特に往年の演奏を聞いてきた人たちにとっては、近年のコニッツの作品の中では最も楽しめるアルバムだろう。
2017/06/10
リー・コニッツを聴く #5:1960年代後期
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| Charlie Parker 10th Memorial Concert 1965 Limelight |
エルヴィン・ジョーンズとのピアノレス・トリオ「Motion」(1961)、デュオのみの「Duets」(1967)のちょうど中間にこのソロ演奏がある。ネットでコニッツの昔のビデオ映像を見ると、いつも舞台でジョークを飛ばしていて、結構笑いを取っている(ただしアメリカ風の大笑いではなく、イギリス風のくすくす笑い系だが)。トリスターノ派の音楽から来る堅苦しい印象や人物像を想像していると肩透かしを食うが、この会場でも演奏の前にキリストとパーカーをひっかけた軽いジョークをかましてからスタートしている。1960年代はジャズが拡散して、自分の立ち位置を見失うミュージシャンが多かっただろうが、コニッツにとっても「内省」の時代だったと言える。そういう意味では無伴奏アルト・ソロというのは究極のフォームだろう。また「リー・コニッツ」で述べているように、ブルースは黒人のものであり、ブルーノートの使用も含めて白人の自分たちに真のブルースは演奏できない、というのがトリスターノ派の思想だった。12小節のジャズ・フォームとして、ブルーノートのコンセプトには依らずに、どこまで音楽的に意味のある演奏ができるか、というのがトリスターノやコニッツの姿勢だった。レニー・トリスターノは「鬼才トリスターノ」(1955)で、<Requiem> というソロ・ピアノ(多重録音)による美しいブルースで、亡くなったパーカーへの弔辞を述べたが、おそらくその師にならって、コニッツはここで同じくソロのブルース <Blues for Bird> に挑戦したのだろう。理由は、パーカーだけがブルースの真髄を捉えていたと彼らは考えていたからだ。チャーリー・パーカーの音楽に本当に敬意を表していたのは、パーカーのエピゴーネンたちではなく、実は当時まったく違う音楽をやっていると思われていたトリスターノとコニッツだったのではないだろうか。
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| The Lee Konitz Duets 1967 Milestone |
リー・コニッツが1960年代にリリースした記憶すべきアルバムの1枚が「Duets」(1967 Milestone)だ。コード楽器によるソロ空間の制約を嫌ったコニッツは、「Motion」の延長線上で更なる空間を求めて1対1のデュオによってインプロヴィゼーションの可能性をさらに探求しようした。このアルバムは自らリストアップした共演者に声を掛け、承諾した9人のプレイヤーが1日集まって交代で演奏し、わずか5時間で一気に完成させたものだという。1960年代後半という時代背景もあって、コニッツ的にはフリー指向が一番強かった時期と思われる。コニッツのアルトとテナーサックス(一部電気アルト)に対し、テナーサックス(ジョー・ヘンダーソン、リッチー・カミューカ))、ピアノ(ディック・カッツ)、ヴィヴラフォン(カール・ベルガー)、ベース(エディ・ゴメス)、ギター(ジム・ホール)、ヴァイオリン(レイ・ナンス)、ヴァルブ・トロンボーン(マーシャル・ブラウン)、ドラムス(エルヴィン・ジョーンズ)という9人のプレイヤーが対峙して、緊張感のあるアブストラクトなデュオ演奏を繰り広げている(一部コンボ含)。全8曲の内、スタンダード、オリジナル曲の他、ガンサー・シュラーがライナーノーツに記しているように、ルイ・アームストロングやレスター・ヤングへのトリビュートと思われる曲やテーマも取り上げられており、フリー・コンセプションによってジャズの伝統を解釈しようと試みた部分もある。コニッツはどういうフォームで演奏しても、共演相手を「聴く」ことと、楽器間の「対話」に強烈な信念を持った人であり、そういう意味でこのデュオ・アルバムは、その姿勢が最も典型的に表れたものと言えるだろう。この時代の空気が濃厚に感じられる作品だが、コードやリズムからは自由になっても、美しいメロディに対するコニッツの執着から、アブストラクト寄りと言えども、他のフリー・ジャズ作品とは違う独自の音世界をこのアルバムから聴き取ることができる。
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| European Episode Impressive Rome 1968 CamJazz |
この時代の作品をもう1枚挙げるとすれば、1968年にイタリアで行われたボローニャ・ジャズ・フェスティヴァルに参加していたコニッツを招聘して録音された、カルテットによる2枚のLP「European
