ページ

2024/09/21

昔のジャズ本を読む

ウィリアムズバーグ橋にて
"Saxophone Colossus"より
(1961 撮影:川畑篤彦)
ソニー・ロリンズの伝記『Saxophone Colossus』(Aidan Levy著) を翻訳中だが、どうも進み具合が遅い。この夏、ついTVを見てしまったオリンピックのせいもあるが、ハードカバー800p(本文720p)という分量、ページあたり語数ともに長大な原書というのがいちばんの理由だ。同時に膨大な出典、参照、引用元を明記する最近のノンフィクション書籍の特徴が、もう一つの理由だ。最近のWikipediaを読めば分かるが、「引用元、出典を曖昧にするな」という指示のおかげで、まるで昔の学術書のように、ほとんど一行おきに引用元情報やその解説が書かれていて、またそれぞれが結構な長さと量なのだ。新しく書かれた記事ほど、ネット上入手可能な参考資料や情報量も増すので、本文テキスト以外の付加情報も増加傾向にある。だから現代のノンフィクション翻訳の場合、昔のように本文だけ読んで、原注や参考情報は適当に扱うというわけにはいかない。本文テキストを読み、訳しつつ、同時に背景情報として、それらの引用元、参照記事等に当たり、それを「解読する」作業が必要であり、重要な情報は当然「原注」の訳文として加える必要もある。特にこの本は、膨大な原テキストから(たぶん短縮化のために)省いた部分を、背景やエピソードとして小フォントの「Note(註)」に書き込んでいる部分もあるので、そこだけでもすごい分量だ(これは本には入りきらず、Web上で別途まとめてある)。ただし、初出のそうした情報を読む作業は、ジャズ好きには面白くて、やめられない側面もある(つまり時間も食う)。

「私有の書籍」も、翻訳上の参考情報として役立つことがある。ソニー・ロリンズのインタビュー記事は私の訳書『リー・コニッツ』、『カンバセーション・イン・ジャズ』両書にも掲載されているが、昔の本の中にも参考記事がないかどうか…と、結構な量のジャズ本が並ぶ本棚を探してみた。昔のジャズ本は内容をすっかり忘れているものも多いが、そこで見つけたのが、『ジャズ・オット(Jazz Hot):ジャズ・ジャイアンツ・インタビュー集』(フランソワ・ポスティフ Francois Postif 編著、JICC出版局、山口 隆子・訳、1990年。原書は『LES GRANDES INTERVIEWS DE JAZZ HOT』 1989)という、フランスの代表的ジャズ誌『Jazz Hot』の主要インタビューだけを収載した本だ。同誌は1935年にユーグ・パナシエによって創刊された世界初のジャズ批評誌で(米国よりも早い)、著者は同誌に約30年間勤務していたフランス人編集者だ。邦訳版を出版したJICC出版局(現・宝島社)は、同じ頃1991年に『マイルス・デイビス自叙伝』(クインシー・トループ共著、中山康樹訳)を出版している。この頃はバブル絶頂期で、ジャズ喫茶店主などによるジャズ本もたくさん世に出ていた時期だったので、こんなコアな翻訳書でさえ出版されていたのだろう(もちろん、きっとJICCにジャズ好き編集者がいたからだろう)。

JICC邦訳版 (1990)

インタビュー年月不明の記事もいくつかあるが、明記されているのは1958年から1981年まで、パリを訪れた以下の米国大物ジャズ・ミュージシャ18名にポスティフ自身がインタビューした記事を集めたものだ(ロリンズは1958年と1965年という2回のインタビューが掲載されている)。構成と内容からして、ラルフ・J・グリーソンのインタビュー集『カンバセーション・イン・ジャズ』(原書2016、訳書2023)の元祖、フランス版とも言える。しかし、案の定、読み出したらロリンズ以外のジャズ巨人たちとのインタビューも面白くて、つい全部読んでしまった(何度も読んだはずなのだが、もう忘れているので)。フランスのジャーナリストやジャズ批評家には、芸術に関してアメリカ人とは異なる感性、論理があって、アメリカ人には聞けそうにないような質問をするなど、質問や議論の角度、ポイントが独特で、読むとそこがやはり興味深い。

米国の大物ジャーナリストだったグリーソンとのインタビューでは、当然だが、発言に多少よそ行き感があるジャズマンたちも、アメリカの外、それもフランスでのインタビューでは、普通にあった自国での差別を感じず、それどころかアーティストとして尊敬すらされるパリ独特の空気ゆえに解放感を覚えるのだろう、構えずに答える自然なインタビューが多い。米国ニューオーリンズの歴史が示すように、フランスはジャズという音楽を生んだ親の一人でもあり、また(オリンピックのJUDOチームを見ればわかるように)アフリカ植民地からの移民も多く、米国黒人ジャズマンには居心地の良さを感じる国なのだろう。たとえばスイング期のシドニー・ベシェや、モダン期になってからは本書に出て来るケニー・クラークを筆頭に、バド・パウエル、デクスター・ゴードン、ケニー・ドリューなど、フランスには多くのジャズ・ミュージシャンが米国から移住している( スティーヴ・レイシーのような白人ジャズ・ミュージシャンも、1970年代以降パリに移住した)。

本書には下記のように、エリントンからキースまで大物がほぼ顔を揃えるが、グリーソン本と同じく、マイルス・デイヴィスだけがいない。珍しい記事は、滅多にインタビューを受けなかったモンクや(当然短いが)、リー・モーガン、エリック・ドルフィー、亡くなる1年前のレスター・ヤングなどだろう。何度も書いているが、私的にはジャズ・ミュージシャンのインタビューは、ジャズ史、ミュージシャン個人史的にも、音楽的にも、本当に面白く興味が尽きない。ちなみに、原書表紙も、邦訳版の表紙カバー写真も共に、やはり画になる男ソニー・ロリンズである(このフォルムは、まさに『ブルージャイアント』だ)。

デューク・エリントン、ホレス・シルバー、リー・モーガン、ジーン・ラメイ、ケニー・クラーク、セロニアス・モンク、ソニー・ロリンズ、キャノンボール・アダレイ、ローランド・カーク、チャールス・ミンガス、テッド・カーソン、エリック・ドルフィー、ジョン・コルトレーン、マッコイ・タイナー、ビル・エバンス、キース・ジャレット、オスカー・ピーターソン、レスター・ヤング

本棚で見つけたもう一冊の参考書が『モダン・ジャズの発展-バップから前衛へ』(植草甚一著、1968年スイングジャーナル)だ。上記フランスのインタビュー集より、20年以上も前に出版された本だが、内容的には同時期のインタビューも含まれている。これは大部分がジャズ月刊誌『スイングジャーナル』に掲載されていた1950年代末から約10年間の植草甚一のジャズ・エッセイをセレクトしたもので、前著『ジャズの前衛と黒人たち』(1967年晶文社)に続く2冊目の単行本だ。私が所有しているのは、ジャズに夢中になっていた頃、1975年(昭和50年)発行の第14刷の本なので、当時かなり売れていたのだろう。植草甚一の本は、他に晶文社の『植草甚一スクラップブック』など、ジャズ以外のテーマを含めて今も数多く出版されている。

本書の内容は、その前著(これも売れたらしい)に掲載されなかった同誌向けエッセイを、当時『スイングジャーナル』誌の編集長だった児山紀芳氏が選択、編集して出版したものだという。ほとんどリアルタイムのジャズエッセイというべき内容で、海外(米、仏)のジャズ雑誌に掲載された記事を引用して翻訳し、それを「コラージュ」のように継ぎ合わせて書いてゆくという独特のカジュアルな文体で、どこまでが元記事で、どこまでが植草甚一の意見なのか、よく分からないという不思議な印象の文章なのだ。たとえば、上記『Jazz Hot』からの引用もかなりあり、著者フランソワ・ポスティフ(植草版では "ポズティフ" と表記)の名前もしょっちゅう出てくる。書いてあるロリンズの情報も、このフランス発信のものだ。

植草甚一とCurtis Fuller
植草甚一(通称 J.J. 1908―1979)は元々ミステリー小説、外国映画の紹介などで売り出した人で、「ジャズ沼にハマッた」のはなんと50歳近くになってからだという。熱中するとレコードを買い漁るのは、昔のジャズファンなら誰もが通った道だが、そこからの没頭ぶりが常人とは桁が違う。「モダン・ジャズを聴いた600時間」(1957年)というエッセイがあるくらい徹底的にレコードを買い、それを聞き(ジャズ喫茶でも)、海外文献に目を通しまくり、久保田二郎のようなジャズ業界人との交流を通じて、あっという間にジャズ通になった。早稲田の建築科中退らしく、上記単行本に掲載されている自筆イラスト類も非常に精緻、精密なものだ。基本的に理系の頭脳をしているので正確に深く掘り下げる姿勢が強く、それと同時に芸術的センス、感性が豊かで、新しい文化に対する反応も鋭い人物だったのだろう。ただし、当時はよくジャズと一緒くたに議論されていた政治的な匂いがまったくしないのも特徴で、そこが平岡正明のような人たちとの違いだ。むしろ1960年代後半には『平凡パンチ』のような雑誌でも取り上げられて、先端文化の道案内人として、当時の若者の間でも人気を博したようだ(私は、その少しあとの世代なので、あまり記憶がないが)。日本橋生まれの江戸っ子の粋人であり、いわゆる後年のサブカル文化人の先駆だったのだろう。

上述したように、毎月の海外情報をほぼリアルタイムで翻訳、紹介していたわけで、情報の鮮度が違う。今や、すっかりアーカイブ化したジャズやジャズマン情報が、まだ新鮮だった当時に直輸入して紹介しているわけで(というか、これらが「オリジナル日本語情報」になったか)、読んでいると、つい最近の話を聞いているような気がしてくるのである。ロリンズはもちろん、モンク、マイルス、コルトレーン、ミンガス、オーネット、セシル・テイラー、アイラーなど、いろんなミュージシャンが登場するが、元の情報が海外発記事なので、当時の日本人評論家のような後追い紋切り型コメントではなく、批評の鮮度と切れ味がよく、そこに猛勉強していただろう植草甚一自身の意見がコラージュされて乗せられているわけで、そこがまた独特で面白い。当時「最先端の音楽」だった全盛期のモダンジャズを、先頭きって追いかける「モダン爺さん」という図柄もまた面白い。だから彼の好みは常に「前衛」(アヴァンギャルド)である。今読んでも結構刺激的で、本人がわくわくしながら書いている気分が伝わってくるし、今でも参考になる当時のジャズや、ジャズマン情報がたっぷり楽しめる(ただし、文庫を含めた昔の本はたいていそうだが、フォントが非常に小さくて、目が疲れる。なぜなのか分からないが、情報を目いっぱい詰め込みたい、それを読みたい、という当時の出版・読者双方のニーズのゆえか? それと昔の人は目が良かったのだろうか?)

