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2021/10/29

天才 !? 清水ミチコの世界

【祝第13回 (2021年度) 伊丹十三賞・受賞  (7/28)  

都知事から祝辞も
《伊丹十三賞とはデザイナー、イラストレーター、俳優、エッセイスト、テレビマン、雑誌編集長、映画監督……さまざまな分野で才能を発揮し、つねに斬新、しかも本格的であった仕事によって、時代を切り拓く役割を果たした伊丹十三の遺業を記念し、「伊丹十三賞」を創設いたしました。

あらゆる文化活動に興味を持ちつづけ、新しい才能にも敏感であった伊丹十三が、「これはネ、たいしたもんだと唸りましたね」と呟きながら膝を叩いたであろう人と作品に「伊丹十三賞」は出会いたいと願っています》

…ということで(遅くなりましたが)、受賞の知らせに、「振り込め詐欺かと思った」とコメントした清水ミチコさん、おめでとうございます!

最近、自分があまりテレビを見なくなったせいだと思うが、清水ミチコは、森山良子との例の「ポン、ポン」というカツラのCMくらいしかテレビでは見かけない。しかし、特にモノマネファンでもない私だが、なぜか時々、禁断症状のように無性に清水ミチコの芸を見たくなることがある(濃い芸なので、たまに見る程度がちょうどよい)。今となっては、まさに夢のような伝説のバラエティ&コント番組『夢で逢えたら』(フジテレビ)で、売り出し中のダウンタウン、ウンナン、野沢直子という強力なギャグ芸人を相手に、30年前のバブルに浮かれる若い女性の一断面を活写(?)した、人格&顔面破壊キャラ「伊集院みどり」を創作。その強烈なコスプレを演じきって、女優としての才能の片鱗も示し、単なるモノマネ女芸人を超えた存在になって以来、私は清水ミチコの大ファンなのだ。当時「渋谷ジァンジァン」のライヴまで見に行ったくらいだ。

伊集院みどり嬢
こんな感じでした
そういうわけで、久々にネットであれこれ情報を見ていたら、清水ミチコが主催しているYouTube『シミチコチャンネル』を発見した。既に開設後1年以上経っているらしいが、即チャンネル登録もして、これでやっと、あの芸を見たくなったらいつでも見られるようになって安心した。『夢で逢えたら』も、以前ネットで探したときはまったく見当たらなかったので、動画ではもう見られないと思って諦めていた。ところが最近はもうYouTubeで一部の動画を見ることができる(著作権がどうなっているのか知らないが)。いや、30年ぶりにあの動く「みどり」と対面して感激(?)した。はちゃめちゃ傑作コント「いまどき下町物語」も見られるし(清水ミチコは母親役)、今見ても、どのコントも本当にワイルドで面白い。出演者もまだ全員が若くてエネルギッシュで、芝居のテンションも高いので、この番組は今の普通のテレビ放送ならそれこそNG連発だろうし、「みどり」のキャラ造形も、いかに面白くても今ならまずNGか、炎上必至だろう(女性蔑視とかで)。ただ、「みどり」のメイクが最初に登場したときから、どんどん変わって(激しくなって)行くのに気づいて、また笑ってしまった。

ショーグン様の某国アナも
(タモリとの共演熱望)
清水ミチコは巷間「女タモリ」と呼ばれているそうで、本人もタモリからの影響を広言しているが、確かにこの二人には共通点が多い。師匠もいないし弟子も取らない、というピン芸人としてのストイックな矜持が感じられるし、普通の芸人と違って媚びない自然体のキャラも、どんな相手でもフラットに受け入れる包容力と姿勢もそうだ。芸のインパクト、独創性という点で、ビッグになる前のタモリのデビュー芸「4ヶ国語麻雀」に匹敵するのが、清水ミチコの「伊集院みどり」になるのだろう。モノマネも声帯、形態、顔面模写に加え、創作キャラ造形(いかにも本人が喋りそうな言葉や歌などを、デフォルメしてパロディとして表現する)を面白おかしく加えるところが芸としてのオリジナリティの源で、単なるモノマネ芸人と違うところだ。タモリの、今や古典とも言える寺山修司や「一関ベイシー」のマスターがそうだが、清水ミチコも高校時代の「桃井かおり」から既に、マネではなく「本人に同化する、なり切る」というコンセプトで取り組んで(?)いたそうだ。それにしても、女ピン芸人がほとんどいなかった30年前の「渋谷ジァンジァン」時代から、ほとんどその種の演目(基本的にはテレビ放映できないような ”密室芸” )だけで構成して、今や「武道館」で単独ライヴ公演を毎年開催する清水ミチコの天才ぶり、躍進ぶりは本当にすごいと思う。