Episode」と「Impressive Rome」(Campi) をカップリングした同名の2枚組CD(CamJazz)である。コニッツの希望で集められたリズム・セクションのメンバーは、マーシャル・ソラール(p)、アンリ・テキシェ(ds) というフランス人、それにスイス人ドラマーのダニエル・ユメール(ds)だ。ソラールとユメールはコンビで数多く共演しており、アンリ・テキシェはこの当時23歳で、ソラール、ユメールとフランスで活動しており、ユメールと共にこの年にフィル・ウッズを迎えてヨーロッピアン・リズム・マシーンを結成している。コニッツにとって60年代は苦難の時代だったが、「デュエッツ」に見られるように、当時のいわゆるフリー・ジャズとは異なる内省的なアブストラクトの世界を追求していた。コード楽器を排除してできるだけ大きなインプロヴィゼーションのスペースを求めてきたコニッツだが、ここではマーシャル・ソラールという、どちらかと言えば「饒舌な」フランス人ピアニストをリーダーにしたリズム・セクションを相手にしながら、非常にリラックスして会話しているように聞こえる。ユメールも、若きテキシェも、自由奔放に反応して伸び伸びと演奏しており、適度なアブストラクトさも加わって、全体として多彩で躍動感に溢れたアルバムとなった。
スタンダード3曲(+2)、オリジナル4曲(+1)の全10トラックで、スロー、ミディアム、ファスト各テンポ共にどの演奏も気持ち良く聞け、また録音も良い。<Anthropology>、<Lover Man> というおなじみのスタンダード、それに<Roman Blues>という3曲は、それぞれVer.1とVer.2が収録されている(計6トラック)。聴きどころは、インプロヴィゼーションにおいて「同じことはニ度とやらない」という信条を持つコニッツが、それぞれの曲/Versionをどう展開しているのかという点で、まさにジャズ・インプロヴィゼーションの本質を聴く楽しみを与えてくれる。またコニッツが彼らヨーロッパのリズム・セクションとの演奏(会話)を非常に楽しんでいることがどの曲からも感じられる。反応の良さを求めるコニッツにとって意外にも相性が良かったというこの体験が、その後70年代以降のソラールとの交流や、ヨーロッパのミュージシャンたちとの共演作へと続いたのだろう。このアルバムはそういう意味で、コニッツの70年代以降の活動を方向付けた出発点とも言うべき演奏記録であり、「Motion」、「Duets」に次ぐ、60年代コニッツの代表作と言えるだろう。
スタンダード3曲(+2)、オリジナル4曲(+1)の全10トラックで、スロー、ミディアム、ファスト各テンポ共にどの演奏も気持ち良く聞け、また録音も良い。<Anthropology>、<Lover Man> というおなじみのスタンダード、それに<Roman Blues>という3曲は、それぞれVer.1とVer.2が収録されている(計6トラック)。聴きどころは、インプロヴィゼーションにおいて「同じことはニ度とやらない」という信条を持つコニッツが、それぞれの曲/Versionをどう展開しているのかという点で、まさにジャズ・インプロヴィゼーションの本質を聴く楽しみを与えてくれる。またコニッツが彼らヨーロッパのリズム・セクションとの演奏(会話)を非常に楽しんでいることがどの曲からも感じられる。反応の良さを求めるコニッツにとって意外にも相性が良かったというこの体験が、その後70年代以降のソラールとの交流や、ヨーロッパのミュージシャンたちとの共演作へと続いたのだろう。このアルバムはそういう意味で、コニッツの70年代以降の活動を方向付けた出発点とも言うべき演奏記録であり、「Motion」、「Duets」に次ぐ、60年代コニッツの代表作と言えるだろう。
2017/06/08
リー・コニッツを聴く #4:Verve
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| Very Cool 1957 Verve |
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| Tranquility 1957 Verve |
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| You and Lee 1959 Verve |
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| Motion 1961 Verve |
