しつこいコロナ/オミクロン株のおかげで、楽しみにしていたモンク没後40年企画映画『MONK』と『MONK in Europe』をどうしようか迷っていたが、昨年『Jazz Loft』を見損ねてしまい、やはり行けばよかったと後悔したので、今回はコロナがまた勢いを増す中だが、思い切って「アップリンク吉祥寺」まで寒い中、久々に外出した。一昨年、同じ場所で見たビル・エヴァンス以来のジャズ映画鑑賞だ。ヨーロッパでシネマ・ヴェルテ(アーティストなどを対象にしたドキュメンタリー映画)が盛んだった1967年に、ドイツの放送局の社員だったブラックウッド兄弟によって撮影されたモンクの映像を、ドキュメンタリー映画にした2作品を連続して約2時間で見た。平日だったので入りは6割くらい、観客年齢層はだいたい想像通りだった(平均60歳くらいか?)。コロナがなければ、中高年ジャズファンはもっと足を運んでいるはずだろうと思う。様々なコンサートも居酒屋もそうだが、人の集まりを阻害する疫病は、戦争と並んで厄災の極みだ。
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Uplink 吉祥寺にて |
私の訳書(ロビン・ケリー著)が村上春樹のモンク本と並んで、ロビーのショップに置かれていた。どうも、あまり売れていなさそうだった…?(高い本だし)。しかし、これを読めば、モンクのすべて、さらにこの映画のモンクと、当時の背景がほぼ正確に分かるのだが…。それはともかく、これだけの「画面サイズ」と「大音量」で、モンクが実際に動く映像と50年以上前の演奏を2時間楽しめたら、モンクファンとしては大満足だ。仏映画『危険な関係』のときもそうだったが、家では望むべくもない音量で気持ち良くモンクの演奏が聴けるので、普段の欲求不満が解消できて、それだけでオーディオ的には満足だし、しかも動くモンクの映像付きなのだ。特に音質は、聴き慣れたレコード音源ばかりだったビル・エヴァンスの映画と違って、「ヴィレッジ・ヴァンガード」や、舞台、スタジオなどで、当然撮影しながら同時録音しているので、モンクのピアノ、ラリー・ゲイルズのベース、チャーリー・ラウズ他のホーン楽器はリアルで、きちんと「芯のある音」で録れていて文句なかった。ベン・ライリーのドラムスの音だけがやや引っ込み気味で若干物足りないが、モノラル録音なので止むをえまい。しかし考えてみれば、1960年代後期のアナログ録音の音源なのだから悪かろうはずがない、と言えばそうなのだろう。ただ、モンクのモゴモゴした喋りは、相変わらず私の耳ではほとんど聴き取れない(きっとナマで聞いてもよく分からなかっただろう…)。
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Straight, No Chaser (DVD 1988) |
帰宅後、手持ちのDVD『Straight, No Chaser』と早速見比べてみた。こちらは、その20年後の1988年に、今回のドキュメンタリー作品の大元になったオリジナル・フィルム(米国、ヨーロッパの半年間の撮影で、計14時間と言われている)を土台にしてクリント・イーストウッド(製作総指揮)とシャーロット・ズワーリン(監督)が作った作品だ(89分)。オリジナル・フィルムから選んだシーンと、それ以外のモノクロ記録映像、さらに80年代と思われるカラー映像などを追加編集して、モンクの生涯をコンパクトにまとめた一種の伝記映画である。モンクのマネージャーだったハリー・コロンビーや、息子のTSモンク、サックス奏者のチャーリー・ラウズなどへのインタビュー映像や、当時まだ存命だったニカ夫人の映像、音声等が加えられ、それらを編集して音楽家、人間としてのモンクを描き出そうとしたこの映画は、何度見てもやはり最高の「ジャズ映画」だ。ニカ夫人や、モンクが住んでいたウィーホーケンのニカ邸(と猫の)映像、バリー・ハリスとトミー・フラナガンがモンクの曲を実際にピアノで演奏するシーン、そしてモンクの葬儀(1982年)の模様まで、多くの映像が追加されている。演奏場面に加えられたこれらの映像と音声が、人間としてのモンク像に、ある種の奥行と陰影を与えていて、謎多き天才ジャズ・ミュージシャンの肖像を描いた作品として、実に見ごたえのある内容になっているとあらためて思った。