本当はこんな感じの人らしい
後ろのCD,LPの量がすごい
二人に共通のバックボーンはジャズだ。早稲田のモダンジャズ研究会に所属していたタモリのジャズ通は周知のことだし、一方清水ミチコも、父親が元ジャズベース奏者で、実家は飛騨高山でジャズ喫茶を経営しているという。タモリはトランペットを(ピアニカも!)、清水ミチコはピアノを演奏し、タモリが恩人・山下洋輔と共演すれば、清水ミチコは早くからファンだった矢野顕子と共演するなど、二人ともプロ並みの半端ない知識と技量を持っている。ジャズは素材となる楽曲がまずあり、それを即興的にデフォルメ(インプロヴァイズ)してゆき、そのデフォルメという行為の中でいかに自分の「個性」を表現するかという音楽だ。そして自分の「話し言葉」をそのまま「楽器の音」に変換した音楽である(語るように演奏する)。だからジャズ・ミュージシャンの究極の目標とは、誰が聞いても分かる「自分固有の声(voice)」 を楽器で表現できるようになることだ(タモさんの有名な早稲田時代のギャグ話「マイルスのトランペットは泣いているが、お前のトランペットは笑っている……と言われてMCに転向した」は、ある意味、実にこのジャズの真理をついた言葉なのだ)。だが実は昔から、どんなジャズマンであれ、最初は先人や自分の好きなアーティストなど、「他人のコピー」(マネ)から入るわけで(昔はもちろん耳コピ)、ジャズの巨人たち、パーカーであれマイルスであれ、そこはみな同じだ。ジャズ全体はいわば、そうして過去の名人たちから延々と連なるコピーの連鎖で出来上がった音楽なのである(モンクの音楽は極めて独自性が強いが、それはモンクが単なる奏者ではなく、デューク・エリントンと同じく、70曲ものオリジナル曲を創作したジャズ界では稀有な「作曲家」でもあったからだ)。

したがってジャズ・ミュージシャンは、まず耳がよくなければならないし、他人の音を聞き分ける能力が重要だ。ガチガチに決められた音楽ではなく、即興でやる以上、ある程度の適当さ、いい加減さ、ユルさも必要で、その芸能的「自由さ」と、その対極にある即興演奏を極めるという芸術的「厳しさ」、すなわち緊張 (tension)と弛緩 (relaxation) が常に同居しているところがジャズの魅力だが、タモリ、清水ミチコの芸には常にその両方が感じられる。また音であれ言語であれ、どんな場でも「即興で反応できる」という能力、デタラメ外国語などを「それらしく聞かせる」ための自在なリズム、イントネーション技術もジャズゆずりだ。加えて清水ミチコが、音を即座に正確にとらえる「絶対音感」を持っていることが、そこに生かされているのはもちろんで、そうでなければ、あの矢野顕子と一緒にピアノを弾いて歌は唄えないだろう(タモさんについては知らないが、当然すぐれた音感の持ち主のはずだろう)。ユーミンから美輪明宏まで、「様々な声を生み出す」 驚くべき発声法も、声楽のプロ並みの技術はもちろんだが、その基になる音を精密に聞き分ける(分析する)能力がまずあるから可能なのだ。

