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2017/03/06

ジャズを「読む」(3)

「演る」人は増え、「聴く」人は徐々に減り、「語る」人が大幅に減ったために、「読む」人も減った、というのが現在のジャズの楽しみを巡る構造と言えるのだろう。

私の洋書と翻訳書への興味は、ジャズには本当にもうこれ以上「語る」べきことはないのだろうか?という単純な疑問から始まった。日本で、日本人が、日本人のために語ってきたこと――それはそれで勿論価値のあることだが――それとは別の、これまで知られていない、もっと面白い世界が、ジャズという音楽にはまだあるのではなかろうか?という疑問である。

ジャズ・イズ
(ナット・ヘントフ)
白水社 1982/1991/2009年
(原著初版1976年)
それまでにナット・ヘントフ(今年1月に91歳で亡くなった)が書いた何冊かの優れたジャズ・エッセイや村上春樹氏の翻訳書などを読んではいたが、海外で出版されたジャズ・ミュージシャンの伝記類はマイルスの自叙伝を除き、あまり熱心に読むことはなかった。しかしアンディ・ハミルトンの「リー・コニッツ」に出会って、これこそまさに自分が読みたいと思っていた本なのだと思った。そして大作の伝記ではあるが、次に読んだロビン・D・G・ケリーの「セロニアス・モンク」もそうだった。二人とも際立つ個性を持つ独創的音楽家だが、日本では一部のコアなファンはいても、いわゆる「人気のある」ジャズ・ミュージシャンではなく、これまであまり深く紹介されたこともない人たちである。自分が長年二人のファンだったこともあって、この2冊の本をじっくり読んでみたが、何よりジャズという音楽とそれに挑戦する人間をリアルに描いていて、まず読み物として実に面白かった。同時にそこで、輸入音楽として主に「レコード」という記録媒体を通して、抽象的に音だけを「聴く」文化が築かれてきた日本のジャズの世界からは見えないもの、知られていないこと、語れないことも、まだまだあるのだということを実感した。

古典としてのモダン・ジャズの楽しみ方は様々だが、音楽的印象や分析以外に、その時代にジャズマン個人がどう生きていたのか、という演奏の背後にある人生や人間模様を知るとジャズをより深く楽しめる。Prestigeでのマイルスとモンクの有名なケンカに関する伝説もそうだが、ジャズという音楽には「音や演奏が全てだ」とは簡単に言い切れない何かがある。音楽的構造や技術面ではすっかり解体、分析されて、基本的な演奏技術について言えばジャズは今や誰でも習得可能な音楽になったかのようにさえ見える。学習したAIが、人間を凌ぐようなそれらしいジャズを演奏をする時代も間もなくやって来るだろう。しかしジャズとは詰まるところ自由な「個人」の音楽であり、ジャズの本当の面白さは、一定の約束事の範囲ではあるが、予定調和ではなく、次に何が起こるかわからない(何をしでかすかわからない)という人間の持つ予測不能性と、そこに生じる緊張感にこそあるのだと思う。多数のサンプルの平均値だけでは導き出せない、演奏者個々人の瞬時の判断の組み合わせと、時間軸に沿ったその積み重ねによって創られる音楽だから面白いのである。時間と空間を奏者と聴き手が濃密に共有するジャズ・ライヴ、特にジャズクラブでの演奏に尽きない変化と面白さがあるのはそのためだ。だがどんな名人でもその演奏は人生と同じで、いい時もあれば悪い時もあり、特に一発勝負のライヴは、メンバー間の相性、場所、楽器、その日の体調や気分などの「可変要素」が多くまたその影響も強い。だから有名プレイヤーが集まればいつも立派な演奏ができるとは限らない。名演もあれば駄演もある。しかしだからこそジャズは面白いのだ。現代のジャズもそこは同じだが、モダン・ジャズ全盛期のプレイヤーたちの背後にあった、創造を指向する強烈なエネルギーと濃密な空気はもはや望めないだろう。

マイルス・デイヴィス自伝
クインシー・トループ共著

シンコーミュージック
(JICC原著初版1990年)
20世紀半ばに、新たな音楽を創造することに挑戦した偉大なジャズ音楽家たちの演奏の背後にあるものも、日本にいてレコードを聴いているだけではわからないことがたくさんある。アメリカに数年住めばわかるというようなものでもないし、逸話や伝説など、間接情報を事細かに並べただけで描けるものでもない。それらを知った上で、自ら洞察し、言語化できる優れたライター(「語る」人)が必要なのである。古い作品も含めて、海外のジャズ批評家や作家の書いた優れた著作――「本物のジャズの現場」を知っている人たちの多様な思想や声を、日本の真のジャズファンや音楽ファンに伝えることには、21世紀の現在でもまだ意味があると思っているそして、当時そこから生まれ、今や古典となった本物のモダン・ジャズは、単に終わった古い音楽ではない。今聴いても、現在の音楽よりはるかにモダンで新鮮なものはたくさんある。そしてジャズのDNAも、我々が気づかないうちに姿形を変えて、現代の地球上のあらゆる音楽の中に脈々と受け継がれているのである。その源をあらためて辿り、新たな魅力を発見することは個人的に大いに楽しいことでもある

