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2017/05/18

菊地成孔、高内春彦の本を読む

菊地成孔と高内春彦は2人ともジャズ・ミュージシャンだが、片や山下洋輔のグループで実質的なプロ活動を始め、以来日本での活動が中心のサックス奏者兼文筆家、片やアメリカ生活の長いギタリスト兼作曲家というキャリアの違いがある。今回読んだ菊地氏の本は2015年の末に出版されているので既に大分時間が経っているが、最近(4月)、高内氏の書いたジャズ本が出たこともあって、2人のジャズ・ミュージシャンが書いた2冊の本を続けて読んでみた。これはまったくの個人的興味である。共通点はジャズ・ミュージシャンが書いた本ということだけだ。本のテーマもまるで違うし、文筆も主要な仕事の一つとしてマルチに活動している人と、ジャズ・ミュージシャン一筋の人という違いもあるので、本の出来云々を比較するつもりはなく、以下に書いたのはあくまで読後の個人的感想だということをお断りしておきたい。

高内氏はジャズ・ギター教則本は何冊か書いているようだが、これまで本格的な著作はなく、この本「VOICE OF BLUE -Real History of Jazz-舞台上で繰り広げられた真実のジャズ史をたどる旅」(長いタイトルだ…)が初めてのようだ。80年代初めの渡米以降アメリカ生活が長く、それに本人よりも女優の奥さんの方が有名人なので、いろいろ苦労もあったことだろう。しかし、なんというか、自然体というのか、のんびりしているというのか、構えない人柄や生き方(おそらく)が、この本全体から滲み出ているように感じた。私が知っていることもあれば、初めて知ったこともあり、特に1970年代以降のアメリカのジャズ現場の話は、これまであまり読んだことがなかったので参考になる部分も多かった。ただ英語表現(カタカナ)がどうしても多くなるのと、カジュアルな言い回しを折り混ぜた文体は、肩肘張らずに読める一方で、どこか散漫な印象も受ける。歴史、楽器、民族など博学な知識が本のあちこちで披露されていることもあって何となく集中できないとも言える。モードの解析や、ギタリストらしい曲やコード分析など収載楽譜類も多いが、これらはやはりジャズを学習している人や音楽知識のある人たちでないと理解するのが難しいだろう。一方、デューク・エリントンを本流とするアメリカのジャズ史分析や、ジャズの捉え方、NYのジャズシーンの実状、新旧ミュージシャン仲間との交流に関する逸話などは、著者ならではの体験と情報で、私のようなド素人にも面白く読めた。伝記類を別にすれば、こうしたアメリカでの個人的実体験と視点を基にしてジャズを語った日本人ミュージシャンの本というのはこれまでなかったように思う。ただし全体として構造的なもの、体系的な流れのようなものが希薄なので、あちこちで書いたエッセイを集めた本のような趣がある。また常に全体を冷静に見渡している、というジャズ・ギタリスト兼作曲家という職業特有の視点が濃厚で、技術や音楽に関する知識と分析は幅広く豊富だが、逆に言えば広く浅く、あっさりし過ぎていて、ジャズという音楽の持つ独特の深み、面白味があまり伝わって来ない。たぶん一般ジャズファン対象というよりも、ジャズ教則本には書ききれない音楽としてのジャズの歴史や背景をジャズ学習者にもっと知ってもらおう、という啓蒙書的性格の本として書かれたものなのだろう。ただしジャズへの愛情、構えずに自分の音楽を目指すことの大事さ、という著者の思想と姿勢は伝わってきた。