笑いのプロなのだが基本的に「真面目にふざける」素人的なところ、笑いが乾いていてカラッとしているところ、社会人としてきちんとしているが、家庭の匂いをまったく感じさせないところ、など他にも共通点は多い。だがやはり、いちばん大きな共通点は、タモリの名言「やる気のある者は去れ!」という、常に肩の力を抜いて力まない態度であり、そこから生み出す笑いの中に感じさせる「イヤミのない知性」だと思う(すぐれたジャズにも、知性とユーモアが共存しているものだ)。これは他の芸人の中にはあまり見られない種類の「笑いと知」のバランスなのである。たぶん二人の唯一の違いは、タモリの笑いには、ある種のユニヴァーサル性があって毒気がないが、清水ミチコの芸は一種の冷やかし芸というべきもので、乾いているが、ギリギリの線を超えないレベルで、その底に「女性特有の毒(意地悪)」があって、それが独特の笑いのスパイスとして効いているところだろう(ただしモノマネの対象はほとんど、自分が好きな人や、ある分野で既に権威を確立した、たとえからかっても問題ないような人たちを選んでいる)。

YouTube
『シミチコチャンネル』
『シミチコチャンネル』は百面相と言うべき傑作モノマネ動画でいっぱいで、見ていると止まらなくなって笑いっぱなしになるが、対談動画もおかしい。中でも私が好きなのは黒柳徹子との傑作トーク『師に学ぶ』と『大竹しのぶさん対談』だ(清水ミチコは非常に聞き上手でもある)。黒柳さんのエジプトの駱駝のモノマネとか、カンボジアの迎賓館(宿泊所)の部屋で体験したという、壁を這うヤモリ夫婦と殺虫剤で対決した話、そのときの黒柳流「ヤモリ語通訳」や、平野レミさんの結婚式キンカクシ談、哀しくもおかしいお父さんの葬式の話(お父さんの引き出し…)等は、何度見ても笑いすぎて涙が出る。黒柳さんは、タモリや、清水ミチコが相手のときは本当に楽しそうで、本来のお喋り全開のまま止まらないといった感じ(トットちゃん状態)になるところが面白い。大竹しのぶとは、どっちが本人か分からなくなるような「魔性の女・大竹しのぶ」のイジリ方、突っ込み方と、天才女優同士(?)の「絶妙な」駆け引きも楽しめ、これも名作だ(特に大竹しのぶの表情は必見。ラジオでやっていた桃井かおりと大竹しのぶの対決も傑作)。

モノマネ動画は、今や古典となったユーミ "ソ” に始まり、以前は歌手が多かったが、最近は「however=しかしながら」の小池百合子「で・ござ・い・ます」のヒット(?)以来、また自民党が豊富なネタを提供している昨今の政治状況を敏感に察知し、笑える政治家ネタが増えてきて、最近では安倍晋三以下、河野太郎や、麻生副総理、さらに高市早苗などの顔面模写入り新ネタも披露している(麻生氏の「な!」には笑った)。どれも相変わらずシャープなイジリと突っ込みぶりがすごい。『シミチコチャンネル』では、他にも清水ミチコがモンゴルへ行って、動物を癒すという本場の歌唱法「ホーミー」を習得して、それを現地の駱駝や羊に試すが逃げられるなど(動物園のアルパカとかカピバラは成功)、清水ミチコの過去の名人芸、名作も、これでもかというくらい楽しめるので、お好きな人はぜひ一度(たまに)視聴することをおすすめしたい。

清水ミチコ氏は、これからみんなが歳をとって、段々モノマネする対象がいなくなる…という懸念を表明しているが、個人的な願望として清水さんに何とかお願いできないかと思うのは、(過去にやっているのかもしれませんが)「黒柳徹子、平野レミ、清水ミチコ」という強力女性トリオで、延々と(たぶん止まらないので)トークバトルを繰り広げるという企画です(当然ながら話の内容は何でもいい)。もちろん仕切り役は清水ミチコで、そこに、桃井かおり、大竹しのぶ、室井佑月、デビ夫人、瀬戸内寂聴、美輪明宏、小池百合子等(某国の女性アナ、「みどり」も可)が次々に参入し、場がぐちゃぐちゃになったところに、イグアナならぬヤモリになったタモリ(本物)まで乱入してきて、カンボジアでの黒柳さんの蛮行を「ヤモリ語」で非難して口論になり、そのまま抱腹絶倒のめちゃめちゃトークとモノマネ合戦になって、最後はめでたく4人による、文字通りの「ほぼ4ヶ国語(全員が勝手に喋る)」麻雀大会に流れ込む……という非常に分かりやすい企画です。若者はともかく、少なくとも中高年層には受けること間違いなしの、これぞ天才芸の集大成というべき企画案だと思いますが、早くしないと、みなさん誰もいなくなる可能性があるので、元気でおられる(生きている)うちに、できればぜひとも実現していただけないかとお願いする次第です。