私は自分で「語る」ほどのジャズ体験も知識もないド素人なのだが、せめて海外で書かれた優れた書籍を紹介し、少なくなったとは言え、自分も含めてジャズを「読む」日本の人たち(特に英語嫌いな人たち)に多少の楽しみを提供するくらいのことはできるかもしれないと思って翻訳を始めた。村上春樹氏のような大作家は、自ら創作するためのエネルギーを内部に蓄積するために、敢えて翻訳という制約のある「枠内」作業に定期的に取り組んでいる、という話をどこかで読んだことがある。しかし特殊で、難儀で、時間はやたらとかかるが、金にならないジャズの翻訳書を世に送り出そうとする一般人がこの時代そうはいるはずもなく、その手の仕事は誰かヒマで、モノ好きな人間がやるしかないだろう。そういう「ジャズな人」の楽しみと喜びは、自ら手つかずの分野を探り当て、そこを掘り起こして新たな視点を見つけ、まだいるはずの「ジャズを読む」人と、その楽しみを分かち合うことである。

2017/03/05

ジャズを「読む」(2)

ジャズは「演る」か「聴く」もので、「読む」もんじゃない…としたり顔で言う人も昔いたが、そこはどうなんだろうか?

今や誰でも普通に音楽を聞いて楽しんでいるが、一般的に言えば、そこで普通に聞いて(hear)楽しんで終わる人(大多数)と、「なぜこう楽しいのか?」と、じっと聴いて(listen)ある種の疑問を持つ人(少数)に分かれるように思う。疑問を持った人は、その疑問、すなわち音楽の中身や、演奏する人間に普通は興味を持つ。そこから音楽の分析に走る人もいれば(楽器を「演る」人になる可能性が高い)、背景を知ろうと、演奏する人物やグループを詳しく知ろうと調べたがる人もいる(もっぱら「聴く」人になる)。そして「語る」人もそこから出てくる。音楽について書かれたものを「読む」という行為はおそらくこの両者に共通で、彼らにとってはその過程も音楽の「楽」しみの一部なのだ。

何せ、ジャズを含めて楽器演奏による「音楽」という抽象芸術そのものには本来意味がないのだから、感覚的な快楽に加えて、その意味を自由に(勝手に)想像したり、探ることに楽しみを覚える「聴く」人も当然いる。だからその対象が複雑であれば複雑なほど、分からなければ分からないほど、興味を深め(燃え)、それについて語りたがる人も中には当然いる。ジャズを「演る」人たちも、実は大抵はお喋りで「語る」人たちだということを知ったのは、ジャズを聴き出してかなり経ってからのことだった。マイルス、モンク、コルトレーンなどモダン・ジャズの大物のイメージからすると、ジャズメンはみな寡黙な人たちだと思い込んでいたのだ(この3人は実際に寡黙だったようだ)。よくは分からないが、彼らがよく喋り、「語る」のは、やはり自分の演奏だけでは言い足りないものをどこかで補いたいという潜在的欲求を、表現者として常々感じているからではないか、という気がする。ただ、饒舌な人のジャズはやはり一般に饒舌で、そこはジャズという音楽の本質が良く表れていると思う。

文芸春秋・文庫
(初版2005年)
ところで「歌」というのは、音楽の要素「メロディ」や「リズム」という抽象的なものを「言語」と組み合わせることによって、具体的世界を提示するものだ(人類史的には逆で、たぶん歌が先だったのだろうが)。だがその瞬間、抽象的な音の羅列だったものが、明瞭な「意味」を持つ言語によってある世界を形成し、聞く人はその世界が持つ意味の内部に捉われ、外部へと向かう自由な想像は閉ざされる。しかし、それは何よりも分かりやすいので、音響的快感とともに容易に人の心をつかむことができる。抽象的な音を具体的世界の提示に変換しているからである。宗教音楽から始まり、民俗音楽、ブルース、ロック、ポップス、日本の演歌、歌謡曲、フォーク…歌詞を持つ音楽はすべて同じだ。

ビバップに始まるモダン・ジャズという音楽は、ある意味でこの道筋を逆行したものだと言える。つまり祭りや儀式、教会、ダンス場や、飲み屋など、人が集まるような場所で歌われ、演奏され、共有されていた具体的でわかりやすい歌やメロディを、楽器だけの演奏によってどんどん抽象化し、元々のメロディの背後にハーモニーを加え、それを規則性を持ったコード進行で構造化し、それをさらに代理和音で複雑化し、速度を上げ、全体を即興による「分かりにくい」音符だけの世界に変換し、さらに行き着くところまで抽象化を進めた結果袋小路に陥り、ついには構造を解体してしまった。この過程は一言で言えば、既成のものからの「開放の希求」と「想像する精神」が生んだものと言えるだろう。だが考えてみれば何百年ものクラシック音楽の歴史の道筋も要は同じであり、20世紀にその西洋音楽を片親として生まれたジャズは、たった数十年の間に、この道筋を目まぐるしい時代の変化と共に「高速で」極限まで歩んだということだろう。ジャズがクラシック音楽と大きく異なり、音楽上の重要なアイデンティティの一つと言えるのは、抽象的な即興演奏と言えども、演奏者個人の人格や、個性や、思想が強烈に現れることだ。ラーメン屋で流れるジャズを聞いて、これは誰が、いつ、誰と演奏したレコードだ、とブラインドフォールド・テストのようにオールド・ジャズファンが瞬時に反応してしまうのもそれが理由だ。だから顔の見えない(voiceの聞こえてこない)ジャズ、誰が演奏しているのかわからないジャズは、ジャズ風ではあってもジャズではない。「やさしい、分かりやすいジャズ」であっても、顔がよく見える(voiceがよく聞こえてくる)ジャズはジャズである……という具合に、ジャズを「語る」人もめっきりいなくなってしまった。