1979年に植草甚一が亡くなったあと、残された万単位の蔵書は作家の片岡義男氏が媒介して古書店に委託販売し、数千枚のレコードはタモリ氏が引き取ったという。ただし、お金はみなこうした「道楽」につぎ込んでしまい、少しも残さなかったので、未亡人になった奥さんは苦労したらしい。「死んでくれてせいせいした」と言った(?)とかいう話もある(やっぱりね。もって他山の石とすべし、か)。

2024/08/30

SNSと悪意の民

SNSでの炎上や、ネット上の相手かまわぬ匿名の誹謗中傷コメントに関する最近の報道を読んだり、実際にヤフコメを覗いたりすると、いったい慎ましい「声なき民」はどこへ行ったのか…と思うほど、悪意に満ちた攻撃的なコメントと嫌味だらけで読むのもイヤになる。立て看板、目安箱、掲示板、便所の落書きに至るまで、政治や社会への批判、不満、要望など、大衆の「声なき声」を代弁し、匿名で権力や世間に訴える方法は大昔からこの国にもあった。しかし、形はどうあれ、自分の意見を書いたものを人前に晒すという行為には、それなりの勇気や決断、なにより共感を呼ぶだけの思想やそれを表現できる文章力が必要だった。さもなければ、無視されるかバカにされるのがオチだった。一歩踏み出すためには、それなりの「覚悟」が必要だったのだ。20世紀に入って、新聞や雑誌への投稿が、一般人が公にそうした意見や不満の表明をする唯一の場である時代が長く続いていた。

インターネットが普及し始めた1990年代から、それまでの新聞や月刊誌、週刊誌のような、内容やレベルの差はあっても、一応は素性や責任のはっきりした紙媒体(「購入」という、金と行為が必要)に代わって、ネット上で「タダで誰でも自由に発信できる」という場と環境が初めて人類に与えられた。しかし、そのときもまだ、PCや文章ソフトの知識と使い方の技術が最低限必要で、そういうスキルのある人間しか文章を発表したり投稿したりできなかった。つまりまだ限られた人たちの世界だった。その時代でも、人物を特定して名指しで批判したり、その行状を非難する「危ない匿名記事」が、ネット上ですでに結構出ていた記憶がある(それまでの三流新聞やゴシップ雑誌の系譜だ)。さらに2chに代表される「ネット掲示板」が登場して、ネット上で双方向の「匿名による意見交換」の場も現れ、これが現在のSNSにつながる「個人の」自由発信の萌芽だったのだろう。面白い記事や議論もあったが、時どき過熱して、相手を攻撃、罵倒する一部の暴力的言説、文章のあまりのひどさに、本当に吐き気をもよおしたことがある。よくそこまで「陰湿で悪辣な言葉」を思いつくものだとその才能(?)に感心するほどで、人間の悪意とはここまで成り下がるものなのかと、衝撃を受けたことを覚えている。

何物でもないただの一般人が書いた文章を、赤の他人が読む機会は昔はそうなかったはずだが、インターネット空間はそれを初めて解放し、個人情報や意見を自由に書き込める革命的な場を提供した。しかし、偉い人や、作家、芸術家のような20世紀的に格調高い文章を誰もが書けるはずもなく、量は増えても、やがて何でもありのゴミタメのようになったネット文章の質は、普及と比例して徐々に低下した。’00年代になって、ツイッター(X)やフェイスブック、LINE他の「SNS」というコミュニケーションツールと、個人所有の通信PCである「スマホ」が登場し、誰でも簡単に発信できるインフラがほぼ完全に整備された。そしてツイッターのような短文連絡ツールの出現は、通信言語の変質と日本語文章の劣化に拍車をかけた(今はもう文章ではなく、イイネ!とか、スタンプで何でも代用可だ)。2010年代に入ってからは日本でもそれが一気に普及し、完全に当たり前の通信用の道具となった。そこにYouTube、Instagramなどヴィジュアル情報通信の簡易化が加わり、情報網の拡大と拡散効果も極大化してゆき、この10年で日本は、いわば一億総発信者、総アーティスト、総評論家の国になった――というのが、ざっと見た歴史だろう。

たとえば、私はジャズ好きで自分でも訳書を出版しているので、時どき目を通しているが、この10年くらいのAmazonの書籍や、映画、レコードといった文化ソフトのレビュー欄を、時系列で追って読めば、この「ネット言説の普及と劣化」が大衆レベルで如何にして起きてきたかがよく分かる。10年ほど前までは、素人ながら、みな、まともに読める質と批評内容を持った真面目な文章が多かった。中には素晴らしい批評文もたまにあった。一応の知識と関心を持つ、それなりの人間だけが投稿していたからだ。ところが、今や「五つ星!」だけとか、言いがかりとしか言えないひどいレビュー、そんなことを人前で言っちゃだめだろう的な文章ばかりである。この傾向は当然ながら日本も米国も同じだが、日本の劣化が特にひどいように思える(元々日本の「批評」はレベルが低い)。誰もが匿名で自由に書け、投稿できるようになって、知識、能力や人格にかかわらず「どんな人間でも」勝手に意見を言えるようになった結果、きちんと考え、それをまとめ、真面目に意見を述べてきた人たちは、とっくにそういう場から去って行った。つまり、いつの時代も、制約のない完全に解放された場では、悪貨が良貨を駆逐するのである。以前は、各レビューに対して第三者がコメントできる場も用意されていたのだが、SNSの影響もあって、レビュー/コメント者の間のやり取りが過熱、炎上するようになり、数年前にAmazonはこの仕組みを止めている。しかし逆に、どんなにいい加減なレビューに対しても、出品者側は何もコメントできないのが現在のシステムで、今はレビュー者側の言いたい放題の場に近い。

いずれにしろ、この「スマホとSNSの登場」は、ある意味で人類が「パンドラの箱」を開けたことになるのだろう。隣のおっさんやおばさんから、米国大統領まで、これまで聞こえなかった「個人の声」が、仲間内ばかりか、いとも簡単にグローバルネット空間に、本名、匿名を問わず、24時間途切れることなく発信されているのである。独り言や、(このブログもそうだが)どうでもいい通信、便所の落書き程度の内容に至るまでの「夥しい言葉」が、電波に乗って、地球上を飛び交っている光景(?)を想像するだけで、何だか頭が痛くなりそうだ。最近では、何も音が聞こえているわけではないのに、時どき「うるさい!」と感じるようになった。人間に聞こえるはずのない、MHz、GHzレベルの電波が、常に頭上を飛び交っているせいではないか?(そう感じるのは私だけか?)。

こうした文明の利器をもっとも素早く、かつ有効に使うのは、昔も今も「悪人」と相場が決まっている(TVの『鬼平犯科帳』を観ていればよくわかるが、これは世界共通だ)。賢い悪人ほどタチの悪い連中はいないが、賢くない悪人(?)も、毎日のように、全国至る所で「盗撮」で捕まっている。昔は男の妄想で済んでいたのに、最新技術のおかげで、我慢できずに犯罪の実行におよんでいるわけである。日々増える、毎日山のように送られてくる詐欺メールも、その処理だけでイヤになるが(ある時点から急激に増えた。メアドがワルのルートで拡散されたからだろう。毎日メールを削除するだけでも本当に面倒くさい)、これがきっと、日本中の情弱高齢者たちを狙った膨大な数の詐欺メールとなって送られているに違いない(「重要。お支払いに問題があります…」と、やれAmazonだ、やれヤマト運輸だ、東京電力だ、三井住友だ、えきねっとだ、イオンカードだ…とキリがない)。最近、ネットの「コタツ記事」という語をよく見かける。ネットとかTVで「適当に」集めた情報を使った、誰でも書ける、内容のない空っぽ記事のことだが、これからは「コタツ詐欺」とか「コタツ犯罪」の時代だろう。手足を一切使わずに、スマホ片手に寝っ転がっていても、指先ひとつで人をだまして金が詐取できる時代である(総称すれば「コタツ・ビジネス」か)。しかもルフィのように、海外からリモコンで指示する国際犯罪組織にまでに拡大している。ネット記事や動画で、見る者に「クリック(閲覧)さえさせれば金が入る」という仕組みが、そもそもの元凶だが、それも元をただせば、どうせどこかの賢いワルが思いついたのだろう。個人レベルだけではなく、その情報を利用、引用して、コタツ記事で増幅し、拡散して、意図的に炎上騒ぎの片棒を担いでいるのは、言うまでもなく大手を含むネットメディアである。つまり今や、個人からメディアまでいわば一蓮托生なのだ。

SNSの誹謗中傷の源流は、上に書いたようなネットの匿名掲示板の罵詈雑言合戦なのだろう。だが時代や、世代、世の東西を問わず、人間社会で決してなくならない陰湿な「イジメ」を見れば分かるように、世の中には、どうしょうもない「ワル」だけでなく、一見普通の顔をして暮らしているが、人を傷つけることを楽しむ、どうしようもなく「底意地の悪い」人間が、いつの時代も一定の比率でかならず存在しているのである。どんなに社会が良くなろうと、それは変わらない。そういう人間も親から子へと常に再生産されているので、世の中から消えることはないし、ネット空間では彼らも平等に権利を行使する。むしろ、顔の見えないネット空間だからこそ、なおさら狡猾に手加減せずに実行する。非ネット時代には表面に出てこなかった(陰に隠れていた)、そういう人間の「悪意」が、デジタルによる新しい環境と道具によって解放され、一斉に顕在化しつつあるのが今のSNSで起きていることなのだと思う。

