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2020/04/11

モンクとニカとフランス

セロニアス・モンクとニカ夫人(パノニカ)の物語は、アメリカの天才黒人ミュージシャンと、イギリスのユダヤ系大富豪ロスチャイルド本家出身の男爵夫人が、20世紀アメリカで生まれた新しい音楽ジャズを介して、人種、貧富、地理的制約を超えた不思議な友情を生涯にわたって築いてゆくという、「事実は小説よりも奇なり」を地で行く実話である。活字でノンフィクション・ノベル化もできるだろうし、あるいは、ジャズを愛する映像作家とかコミック作家が、この壮大で不思議な物語を何とかヴィジュアル化してくれないものだろうか……とノンフィクションである『パノニカ』を翻訳中から思っていた。ところが、それをヴィジュアル化したコミックが実際に2018年に登場していた。

ユーセフ・ダウディ Youssef Daoudi というフランス在住の漫画家兼イラストレーター(モロッコ出身らしい)が、モンクとニカ夫人の人生と友情、当時のジャズの世界を、世界で初めて「コミック」として描いたのが、『Monk!: Thelonious, Pannonica, and the Friendship Behind a Musical Revolution』(2018 First Second /US) だ。英語では Graphic Novelと呼ぶらしい「大人向けのストーリー漫画」で、日本の漫画に比べるとセリフが少なく、絵でイメージを表現する傾向が強い抽象的な漫画と言えようか。私が買ったのは英語版の立派なハードカバー製の本で(電子版も、フランス語版もあるようだ)、素人目で見ても、金色を入れた2色刷りの美しくオシャレなコミックで、表紙絵に見るように、モンク独特の動き、ダンスを捉えたアーティスティックな絵もなかなか素晴らしい。海外のコミックと日本のコミックとの画風、作風の本質的違いはよく分からないが、この作品は絵柄が緻密で、大人っぽい。日本のジャズ漫画というと、昔はまずラズウェル細木のジャズマニア系ギャグ漫画があったし、ストーリー漫画としては『坂道のアポロン』(小玉ユキ)、現在も連載中の『Blue Giant』(石塚真一)などがあるが、この『Monk!』のようにグラフィック系の絵柄で、かつノンフィクション・ノベルのように実在のモデルを描いたストーリー系ジャズ漫画はこれまでなかっただろう。

物語は、マンハッタンからリンカーン・トンネルを抜けてウィーホーケンの自邸に向かうニカのクルマ(ベントレー)のカーラジオから、1981年のレーガン大統領暗殺未遂事件のニュースが聞こえてくるシーンから始まる(ニカは60歳代後半、モンクが亡くなる1年前という設定だ)。ニカ邸の自室ベッドで、きちんとスーツを着たまま相変わらず天井を見つめて横たわっているモンクに、帰宅したニカが「ピアノを弾いたら…」と勧める短い会話から、徐々に二人の回想シーンへと移って物語が展開してゆく。私が翻訳した『セロニアス・モンク』、『パノニカ』他のノンフィクション作品で描かれてきた事実や、逸話や、言葉から主要部分を抽出してストーリーとして上手にまとめ、それを詩的な絵と文学的な表現でヴィジュアル化している。したがって個人的には既視感と共に、伝記による活字の記憶と絵が一体となって、イメージしていたモンクやニカ夫人の姿が立ち現れ、あたかも実際に動き出したような気がして、読んでいて非常に楽しかった(ただしセリフは短いが英語なので、微妙な意味は翻訳しないと分からないが)。人間モンクとパノニカの苦悩、二人の友情も抽象的ながらよく表現されていると思う。またニューヨークの風景や、ジャズクラブの喧騒、ミュージシャンたちの姿と表情、演奏しているサウンド……など、画面からジャズがそのまま聞こえてくるようなリアルな描写も素晴らしい(このへんは、先輩格の『Blue Giant』の画風の影響もあるのか?)