新潮社 2014年
粟村政明、植草甚一、油井正一、相倉久人、平岡正明、中上健次のような批評家や文人たちが大いにジャズを語った後、ジャズ喫茶店主の皆さんが語った本が続き、山下洋輔氏のような「演る」人も語り、中山康樹氏のようなライターがマイルスを語り……一時は随分多くのジャズ本が出版されて私もほとんど読んでいたと思う。今は初心者向けジャズ入門書やレコード紹介本、楽理分析を主体としたジャズ教則本とジャズ演奏技法、そしてお馴染みのマイルス本ばかりになった。最近、唯一目立つのは、時代状況を反映して、過去を振り返り日本ジャズ史を「語る」作業だ。もはや古典となったモダン・ジャズの歴史と原点を射程に入れつつ「語った」骨のある近年のジャズ書は、私が知る限り菊地成孔、大谷能生両氏が(二人とも「演る」人だ)書いた一連の著作だけだが、それすらもう10年以上の年月が過ぎてしまった。そしてもう一人は、従来からコンスタントに翻訳によってジャズの世界を伝え、近年もジェフ・ダイヤーの短編小説集「バット・ビューティフル」(2011年)、モンクについてのエッセイや論稿からなる翻訳アンソロジー(2014年)など、相変わらずジャズへの愛情を持ち続けている村上春樹氏である。「読む」人にとっては寂しい限りだが、音楽があまりに身近になってモノと同じく消費され(リスペクトされなくなり)、昔のように音楽書が売れない、ジャズ書などさらに売れない、ジャズを「読む」人も減った(それどころか普通の本も読まなくなった)、だから出版社も青息吐息、という状態では書籍上で語りたくとも語れない、という人も実際は多いのだろう。 (続く)

2017/03/03

ジャズを「読む」(1)

その昔、ジャズには「演(や)る」、「聴く」、「語る」、「読む」という4つの楽しみがあった。

「演る」は、当時はプロのミュージシャンや、ジャズ演奏家を志す限られた人たちだけの特権だったので、一般のジャズファンの楽しみはもっぱら残りの3つだった(当時の「聴く」はもちろんほとんどがLPレコードだ)。あれから半世紀、今やそうした世代が年をとり、ジャズファンの絶対数が減ってゆく中、昔ジャズ喫茶や、飲み屋や、書物という場で繰り広げられた「語る」という光景と楽しみは、もはやほとんど消え去ったようだ。

油井正一
ジャズの歴史物語
初版1972年(これは2009年復刻版)
アルテスパブリッシング
「読む」楽しみも、当時のジャズファンにとっては必須のものだった。あの時代はみなジャズを「勉強」していたので、見たこともない海外のミュージシャン(当時はレコードだけで、実物はもちろんのこと映像を見ることも稀だった)のレコード案内や新譜情報、ジャズの歴史や評論を、ジャズ喫茶の暗がりの中で雑誌や本で読んで知ることは知的、感覚的な興奮を得るために不可欠だった。「権威」の匂いがするクラシック音楽に対して、既成の体制への「反逆」の香りがするジャズは、1970年前後の日本の若者の心に響き、学生運動のBGMにもなった。ジャズの「複雑さ、難しさ」もその魅力の一つであり、よく分からないもの、深遠なものに対する知的憧れも、モダンなカッコ良さとともに一部の若者の心を掴んだ。昔は音楽に限らず美術でも文芸でも、この分からないこと、難しいものに魅力と畏敬を感じる人が多く、ジャズという音楽もその一つだった。その後1960年代の反動として、70年代は社会そのものの空気が「難しい、暗い」ものから「分かりやすい、明るい」ものへと転換し、80年代のバブル騒ぎを経て、90年代のITの出現によってその流れが決定的となった。

21世紀の現代は「分かりやすさ」と「断片(fragment)」の時代だ。あらゆるものが断片化して、全体がどうなっているのかさして思いを巡らせることもなく、クリックという指先のアクション一つであっという間に諸々の断片情報を入手し、ツイッターに代表されるこれも断片的な短い言葉による交信が、毎秒世界中を洪水のように行きかっている。音楽も断片化し、ポップスのみならず、ジャズと言えども1クリックだけでネットから1曲をダウンロードして消費され、ジャズファンの記憶にレコード名として当然のごとく定着していた、アルバム単位の「作品」という概念も、もはやとっくに消え失せたようだ。「分かりにくい」ものは敬遠され、モノも文化も、誰にとってもフレンドリーなものがもてはやされている。みんな物分かりが良くなって、人の言うことをよく聞き、難しいことを言う人は、ヘンな人だと敬遠される。