1960年前後、オーネット・コールマンのような新世代フリー・ジャズ・ミュージシャンが台頭し、マイルスは「カインド・オブ・ブルー」でモードを手がけ、コルトレーンも「ジャイアント・ステップス」を経て徐々にフリーに向かっていく中、上記アルバムジャケットの変遷に見るように、益々リラックスした "ゆるい"(?)作品が増えていたVerve後半のコニッツは、おそらく「このままではいかん…」と危機感を募らせたのではないかと想像する(あくまで想像です)。そこで生まれたVerve時代最後の作品が、アルトサックス、ドラムス、ベースのピアノレス・トリオによる「モーション Motion」(1961)である。このアルバムは間違いなく「Subconscious-Lee」と並ぶリー・コニッツの最高傑作だが、後者が師トリスターノの強い影響下にあった若い時期のものであるのに対し、「Motion」はコニッツがその後約10年間をかけて到達した自身の音楽の集大成とも言えるものだ。インプロヴィゼーションのための自由空間を制約するコード楽器との共演をコニッツは徐々に好まなくなり、60年代以降トリオやデュオでの演奏が増えて行くが、その方向を決定づけたのはこの「Motion」で得られた自信だろう。それくらいここでのコニッツは自信に満ち、豊かで伸びやかな演奏を展開している。「リー・コニッツ」で本人が述べているように、”知的でクール” と見られていたコニッツと、当時コルトレーンのグループにいた ”ホットでワイルド” なエルヴィン・ジョーンズ(ds)との初の組み合わせは、当時誰が見ても異質で意外なものだった。コルトレーンとの共演ぶりから相性面で不安を感じていたコニッツだったが、前日の夜「ヴィレッジ・ゲート」でコルトレーンとの激しいライヴ演奏をこなし、翌朝早くに録音現場に現れたエルヴィンの人柄と、予想外の驚くべき繊細さと絶妙なタイム感でリズムを繰り出すその演奏にすっかり感激したという。約10年にわたり晩年のトリスターノの専属ベーシストだったソニー・ダラス(b)は、エルヴィンともコニッツとも旧知で、そのベースワークは二人の間を取り持ちながら緊張感溢れる演奏を支えている。当日のこの3人の演奏技術と人間的コンビネーションが相まって、この傑作が生まれたのだろう。
収録全5曲ともスタンダードだが、コニッツの演奏から聞こえてくる原曲のメロディは、得意曲 <Foolin’ Myself> を除くとどれも希薄で、エルヴィンの繰り出すリズムに反応しながら冒頭からほぼ全編が緊迫した即興ラインの連続である。そこに聴ける創造力と音楽的テンションは、アルトサックスによるジャズ・インプロヴィゼーションの極致と言えるものだろう。ピアノのようなコード楽器のないことが、自由なインプロヴィゼーション空間を生み出すというコニッツの持論に頷かざるを得ないように、3つの楽器がそれぞれ独立したリズムとラインを刻みながら空間で見事に溶け合う、という最高度のジャズ的グルーヴを味あわせてくれる傑作だ。しかしながら、この久々の傑作を作ったにもかかわらず、この後60年代からのコニッツは、ジャズを取り巻く世界の変貌もあって、ジャズ・ミュージシャンとして最も厳しい時代を生きることになる。
収録全5曲ともスタンダードだが、コニッツの演奏から聞こえてくる原曲のメロディは、得意曲 <Foolin’ Myself> を除くとどれも希薄で、エルヴィンの繰り出すリズムに反応しながら冒頭からほぼ全編が緊迫した即興ラインの連続である。そこに聴ける創造力と音楽的テンションは、アルトサックスによるジャズ・インプロヴィゼーションの極致と言えるものだろう。ピアノのようなコード楽器のないことが、自由なインプロヴィゼーション空間を生み出すというコニッツの持論に頷かざるを得ないように、3つの楽器がそれぞれ独立したリズムとラインを刻みながら空間で見事に溶け合う、という最高度のジャズ的グルーヴを味あわせてくれる傑作だ。しかしながら、この久々の傑作を作ったにもかかわらず、この後60年代からのコニッツは、ジャズを取り巻く世界の変貌もあって、ジャズ・ミュージシャンとして最も厳しい時代を生きることになる。
2017/06/06
リー・コニッツを聴く #3:Atlantic
1950年代半ば以降の約10年間というのは文字通りモダン・ジャズ黄金期であり、特にその頂点と言えるのは50年代後期で、ハードバップ、ファンキー、モードなど、それぞれのスタイルや演奏コンセプトを持ったミュージシャンたちでまさに百花繚乱の時代だった。その間マイルス・デイヴィスはハードバップからモードへと舵を切り、セロニアス・モンクはようやく独自の音楽の認証を得て脚光を浴び始め、ジョン・コルトレーンはシーツ・オブ・サウンドの開発を始め、オーネット・コールマンは新たなフリー・ジャズを提案し、アート・ブレイキーはジャズ・メッセンジャーズでさらに大衆にアピールし…という具合に、誰もが新たなジャズの創造と、果実を手に入れることを目指して活発に活動していた時代だった。またモンクを除けば、当時のリーダーたちはみな30歳前後で、創造力も活力も溢れていた。そのジャズ全盛期にリー・コニッツはどうしていたのだろうか?