「声なき民の声」とは、昔は救済すべく善意に解釈するのが当たり前の対象だったが、今はステルス化した「悪意の民の声」として捉えるべき時代になってしまった。顔も名前も出さずに、他人を言葉の暴力で傷つける卑怯な連中のことである。「イジメ」がそうであるように、これは日本社会だけの問題ではなく、程度の差こそあれデジタル通信化が進む世界中の国々で起きていることだろう。弱い者や、劣位の者、あるいは単に自分が気に食わない人間をいじめたい、他人の幸福が許せない、他人と少しでも差をつけないと(自分を向上させるのではなく、他人の足を引っ張って、下にひきずり降ろして相対的に優位に立たないと)安心して生きていけない…――そうした類の人間は、いつの時代も、社会のどこにでも常にいる。その種の人間による誹謗中傷の対象は、あるときは身近な人間、知っている人間で、別の時は自分とは何の関係もない、芸能人や有名人を叩いて憂さ晴らしすることである。これはある意味で、いわば人間の業とも言えるが、そういう人間も以前は、自分自身とも、社会とも、何とか折り合いをつけて、そうした悪意や葛藤を自分の内部に留めてきた(もちろん投書とか、他の嫌がらせ方法もあっただろうが)。それが「SNS・スマホ時代」になって、いつでも自由に、躊躇することなく、それを外部(世界中である)に向けて発散できる環境ができてしまった。またそれを読んで一緒になって騒ぐ人間もいるので、そこで承認欲求も満たされ、ますます発信したくなる。「パンドラの箱」とはそういう意味であり、これを開けてしまった以上、もう元には戻せないのである。

それを教育や善意だけで、なくすことは不可能だと思う。個人的防御策は、見ない、聞かない、無視する、ことくらいしかないが、デジタル・タトゥーと言われるように、デジタル通信時代の誹謗中傷の言説が持つ寿命と、その拡散力の強大さの前には、個人は無力である。しかも、個人が受けた精神的苦痛は簡単には消えずに、いつまでも残る。被害をゼロにできない以上、次善の策を講じるべく、「善意の」最新技術、法規制の再構築で、被害を防いだり、最小化する以外に方法はあるまい。有名人などの場合、これは精神的苦痛や名誉棄損に加えて、れっきとした「営業妨害」でもある。当然、相応の損害賠償を請求できる権利があるべきだ。法律が常に現実の後追いになるのはやむを得ないが、ほとんど無法地帯化し、さらに拡大の一途をたどるたネット空間言説における「倫理」「犯罪の定義」と「社会的制裁」の構築とその明文化、実行は、今や喫緊の課題だ。

この30年間、技術(モノ)開発から情報処理へと舵を切り、ネット空間、情報検索技術、ソフトウェア、新通信技術、クラウド…等々、様々な「新プラットフォーム」を次々に開発し、世界に提供し、人類にかつてない利便性を提供してきた一方で、国境を越えて世界中から独占的に利益を吸い上げて成長を続けてきた米国のGAFAM企業群に、この「無法地帯を制御する」技術開発の責任と、何らかの社会的・法的責任を負わせる方策を早く講じるべきだ。これは知財問題を含む生成AI制御と並ぶ大問題であり、人類の哲学と叡智が試される最重要課題だ。こうした大企業群が自らの責任において何らかの根本的対策を講じない限り、その利便性を享受してきただけで、何らの技術力、影響力を持たない日本のような国一国だけではどうにもならない問題なのである。たとえローカル一国内で問題提起しても、当然だが私企業内では、グローバル優先順位が常に低いので、すぐに対策し、改善するはずもない。現在のEUの姿勢は、この解決策を示唆している。国境を越えて、ネット空間の倫理・哲学ヴィジョンに基づく、グローバル私企業に対する世界的な提案、要求が必要な段階に入っているが、日本は相変わらず蚊帳の外のようだ。それどころか、デジタル音痴の老人たちがいまだに金と力を持って、古臭い政権を昔ながらの手法で運営している。日本人として、このデジタル資本主義時代に感じる無力感は、何とも例えようがない――いまさらながら、この30年間の日本政府とその主導者たちの無為無策に憤りを覚える今日この頃だ。

2024/07/18

古江彩佳 エビアンAvianを制す

古江彩佳の素晴らしいメジャー初優勝だった。4日間WOWOWでライヴ放送(&配信)を見ていたが、ゴルフ中継でこんなに興奮して感動したのは初めてだ。2019年の渋野日向子のAIG全英のときは、あまりの面白さに思い切り興奮したが、「感動」というより「驚き」の方が近かった。渋野と古江は、まさに昔のプロ野球なら長嶋と王だ。渋野は観ている者をハラハラドキドキさせて、巻き込んで一体化してしまうスターであり、スポーツ観戦のエンタメ的醍醐味を味あわせる代表的存在だ。一方の古江はそうではなく、確かな技術を持っているので一挙手一投足が落ち着いていて、本人も言っているように、まったく緊張を感じさせない仕草と冷静なプレイで、安心して見ていられるところが持ち味の人だ。小柄で派手さもないので、あまり引き込まれるタイプの選手ではないが、今回のエビアンでは、それよりもゲーム全体の中で「どう勝負に勝つか」という戦略と意志と技術が合体した、ゴルフというスポーツの持つ真の醍醐味を4日間にわたって堪能させてくれた。

今回の古江は、先月までの米国内ツアー時と違って、最初から「勝とう」という意志が溢れていた。おそらく、東京に続き今回もオリンピック選考から漏れた悔しさが、そのモチベーションの源だったのだろう。圧巻は何と言っても2日目のラウンドで、雷雨のために途中で翌日順延にならなかったら、13アンダーのあの日に、もう2つ3つスコアを伸ばして、たぶんそのままぶっちぎりで勝っていたと思う。それくらい他を寄せ付けない、圧倒的なバーディラッシュだった。順延のためにリズムも狂って、プレイホール数も増え、3日目は勢いが止まって苦しい展開になって追い付かれ、最終日にはインに入ってからついに3差まで追い抜かれてしまうが、そこからが古江の真骨頂だった。残り5Hになってから2つの "超" ロングパットを含む、14番からの3連続バーディ、17番もあわやバーディ、そして18番P5のセカンドショットで2オン、イーグルパット成功という「怒涛の攻め」で、マッチプレーのように二人のライバルにプレッシャーを与え、最後についに突き放した。手に汗握るこの展開は、ほとんどゴルフ漫画のようだった。

正確なティーショット、距離と全体の傾斜を読み切った確実なパーオンショットに加えて、(グリーンの芝目、微妙なアンジュレーションに適応できず、最後までパットに苦しんでスコアを伸ばせなかった渋野とは対照的に)長短にかかわらず、ラインを読み切って冷静に、確実に沈めたパッティングが今回の古江の最大の勝因だろう。4日間を通じて終始驚くべきパッティング技術だった。エビアンのコースが距離やアップダウンなど日本人向きだという要素があるにしても、153cmしかないという身長で、海外の大きな選手たちを相手に勝つにはどうしたらいいか、彼女はその完璧な手本を示した。同時に、全英のときの渋野と同じく、18番Hのように、リスクを負いながらイーグル狙いのショットで果敢に攻めるという、ここ一番の勝負師的チャレンジも併せ持っていた。それがないと、こうした世界レベルのタイトルは取れないということだろう。畑岡選手が経験と高い技術を持ちながら、なかなかメジャーで勝てない理由もそのへんにあると思う(また今回の畑岡は渋野と同じく、ショットの安定感は抜群だったが、パットに苦しんでいた)。しかし、韓国に続き、世界の女子ゴルフを席巻しつつある日本だが、今回見ていて思ったのは、今後はタイや中国の選手が、あっという間に上位へ進出してくる予感がする。

渋野の復調でLPGAツアーが面白くなって、TVでライヴ放送を見たくなったので、今更だが、6月からWOWOWに加入した。2530円の月間料金が高いか安いかは、その人の価値観次第だろうが、夏のシーズンはほぼ毎週末4日間楽しめるし(月平均10日から15日見るとして、150円ー250円/日になる)、おかげで、今回の古江以前の全米女子OPの笹生の優勝や、全米女子プロの山下の2位、Dowの渋野&勝のマツケンサンバ(?)やホールインワンのシーンとかも楽しめた。最近日本の地上波では、女子ゴルフエンタメ系ばかりで、NHK以外、試合のライヴ中継をほとんど望めない。しかし今や、何であれスポーツ中継はライヴでないと見る気がしない。特にゴルフのような、一打一打に各選手の表情、心理や技術が現れるようなスポーツを楽しむには、やはりライヴの臨場感と緊張感が必須だ。TV放送とは別に、WOWOWにはオンライン配信があって、「日本人専用カメラ」画像で、放送とは別に日本人選手に特化したライヴ映像が(PCでもスマホでもTV画面でも)ほとんど見られるし、もちろん見逃した場合も後で見られる。CMもなく、最初から最後までストレスなく試合を楽しめ、加えてTV放送での岡本綾子さんの解説のクオリティも高い。偉ぶらず、的確で、温かく、世界レベルでの経験に裏打ちされた、人間味のある解説はやはり素晴らしい。古江選手の優勝インタビュー時も、岡本さんのねぎらいの言葉で、一気に彼女の涙腺が崩壊していたが、こちらの涙腺もこれで崩壊した。スポーツ、ゴルフの素晴らしさを象徴するような先人と後輩のやりとりだった。こうした感激もライヴ放送ならではだろう。