1954年の論稿から始まる
<相倉久人著作大全上巻>
DU BOOKS
だから現在進行形のジャズの苦境(?)は当然だろう。分かりやすいジャズは、そもそも「いわゆるジャズ」ではないと言う世代もいれば、分かりにくい音楽など音楽ではない、という立場もあるからだ。「ジャズ」というジャンルさえも、もはや無いと言えば無い。その一方で今や溢れる情報で、現代のジャズファンは昔の世代に比べたら圧倒的な量の音楽上の知識を持っている。身近になったジャズを「聴く」代わりに自ら「演る」人たちも増え、ジャズの演奏技術を解説するジャズ教則本が巷には溢れている。ラーメン屋でも牛丼屋でもジャズがBGMで流れている時代だ。そのBGMが聞こえた途端、誰が演奏している、どのレコードだと、瞬時に頭が反応するのがオールド・ジャズファンである。

1970年代でも、ジャズファンというのは数百人に1人くらいの感覚だったので、今となってはたぶん千人に1人くらいではなかろうか?(絶滅危惧種に近い)自分も含めて彼ら「聴く」ジャズファンというのは、「演る」ジャズ・ミュージシャンと思考も、嗜好も、価値観も近いところにいる人たちではないかと思う。金や地位といった普通の人が求めるものに拘泥せずに、自分が信じることに第一の価値を置く、という人間的にはある意味変わり者が多い。だいたい経験的に言って、真っ当な人(世間で言う)はジャズなど聞かない。そういう人は、もっと大衆的で、皆が好む無難なものを選ぶ。複雑そうなもの、よく分からないもの、おかしなもの、変なものに惹かれる人がジャズを好むのであり、存在そのものがどこかおかしな人もそうだ(タモリ氏の言う「ジャズな人」)。だから、そういう人が千人に1人というのは、何となく納得がいく話ではある。そしてジャズを「読む」人というのは、さらにそういう人たちの中の一部だろう。 (続く)

2017/02/26

モンク考 (4) 米国黒人史他について

著者ロビン・D・Gケリー氏はニューヨーク・ハーレム生まれで、現在カリフォルニア大学教授を務める歴史学者である。米国黒人史を専門とし、これまでに同分野の多くの著書も発表していて、2冊の邦訳版もある。(自ら楽器も演奏し、またジャズを中心としたブラック・ミュージックについての造詣も深く、関連誌に多くの論稿も寄稿している。)著者はモンクの物語を貫く縦糸として、米国黒人史を織り込むことを最初から意図して本書を執筆しており、その点があくまで音楽を主体とした従来のジャズマン個人史や評伝との違いだろう。ノースカロライナ州における19世紀奴隷制時代の米国の状況と、そこで生きたモンクの曽祖父から物語を始め、セロニアス・モンクという姓名の由来、少年時代からの逸話、伝聞、発言等を整理し、そこにモンクの演奏記録、また当時の様々なレビュー等を引用した上で、それぞれの情報を徹底的に検証している。そしてその作業から得られた「事実」として確度の高い情報を、いわばジグソーパズルのように時系列に沿って丹念に配置してゆくことによってモンクの実像に迫ろうとしている。

したがって、物語の途上では米国黒人史で起きた悲惨な事件や政治的事例が数多く挿入されている。モンク自身は、共感するところはあったにしても政治活動には直接関与しなかった純粋な音楽家だったことが本書からわかるが、日本人が知らない、あるいはよく理解していない、そうした歴史的背景とジャズという音楽は不可分なのだという思想はもちろん理解できる。実際モンクを始め、多くのジャズ・ミュージシャンが警察の暴力の被害に会っており、そして近年のアメリカにおける、一世紀前と変わらぬ警察による黒人への暴力事件の報道を見聞きすると、残念ながら本書に書かれているエピソードが一層リアリティを増して感じられることも確かだ。数多いそれらの事例と、長期にわたって収集された膨大な資料に拠る克明な記述とが相まって、結果的に原著は長大な本となった。

しかし著者は、敢えてそうした手法を取り入れることで、これまでのジャズ評論やジャズ個人史の問題でもあった主観とイメージ(想像、時に妄想)、間接情報中心の記述をできるだけ排し、より客観的な視点で事実を積み上げることによってリアルなモンク像を描くことに挑戦している。「リー・コニッツ」の著者アンディ・.ハミルトンの場合は、存命の人物への直接インタビューによって、コニッツの演奏思想、哲学とジャズ即興演奏の本質を明らかにしようというアプローチだったが、両著者ともに曖昧な間接情報と脚色を排し、事実に重きを置くという点でまったく同じ姿勢だと言える(二人とも大学教授という共通の職業柄もある)。その点が、ジャズ・ミュージシャンの伝記として本書がアメリカで数々の賞を受賞し高く評価された理由の一つだろう。結果として非常に長い本となったが、細部の事実を含めてこれまで日本では知られていない情報も多く、何よりもジャズ好きであれば、1930年代以降のアメリカとモダン・ジャズ史を新たな視点で俯瞰するノンフィクション読み物としても非常に面白く読める。 