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| Lee Konitz with Warne Marsh 1955 Atlantic |
自身の哲学に忠実で常にブレないコニッツは、その間も独自の道をひたすら歩んでいた。短かったStoryville時代を経て、コニッツはついにメジャー・レーベルであるAtlanticと契約する。その最初のアルバムが「リー・コニッツ・ウィズ・ウォーン・マーシュ Lee Konitz with Warne Marsh」(1955)だ。このアルバムは、コニッツにとって最も有名な録音の1枚だが、メンバーがウォーン・マーシュ(ts)、サル・モスカ(p)、ロニー・ボール(p)、ビリー・バウアー(g)、というトリスターノ派に加え、オスカー・ペティフォード(b)、ケニー・クラーク(ds) というバップ系の黒人リズム・セクションが参加したセクステットであるところが、それまでのコニッツのリーダー・アルバムとは異なる。コニッツのアルト、マーシュのテナーによる対位法を基調とした高度なユニゾンは、トリスターノのグループ発足後約7年を経ており、テナーの高域を多用するマーシュと、アルトをテナーのように吹くコニッツとの双子のような音楽的コンビネーションは既に完成の域に達していたはずで、ここでも全体に破綻のない見事な演奏を聴くことができる。しかしペティフォード、クラークという強力なリズム・セクションの参加が、トリスターノ派とは異なる肌合いを与えているせいなのか、当時の他のコニッツのワン・ホーン・アルバムに比べると、バランスはいいのだがどこか独特のシャープネスや閃きのようなものが欠けていて「重い」、という印象を以前から個人的に抱いていた。アンディ・ハミルトンの「Lee Konitz」を読むと、当時常用していたマリファナの影響で、リーダー録音であったにもかかわらず、実は録音当日の体調が思わしくなく、本人もこの録音における自分の演奏には満足しておらず、特にマーシュとの一体感に問題があったとコメントしている。自己評価が非常に厳しい人なので割り引いて考える必要もあるが、確かに名盤だが、何となく50年代の他のアルバムと違う印象を持った理由がわかった気がした。とは言え、飛翔しつつあったコニッツ、マーシュという、この時代のトリスターノ派の最盛期の共演を代表するアルバムであることは確かだ。
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| Lee Konitz Inside Hi-Fi 1956 Atlantic |
その後コニッツは1956年に「Lee Konitz Inside Hi-Fi」、「Worthwhile Konitz」、さらに「Real Lee Konitz」という3枚のLPをAtlanticに吹き込む。(正確に言えば、「Worhwhile Konitz」はAtlantic本社に残された未発表音源を日本のワーナー・パイオニアが1972年に編集したLPが原盤である。)「Inside Hi-Fi」はサル・モスカ(p)、ビリー・バウアー(g)、ピーター・インド/アーノルド・フィシュキン(b)、ディック・スコット(ds)とのカルテットによる1956年の別々のセッションを収めたもので、コニッツはそこでテナーも吹いている。その時サル・モスカが参加した録音の残りのセッションと、同年のジミー・ロウルズ(p)、リロイ・ヴィネガー(b)、シェリー・マン(ds)という、珍しい西海岸のプレイヤーと有名曲を演奏したLA録音を組み合わせたのが日本編集の「Worthwhile」である。
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| Real Lee Konitz 1957 Atlantic |
「Real Lee Konitz」は1957年2月のピッツバーグでのクラブ・ライヴを、ベース奏者で録音技師でもあったピーター・インドが録音し、それをコニッツが後でテープ編集して仕上げたといういわくつきのレコードだが、完成した演奏は素晴らしい(ビリー・バウアー-g、ディック・スコット-ds、一部ドン・フェラーラ-tp)。テープ編集は今どきは当たり前に行なわれている録音方法だが、当時なぜコニッツがこの手法を取り入れたのかは調べたが不明だ。それ以前からテープ編集が得意だった師匠レニー・トリスターノの影響だったのかもしれない。”Real" の意味を考えたくなるが、これがAtlantic 最後の作品となった。
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| Worthwhile Konitz 1956 Warner Pioneer(LP) |
他の2枚のLPは今でもCDで入手可能だが、日本編集盤のLP「Worthwhile Konitz」は単体ではCDリリースされておらず、唯一これら3枚のAtlanticのLP音源をまとめた2枚組コンピレーションCDで、私が保有している「The
Complete 1956 Quartets」(American Jazz Classics)でのみ聴けるが、このCDは今は入手困難のようだ(ただしMozaicのコンプリート版には収録されているだろう)。Atlantic時代は、言うまでもなくStoryvilleに続くコニッツの絶頂期であり、これらのアルバムにおける演奏はどれも高い水準を保ち、当時のコニッツの音世界が楽しめる。選曲もポピュラー曲が増え、アブストラクトさもさらに薄まり、一言で言えば聴きやすくわかりやすい演奏に変貌していることが明らかだ。







