一方の「レクイエムの名手 菊地成孔追悼文集」は文筆家としての菊地成孔が書いたもので、ジャズそのものを語った本ではない。クールな高内氏と対照的に、こちらは独特のテンションを持った語り口の本だ。これまでに私が読んだ菊地氏の本は、10年ほど前の大谷能生氏との共著であるジャズ関連の一連の著作だけだが、これらは楽理だけではなく、ジャズ史と、人と、音楽芸術としてのジャズを包括的に捉え、それを従来のような聴き手や批評家ではなく、ミュージシャンの視点で描いた点で画期的な本だと思うし、読み物としてもユニークで面白かった。これらの本格的ジャズ本と、ネット上で菊地氏が書いたものをほんの一部読んできただけなので、この本「レクイエムの名手」は私にとっては予想外に新鮮だった(彼のファンからすれば何を今更だろうが)。個人的接点の有無は問わず、親族から友人、有名人まで、「この世から失われた人(やモノ)」を10年以上にわたって個別に追悼してきたそれぞれの文章は、各種メディアに掲載したりラジオで語ってきたものだ。それらをまとめた本のタイトルを、原案の(自称)「死神」あらため「追悼文集」にしたという不謹慎だが思わず笑ってしまうイントロで始まり、エンディングを、死なないはずだったのに本の完成間近に亡くなったもう一人の「死神」、尊敬する相倉久人氏との「死神」対談で締めくくっている。私のまったく知らない人物の話(テーマ)も出て来るのだが、読んでいるとそういう知識はあまり関係なく、彼の語り口(インプロヴィゼーション)を楽しめばいいのだと徐々に思えてくる。音楽を聞くのと一緒で、その虚実入り混じったような、饒舌で、だが哲学的でもあり、かつ情動的な語り口に感応し楽しむ人も、そうでない人もいるだろう。中には独特の修辞や文体に抵抗を感じる人もいるかもしれないが、現代的で、鋭敏な知性と感性を持った独創的な書き手だと私は思う。

年齢を重ねると、周囲の人間が徐々にこの世を去り、時には毎月のように訃報を聞くこともあるので、死に対する感受性も若い時とは違ってくる。自分に残された時間さえも少なくなってくると、亡くなった人に対する「追悼」も切実さが徐々に薄まり、自分のことも含めて客観的にその人の人生を振り返るというある種乾いた意識が強くなる。これは人間として当然のことだと思う(だが若くして逝ってしまった人への感情はそれとは別だ)。そういう年齢の人間がこの本から受ける読後感を一言で言えば、「泣き笑い」の世界だろうか。泣けるのにおかしい、泣けるけど明るいという、「生き死に」に常についてまわる、ある種相反する不可思議な人情の機微を著者独特の文体で語っている。文章全体がジャズマン的諧謔と美意識に満ちていて、しみじみした項もあれば笑える箇所もあるが、そこには常に「やさぐれもの」に特有の悲哀への感性と、対象への深い人間愛を感じる。独特の句読点の使い方は、文中に挿入すると流れを損なう「xxx」の代替のようでもあり、彼の演奏時のリズム(休止やフィル)、つまりは自身の身体のリズムに文章をシンクロさせたもののようにも思える。カッコの多用も、解説や、過剰とも言える表現意欲の表れという側面の他に、演奏中に主メロディの裏で挿入するカウンターメロディのようにも読める(文脈上も、リズム上も、表現者としてそこに挿入せずにはいられない類のもの)。文章の底を流れ続けるリズムのために、文全体が前へ前へと駆り立てるようなドライブ感を持っているので、先を読まずにいられなくなる。「追悼」をメインテーマに、菊地成孔がインプロヴァイズする様々なセッションを聴いている、というのがいちばん率直な印象だ。そしてどのセッションも楽しめた。

特に印象に残ったのは、氏の愛してやまないクレージー・キャッツの面々やザ・ピーナッツの伊藤エミ、浅川マキ、忌野清志郎、加藤和彦など、やはり自分と同時代を生きたよく知っているミュージシャンの項だ。私は早逝したサックス奏者・武田和命 (1939-1989) が、一時引退後に山下洋輔トリオ(国仲勝男-b、森山威男-ds)に加わって復帰し、カルテット吹き込んだバラード集「ジェントル・ノヴェンバー」(1979 新星堂)を、日本のジャズが生んだ最高のアルバムの1枚だと思っている。このアルバムから聞こえてくる譬えようのない「哀感」は、絶対に日本人プレイヤーにしか表現できない世界だ。どれも素晴らしい演奏だが、冒頭のタッド・ダメロンの名曲<ソウルトレーン SoulTrane>を、「Mating Call」(1956 Prestige) における50年代コルトレーンの名演と聞き比べると、それがよくわかる。哀しみや嘆きの感情はどの国の人間であろうと変わらないはずだが、その表わし方はやはり民族や文化によって異なる。山下洋輔の弾く優しく友情に満ちたピアノ(これも日本的美に溢れている)をバックに、日本人にしか表せない哀感を、ジャズというフォーマットの中で武田和命が見事に描いている。菊地氏のこの本から聞こえてくるのも、同じ種類の「哀感」のように私には思える。それを日本的「ブルース」と呼んでもいいのだろう。彼のジャズ界への実質的デビューが、1989年に亡くなった武田和命を追悼する山下洋輔とのデュオ・セッションだった、という話をこの本で初めて知って深く感じるものがあった。会ったことも生で聴いたこともないのだが、山下氏や明田川氏などが語る武田氏にまつわるエピソードを読んだりすると、武田和命こそまさに愛すべき「ジャズな人」だったのだろうと私は想像している。時代とタイプは違うが、本書を読む限り、おそらく菊地成孔もまた真正の日本的「ジャズな人」の一人なのだろう。その現代の「ジャズな人」が、昔日の「ジャズな人」を追悼する本書の一節は、それゆえ実に味わい深かった。 