記録映画
<Straight No Chaser>
1988
おそらくモンク・ファンの多くは既に見ておられると思うが、本書中に出て来るドイツのブラックウッド兄弟が1967年に撮影したドキュメンタリー・フィルムを中心にして、1988年に再編集された傑作記録映画がある。それが「ストレート・ノー・チェイサー」(クリント・イーストウッド総指揮、シャーロット・ズワーリン監督――この人も女性である)で、あの 動くモンク“――ピアノを弾き(あるいはピアノにアタックし)、踊り、くるくるつま先立ちで回り、煙草を吸い(時にピアノや床を灰皿代わりにしながら)、話し、道を歩くモンクの姿が捉えられている。ネリー夫人も、ニカ男爵夫人も、息子トゥートも、マネージャーのハリー・コロンビーも、チャーリー・ラウズも、テオ・マセロも、その他本書に登場する多くの人たちの映像と肉声の記録もそこに残されている。そして1960年代後半のニューヨーク、アムステルダム・アベニューも、ヨーロッパ・ツアー中のモンク一行も、モンクが晩年のほとんどを過ごしたウィーホーケンのニカ邸内部のモンクの部屋とピアノ、そこから見えるハドソン川とマンハッタンの遠景、おまけに ”キャットハウス” ニカ邸の住人だった多数の猫たちも登場する。モンクが晩年を過ごし、最後を迎えたニカ邸で当時暮らしていたバリー・ハリスが、トミー・フラナガンとピアノ・デュオでモンクの曲を弾くシーンもある。そして最後に、正装で棺に納められたモンクの葬儀の模様も挿入されている。ジャズ・ファンにとっては幸福なことに、今やインターネット動画でさらに多くの動くモンクの映像記録も見ることができる。この本を読み、モンクのレコードや音源をあらためて聴き、さらにこれらの映像を見ることで、モダン・ジャズの歴史と、セロニアス・モンクという唯一無二の天才ジャズ音楽家を再発見する楽しみを、多くの人にぜひ味わっていただきたいと思う。

2017/02/25

モンク考 (3) 人間モンクの魅力と才

本書を読んで知ったもう一つの事実は、天才音楽家モンクの創造人生を現実面で支えていたのはほとんど周囲の人々、中でも女性たちであったということだ。とは言っても芸術家によくある話とか、他のジャズ・ミュージシャンたちの伝記に描かれているような乱れた女性関係の話ではない。モンクの‟ピュア“さを裏付けるように、母親バーバラ、妻ネリー、真のパトロンだったニカ男爵夫人の3人をはじめ、親族である義理の姉や妹、姪たち、さらにモンクにストライド・ピアノの基本を教えたアルバータ・シモンズ、モンクの友人でありメンターのような存在だったメアリ・ルー・ウィリアムズという二人のピアニスト、さらにモンクの売り出しに奔走したブルーノートのロレイン・ライオンもそうだ。母親とネリー夫人は別格としても、他の女性たち全員が、天才だが普通に考えれば変人で、厄介な人物モンクとその音楽を愛し、彼を無償の愛で支えている‟女神”のようだ。モンクには男女を問わず誰もが魅了される何かが当然あったのだろうが、とりわけ女神(Muse)たちから全人的に愛された人物だったのだと思う。‟普通の“ ジャズに見られる激しいジャズ的エモーション、無頼感、モダンなクールさなどとは異なり、複雑でモダンなのに純粋、無垢、素朴、ユーモアが、温かさと美しさと常に同居しているモンクの音楽が放つ不思議な魅力は、おそらくこのことと大いに関係があるのだろう。

Thelonious Monk Quartet
with John Coltrane
at Carnegie Hall
1957 Blue Note
この本には多くのジャズ・ミュージシャンやサイドマンたち、プロデューサー、クラブオーナーたちとモンクとの逸話が登場するが、彼らがどうモンクと音楽的、人間的に関わり、どうモンクの音楽を理解、吸収したのか、あるいは逆に反発したのか、ということが史実として興味深く描かれている。私が感じた本書の魅力の一つは、ハービー・ニコルズ、エルモ・ホープ、アート・ブレイキー、ソニー・ロリンズなどの登場人物との関係に見られるように、これまではレコードだけを通じて、自分の中でいわば点としてバラバラに存在していた当時のジャズ・ミュージシャンたちが、20世紀半ばのニューヨークを舞台にしたモンクの物語の中で、一つのコミュニティとしてリアルに繋がってゆくことだった。そして、そこで描かれるモンクの人間味もまた魅力的である。