Solo on Vogue
1954 Paris
アメリカでなかなか売れずに苦労していたセロニアス・モンクが、ヨーロッパ・デビューしたのが36歳のとき、1954年6月のパリ・ジャズ祭だった。フランス人男爵で外交官の夫と、その当時離婚を考えていたニカ夫人は、そのときニューヨークを離れ、実家のあるイギリスに帰省中だった。1951年に、兄ヴィクターのピアノの先生だったテディ・ウィルソンから教えられ、衝撃を受けた<Round Midnight>を作曲し、ブルーノートに録音した男セロニアス・モンクに一目会いたいと、ニカはニューヨーク中のジャズクラブを探したが、キャバレーカードを剥奪され、クラブ出演できなかったモンクに、それまで一度も会えないでいた。パリの「サル・プレイエル」にモンクが初出演することを知ったニカは、友人の著名な女性ジャズ・ピアニストで、モンクとも親しかったメアリ・ルー・ウィリアムズと一緒に急遽ロンドンからパリに飛ぶ。メアリ・ルーを介した、この1954年のパリにおける二人の運命的な出会いをきっかけにして、以降ニカ夫人は1982年にモンクが亡くなるまで、彼を支援し続けることになる。このとき、モンクのファンだったフランス人プロデューサーのシャルル・ドロネー (1911-88) が、フランス放送協会のラジオ番組向けに急遽現地録音したソロ演奏が、後にリリースされたモンク初のソロ・アルバムにして名盤『Solo on Vogue』である。ドロネーはその後も、モンク作品を中心にしたレコードをバルネ・ウィラン(ts)を使って制作するなど、モンクの音楽を好んでいた。

フランスとジャズの結びつきはニューオーリンズ植民地時代以来の歴史的なものである。1950年代になると、シドニー・ベシェ、ケニー・クラーク、デクスター・ゴードン、バド・パウエルなどが、人種差別の激しいニューヨークを離れて、彼らを芸術家として遇してくれるパリに次々と移住する。その後ヌーベルバーグと呼ばれた斬新な手法のフランス映画が、ジャズをサウンドトラックとして使用するようになり、MJQ、マイルス・デイヴィス、アート・ブレイキー、そしてモンク(1959『危険な関係』)も広く知られるようになる。さらに、シドニー・ベシェに憧れてソプラノサックス奏者となり、モンクの音楽を徹底的に研究して全曲モンク作品のアルバム『Reflections』(1959) を録音し、ついにニカ夫人の推薦でモンクのグループに一時期在籍していたのがスティーヴ・レイシー Steve Lacy (1934-2004) である。フリー・ジャズ時代の1965年に、米国を離れてヨーロッパへと向かったレイシーは、1970年にパリに移住すると、そのまま30年以上にわたってパリに住み続け、その間モンク作品を何度も取り上げた。このように、ジャズ全体とフランスの関係はもちろんのこと、モンクとフランスも歴史的、音楽的、運命的に奇妙に深いつながりがある。そして、上記のコミックや、以下の伝記、レコードのように、その後もモンクとフランスの不思議な関係は続くのである。

セロニアス・モンク
ローラン・ド・ウィルド
1997 音楽之友
謎多きモンクを描いた最初の評伝は、1987年のドイツ人批評家トーマス・フィッタリングのドイツ語版の本(英語版は1997年)である(ただし、この本の半分はモンクのレコード評だ)。次に出版されたのがフランス人ジャズ・ピアニスト、ローラン・ド・ウィルド Laurent de Wilde (1960-) による、フランス語版の『MONK』(1996 L'Arpenteur /Gallimard)である。ド・ウィルドは、米国のワシントンDCで生まれたフランス人で、幼少時からフランスで育ち、パリの名門高等師範学校で哲学、文学を専攻して卒業した後、米仏を行き来しながらジャズ・ピアニスト、作曲家として演奏活動を行なってきたミュージシャンだ。そのド・ウィルドが崇拝するモンクを描いたこの本は、パリのカフェ「ドゥ・マゴ Les Deux Magots」主催の音楽書籍賞である第1回ペレアス賞を受賞し、多言語に翻訳されている(邦訳版は『セロニアス・モンク:沈黙のピアニズム』1997年 音楽之友社/水野雅司訳)。本国アメリカ人による英語版評伝は、1997年に女性伝記作家レスリー・ゴースが書いた『Straight, No Chaser』が最初だが、英語版の決定版というべき本は、歴史学者ロビン・ケリーによるモンク伝記『Thelonious Monk』(2009年) である。この本は、膨大な事例や史料を学者らしく一つ一つ検証し、それらをジグソーパズルのパーツのように埋め込みながら、人間モンクとその生涯、彼を支えた周囲の人たちを、アメリカ黒人史を背景とした大きな物語として描いた典型的な伝記だ。それに対して、音楽家モンクを「100年に1人の天才」と呼ぶド・ウィルドの作品は伝記的部分を織り込みながらも、モンク・フリークのジャズ・ピアニストである著者が、主として芸術的、技術的、美学的視点から観察、分析したモンクの天才性を、賞賛を込めて描いた「私的モンク論」というべき内容の本だ。