しかし、30周年のエビアンで、しかもメジャー昇格後10周年という節目に、エビアンで2回勝った(2009,2011年)宮里藍さんに触発された世代の日本人女子選手が、あれだけ感動的な逆転勝利を飾ったにもかかわらず、翌日のメディア報道の少なさには拍子抜けした。テレビは各局ともほとんどスルー同然で、相変わらず大谷の報道ばかりなのだ。サッカーもそうだが、テレビの放映権が世界的な有料配信会社に支配されて自由な報道ができなくなって、たぶん放映権も高騰し、コストに苦しむ日本のテレビ局は、あえて金を払って報道する姿勢も妙味もなくなったということなのだろう。また日本企業スポンサーも減った。これも日本が貧乏になった証の一つだ。しかし、世界を舞台にしたスポーツは、21世紀の最有望放送コンテンツであり続けるだろうし、中でも女子ゴルフは今や日本では数少ない優良コンテンツの一つだ。国交省が、残り少ない稼ぎ頭の車メーカーを法規違反だといじめて、国内で足を引っ張っている場合ではなく、日本も少しは中国や韓国を見習って、国をあげてスポーツやエンタメをサポートする戦略や仕組みを本気で検討した方がいい。国内だけ見ていては、そういうグローバル・ビジネス競争には決して勝てないし、昔の日本や、今のアメリカのようには、民間企業の懐具合に期待できない以上、これは必須の国家戦略だろう。

昔は猫も杓子も熱中し、サラリーマンの必須技術でもあったゴルフだが、狭い国土のおかげで、もともと費用が高い、ゴルフ場が遠いというハンディに加え、バブル崩壊、交際費の減少などでスポーツや遊びとしての環境が激変し、男子ゴルフの低迷、スター不在、若者の関心減少等々――この30年間マイナス側に振れ続けてきたゴルフ界だが、近年の女子プロゴルフの活況と発展は日本のゴルフ界にとって久々の光明だ。私はゴルフマニアではないし、腰が悪くて実際に今はゴルフができないし、ゴルフ人気が全体として今どうなっているのかよく知らないが、上手、下手にかかわらず、ゴルフは決して技と体力だけのスポーツではなく、頭脳も使う面白いゲームだということは、一度自分でやってみれば分かるし、今回の古江選手の勝利もそれを証明している。だからこの成長著しい女子ゴルフを有望コンテンツとしたビジネス企画が、もっと出て来てもいいように思う。

たとえば「ニンテンドー」さん、ファミコン版「マリオオープンゴルフ」の新装版を30年ぶりに開発してくれないものだろうか? 私はシブコの登場をきっかけに、この復刻版マリオゲームにはまって、以来楽しんできたが、最近のゴルフがらみの新作ゲームはちっとも面白くないし(3Dとかも必要ない)、ゴルフを分かっていない人間が設計しているとしか思えない。バブル時代に設計開発された「マリオオープン」はゴルフゲームの最高傑作、頂点であり、あれでゴルフのTVゲーム設計は極まったとは思うが、最新技術であのゲームをリファインして、「ゴルフを知る人、やる人たち」が真に楽しめる、世界に通用するゴルフゲームを開発・提供して欲しい。今やTV放送でもやっているグリーンの旗の位置や、微妙なアンジュレーション、芝目の精細な可視化とか、パッティングの微妙なタッチ再現とか、フェアウェイの傾斜とか、風とか…微妙な周辺情報の量・精度を上げて、より「リアルな」仮想ゴルフ体験をさせて欲しい。登場キャラもマリオ一人でなくても――たとえばAyakaとか、Shibukoとか、Sasoとか――世界に通用する個性のある実在女子プロキャラを登場させて、得意技(ロングドライブ、小技、パットなど)でキャラ設計するのも面白いし、各キャラは実際に(J)LPGAが協力・監修し、コース設定以外にメジャーを含めたトーナメントも開催する…等々、オンライン化も含めて、いろいろ工夫すれば相当面白いゲームになりそうに思うし、協会プロモーションの一環として長期的に女子ゴルフの底上げにも貢献するだろう。

時代や若者受けを狙った軽い、早いだけの単純なアクション、エンタメゲームに走らず、純粋に「ゴルフを知る人のための本格的ゴルフゲーム」というコンセプトで、長く楽しめる設計にしたら、これから、やりたくてもゴルフ場で本物のゴルフを楽しめない高齢者(私を含む)という新しいマーケットも(それも世界規模で) 開拓できますよ。それに今後減って行くオヤジ層需要だけでなく、女子ゴルフ人気で新たな女性ユーザー層も開拓できて、全体の需要も増えるだろうし、また男女を問わず、若者のゴルフへの興味の入り口、あるいは実戦ルールの知識習得や、実技のシミュレーション、イメージトレーニングとしても使える可能性も十分にあるのではないかと思う。技や筋肉ばかりではなく「ゴルフとは頭脳ゲームである」という、ゴルフの魅力であり、原点の一つに立ち返り再設計すれば(たとえ2D画面でも)まだまだ十分に面白いゲームが開発できるように思う。如何でしょうか?

2024/06/12

中牟礼貞則を聴く(at "NO TRUNKS" 国立)

国立 NO TRUNKS
愛器 Gibson ES175と後方のALTEC
久保木靖さんが書いた『中牟礼貞則』を読むか、CDを聴くだけだった中牟礼貞則さんご本人のソロギター・ライヴを、6月7日(金)国立(くにたち)の "NO TRUNKS" で初めて見て、聴かせていただいた。国立は何年も行っていなかったので、駅全体と駅舎の配置と姿がすっかり変わっていて驚いた。三角屋根を復元した新駅舎の中では、ピアノと管楽器によるクラシックの三重奏のライヴ演奏中だった。さすが国立である。駅から数分の店 "NO TRUNKS" も今回初めて訪問したが、場所は富士山の眺望問題で新築マンション解体――という、こちらも「さすが国立」的(?)なニュースで急に話題になった冨士見通りにある。国立で20年以上続くジャズ・バーの老舗で、懐かしいALTECの大型SPを配したジャズ喫茶的な雰囲気を残すが、今は肩の凝らない「ジャズ居酒屋」だそうだ。6時過ぎに店に着いたときは、中牟礼さんがギターとアンプのセッティングを終えて、その日初めての(!)食事に取り掛かるところだった。写真家の平口紀生さんのご招待で伺ったライヴだったが、中牟礼さん、平口さん、久保木さんとも初めてお会いして、中牟礼さんの生演奏を聴き、堪能しただけでなく、皆さんと話もできて大変楽しい時間を過ごした。(以下の写真は、すべて平口紀生さん撮影。ただし一番下の写真はトリミングさせていただいた。)

Sadanori Nakamure
中牟礼貞則さんは1933年(昭和8年)鹿児島県出水市生まれ、今年で91歳になる「現役のジャズ・ギタリスト」だ。海外ではセシル・テイラーが1929年、ジム・ホールとソニー・ロリンズが1930年、 ウェイン・ショーターとスティーヴ・レイシーが1934年生まれ……なので、おおよそ、どういう世代のジャズ・ミュージシャンなのかが分かる。マイルス、コルトレーン、リー・コニッツなど、1920年代半ば生まれの世代よりほぼ1世代近く若いミュージシャンたちである。だが今年93歳のソニー・ロリンズ(現在、私が伝記を翻訳中)を除けば、今やもう全員が故人である。日本では渡辺貞夫、高柳昌行氏らと同世代、昭和一桁生まれであり、一般に短命なジャズ・ミュージシャンと比較して長寿の中牟礼さんは、ジャズ・レジェンド、ジャズ人間国宝など、尊敬を込めて、いろんな呼び方をされてきた。

初めてお会いした、現在の中牟礼貞則氏の私的印象をひと言で言えば、「ジャズ・ギター仙人」である。ギター本体さえ入手できずに自作した少年時代から、上京後ジャズの世界一筋に生きてきて、日本のジャズの盛衰と共に齢を重ね、91歳になった今もなお、俗世を超越して「ジャズ・ギター道」を静かに歩み続けている――まさしく「仙人」そのものだ。久保木靖さん編著『中牟礼貞則 / 孤高のジャズ・インプロヴァイザーの長き旅路』(2021年リットーミュージック)を、私が本ブログでレビューした記事「『中牟礼貞則』を読む」(2022年5月)が、平口さんからのライヴへのお誘いのきっかけだった。そもそもは今年3月の、本拠とも言える横浜「エアジン」での中牟礼さんの91歳誕生記念ライヴにご招待いただいたのだが、私は昨年末以来の腰痛に加えて痛風まで患ってしまい、情けないことに当時ほとんど歩けず、行くに行けなかった。そこで多少痛みが和らいだ今回、初めて中牟礼さんのライヴを聴きに出かけたのだ。

久保木さんの本は、中牟礼さんの愛読書でもある私の訳書『リー・コニッツ / ジャズ・インプロヴァイザーの軌跡』(2015年DU BOOKS)を参考に全体を構成されたそうで、確かに実際に読んでいてそう感じた。私の本は、ジャズにも翻訳にもド素人だった人間が、好きなジャズ・アーティストをリアルに描いた原書の魅力と面白さに感動して、誰にも相談せずに一人で書いた初の翻訳書で、それを当時のDU BOOKSの編集者Aさんが、私の問い合わせ電話一本で取り上げてくれて出版が実現したという、ある意味で奇跡のような翻訳書であり、それゆえ個人的にも思い入れが強い。また平口さんは、この10年間、中牟礼さんのポートレイトを撮り続けながら、マネージャー的なサポートもしてきた人で、久保木さんの著書収載写真の撮影もほとんど手掛けている。というわけで、中牟礼さんの初期のアイドル、リー・コニッツが取り持つ不思議な縁が、国立での3人の邂逅を導いたことになる(リー・コニッツもホーン奏者としては長寿で、最晩年まで演奏を続けていたが、コロナのために2020年に93歳で亡くなった)。

私もコニッツ、モンク、レイシ―のような、自分好みの個性的ジャズ・ミュージシャンに関する訳書を出版してきたが、久保木さんが書いた中牟礼さんの本は、レジェンドと言うべき一人の「日本人ジャズ・ミュージシャン」の音楽思想、人生、生きた時代を、コニッツ本と同じく、ご本人への直接インタビュ-を中心にして愛情をこめて描き出した、本邦初とも言うべきすぐれたジャズ書である(貴重なCD音源が付属している点も画期的だ)。ライヴ後、家に帰ってから久保木さんの本を改めて読み直してみると、耳に残っている中牟礼さんの「生の声」が各ページからそのまま聞こえて来るようで、言葉の一つ一つが一層リアルに響く。この本での語り口がそうであるように、「偉ぶらず」「気負わず」「淡々と」「飄々と」、まさに仙人のごとく、ジャズとギターと人生を語るその言葉は、控え目だが、同時に実に深く、哲学的だ。そして、誰もが「ムレさん」と呼びたくなる、中牟礼さんの温かで誠実な人柄が、人生における様々な人との出会いや音楽の仕事を、自然に招いてきたのだということがよく分かる。