2人のジャズ・ミュージシャンが書いた本は両書とも楽しく読めた。また2人とも心からジャズを愛し生きて来たことがよくわかる。だが高内氏の本はジャズを語った本なのだが、私にはそこからジャズがあまり聞こえてこない。一方菊地氏の本はジャズそのものを語った本ではないが、私にはどこからともなくずっとジャズが聞こえてくる。もちろん私個人のジャズ観や波長と関係していることだとは思うが、この違いはそもそも本のテーマが違うからなのか、文章や文体から来るものなのか、著者の生き方や音楽思想から来るものなのか、あるいは日本とアメリカという、ジャズを捉える環境や文化の違いが影響しているのか、判然としない。年齢は1954年生まれの高内氏が菊地氏より10歳近く年長だ。1970年代半ばの若き日に、フュージョン(氏の説明ではコンテンポラリー)全盛時代の本場アメリカで洗礼を受け、以来ほぼその国を中心に活動してきたギタリストと、バブル時代、実質的にジャズが瀕死の状態にあった80年代の日本で同じく20歳代を生きたサックス奏者…という、演奏する楽器や、プロ奏者としてのジャズ原体験の違いが影響しているのか、それとも単に個人の資質の問題なのか、そこのところは私にもよくわからない。

2017/05/15

Bossa Nova(番外編): ボサノヴァ・コニッツ

ボサノヴァ特集(?)の最後を飾るのは、やや好事家向けになるがジャズ・アルトサックス奏者リー・コニッツのボサノヴァだ。コニッツはブラジル音楽、とりわけアントニオ・カルロス・ジョビンのファンだったが、同業者のスタン・ゲッツが1960年代初めにテナーでボサノヴァを取り上げて大ヒットさせたこともあって、以来自分では手をつけてこなかったそうである(自伝での本人談。悔しかったのか?)。しかし1980年代から第2期黄金期を迎えていた(と私は思う)コニッツは、60歳を過ぎた1989年にブラジル人ミュージシャンと作った「リー・コニッツ・イン・リオ」(M.A.Music)を皮切りに、そのスタン・ゲッツの葬儀(1991年)で出会ったラテン音楽好きの女性ピアニスト、ペギー・スターン Peggy Stern (1948-) と活動を開始したこともあって、90年代に入ってからブラジル音楽を取り上げた作品を積極的にリリースした。ただし、それらはいずれもジャズ・ミュージシャン、リー・コニッツ流解釈によるブラジル音楽であり、”普通の” ボサノヴァを期待すると面食らうこともある。

ペギー・スターン(p, synt)とのデュオ「ジョビン・コレクションThe Jobim Collection」(1993 Philology)は、アントニオ・カルロス・ジョビンの作品のみを演奏したアルバムだ。非常に評判が良かったらしいが、Philologyというイタリアのマイナー・レーベルでの録音だったこともあって発売枚数が少なく、今は入手しにくいようだ(私も中古を手に入れた)。ゲッツから遅れること30年、ようやく手掛けたボサノヴァとジョビンの名曲の一つひとつを楽しむかのように、コニッツにしてはアブストラクトさを控え、珍しく感傷と抒情を衒いなく表した演奏が多い (本人もそう認めている)。コニッツならではの語り口による陰翳に富んだボサノヴァは、これはこれで非常に魅力的である。またデュオということもあって、各曲ともほとんど3分から5分程度で、ブラジル音楽を取り上げた他のバンドによるアルバムに比べ、メロディを大事にしながらどの曲もストレートに歌わせているところも良い。ペギー・スターンはピアノとシンセサイザーを弾いているが、どの曲でも非常に美しくモダンで、かつ息の合ったサポートでコニッツと対話している。馴染み深いジョビンの有名曲が並びどれも良い演奏だが、ここではメロディのきれいな<Zingaro>、<Dindi>、コニッツ本人も好きだと言う<Luiza>での両者のデュオが特に美しい。