2021/10/10

英語とアメリカ(8 完)妄想的未来展望

昨年夏のジャズ本に関する話の連載もそうだったが、今年の夏も、終わらないコロナ禍でヒマにまかせて書いてきたので、ジャズとは直接関係ない話がいつの間にかどんどん広がって収拾がつかなくなってきた。本テーマもこのへんで終わりにしたい。最後に「まとめ」として未来展望についての「妄想話」を一つ。

1990年代以降、バブル崩壊による金融破綻と産業界の低迷、デジタル化の遅れによる国際競争力の低下、さらには阪神淡路大震災や東日本大震災、原発事故のような大災害がこれでもかと連続し、まるで呪われたかのような平成の30年だった(安倍晴明でも呼び出したいくらいだ)。おまけに国全体の高齢化も加わって、日本の国家としての活力は明らかに低下しているが、その「とどめ」となったのが、1960-70年代の高度成長期に、東京オリンピック(1964)、大阪万博(1970)、札幌オリンピック(1972) と国際的大イベントを連続開催し、それを国家事業の成功譚と記憶している老人たちが中心になって、あの夢よもう一度と、莫大な資金を投入して誘致し、コロナ禍で反対する多くの国民の懸念をよそに、今年強行開催したオリンピック/パラリンピックという世界的イベントだ。

インバウンド需要をきっかけにして、ほぼ30年間落ち込んできた経済を一気に盛り上げようと目論んでいたが、初めからスタジアム設計、パクリロゴマーク、組織委問題、開会式演出等々と問題が相次ぎ、あげく世界的なコロナ禍に見舞われ、結局は内外から誰も来ない、見ない、「無観客」という前例のない環境下で縮小開催せざるを得なくなり、国家として、ある意味ダブルパンチを喰らうという悲惨な結果に終わったのが2020/2021である。コロナもなかなか収束せず、おおっぴらに酒も飲めず、国のリーダーたちは頼りにならず、いったい日本は今後どうなるのかと不安に思っている人も多いだろうし、中にはもうお先真っ暗だと思っている人もいるかもしれない――しかしながら、これもまた「国家の運命」と考え、悲観しすぎないことだろう。あまり嘆いたり不平を言わずに、日本はあらゆる面で、今は終戦以来の「どん底」状態にあって、逆に言えば「これ以上悪くなることはないだろう」くらいに開き直って、楽観的に将来を見た方が健康にも良いと思う。人生も国家も、急がず慌てず長い目で俯瞰してみると、意外なことに気づくものだ。なんだかんだ言っても、日本はまだ今のところは良い国なのである。

そこで、本記事の最後に、まったく何の根拠もない私の「個人的な勘」に基づく無責任な妄想的未来展望を申し上げれば、日本の「次の30年間は明るい」ものになるのではないかと「漠然と予測」している。というのは以下のように、明治維新以降、日本はどうも約30年周期で「浮沈(上げ・下げ)」を繰り返しているように思えることに最近気づいたからだ。ただし、いずれも主として景況感や政治状況から、その期間を総じて見れば「社会的テンション(世相)」が「ハイ(明るい)」だったか「ロー(暗い)」だったか、という観察にすぎず、何か裏付けデータがあるわけではないことをお断りしておきます(ただ、「景気」というように、その時代に生きる「人々の気分や空気」は、社会全体の動向にも、個人の人生にも大きな影響を及ぼすことがある)。

1870-1900(沈=明治維新後の混乱と近代化模索期)、 1900-1930(浮=日清日露戦勝利による国威発揚と大正デモクラシー期), 1930-1960(沈=日中戦争、太平洋戦争、原爆、敗戦、戦後混乱期), 1960-1990(浮=高度経済成長期を経て80年代の ”Japan as #1”、バブルへ), 1990-2020(沈=バブル崩壊、阪神・東日本大震災などの大災害、デジタル敗戦)、2020-2050 (浮=?)