とりわけ、モンクのヒーローだったデューク・エリントン、恩人コールマン・ホーキンズ、愛弟子のバド・パウエルたちとの交流は感動的だ。1950年代後半のジョン・コルトレーンとの交流も描かれており、二人の当時の素晴らしい共演記録も一部残されているが、録音数が限られているのは実に残念なことだ。幸い2005年に奇跡的に発見されたカーネギーホールでの実況録音(1957年)が、当時の二人の最良の演奏を記録している。高次の音楽的交感という意味から言えば、おそらくロリンズと並んでコルトレーンこそがモンクにとって最高のパートナーだっただろう。そしてモンクの薫陶が、その後のコルトレーンに与えた音楽的影響の大きさもジャズ史では周知のことである。マイルス・デイヴィスが自叙伝でも述べているモンクとの歴史的(?)口論は何度か出てくる。人柄はまったく正反対だが(もちろんモンクは優しい人間だ)、結局二人ともお山の大将同士だったのだろう。それに、片や裕福に育ち、田舎から出て来て一旗上げようという野心を持ったマイルスと、貧乏だが基本的にはニューヨークという都会育ちのモンク、という二人の経歴の違いも少なからず影響しているだろう。モンクの方が9歳年長だったが、どちらも生まれついてのリーダー的性格で、人物、音楽上の能力から見ても両雄相並び立たずということである。しかし音楽的コンセプトは違っていたかも知れないが、二人は間違いなく互いに敬意も抱いていただろう。特に天才肌のモンクの音楽性と創造力にはマイルスはかなわないと思っていただろうし、モンクはマイルスの知性と構想力、統率力には一目置いていただろう。コルトレーンとの共演と並び、1954年のクリスマス・イブ、プレスティッジの2枚のLPに残された二人の巨人の伝説の共演記録は人類の宝である。

Miles Davis and
the Modern Jazz Giants
1954 Prestige 
スティーヴ・レイシーとのやり取りをはじめとして、教師、指導者としてのモンクの有名な発言(名言)のいくつかも本書に出てくる。いずれもサイドマンや第三者にモンク流の音楽思想を伝えるものだが、どれもジャズの真理を突いた含蓄に富む言葉ばかりである。だがその指導法は、同じ時代にジャズ演奏教育のための学校を初めて作り、体系的、組織的に教えようとした白人のレニー・トリスターノの近代的手法とは対極にある超個人的手法だ。しかも譜面を見せずに、聞かせる音だけで自作曲のメロディを覚えさせるという徒弟制度並みの方法である。この場合、モンクが「ほとんど喋らない」というのもポイントだろう。教わる側はそれで否が応でも集中せざるを得ないからだ。それによって頭で理解するのではなく、フィーリングで体得することができる(するしかない)。リハーサルなしで、出たとこ勝負の即興演奏ができたのもそうした訓練があればこそだ。だがそもそもは、やはりこれがジャズ伝承の原点なのだと思う。

モンクの天才の一つが作曲の才だが、本書を読んでいてあらためて感じたのは、モンク作品のタイトルの素晴らしさだ。月並みなティン・パン・アレーや、無味乾燥のビバップの曲名とは違い、「ラウンド・ミドナイト」や「ルビー・マイ・ディア」のような有名曲はもちろんのこと、「エピストロフィー」、「ウェル・ユー・ニードント」、「ミステリオーソ」、「ストレート・ノー・チェイサー」、「ブリリアント・コーナーズ」、「アグリー・ビューティ」等々、どの曲名もジャズ・センスに溢れ、背後に意味と情景が感じられ、しかもメロディが即座に浮かんで来るほど曲のイメージと一体化している。モンクは音感とともに、実はこうした言語能力にも並々ならぬものを持っていたがゆえに、あの短いけれど本質を言い表した数々の名言を残してきたのだろう。

2017/02/24

モンク考 (2) モダン・ジャズ株式会社

1940年代半ばのビバップに始まるモダン・ジャズの歴史は、その盛衰においてアメリカという国の歴史と見事にシンクロしている。そしてそのビバップは、チャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーが創造したというジャズ史の通説への反証が、自身の評価の低さを嘆くモンクの心情を取り上げた本書中で幾度も繰り返されている。ビバップ時代に、その音楽の真の創始者は常に時代の先を行くモンクである、とブルーノート・レーベルが主導したモンク再評価キャンペーンが不発に終わった後、キャバレーカードの没収という不運も重なり、1957年夏のジョン・コルトレーンとの「ファイブ・スポット」出演に至るまで、およそ10年にわたってモンクは不遇なミュージシャン生活を余儀なくされた。

bird and diz
Charie Parker, Dizzy Gillespie
1949/50 Verve
「自由」を別の言い方で表せば、モンクの音楽の本質とは「反システム」であったとも言えるだろう。ガレスピーとパーカーが創造したと言われ、その後モダン・ジャズの本流となるコード進行に基づく「即興演奏のシステム化」の対極にあったのが、「個人の想像力と独創性」に依存し、コードの約束事による束縛を嫌い、即興の即時性、自由なリズム、そしてメロディを愛し続けたモンクの音楽である。システムとは、多数の人間が吸収し取り入れることのできる汎用性を備えたものであり、習得効率と商業性の高さという近代世界、特にアメリカにおける市場原理に適合した合理性が求められるものだ。むしろ、アメリカという国家とその文化を実際に形成してきたのはそうしたシステム的思考である。それに対し、個人の創造力とは代替のきかないものであり、コピーのできないものであり、誰もが手に入れることができるわけではない、非合理的、非効率なものである。この独創的個人と汎用システムという対置は、芸術の世界であれ、実業の世界であれ、少数の天才や独創的人物が創り出したものが、多数の普通の人々によって徐々に理解され、咀嚼され、コピーされ、大衆化してゆく、という人間社会に共通の普遍的構造を表しているとも言える。半世紀前と現代との違いは、その拡散速度の圧倒的な差だけだ。(コピー全盛の現代にあっては、もはやどれがオリジナルなのか見分けがつかないほどだが)。