その後コニッツは、日本のヴィーナス・レーベルからボサノヴァのアルバム「ブラジリアン・ラプソディ」(1995)と「ブラジリアン・セレナーデ」(1996)という2枚のレコードをリリースしている。「ラプソディ」にはペギー・スターンがピアノで参加し、「セレナーデ」はトランペットのトム・ハレル、ブラジル人ギタリストのホメロ・ルバンボ、ピアノのデヴィッド・キコスキー他を加えた2管セクステットによるジャズ・ボッサで、こちらも8曲中5曲がアントニオ・カルロス・ジョビンの有名作品だ。ジョビンの曲は、基本的にジャズ・スタンダードのコード進行を元にしているので、ジャズ・ミュージシャンにとっては非常に馴染みやすいのだという。だが、そのメロディはやはりどの曲もブラジルらしい美しさに満ちている。他の3曲は、<リカード・ボサ・ノヴァ>、トム・ハレルとコニッツのタイトル曲がそれぞれ1曲で、このレコードではいずれもオーソドックスなジャズ・ボッサを演奏している。

もう1枚はマイナー盤だが、コニッツが ”イタリア人” のボサノヴァ歌手兼ギタリストのバーバラ・カシーニ Barbara Casini (1954-)と、ボサノヴァの名曲をカバーしたトリオによるアルバム「Outra Vez」(2001 Philology)だ。ギターに同じくイタリア人のサンドロ・ジベリーニ Sandro Gibelini がガットとエレクトリック・ギター両方で参加している。バーバラ・カシーニは初めて聴いたが、コニッツがそのタイム・フィーリングの素晴らしさを称賛しているだけあって非常に良い歌手だ。声はジョイス Joyce (1948-)に似ているが、かすかにかすれていて、しかし良く通るきれいな歌声だ。小編成のボサノヴァ演奏ではガット・ギターが普通で、エレクトリック・ギターは珍しいと思うが、ジベリーニはまったく違和感なくこなしていて、ジム・ホールを彷彿とさせる柔らかく広がる音色が全体を支え、カシーニの歌声、コニッツのアルトサックスの音色ともよく調和している。このCDではコニッツがアルトに加えて、なんと2曲スキャットで(!)参加している。このコニッツのヴォーカルをクサしているネット記事を見かけたことがあるが(このCDを聴いていた人がいるのにも驚いたが)、私は「悪くない」と思う。うまいかどうかは別にして、録音当時73歳にしてリズム、ラインとも実に味のある ジャズ” ヴォーカルを聞かせていると思う。まず「歌う」ことがコニッツのインプロヴィゼーションの源なので(自伝によれば)、歌のラインは彼のサックスのラインと同じなのだ。半世紀前のカミソリのように鋭いアルトサウンドを思い浮かべて、カシーニをサポートするたゆたうような優しいサックスとヴォーカルを聴いていると、過ぎ去った月日を思い、まさにサウダージを感じる。

2017/05/12

Bossa Nova #4:バーデン・パウエル

いわゆる穏やかなボサノヴァとは対極にあるのが、ギタリストのバーデン・パウエル Baden Powell (1937-2000) の音楽だ。ここに挙げた邦題「黒いオルフェーベスト・オブ・ボサノヴァ・ギター」というCDは、1960年代に演奏されたバーデンの代表曲を集めたベスト・アルバムで、昔から何度もタイトル名やジャケット・デザインを変えて再発されている。今や古典だが、彼が最も脂の乗った時期の演奏であり、どの曲も演奏も素晴らしいので、いつになっても再発されるのだろう。ここでは<悲しみのサンバ Samba Triste>などバーデンの代表曲の他に、<イパネマの娘>などボサノヴァの名曲もカバーしているが(タイトルもそうだが)、彼のギターの本質はいわゆるボサノヴァではない。アフロ・サンバと呼ばれる、アフリカ起源のサンバのリズムを基調としたより土着的なブラジル音楽がそのルーツであり、ボサノヴァのリズムと響きを最も感じさせるジョアン・ジルベルトが弾くギターのコードとシンコペーションと比べれば、その違いは明らかだ。だからサンバがジャズと直接結びついて生まれたボサノヴァと違い、バーデンの音楽からはあまりジャズの匂いはしない。このアルバムで聴けるように、彼のギターは力強く情熱的で、圧倒的な歯切れの良さとブラジル独特のサウダージ(哀感)のミックスがその身上だ。特にコードを超高速で刻む強烈なギター奏法は、40年以上前のガット・ギター音楽に前人未踏の独創的世界を切り開いた。もちろんバーデンもボサノヴァから影響を受け、またボサノヴァに影響を与えた。だからその後のブラジル音楽系のギタリストは、ジョアン・ジルベルトと並び、多かれ少なかれバーデン・パウエルの影響を受けている。