さらに、ヒマなのでPCスキルを駆使して(?)、おおよその図を描き、各期間を大きなイベントを中心に埋めてみたのが以下のチャートだ。これを眺めていると、何となく、もっともらしい説に思えてくるような気がしないでもない……


生命体にはバイオリズム(bioとrhythmの合成語、身体ー感情ー知性の周期的変化)があるという仮説があり、人間の活動にも、その人生にも「周期的な浮沈のリズム」があると(占いなどで)言われている。企業の寿命と盛衰にも昔から30年説があり、たとえば芸能としてのジャズの歴史は100年以上と長いが、最盛期だったモダン・ジャズ時代は1945 - 75年と、これも30年間という寿命だったようにも見える(頂点は1960年前後)。まあ俗説にすぎないことは分かっているが、宇宙が一定のリズムで動いていることを考えると、地球という天体で生きる生物である人間がそのリズムに影響され、その人間の集団的活動もまた、あるリズムで変化するという考えも、別段、頭ごなしに否定するようなことではないか――とも思う。

また30年周期ということは、60年で「1サイクルの浮沈」ということになり、平均寿命80歳とすれば、これは成人後の人生の長さに相当する。つまり、日本人のほとんど誰もが、時期のずれはあっても「人生で、1サイクルの世の中の浮沈」(これは不可抗力)を経験するということであり、これはこれで神の公平な配材といえるのかもしれない。中高年なら、上図に自分の生年の位置を置いてみれば、おおよその世相の浮沈を過去の経験から想像できる。また、たとえば就職氷河期(90年代後半)を経て現在に至るまでツイていない世代(団塊ジュニア)にも、やがては「明るい時代」がやって来るという希望が(せめて)持てるかもしれない(?)

実は、面白いのは同じ期間に、ほとんど似たような周期で(国力と浮沈の程度の差はあるが)アメリカが日本とほぼ「真逆の浮沈」を繰り返しているように見えることだ。たとえば過去100年間に限っても、第二次世界大戦期(戦後はアメリカ最盛期)、ヴェトナム戦争時代(日本は高度成長期、1975年のヴェトナム敗戦時のアメリカは底?)、90年代に始まるデジタル革命時という各30年は、浮沈サイクルが日本と真逆の傾向にあるようにも見える(そうすると、アメリカの次の30年は「沈」ということになる?)。ただし繰り返すが、あくまでこれは私個人の単なる妄想であり、まったく根拠はない。ところが、念のためにネットで調べてみたら、何と日本のこの景況浮沈の30年周期について、同じような説を既に唱えている人が日本にいることを知った(私の妄想よりは信用できるだろう)。経済学では昔から短期、中期の景気変動説に加え、コンドラチェフの長期波動説等、景気循環論が提唱されているので、今の時代、データに基づいた科学的な検証を行えば、何かしら新しい傾向が得られているのではないかと思う。やがてはAIが、ビッグデータを駆使した総合的分析で、こうした人間の社会経済活動や国家の浮沈周期の存在、その理由等を解説してくれるかもしれない。

さて30年後に私はたぶん生きていないので、まさに無責任な話になるが、2021年という時点で推測される、次の30年間に日本が再浮上するための「唯一ポジティブなシナリオ」とは――《 独創性はあまりないが、特定の「プラットフォーム」(ここではデジタル技術、サービスを含む21世紀デジタル社会の基盤)がひとたび構築された後の、 日本人の学習・分析能力、創意工夫、実行スピード、高い品質は歴史的に実証済みなので、日本が今後、本気で社会の(再)デジタル化(DX)に取り組めば、その過程でもそうした能力が発揮される可能性がある 》ということだろう。その可能性を高めると予想される重大な「ファクト」は―― これまで年功序列をベースにした会社や組織など、社会の中枢にいて、20世紀の成功体験と意思決定権を持つが、デジタルに関する知識とスキルが欠けていたために、業務のデジタル化転換を主導できず、むしろ直接、間接両面でそれを妨げ、結果として過去30年間の日本社会全体のデジタル化への構造転換を遅らせてきた大きな要因と思える――我々のような「情弱中高年以上の年齢層」が、向こう30年間で徐々に退場してゆくことだ(アジアなど新興国のデジタル競争力の強さの要因の一つは、この生産年齢人口の若さであるのは明白だ)。