Genius of Modern Music Vol.1
1947 Blue Note
この本の中で語られる、「モンクはものを作る人間で、それを売り出したのはガレスピーだった」という「ミントンズ・プレイハウス」の店主だったテディ・ヒルの譬えを敷衍して、ビバップ創生の物語におけるモンク、ガレスピー、パーカー3人の役割を、現代の企業組織風に「モダン・ジャズ株式会社」として置き換えてみればわかりやすい。内部にひきこもって集中するモンクは、試行錯誤を繰り返してゼロから新しいモノやアイデアを生み出す「研究開発部門」であり、進取の気性があったガレスピーは、できた試作品を市場に広く効果的に知らしめ、出てきた顧客の要望を素早く察知して、それを改善する過程をシステム化してゆく「マーケティング部門」であり、圧倒的演奏能力を持ったパーカーは、製品やアイデアを先頭に立って顧客にわかりやすく、魅力的にプレゼンして売り歩く「営業部門」だったとでも言えるだろう。モンクが、自身の独創性と貢献に対する認証の低さと、(キャバレーカード問題による露出の少なさも理由となって)市場という前線に近い場所にいたガレスピーとパーカーが脚光を浴び、その二人だけが富と名声を得たという不運を何度も嘆くのも、こうして見ると、企業組織の持つ構造と役割、各部門で働く人たち個人の能力や深層心理と重なるものがあるようにも思える。

そう考えると、創業者たちの一世代後のリーダーだったマイルス・デイヴィス(モンクより9歳年下)は、こうしてでき上った会社の基盤の上に、新たな発想でクール、ハードバップ、モード、エレクトリックなどのジャズ新事業を次々に立ち上げていった「新事業開発部門」である。そして創業者の一人モンクが持っていた、ジャズの枠組みを突き破ろうとする本来の「自由な精神(前衛)」に立ち返り、スピンアウトして別会社である「反システム事業」に再挑戦したのがセシル・テイラーやオーネット・コールマン、さらに後期のジョン・コルトレーンに代表されるフリー・ジャズのミュージシャンたちだった、と言えるかも知れない。そしてアメリカ経済と社会の変化と軌を一にした、1940年代から70年代にかけての「モダン・ジャズ株式会社」の創業から繁栄、衰退に至る約30年の歴史も、まるで会社の寿命を見ているかのようである。そしてジャズマンとしては比較的長生きだったモンクは(1976年引退、1982年64歳で没)、まさにその会社と同じ人生を生き、運命を共にしている。もちろん、音楽の世界をこれほど単純に図式化できないことは言うまでもないのだが、本書のような物語は、巨人と言われるような天才ジャズ音楽家が送った人生にも、才能だけではない、いつの時代の、どんな人間にも共通する宿命的な何かがあったのかも知れない、と凡人が想像を巡らす楽しみを与えてくれるのだ。

2017/02/23

モンク考 (1) モンクの音楽の背景にあるもの 

セロニアス・モンクは大好きな人もいれば、嫌いな人もいるという個性的なジャズ音楽家だ。そこは個人の好みや感覚という問題もあるので何とも言えないが、私のようなモンク好きな人間にとっては、やはりその音楽の背景についてもっと知ってみたい、という興味が尽きない不思議な魅力がある。私はリー・コニッツが好きで、音楽的には真反対に見えるようなモンクも好き、というやや変則的な好み(?)があって、その理由については自分でもよく説明できないでいた。しかしロビン・D・G・ケリーの「Thelonious MonkThe Life and Times of an American Original」を読み(翻訳し)ながら、モンクのCDをずっと聴いているうちに、これまではっきりとわからなかったモンク像がおぼろげながら見えてきて、そこから考えたことがいくつかあるので、ここに「モンク考」としてその一部を書いてみたい。(私的感想文です)
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5 by Monk by 5
1959 Riverside
この本を読み終わって私がまず思い浮かべたのは、なぜか「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟(うぶね)かな」という芭蕉の有名な句であった。宴の後に漂う寂寥感と、天才ジャズマンの人生を知った後の感慨が同じものだと言うつもりはないが、著者も述べているように、モンクの物語はまさに読んでいて疲れるのだが、一方で確かにわくわくするようなスリルもあり、どこかおかしくもあり、また美しくもあり、しかし哀しくもある。世の中の認証を求めて苦闘し、警察による精神的、肉体的暴力に耐え、愛する家族のためにあくせくギグに出演し、ロードに出かけ、生活と創造活動に疲れ、酒とドラッグで癒し、精神を病んだ天才にしかわからない心象風景は、やはり美しく、また哀しいものでもあったのだろう。当然ながら、モンクの音楽世界もそれは同じだ。聴く者をハッピーにさせるあの骨太で、ユーモアがあり、何物にも捉われない自由と開放感こそモンクの音楽の身上だが、同時に、奇妙に響くコードや複雑に躍動するリズム、その上に乗った不思議に美しいメロディからは、べたつきのないメランコリーと、そこはかとないノスタルジーがいつも聞こえてくるのである。