ジャズほどその演奏に奏者の人格が現れる音楽はないと私は思っているが、とりわけ混じり気のないソロ演奏は、それを包み隠さず表すフォーマットだと言える。中牟礼さんのギターソロはまさに、その人柄と語り口そのままだ。訥々としていながら、遠くまでよく通る、どこまでも温かな声質(トーン)を持つ氏のギター・サウンドは、その語り口とまったく同じだ。しかし、一方で薩摩隼人のような潔さ、厳しさも感じられ、氏のジャズに対する信念をそのまま表すかのように、演奏には少しの揺らぎもなく、常に確たるリズムとラインがその底部にしっかりと流れている。

有名な曲ばかり演奏したはずだが、曲名を言わずに演奏に入ることもあり、また高柳昌行氏と同様にトリスターノ派が原点にあることから、原曲のメロディ・ラインをほとんど弾かずに、ベース音、コード進行とヴォイシングだけで曲を形成してゆく中牟礼さんのソロギターは、私のようなジャズ演奏経験のない、聞き専のド素人には難しくて原曲がよく分からないときもある。現に何の曲かと思いながらも、よく分からず、じっと聴いていたら、演奏後に「今のは ”パノニカ” でした」と言われてがっくりきたこともあった。私は多少ギターも弾くし、自慢ではないが『パノニカ』も翻訳出版し、モンク作の「パノニカ」も数えきれないほど聴いてきた愛聴曲だったはずなのに、分からなかった。ジャズ・ギターを弾かれる久保木さんは(当然だが)「分かりました」ということだった。最初の方では、緊張してギターの「音色」に聴き耳を立てていたせいで、逆に全体を聞き取れなかったせいもあるのかもしれない。だがやはり、コードが身(耳)に付いていないと、ジャズのソロは一回聴いただけでは分からないものだ……というわけで、自分の「駄耳」を再確認した次第である。

知ってはいたものの、実際に目にしてやはり驚いたのは、中牟礼さんは91歳の今も、2時間近いライヴの間、小柄な体にギターを抱えて、ずっと立ったまま演奏していることだ。演奏後もあまり座ろうとしないで、席をすすめても立っていようとする。最近はさすがに平口さんが車で送迎するようになったそうだが、以前は重いギターとアンプを抱えて、電車でライヴ会場まで通っていたそうだ。今はどうか知らないが、久保木さんの本のインタビューでは、タバコも酒もやらず、毎日ランニングを欠かさないと言っているので、やはりストイックなその生き方のおかげなのだろう(毅然としたその立ち姿を拝見すると、腰痛と痛風で、情けなくも、まともに歩けない最近の自分は、中牟礼さんの爪のあかでも煎じて飲む必要がある)。終了後、中牟礼さんと多少お話しさせていただいた。久保木さんや、平口さんが惚れ込むのも分かる、その飾らない人柄をすぐに実感した。そして(図々しく)以前から興味のあった左手を触らせてもらった。朝から晩までギターをいじっているイメージがあるので、そういうジャズ・ギタリストの左手の指先は、てっきり「かちかちに」なっているだろうと思いきや、手も指先も実に柔らかいのだった。聞くと、最近は以前ほど弾いていないのだと仰る。しかし、あの演奏をしながら、その人柄と同じく、この柔らかな手と指先は……やはり「仙人」とお呼びしたい。

90年代に、リー・コニッツと名古屋でデュオ共演したときの感想や、高柳昌行さんとの関係や、あの時代のことなど、もっとお聞きしたかったのだが、時間も遅くなったので切り上げて、お見送りさせていただいた。平口さんの車の中から、最後に「ありがとう!」と、言われた大きな声は誠実さに満ちていた。次回、また機会があれば、あれこれと昔話もぜひ聞かせていただきたいと思う。

日本を代表するもう一人のジャズギター・レジェンド、愛弟子の渡辺香津美さんが闘病中の今、師匠の中牟礼さんには、ぜひともお元気で、いつまでも演奏を続けていただきたいと願っている。

2024/06/05

笹生/渋野のワンツー・フィニッシュ(全米女子OPゴルフ)

2021年5月『(続々) シブコのおかげでマリオにはまる』以来、3年ぶりのシブコがらみのゴルフ記事である(写真はすべてゴルフ・ダイジェスト・オンラインGDOより)。

女子メジャー・トーナメントでの日本人ワンツー・フィニッシュは、2021年全米女子OPでの笹生/畑岡で達成された――と思っていたが、当時笹生は実はフィリピン国籍だったので…という、ややこしい歴史がある。そういう意味で、今回は記録上初の「日本人」によるワンツーで、1位はまた笹生優花だったが、今回は2着がなんと渋野日向子という大穴だった。3日目を終えた時点で、大舞台に強い渋野の様子が、今年に入ってからの残念な9試合とまったく「違う」ことがわかったので、たぶん二人のどちらかが優勝する、と踏んでいた。というわけで、久々に6/3 早朝までTV中継を見てしまった。笹生は2019年全英の渋野に続き、2021年にあっさり全米女子OPというメジャータイトルを手にしているが、今回はその全米女子OPというメジャータイトルを、二人の仲良し日本人「メジャー覇者」が、1位/2位と連勝で制したことが何より嬉しく画期的だ(円ベースの1位/2位賞金総額もびっくりだが、企業収益と同じで、異常な円安のおかげでもあると思うと、複雑な心境だ)。

一時期の韓国旋風さながら、決勝R、最終日の上位に残った日本人選手の数には驚かされたが、あの難コースで、4日間を (ー4)、(-1)というアンダーパーで終えたのは、この二人の日本人選手だけだ。コースセッティングのみならず、カップに一度入ったかと思えるボールが、縁でクルッと回転して出てしまう――そんなシーンを何度も目にした意地悪コースである。笹生、渋野ともに、他の上位外国人選手が次々に自滅してゆく中、じっと耐えてスコアをキープしていたのが勝因だろう。古江彩佳、竹田麗央、小岩井さくらという日本勢も10位以内に喰い込んだ。韓国勢が席巻していた時代もそうだったと思うが、やはり、海外のトーナメントに同国人がたくさん出場していることは、選手に安心感を与えるだろうし、精神的にも有利に働くだろうと思う。

胸のすくような豪快で歯切れの良いショットで2019年全英を制した後、渋野は不調だった翌2020年秋の全米女子OPの優勝争い(結果は4位)、2022年のシェブロン(4位)、全英(AIG 3位)以降は目立った活躍もなく、特に今年に入ってから予選落ちばかりで、絶不調というべき状態が続いていた。さすがに、これまでずっと応援してきた私も「もう立ち直れないかもしれないな」と思い始めていた。ネット上でも相変わらず、「フラットスウィングをやめろ」「日本に戻って鍛え直せ」「コーチをつけろ」「石川と手を切れ」「引退しろ」…とか、ど素人があれこれ言いたい放題のことを書いてきた。メジャー挑戦を掲げてスウィング改造に取り組んだ2020年も不調で、同じように罵声を浴びていたが、寒風吹きすさぶ年末の全米女子OPでの優勝争いで、有象無象を黙らせた。しかし今回は、昨年から今年5月までのあまりの不調ぶりに、いくら大舞台に強いというキャラがあるにせよ、まさかここまでやるとは誰も予測していなかっただろう。

直前にクラブのシャフトを変更したからという報道もあるが、その影響の度合いはともかく、何かしら大きな変化(きっかけ)が彼女の内部で起きたことだけは確かだろう。いずれにしろ、コース上、グリーン上で、あの「しぶこスマイル」が久々に全開になって、見ている側を癒してくれたのは何よりよかった。特に3R目の14Hのカップ際の「10秒待ち」バーディは、意地悪グリーン上で、まさにゴルフの神様を引き寄せた最高に記憶に残るシーンになった(何度見ても笑える)。最終日12Hグリーン上のアクロバチックなスライスラインのバーディもそうだ。渋野はやはり「持っている人」であり、観客が思わず引き込まれてしまうような笑顔の魅力と共に、自分だけでなく、周囲を巻き込んで「みんなで盛り上がるシーン」が実によく似合う人だ。つまり生まれながらの「スター」なのである。

笹生も、2021年の全米女子OP制覇後は勝利に恵まれず、アメリカで苦労してきたようだが、彼女の女子らしからぬ颯爽とした男前のプレイが私は好きで、渋野同様に応援してきた。子供のときから鍛えて来た、あのブレない強靭な体幹と筋肉、スウィングのスピード、パワーはまさに男勝りで、飛距離、弾道ともに他の日本人女子プレイヤーとは次元の違うゴルフをする。表情豊かで、感情の起伏がよく表れる渋野とは正反対で、調子が良くても悪くても、あまり表情を変えない(ように見える)ところも、クールでいい。最終日16H のP4のワンオンが、笹生の真骨頂というべきものだろうが、彼女は実はパワーだけでなく、パッティングも、グリーン周りの小技も実に上手なことを、今回も何度か見せてくれた。特に3R目の10Hでバンカー越えの高く上げて、グリーンの狭い部分に落とした寄せ、最終日の18H のグリーン下側からの寄せは見事だった。22歳にして持つ、この硬軟、強弱取り混ぜたゴルフ技術の幅広さは、今後さらに磨きをかけたら笹生の絶対的強みになると思う。