DVD版と今回のドキュメンタリー映画版は、ほぼ同じ映像が使われている部分もあるが、オリジナル・フィルムの使用部分が微妙に異なっていて、片方にあるシーンが片方にはない、など細部が異なっている。たとえばDVDでのニカ夫人の場面や、録音スタジオで、テオ・マセロになぜ録音してくれなかったとモンクが怒っている場面とか、ヨーロッパのホテルの客室内で一人でモンクが苛立っていて、それを不安そうに見つめているネリー夫人――といった場面などは、今回の『MONK』と『MONK in Europe』では短縮されたり省かれている。つまりシャーロット・ズワーリンも、ブラックウッドも、長いオリジナル・フィルムから別々のシーンを抜き出して、それぞれ編集して製作したということだ。今回のブラックウッド版は演奏部分の方によりウェイトが置かれていて、DVDでは未収録だったモンクのプレイが長めに収録されているので、モンクのことをある程度知っていて、演奏をもっと聴きたい(見たい)という人に向いている。一方、DVDはモンクのことをあまり知らない人が見るのに適している。またDVD版には演奏曲のタイトルが常に表示されるが、今回の映画版にはそれがないので、知らない人には曲名がよく分からない。モンクはジャズ演奏家であるが、それ以前に「作曲家」であり、演奏も一部を除き自作曲がほとんどだ。DVD版では、それがよく分かっている人ならではのリスペクトが感じられる。いずれにしろ、20世紀の天才ジャズ・ミュージシャンの姿とその演奏を、ほとんど何の演出も脚色もなしで、これほど密着して撮影した映像記録はどこにもないだろう。これらの映像は、それだけでも文化遺産級の価値がある貴重な記録である。
ヨーロッパ・ツアー公演(ニューポート・ジャズ祭)は、モンク・カルテットに加え、フィル・ウッズ(as)、ジョニー・グリフィン(ts)、クラーク・テリー(tp)、レイ・コープランド(tp)、ジミー・クリーヴランド(tb)などを加えた8人(オクテット)ないし9人(ノネット)の大編成バンドが中心だった。ロビン・ケリーの本によれば、このときモンクはなぜか行きたがらず、プロモーターのジョージ・ウィーン(昨年9月に95歳で亡くなった)たちが何とかして家から連れ出したものの、飛行機に搭乗する最後の最後まで抵抗するので、無理やり飛行機に乗せたという。しかもモンクは紙に書いた「譜面」を信用せず、「音」で覚えろという主義の持ち主だったので、いつも通り直前まで公演で演奏する曲の楽譜(大編成向けに編曲したもの)をメンバーに見せようとしなかった。そこで同行した姪のジャッキーたちがモンクを説得して譜面をもらい、ロンドンへ向かう飛行機の中でみんなで大急ぎで寝ずに写譜したと言われている。リハーサルで、モンクの複雑なリズムを持つ曲(Evidence)に、ホーン奏者たちが四苦八苦して合わせようとしている様子が写っているが、その一因がこの事件だった。モンクは到着後もずっと不機嫌な様子だし、元々メンバーとして賛成していなかった、(ジョージ・ウィーン推薦の)クラーク・テリーの流れるような滑らかな演奏がどうも気に入らない、といった感じでいるモンクの態度がどことなくおかしい。ジャズバンドのヨーロッパ内の移動時や、夜のパーティの様子なども、たぶん普通は決して見ることのできないシーンであり、今となってはモンクのみならず他のメンバーの姿など、いずれも非常に貴重な映像だ。このときはマイルス・デイヴィス、アーチー・シェップ、サラ・ボーンも一緒のコンサートで、サラ・ボーンは唄う姿がテレビ画面に写り、夜のパーティの途中でも画面を横切っている。
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Underground (1967 Columbia) |
これらの映像が撮影された1967年に、モンクは50歳になっていた。前年には、兄弟のように付き合ってきたバド・パウエルが、同年春にはエルモ・ホープが相次いで亡くなり、さらに7月にはジョン・コルトレーンも亡くなって、モンクは精神的、肉体的に大きなショックを受けていた年でもある。さらに、その10年前の1957年に、モンクが40歳にして初めて持ったレギュラー・カルテットでコルトレーンと共に初登場した「ファイブ・スポット」もこの年で閉店し、NYCのキャバレーカードも廃止され、ロックやフォークが大衆音楽の主流となるなど、モダン・ジャズそのものとモンク自身が共に全盛期を過ぎて、大きな転換点を迎えていた。ジャズの世界でもフリー・ジャズが勢いを増し、このヨーロッパ・ツアー後の1967年12月に録音した『Underground』も、モンク・カルテットとしてコロムビア向け最後のレコードとなった。つまりモンクも、ジャズも、共に下降局面に入って行った時代だったことを、画面の中のモンクの姿、演奏、様々な映像等の背後に感じ取る必要がある。その後まもなくしてチャーリー・ラウズもベン・ライリーもバンドを去り、このフィルムの映像から5年後の1972年に、心身ともに不調になったモンクは実質的に引退して、その後ウィーホーケンのニカ邸に引き込もるのである。