この本で著者が描こうとした主題は「自由」と「独創」である。モンクも、そしてモダン・ジャズの本質もまたそこにある。制度であれ、規則であれ、慣習であれ、自らを束縛する約束事から解放されたいと希求する魂がモダン・ジャズを生み、モンクはまさにそれを体現した音楽家だった。モンクの音楽を聞いていると、なぜ自由になった気がするのか、なぜ精神が軽く解き放たれたように感じるのか、よく説明できないものの長年そう感じてきたが、楽理分析を超えた、その謎の源と思われるものが本書で描かれている。その典型例が、フランク・ロンドン・ブラウンという作家が触発されて小説「The Myth-Maker」を書いたとされる、モンクの曲〈ジャッキーイング(Jackie-ing)〉だ。1959年のアルバム「5 by Monk by 5(Riverside) 冒頭の1曲で、モンクのカルテットにサド・ジョーンズが客演したこの曲の初演だが、モンク的自由が溢れ、躍動感に満ちた名演であり、各ソロも素晴らしいが特に背後でコンピングするモンクのピアノは最高だ。

またよく知られているように、チャーリー・パーカーやバド・パウエルのエピゴーネンは数多く、本流としてのモダン・ジャズはある意味そのコピーの連鎖で出来上がったような音楽である。しかしモンクにはそうしたプレイヤーはほとんどいなかった。音楽思想の独自性は理解されても、モンクの音楽そのものがあまりにも「個性的」、「独創的」で、コピーしようがなかったからだ。その点で、モンクはリー・コニッツとよく似ている。コニッツとモンクは、白人と黒人、ホーン奏者とピアニスト兼作曲家という違いがあり、またそのジャズ観、生き方、音楽のスタイルともに両極にあるほどの違いがあるかに見える。しかしただ一つ、「誰にも似ていない、誰にも真似できない」固有の声(voice)を持っているという点で、二人にはジャズ音楽家として共通の資質と精神があるのだ。両者ともに、1フレーズを聞いただけでコニッツであり、モンクだとわかるほどサウンドの個性が際立っている。そして、その音楽が時流に媚びず、深く個人に根ざしているがゆえに、いつまでも古びることのない普遍性を持っている。コード進行に縛られず、曲のメロディに基づく自由な即興演奏にこそ価値があるという強固な音楽的思想と信念を持ち、妥協することなく自らの音楽を追求したことで、時に周囲から理解、評価されにくい異端の人だったという点も同じである。この二人の独創的音楽家の一番の違いは、当然ながらモダン・ジャズ本流に与えた音楽的影響の大きさだ。トリスターノ派のコニッツが、白人の非主流派としてマイナーな存在、芸術指向の強い孤高の位置に留まり続けてきたのと対照的に、ブルースやストライド・ピアノというジャズの伝統を背負った黒人モンクは、生涯にわたってショービジネスの世界に生き、異端ではあったが最初から常にジャズの本流にいて、その独創性はジャズという音楽と、同時代はもちろん、その後に続く世代のジャズ・ミュージシャンたちに深くかつ目に見えない影響を与え続けた。

そうしたジャズ界への影響力と音楽的スケールも含めて、モンクこそまさに「群盲、象を撫でる」がごとき芸術家であり、ジャズというジャンルを超えた音楽家だった。様々な分析が試みられてきたが、誰もモンクの音楽の全体像を「正しく」表現できない。いくら言葉を並べても、パトロンだったニカ男爵夫人が書いたように、「それは不遜であり、意味のないこと」なのだろう。この本の中でも、モンクを愛する人たちが、モンクの素晴らしさを様々な表現で形容しているが、私がいちばん気に入ったのは、アーティストにして批評家ポール・ベーコンの、「元気がいいが、やり方は無茶苦茶で……だが出来上がってみると世界のどこにもないような美しい家を建てる」名うての大工の譬えだ。「モンクは "独創的でしかいられない"人間なのだ」というニカ夫人の表現も、まさにモンクの本質を突いている。モンクの最高傑作「Brilliant Corners(1957 Riverside)は、不遇だったモンクの独創性がようやくジャズ界の公式な認証を得て、そのジャズマン人生もようやく開花した記念すべきアルバムである。

Brilliant Corners
1957 Riverside
本書で描かれた生き方から、モンクはとにかく束縛されることが大嫌いな人間だったことがわかる。あらゆる規則や約束事に縛られることを嫌い、何ものにも捉われないのがモンクであった。1960年代の公民権闘争の時代、政治的に共感することがあってもマックス・ローチやチャールズ・ミンガスとは違い、直接的政治行動に関わったり、集団や組織の一部として行動することを徹底して嫌い、多くの慈善興業やギグに出演しても常に個人として単独で行動している。その姿勢は宗教に関しても同じである。音楽上も、共演相手が誰であろうと、常に自分の音楽を演奏していた。モンクの音楽とは本質的に「自由」を表現したものだ、という冒頭の著者の指摘も、米国黒人史における政治的自由に加え、人生でも音楽でも、個人としての自由を常に求め続けたモンクの資質を意味している。