優勝インタビューで語ったように、フィリピンと日本の国籍問題では(ゴルフだけでなく、実人生においても)きっと悩んできたのだろうが、今回日本国籍に決めたことで、精神的にもすっきりして臨んだのかもしれない。インタビューで分かるように、笹生の英語のコミュニケーション能力が高いことは、世界で闘う日本人選手として大きな強みであることは言うまでもない(英語、日本語、タガログ語の他、タイ語、韓国語も堪能だという)。しかし、笹生のパット中、観客から応援の大きな歓声と同時に、TV画面から常にブーイングの低い唸り声が聞こえてきた気がする。思わずアメリカ人の本音が出たのだろうが、あれにはがっかりした。頼みのネリー・コルダも早々に崩れて、決勝Rはアジア勢ばかり、最終日後半には、アメリカ人選手が最後はアンドレア・リーしか上位に残っていない(彼女も韓国系だ)ことにいら立っていたのだろうが、最大のメジャー大会でのこの観客マナーは、ゴルフの精神に反した残念な態度だと言わざるを得ない。大谷翔平クラスまで上り詰めない限り、アメリカの中でアジア人が闘うということは、常にこうした社会環境も相手にしてゆくということを意味している。技術だけでなく、タフな精神を必要とするのである。

渋野と笹生は以前から仲良しだが、久々のTV画面で見ていると、渋野は前のホールを行く笹生を大声で応援しながらプレイしたり、相変わらず、選手やスタッフ、観客、誰に対してもおおらかでやさしく接している。最近成績のせいもあって控え目だったコメントも(何を言っても叩く人間がいるので)、今後は明るくなって、また我々を笑わせてくれるだろう。笹生も、一見クールだが、以前から心根のやさしさが言葉や態度に現れているのを知っている。プロとしての技術だけでなく、人間性が素晴らしいところが、この二人の女子ゴルフ選手のいちばんの魅力でもあると私は思っている。サッカーの澤穂希、スケートの小平菜緒など、超一流の女子スポーツ選手にはみなこうした属性が備わっているものだ。今後も、二人がさらに活躍してゴルフ界を盛り上げ、我々を楽しませてくれることを願っている。

(6/11 追記)
先週のサントリーレディースオープンで、「しぶこ」の名付け親で大親友の「大里桃子」が3年ぶりの勝利を収め、全英の切符を手にした。大里も渋野同様に不調が続いていたが、同じタイミングで復活した。これも「みんなで盛り上がる」しぶこパワーのおかげか。今年8月のAIG全英OPがますます楽しみになった。

2024/05/10

『不適切にもほどがある!』考(2)

(*)以下ネタバレあり。

「意識低い系タイムスリップコメディ」と銘打って、3月29日に第10話で終わったTBS『不適切にもほどがある!』(以降『ふてほど』)は、私的には2016年放送のNHKドラマ『ちかえもん』(作・藤本有紀、全8話。2020年2月本ブログ記事『近松心中物傑作電視楽』ご参照)以来の傑作コメディだった。もう「面白い」(コンプラ的にアブないような)TVドラマやコメディ等は、日本ではスポンサーフリーのNHKにしか制作できないだろうと思っていたが、『ふてほど』は「タイムマシン」「ミュージカル」「テロップ」という裏(荒?)技を使って、昭和という過去を鏡にして現代(令和)を相対化し、TVでの表現上微妙で複雑な問題を上手にクリアしながら問題提起していた(逆に、NHKではこのドラマは放送できないだろうが)。才能ある脚本家、プロデューサー、演出家、役者が結集して「プロの仕事」をすれば、TVドラマは決してオワコンでもなく、まだまだ視聴者を惹きつける、独創的で魅力のある作品が生まれる可能性があるということを示した。TBSの番宣の力の入れ具合もそれを表していた。YouTubeの素人作品や、配信番組に視聴者を奪われてきた地上波連続TVドラマが、久々に放った快作と言えるだろう。

NHK『ちかえもん』も素晴らしい作品だったが、あの時代は、まだSNSが今ほど普及していなかったので、一般視聴者のリアルタイムの反応はそれほどはっきりしていなかった。だが『ふてほど』は、現代のTVドラマらしく、SNSやネット上で同時進行で様々なコメントが溢れ、分析や批評が行なわれていたし、そのインパクトから、終了後もそれが続いている(この記事もそうだ)。今後も、この作品に対する様々な意見や評価が出てくることだろう。ネット上では、作品コンセプトや表現内容について批判的な意見もたまに見かけるが、この独創的なエンタメ作品に対して、それは野暮だろうと思えるような逆張り狙いか、無理やりの言いがかり、ピントのずれた意見が多いように思う(もちろん感想は自由だ)。

私見だが、この傑作ドラマ2作にはいくつか共通点がある。まず、両方とも基本は伝統的な「笑いと涙」のコメディだが、同時にいずれも「ファンタジー」作品であることだ。片や、近松門左衛門の人形浄瑠璃『曾根崎心中』をモチーフに、「人形」が主役の一部を演じる時代劇ファンタジー、一方の『ふてほど』も、近未来・近過去(昭和←→令和)タイムスリップを軸にした、ある種のSF歴史ファンタジーだ。そして『ちかえもん』の主役・近松は松尾スズキ、『ふてほど』は脚本・宮藤官九郎、主演・阿部サダヲと、いずれも劇団「大人計画」のリーダーたちであるところも同じだ。普通のドラマ構成ではなく、コミカルな歌や、ミュージカル仕立ての場面が挿入される演出もそうだ。

『ちかえもん』は、浄瑠璃の描く義理人情、古典落語からの引用など、藤本有紀が得意とする日本的文芸色の強いハートフル・コメディで、とにかくよく練られた脚本と、演出、俳優の演技ともに素晴らしく、当然ながら「向田邦子賞(2015年)」を受賞している。一方の『ふてほど』は、家族愛と笑いをまぶしながら、触れにくい現代世相への疑問をテーマに10話を構成する、というクドカン独特の表現による創作世界だ。演出、演技のテンポがスピーディで、リズムと瞬発力があり、また出演者がとにかくうまい。ミュージカル部分も、懐かしの元ネタや原曲を様々に工夫して、場面に合わせて仕立ててある(しかし最近の役者さんは演技もそうだが、歌も本当に上手だ)。セリフやアクションに小ネタやギャグが散りばめられていて、展開が目まぐるしく、毎週一回観ただけでは(年寄りには)ストーリー全体の流れがつかみ切れない。また芝居の「細部」に込められた面白さをつい見逃してしまう(覚え切れないし、元ネタを知らないことがあるので)。したがって録画を何度も見直すのだが、しかし何度見ても同じところで笑ってしまう、同じところで泣ける――という点が普通のTVドラマとは違う。つまり気づくと、ロングランの劇場公演で、毎日同じ芝居を演じる役者たちの一挙手一投足を観たくて、何度も足を運ぶような(行ったことはないが…)感覚でTVを見ているのである。出演者全員の呼吸、チームワークが良い点もそうで、見終えたあと、松尾スズキ一座とか阿部サダヲ一座の「舞台公演」を観劇したような、リアルな感想と満足感を抱く。これは寄せ集めスタッフと俳優から成る普通のTVドラマからは感じられない要素で、放送中は「翌週の放送が待ち遠しい」という、まさに昭和の全盛期のTVドラマにあった魅力を持っているところも、この2作品に共通だ。

私は元来コメディやコント好きだが、今回の『ふてほど』はなぜこんなに面白いのか、ドラマなのになぜ何度も録画を観られるのか、自分でもよくわからないくらいだった。そこで念のために、基本ストーリーやその展開の面白さとは別に、どこが自分の「ツボ」なのか、(ヒマなので)各話の場面から面白い、記憶に残る部分を拾い上げて(たぶん人によってこうしたツボは違うと思う)、「備忘録」としてまとめてみようとしたが、そうした場面数が多すぎるのと、要素が複雑(セリフ、アクション、場面の流れ等)で、とても文章では書き切れないことが分かった……。しかし、私見では、この作品の成功の鍵はまず「第1話」にあるのだと思う。笑いと同時に、ドラマ全体の骨格と出演者たちのキャラが、テンポ良く見事に描かれていて、そこで完全に視聴者の「つかみ」に成功し、次回以降も「ぜひ観たい」という衝動をまず我々に起こさせるのだ。ドラマ全体の構成は、サブタイトル「……じゃダメですか?」と、全10話の各話ごとに現代世相に疑問を呈するテーマを取り上げて展開し、そこに毎回ゲスト出演者が加わるが、軸となるのは、もちろん小川市郎(阿部サダヲ)と純子(河合優実)という父娘だ。

そのイントロが、第1話の「昭和」の小川家の冒頭場面だ。「起きろブス!盛りのついたメスゴリラ!」「うっせえな、このクソジジイ。朝っぱらからギャーギャー言うな……こちとら、低血圧なんだよ!」で始まる、中学教師・小川市郎と娘のスケバン高校生・純子の、近年のTVドラマではあり得ないワイルドなセリフのやり取りで、まず唖然とさせられる(『この作品には不適切な台詞や……』というお断りテロップが、以降アブない場面では毎回流れる)。続けて、鏡に向かってルンルンと聖子ちゃんカットの髪をセットしている娘が、納豆をかき混ぜている父親に「おっさん今日は何時に帰って来んの?」と訊き、「おっさんって誰だ?」と訊く父親に対して「おめえだよ、ハゲ」、「もう一ぺん言ってみろ!」という父親、「そこで納豆かきまぜてるチビで薄毛のおっさんだよ、ハゲ」と、さらにボロクソの暴言をたたみかける娘。「何時に帰って来る? 5時、6時?」と訊く娘に「板東 ”エイジ”」と答える父、「つまんね」と答える娘(ここでまず、80年代のTBSドラマ『毎度おさわがせします』を具体的に想起させる。その後も「親をなんだと思ってるんだ?」「薄汚ねえ貯金箱」等々、純子の名言?が続くが、こうした父娘のやり取りを、私のように面白がる人間と、そうでない視聴者に分かれるのは、いたしかたないだろう)。

そうこうして出かけようとする娘に、急にやさしく「純子、ママに『行ってきます』は?」と訊く父と、一転して、素直に従って仏壇の前に座り、律儀に母親の遺影に手を合わせて「行ってきます」と言う娘。出かけ際に「カネくれ」と父親に可愛くねだる娘。怒っていたのに、「しようがねえな」という感じで千円札を渡しながら、娘が可愛くて仕方がない複雑な顔をする阿部サダヲ。背後の(古い)TV画像でミヤコ蝶々が、にっこりして「ちゃっかりしてるけど、ええ子やな」と言う……この冒頭の小川家のシーンで、父娘のキャラ、二人の関係、物語の骨格が見事に提示されている。そして純子役の河合優実は、既に実力ある若手女優として知られていたらしいが、たぶんこの冒頭シーン一発で、日本全国の昭和のオヤジ(+全元ヤン)の心をわしづかみにしたことだろう。『あまちゃん』の能年玲奈(のん)と同じく、河合優実というフレッシュな女優を全国的にブレイクさせたのもクドカンの慧眼と腕だろう。頑張っていたが、当時は「いっぱいいっぱい」という感じだった能年玲奈(そこが良かったわけだが)に比べ、河合優実には既に「役を演じている」女優という大物感が漂っていて、役になり切るその自然な演技には天才を感じる。