モンクの「音楽」をここまで詳細に語った本は他にないと思われるが、本書(邦訳版)は絶版なので、私が読んだのは中古本を入手したつい最近のことである。フランス語的表現のゆえか、あるいは著者の原文の特徴のせいなのか、少し直訳的な硬い表現、文章ではあるものの、ジャズの演奏、技術、魅力を伝える独特の文学的筆致には、対象に近接したマクロ写真を見るように細部を浮かび上がらせる不思議な味わいがある。伝記としてモンクの全体像を本書に求めるのは無理があるが、ジャズ音楽家としてのモンクの天才性と、彼が創出した独創的音楽の「本当のすごさ」が具体的に伝わってくる緻密な表現は、モンクを敬愛するジャズ・ピアニストなればこそだろう(上記コミック『Monk!』にも、ド・ウィルドが分析したモンクのピアノ奏法の特色と思われる部分が登場している)。読んでいると、斬新ないくつかのモンク解釈に加え、ド素人的にも著者の考えに同意できること、頷ける点がたくさんあって、たぶんそうだろうと思っていたモンクのすごさとその美点が、ジャズ・ピアニストによる詳細な説明で再確認できる。したがってジャズをよく知り、モンクの音楽が好きな人にとっては非常に楽しめる本だ。ロビン・ケリーの実証的モンク伝記と併せて読むと、人間モンクの芸術家としてのイメージがより立体的に浮かび上がる。

New Monk Trio
Laurent de Wilde
2017 GAZEBO
ローラン・ド・ウィルドは、エレクトリック・ピアノによる演奏を含めて、これまでモンク作品を何曲か取り上げてきたが、崇拝するモンク作品の扱いにはずっと慎重だったようだ。しかし自著出版から20年、モンク生誕100年を記念する2017年に、モンク作品だけ(1曲のみ自作)を選んで制作したトリビュート・アルバム『New Monk Trio』をようやくリリースした。Jérôme Regard (b)、Donald Kontomanou (ds)というピアノ・トリオでは、全曲アコースティック・ピアノで以下のモンク作品に挑戦している。スローからアップテンポまで、バラエティに富む選曲だが、モンク作品らしく全体に空間を生かしたモダンな解釈で、やはりどこかフランス的香りのするエレガントな演奏を披露している。
Misterioso /'Round Midnight /Monk's Mood /Thelonious /Pannonica /True Fort /Monk's Mix /Four In One /Reflection /Coming On The Hudson /Locomotive /Friday The 13th

モンク、ニカ夫人とフランスの関係、そしてモンクに対して示してきた「フランス語圏」からの関心とその表現をこうして並べてみると、モンクは、ニューヨークはもちろんだが、背景としてのパリが誰よりもよく似合うジャズマンだという気がする。完璧な構造なのに、全体の造形がどことなく歪んで見え、予期せぬハーモニーや不思議なリズムで構成された「当たり前でない」モンクの音楽、モンクの自由、モンクの美は、アメリカよりも、むしろフランス的美意識、フランス的価値観こそが真に理解し、愛することができる世界なのかもしれない。