とはいえ映画の中で動く1967年のモンクの姿は、その存在感が半端なく、とにかく魅力的だ。奇行も含めて、常にどこかユーモラスで愛嬌があり、優しそうでもある。しかし演奏シーンでピアノを「弾く」というより、「アタック(攻撃)する」姿からは(ピアノに肘打ちしたり、灰皿替わりにしているくらいだ)、ヒエラルキーとして自分を制約する西欧的規範や枠組み(楽器や音階やリズム)に抗い、その枠を突き破り、その外側へはみ出して行こうとする強烈な意志と力が常に感じられる(このところ、西欧クラシック音楽を象徴するような、ショパン・コンクールの整然とした美しい演奏と映像ばかり見ているので、なおさらそれを感じる)。モンクは20世紀のアメリカで生きた黒人音楽家なのだということを、アップになった顔や、身体や、手や足の動きというモンクの全身、その肉体を間近に捉えた映像を見つめていて、いまさらながらつくづくと感じた。ロビン・ケリーの本などを通じて、もちろん頭では分かってはいるし、レコードからも感じていたが、モンクの演奏する姿とそのサウンドを直に捉えた今回のドキュメンタリー映像が、モンクの汗と一緒に全身から滲み出て来る「自由」への希求を、パワフルに、あからさまに伝えてくるのだ。
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The Jazz Baroness (DVD 2008) |
ところで、ニカ夫人側からモンクを描いた本があって、その1冊が私が訳した『パノニカ』(原題The Baroness) だが、実はこの本は、著者のハナ・ロスチャイルドがBBC勤務時代に、ニカ夫人を主人公にして製作したドキュメンタリー映画『The Jazz Baroness』(2008) が元になっている。ロスチャイルド家が配給を制限していた経緯もあって、4年前に翻訳していた時点では、参考にしょうと思っていたこのDVDが入手できず、インターネット上でもまだ見られなかったので、実は映画を見ずに文字情報と一部の写真だけで翻訳したのだ。しかし最近やっとその映像をネット上で見る機会があったので見たところ、(当たり前だが)まったく本に書かれている通りのストーリーと出演者なので、拍子抜けした (ただし字幕はない)。苦労して、何とかイメージしていたニカや登場人物たち、情景などがそのまま映像になっているのである(というか順序としては逆で、それを文章にしたわけだが)。この映画はインタビューを中心にした、いわば、これまでのモンクとニカに関する映像の集大成版でもあり、上記オリジナルフィルムの映像に、2000年代になってからハナが行なったミュージシャンや批評家、作家たちへのインタビュー映像(TSモンク、ハリー・コロンビー、ソニー・ロリンズ、クインシー・ジョーンズ、クリント・イーストウッド、クインシー・トループ、ロイ・ヘインズ、アーチー・シェップ、カーティス・フラー、ロビン・ケリー、アイラ・ギトラー、ゲイリー・ギディンズ、ニカの姉のミリアム・ロスチャイルド等々)他の映像が加えられ、そこにハナのナレーションとニカ夫人の長いインタビューが流れ、ウィーホーケンのニカ邸や、当然ながらイングランドのロスチャイルド家当主や邸宅の様子なども映し出されている。TSモンクもハリー・コロンビーの外見も、80年代から20年ほど年を取っている(ロビン・ケリーまで映っていたのには驚いた)。
とにかくモンクとニカの物語自体が破格なこともあり、こうした映像作品を見ていると、本を読んでイメージするのとはまた別の、ヴィジュアル情報ならではの生々しさと拍力は圧倒的なものがあるな、とつくづく思う。こうなったら、次は傑作『Straight, No Chaser』と『The Jazz Baroness』を2本立てのモンク特集として、劇場の大画面でぜひとも上映してもらいたいものだ。