もう一人の主人公、阿部サダヲのスピード感のある「キレのいい」セリフと演技にも笑いっぱなしだった。以前は苦手なタイプの役者だったのだが、最近、特にこのドラマで、やはりいい役者だと見直した。娘にAXIAのカセットテープを買ってきたものの、「ノーマルじゃねぇかよ! 音の良いメタルかクロームじゃなきゃだめなの!」と昭和的に怒られ、おニャン子の渋谷 ”SAILORS” のトレーナーならぬニセモノ ”SAYERS” を錦糸町で買ってきて、これも娘に怒られ「よく見ろジジイ!」と投げつけられる(本物?の "SAYERS" トレーナーを、TBSが売っているらしい)。純子にかかってきた電話を取り上げ、「純子はもうクソして寝ました」と言って勝手に電話を切り、「ジジィもクソして寝ろ!」と娘に罵倒される。学校帰りに乗った路線バスが昭和から令和にタイムスリップし、中で普通にタバコを吸いながら、乗ってきた白いAirPodsを耳に付けた女子高生に「ねえちゃん、ウドン、ウドン、耳からウドンが垂れてますよ」という阿部サダヲ(アブない男と思われ、乗客が全員バスから逃げ出す)。コンビニでタバコの「ハイライト」を買おうとして女性店員(この人が、どことなく可笑しい)から、やれ番号で言え、年齢確認ボタンを押せと言われ、「にゃんにゃん、ちょめちょめ」が伝わらず、あげく値段が170円から520円になっていて「なめてんのか!」とキレまくる阿部サダヲ。タイムスリップ後、喫茶「すきゃんだる」だった店が、「SCANDAL」になっていて、マスターが袴田吉彦から、よれよれの沼田爆(『鬼平犯科帳』の炊事担当の同心「猫どの」の姿を久々に見た)になっていて驚く阿部サダヲ……等々。

一方、逆に令和から昭和にタイムスリップしたフェミニストの社会学者・向坂サカエ(吉田 羊)と、とぼけた中学生の息子(4丁目の)キヨシ(坂元愛登)の二人も傑作だ。吉田羊は、これ以上の女優はいないだろう、というくらいぴったりのはまり役だ。キヨシのおっとり演技もいい。そのキヨシに暴力をふるったと、小川と校長はじめ、パワハラ、セクハラまみれの昭和の中学の教師たちを相手に、スマホを片手に説教したり(この場面のやり取りが超面白い)、その後小川家に居候することになって、「ババア」呼ばわりし「おばさん冝保愛子?」とか言う純子や、その純子に一目惚れして「地上波でおっぱいが見たい」と駄々をこねるキヨシにも説教し、これも昭和の定番「翔んだカップル」状態になった二人が「xxしないか」と心配して、令和ー昭和のスマホ交信を可能にする(?)脚立(きゃたつ)を肩に担いで「キヨシー!」と絶叫しながら、昭和のアーケード商店街を疾走する…等々、笑えるシーンが満載だ(同じく阿部サダヲが、二人が心配で令和から家に戻って来て、純子とキヨシとやり合うドタバタシーンも笑える)。吉田羊はずっと、クールにギャグ的演技をこなしているが、第9話のホテルの場面で「すしざんまい!」のキメが入ったシーンが最高に面白かった。しかし、妻を亡くして落ち込む父親の気をまぎらわすために自分がグレた、と純子がしみじみ告白する相手もサカエさんだ。

のちに、純子の娘(市郎の孫)だと分かる犬嶋 渚を演じた仲 里依紗も熱演で、彼女は自然なコメディもうまい。令和にタイムスリップした市郎と、祖父とは知らずいい感じになって、エレベーターの中で二人があわや接触しそうになるたびに「ビビビッ」と電気が走り(歴史の書き換え禁止。タイムパラドックス)、二人が何度もくっついては離れ……を繰り返す姿を、守衛室の防犯カメラのTV画像で見ている二人の守衛(警備員?)が、ぼんやりと「あの二人、何やってるんですかね?」と言うシーンも笑える(本物の守衛さんにやらせたのかと思ったら、そうではないらしい)。

後半に入ると、阪神淡路で亡くなる運命の市郎と純子を中心に泣かせるシーンが増える。令和にタイムスリップして考えを改め、猛勉強して大学へ進学した純子が、ディスコで知り合った「覇者」で神戸出身の犬嶋ゆずる(錦戸 亮→古田新太)と結婚して子供(渚)を産む。バブル崩壊でテイラーになったゆずると、結婚に反対していた市郎が神戸で対面、和解し、"Daddy's Suits" の歌をバックに市郎のスーツを仕立てるシーンにはぐっと来る。そして令和にタイムスリップしてきた高校生の純子と渚、最終回に市郎と一緒に昭和にタイムスリップした渚と、自分が渚の母とは知らない純子の二人が、「娘と母親」という時空を超えて対面するシーンは、いずれも何度見ても泣かせる。最終回の場面は、どうしても大林宜彦監督の『異人たちとの夏』での、生前のまだ若い両親(片岡鶴太郎と秋吉久美子)の幽霊と、成人した息子(風間杜夫)が、浅草で共に過ごす短い夏のシーンを思い起こす。

その他、名前を知らない人を含めて俳優陣がみなさんうまい。マッチそっくりの「ムッチでーす」の磯村優斗(二役)の肩の力の抜けた演技がいい。ムッチと純子という昭和のヤンキーカップルにキヨシがからむコント場面や、タイムマシン発明者・井上昌和役は二人とも(メガネの中学生→三宅弘城)面白かった。他に、演技が地のままのような山本耕史や八嶋智人、トリンドル玲奈、それに携帯ショップで「…でよろしかったでしょうか?」と繰り返して市郎を怒らせる”若井ちゃん” (後でカラオケにも参加)等々…面白場面と同じく、多すぎて全て書き切れない。

ネット上では、阪神淡路での小川市郎と純子の運命を含めて、いろいろ最終回への期待や想像が語られていたが、エンディングはあれでよかったと思う。純子の娘の渚と、ムッチの息子・秋津真彦(マッチ)がマッチング(シャレか?)アプリのデータでくっつくのもなるほどだし、キヨシが「純子先輩、おっぱい見せてくれてありがとう!」と、令和行きの最後のバスの窓から叫んで、市郎が「えっ」と驚くフィナーレも笑わせてもらった。さすがクドカンである。個人的には、3ヶ月近くの間、TVを通じて(タダで!)この傑作を楽しませくれた作者、スタッフ、俳優陣、スポンサーに感謝したい。それくらい面白かった。

2024/03/10

『不適切にもほどがある!』考(1)

宮藤官九郎脚本のTBS金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』を毎週楽しく見ている。世代や感性によって感想は様々だろうが、私は「タイムトラベルもの」が昔から好きなので(2020/05/15ブログ記事ご参照)、タイムスリップというクドカンらしいヒネリを入れたこの作品は、懐かしくて、しかも笑えて、たぶん(これから)泣ける傑作ドラマになると予想している。同じTBSの傑作タイムスリップ医療ドラマ『仁』は江戸時代へのタイムスリップで(崖落ち)、百年単位の移動だったが、『不適切…』は、昭和の1986年から令和の2024年へと、40年たらずの近未来(近過去)タイムスリップという設定だ。いわばつい最近のことなのだが、この数十年の世の中の変化の度合いは、20世紀までの百年単位の変化に匹敵する、という見方もできる。しかも、その両時代を複数の登場人物が、タイムマシン(路線バス)で行ったり来たりする、という設定も面白い。毎回ミュージカル仕立ての場面も登場して、昭和と令和の対比で社会の変化と風潮を、辛辣さを加減して上手に皮肉っている。小ネタ、小ギャグが散りばめられているので、年寄りは一回見ただけではよく分からないのが問題だが(私は2回見ている)、とにかく見ていて面白い。笑えるそうした風刺的側面につい目が向きがちだが、よく見ていると、その底に流れている、歴史は変えられない、親子・親族のつながりは絶対に変えようがない(歴史のパラドックス)、現在は歴史の累積の「結果」として存在しているというクールな歴史認識と思想的設定がある。きっとそれが今後、物語に徐々に深い意味を与えてゆくのだろう。

ドラマ中、タバコをどこでも平気で吸いまくる阿部サダヲが典型だが、「ついこの間までは」、ああしてみんな普通に吸っていたのだ(電車でも、バスでも、会社でも、道でも…)。この間の大きな文化的断層は言うまでもなく「バブルの終焉」にある。日本と日本人は、昭和の終わった1990年頃を境に完全に変わった。敗戦の教訓として、国が小さく資源がないのだから、真面目に勉強して知識を高め、勤勉に働くことだけが、日本という国が未来に生き残って行くための唯一の方法なのだ、と戦後生まれの我々は子供時代にイヤというほど刷り込まれた。そのおかげもあって、80年代まではみんな真面目に働いていたので国も順調に行っていたが、バブルに突入したあたりからみんながカネに目がくらみ、日本人が持っていた「真面目で勤勉」という最高の民族的モラルであり資質が失われて行き、90年代以降のデジタル時代に乗り遅れてからは、同時に自信も完全に失ってしまった。「あれから30年…」である。