これは、戦後半世紀の日本の発展に尽力してきた年寄りにもっと敬意を払え――とかいう話ではなく、デジタル革命の勃興期(1990年代)から、残念ながら戦後の日本を牽引してきた世代(1930-50年生まれ?)の「高齢化」がたまたま重なったために、組織や意思決定プロセスの迅速なデジタル体制への転換が「より難しくなった」――すなわち、これも日本の「歴史的運命」だったという話である。しかし、次の30年間は、この世代交代によって日本社会の人口構成も変わり、新たなデジタル技術やサービスの開発、提供者のみならず、その利用者や、政治や企業活動の意思決定の中心を成す層が、遅ればせながらデジタル・リテラシーの高い若い世代に徐々に移行してゆく。過去30年間の出遅れが逆に幸いして、デジタル庁が唱える日本流の「人に優しいデジタル化社会実現」のための施策を基礎から積み上げ、それが社会に根底から浸透し、技術、サービス分野で他国にはない「日本ならでは」の知恵を使ったデジタル活用策が実際に生まれ、機能すれば、この国の産業や社会を根本的に作り変える可能性は十分にあると思う。それが30年周期説という「妄想」に基づく、唯一の希望的観測だ(そうなれば我々年寄りも、火野正平氏の名言「人生下り坂サイコー!」と叫びながら、残された人生を楽しく送れるかもしれない?)。

ただし、いずれにしろ今後の日本は、20世紀のようにデファクト化して「世界市場で主導権を握る」というような大それたことを目指すのではなく(太平洋戦争とデジタル戦争で懲りたはずだし、そもそも似合わない)、産業や文化など、あらゆる分野で世界に類のない価値創造を目指す「ガラパゴス・ジャパン」(英語だとSpecialty Japan?) という独自の道を、自虐的にではなく、世界の趨勢を俯瞰しつつ「戦略的に選択して」前進すべきだと思う。すなわち、総人口は減るが、団塊以上が徐々にいなくなり平均年齢は若返るという要素も含めて、国家も産業も「ダウンサイジング」してゆくというイメージ――つまり得意とする小宇宙化(盆栽化、弁当化)をさらに深化、洗練させて、国家のサイズに適した領域で生き残ってゆくことである。日本的伝統工芸などに限らず、ゲーム、マンガ、アニメの例に見られるように、声高に叫ぶことなく独自文化や技術を掘り下げ、それを控えめに発信しつつ、「世界に発見、認知してもらう」ことによって逆に自らの価値を高めることを、日本の基本的国家戦略にすべきだ。そしてこれは、日本人の特性と国家としての歴史的文脈にも合致した方向性だと思う。デジタル化はあらゆる分野で、そのコンセプトを支える有効な柱となり得るだろう。

最後に日米関係に関して言えば、大雑把だが常に前進し、変化している「ダイナミック・アメリカ」と、保守的で細部にこだわる「ガラパゴス・ジャパン」は、ある意味で水と油のようなものだが、「イノベーション」は、それを得意とするアメリカに任せて、日本はそこから生まれた技術やアイデアを「選別、洗練」させることに特化するというように、「競争」ではなく、お互いに得意とする分野で棲み分けて「協業する collaborate」こと、つまり従来の基本的枠組みの戦略的強化が、やはり両国にとっていちばん良いことなのだろうと思う。幕末の黒船以来の歴史的運命が示しているように、太平洋をはさんだ日本とアメリカの両国は、いろいろあっても基本的には相性が良く、これからも互いを補い合う良きパートナー足り得る可能性が大きいと個人的には信じている。加えてもう一つは、一党独裁化をさらに進めている中国の動向を睨みつつ、アジアでもっとも日本に友好的な人々から成り、かつ中華文化圏の歴史と本質を理解している台湾と、より密接な関係を築き上げてゆくことが、日本にとって政治、経済両面できわめて重要な選択肢になると思う。

本稿(1)冒頭の、菅総理(当時)のG7写真から受けた印象(世界における日本の立ち位置)と英語問題から思いついた話だったが、つい長い論文(回顧録?)のようになってしまった。その菅総理も、国民の不満を察知した自民党による「ガースー抜き」戦略(文字通り)のゆえに、あっという間に退陣してしまい、岸田新総理になった。

本稿もこれにて終了です。(完)