振り返ると、この30年間、やっと一つ新しいデジタルスキルを覚えると、すぐさま次の情報やスキルが登場して、また次の課題を学習し覚えなければならない。一方で、やれコンプラだ、パワハラだ、モラハラだ、セクハラだ、カスハラだ、LGBTだ……と、何千年、何百年もの間、ほとんど「ローカル・ルール」一本でやってきた狭い島国暮らしの民族には簡単には馴染めない、西洋の新概念と社会的規制が次から次へと登場して世の中を作り変えてゆく。それをまた、たいして咀嚼も吟味もしないで、次から次へと鵜呑みにしていく日本人(外圧に弱いのも日本の伝統だ)。大方の高齢者などデジタル経験も教育も限られているので、すぐに頭を切り換えて理解も吸収もできるものではない。ぐずぐずもたもたしていると、そんなことも知らないのか…とあちこちから怒られる。やっとスマホの使い方を覚えると、一方で、それを悪用する詐欺師が手ぐすね引いて年寄りのカモを狙い撃ちしてくる。結果としてなんだかいつも焦って、徒労感ばかりが募り、いつまで経っても達成感が得られない――という目に見えないストレスが現代の日本全体を覆っているように思う。特に人生の終盤をゆったりと過ごしたいと思っている人たちにとって、この「変化の強要」は暴力的だとすら感じる。最近やたらと「キレる老人」が多いのは、この絶え間ない、目に見えない圧迫感によるストレスが原因の一つだと私は思っている。

なぜそんなに「ことを急ぐ」のか、なぜ我々はそんなに急いで変化して行かなければならないのか――よく考えると、これは実に不思議なことなのだ。もっとゆったりと、のんびりと生きたらいいではないか。「こんなに小忙しい世界に誰がした?」という問への答えは、言うまでもなく「アメリカ」だ。デジタル革命を牽引してきたアメリカは、今から約30年前にコンピュータとインターネットというITを先導して世界にデジタル時代を到来させ、次にはそれをグローバルに展開して同じ土俵に世界中の国々を否応なく巻き込み、のんびりしていた無知で、準備の遅れた、無防備な他国民(我々を含む)をその競争世界に晒し、先行者利潤を得ながら世界を席巻し、自分たちの規範、ルールを徐々に世界に浸透させつつ、そのまま30年後の今も世界中を振り回している(日本はもちろんその競争の敗者側だ)。そして今度は、ChatGPTに代表される生成AIである。便利な面も当然あるだろうし、ビジネスチャンスとばかりに歓迎している人たちももちろんいるだろうが、これで、またぞろ経験したことのない新たな世界が現れ、それに直面して、否応なく学習し、解決しなければばならない事案(犯罪を含む)も増え、社会的ストレスもさらに高まることだろう。

しかし、だからと言って、私はアメリカやアメリカ人に対して何の恨みも偏見も持っていない。「競争と変化(=他者との差別化)」こそが、多民族国家アメリカが国家として成立した時から内包してきた本質であり、それが「欲望」を刺激する現代資本主義発展の原動力でもあるからだ。20世紀後半に相対的に力が落ちたアメリカが、デジタル技術によって21世紀になって世界の経済的主導権を再び握ることで、米国的世界観をグローバル規模で展開している(押し付けている)わけで、我々はもうドラマのように、過去に引き返したり、元の世界には戻れないのだ。それについて行かないと……という強迫観念が世界中を覆っているのが現実である。私の好きなジャズという素晴らしい音楽を20世紀に生んだのもアメリカだし、21世紀の、この追い立てられるような落ち着きのない世界を生んだのもアメリカだ。しかし19世紀の帝国主義、専制政治体制へと逆行し、それをさらに強化しつつあるかのように見える独裁国家群に比べたら、アメリカはまだ相対的にずっとましな政治体制を持った国家なのだ。だからアメリカを思う私の心境はいつでも複雑だ。

それにしても、現代の「ものごと」の移ろいのスピードは、高齢者(年寄り)にはもうついて行けないレベルに入っているように思える。「昔からそういうものだ」と言えばそうなのだが、21世紀になってから加速度的に変化を早め、めまぐるしく、膨大な情報が溢れ返るこのデジタル世界は、もう過去の世界で学び、生きて来た人間の学習能力と情報吸収能力の限界を完全に超えつつある。今や映像も、音楽も、文字も、個人にとって「時間あたりの情報量」が多すぎて、きちんと消化できない――つまり吸収もできない。最近はコスパのみならず、「タイパ(=time performance? もちろん和製英語) がいい」とか言って喜んでいる連中もいるが、なんでも早けりゃいい、効率が良ければいいというものでもないだろう。「質」の問題もそうで、たとえばの話、鳥の目を持たない人間に4Kや8Kの画像が本当に必要なのか? アナログ音声情報で十分以上に事足りてきた人間に、わざわざデジタル化したハイレゾ音源が必要なのか? 聴きたくもない(実際に聴けない)何万曲もの楽曲を「配信でいつでも聴ける」ことが、そんなに有難いか? 誰もが四六時中、誰かとつながっていることにそんなに意味があるのか? 世界中を駆け巡るネットやSNS上の膨大な情報が、普通に生きている市井の人間に必要なのか?――じっくりと時間をかけて、一つのものやことを吟味したり、鑑賞するという行為はもはや無きに等しい。まるでゲームのように、ただひたすら目の前を通り過ぎて行く膨大な量の情報に反射的に反応し、それらを消費し、逐一「イイネ」と言うか、気の利いた短い言葉を刹那的にひねり出して、多数の「イイネ」でいかに「承認」してもらうかにみんながやっきとなり、それだけか自己存在証明であるかのようだ。しかも、そうしてやり取りする情報や言葉の「賞味期限(ライフ)」は限りなく短い――それが現代人の鑑賞とコミュニケーションなのか…と、次から次へと文句が出て来る。『不適切』は、こうして我々が日々漠然と感じている不満や問題を、様々な視点で、面白可笑しく例示しているところが視聴者に受けているいちばんの理由だろう。

ところでドラマ『仁』もそうだったが、『不適切』のようなタイムスリップの物語には、SF的な面白さがあるだけでなく、今は目の前に存在していても、まもなくすると確実に相手は消えて二度と会えなくなる、という「限られた時間」ゆえの切なさが常に背後に流れている。それがなんともいえないやるせなさを生み出す。相手が愛する人間であればあるほど、そうした思いは深まる。それはつまり、相手が目の前にいる「今その時」こそを大事にしろ、という時空を超えた普遍的なメッセージなのだ。タイムスリップ作品とは違うが、山田太一原作、大林宜彦監督の映画『異人たちとの夏』(1988)では、子供時代に交通事故で死んだ両親が、幽霊となって現代の浅草に現れ、両親を亡くしてさびしい幼年時代を過ごした息子と、短くも、懐かしく温かい再会の時を過ごす――という切ないプロットが話の中心だった。『不適切』では、小川市郎(阿部サダヲ)と娘の純子(河合優実)、純子の娘・犬嶋渚(仲里依紗)=市郎の孫、とつながる親族の深い愛情と絆が、一見乱暴な言葉やドライな笑いの陰でずっと見え隠れしている。近未来では阪神淡路大震災で亡くなるとわかった運命の市郎・純子の親子の関係が、今後どう展開してゆくのか……。思い切り泣かされるのか、どんでん返しの笑いで決着させるのか、クドカンの腕の見せ所だろう。このドラマは、阿部サダヲの時空を疾走する演技はもちろんだが、河合優実、仲里依紗、吉田羊という新旧3人の女優陣の、父親、祖父、子供、ボーイフレンドなど、男性陣に対する「永遠の日本的母性」を感じさせる優しい演技が胸に沁みる。それが単なる欧米流の男女平等の視点からの批判に終わらず、ドラマ全体にどこか温かみと、深みを与えている大きな要因だろう。これはクドカンの理想の日本女性像を投影しているのかもしれない。

昭和を代表する「岩手の」政治家、オザワイチロウを思い起させる主人公・小川市郎、スケバン・ミハラジュンコを彷彿とさせる純子や、マッチならぬムッチ先輩、たぶん向坂逸郎(懐かしのマル経学者)がモチーフ(?)の女性社会学者向坂(サキサカ)サカエなど、笑える凝ったキャラ設定が多すぎて、年寄りには覚えきれないくらいだ。「あまちゃん」の岩手の海、阪神淡路で亡くなる設定の小川市郎父娘など、クドカンの震災への思いと追悼の心情は強い。だが、それにしても、このドラマはせっかく日本女性の素晴らしさや、そうした岩手ネタでも温かく盛り上がれるところだったのに、よりによってその岩手選挙区の某女性議員の、歌舞伎町から国会への不倫ベンツ通勤の騒ぎは、あまりと言えばあまりのタイミングの良さ(悪さ?)で、「不適切にもほどがある!」。

2024/02/09

鎌倉の海

能登半島地震で被災された皆さまには、心よりお見舞い申し上げます。

被災者の皆さんの苦労に比ぶべくもないが、昨年11月下旬に腰を痛めてしまい、10日間ほど寝たきり状態になって、生まれて初めて車椅子のお世話にもなった。2ヶ月以上経ったが、まだリハビリ中で、現在やっと近所を少し歩けるようになったところだ。

その少し前の11月のある日の朝、珍しく早起きしたのと、あまりの快晴に、突然海が見たくなって、ン十年ぶりかで鎌倉へ行った。11月とは思えない強い日差しの下、藤沢から江ノ電で鎌倉へ向かう途中、穏やかで、きれいな海辺の風景を写してみた(下手な写真だが…)。能登の美しい海とは違うだろうが、津波の来ない、やさしいときの海は一日中見ていても飽きない。


お馴染み江ノ電、鎌倉高校前駅ホームから江の島方面を臨む。


逆方向。鎌倉方面、






今や『スラムダンク』の聖地、江ノ電の踏切。平日だったが、中国、台湾、韓国からの旅行客でいっぱい(日本人ゼロ?)。交通整理のおばさんに英語で注意された。日本アニメの底力を感じた。



やはり信号機が見えないと雰囲気が出ない…。





近所の住宅の「隙間」から見える、何でもない、穏やかな湘南の海。









七里ガ浜(確か)。
浜辺で、赤いスカートで一人踊る謎の女性が…何者?






由比ガ浜。たまたま飛んできたトンビを写したら、砂浜にその「影」が映っていた。傑作?






由比ガ浜。傾く秋の日を浴びて、浜辺を歩く外人らしきカップル。







由比ガ浜から逗子方面