60年代全盛期のバーデン・パウエルは世界中で支持されたが、当時のその神がかったすごさは、1967年にドイツで開催された「Berlin Festival Guitar Workshop」(MPS) という、ブルース奏者(バディ・ガイ)やジャズ・ギター奏者(バーニー・ケッセル、ジム・ホール)等と共に参加したコンサート・ライヴ・アルバムで聞くことができる(このコンサートをプロデュースしたのはヨアヒム・ベーレントとジョージ・ウィーン)。ここでは <イパネマの娘> 、<悲しみのサンバ>、 <ビリンバウ> の3曲をリズム・セクションをバックに演奏しているが、いくらかスタティックな他のスタジオ録音盤とは大違いの、迫力とスピード、ドライブ感溢れる超高速の圧倒的演奏で会場を熱狂させている(CDではMCがカットされたりしていて、LPほどはこの熱狂が伝わってこないが)。この時代1960年代後半は、バーデンは特にヨーロッパで圧倒的な支持を得ていたが、ベトナム反戦、学生運動、公民権闘争など当時の激動の世界が、フリー・ジャズやバーデンのギターから聞こえる既成の枠を突き破ろうとする新しさと激しさに共感していたのだろう。バーデンはセロニアス・モンクやジョアン・ジルベルトと同様に、その奇行や変人ぶりでも有名だったが、こうした素晴らしい音楽を創造した天才たちというのは、いわば神からの贈り物であり、常人が作った人間世界の決まり事を尺度にあれこれ言っても仕方がない人たちであって、正直そんなことはどうでもいいのである。

バーデン・パウエルは、映画「男と女」(1966) にも出演したフランス人俳優、歌手、詩人、またフランス初のインディ・レーベル 「サラヴァ Saravah」主宰者としても知られる文字通りの自由人ピエール・バルー Pierre Barouh (1934-2016)との親交を通じて、フランスにブラジル音楽を広めた一人でもあった。バルーも、バーデンの協力を得ながら曲を作り、自らブラジル音楽をフランス語で歌い、フランスにボサノヴァを広めた。彼はまた日本人ミュージシャンたちとの親交でも有名な人だが、Saravah創設50周年を迎えた昨年12月末に82歳で急死した。そのバルー追悼として最近再発されたDVDサラヴァ- 時空を越えた散歩、または出会い」(ピエール・バルーとブラジル音楽1969~2003)は、1969年のブラジル訪問以降、バーデン・パウエル他のブラジル人ミュージシャンたちとの交流を通じて、バルーがどのようにブラジル音楽を理解していったのか、その旅路を自ら記録した映像作品だ。若きバルーやバーデンと、ピシンギーニャ他のブラジル人ミュージシャンたちが居酒屋に集まって即興で演奏する様子(ギターはもちろんすごいが、歌うバーデンの声の高さが意外だ)などを収めた貴重なドキュメンタリー・フィルムは、バルーのブラジル音楽への愛情と尊敬が込められた素晴らしい作品だ

バーデン・パウエルは1970年に初来日して、その驚異的なギターで日本の人々を感激させている(ジョージ・ウィーンがアレンジしたこの時のツアーには、セロニアス・モンクもカーメン・マクレー等と参加していた)。日本でそのバーデン・パウエルのギター奏法から大きな影響を受けたと思われるのが、歌手の長谷川きよし(1949-)やギタリストの佐藤正美(1952-2015)だ。長谷川きよしのデビューは1969年で、<別れのサンバ>に代表される初期の曲で聴けるサンバやボサノヴァ風ギターには、バーデンのギターの影響が濃厚だ。バーデンを敬愛していた佐藤正美はより明快に影響を受けていて、1990年のCD「テンポ・フェリス Tempo Feliz」(EMI)は、バーデンへのオマージュとして聞くことのできる優れたアルバムだが、ここでの演奏はボサノヴァ色をより強めたものだ。背景に海辺の波の音を入れた録音には賛否があったようだが、これはこれで非常にブラジル的なムードが出ていて、リラックスして聴けるので私は好きだ。昔、渡辺香津美との共演ライヴで聴いた佐藤正美のギターも実に素晴らしかった。その後、独自のコンセプトで様々な演奏と多くのアルバムを残した佐藤正美氏は、残念ながら2015年にバーデン・パウエルと同じ享年63歳で亡くなった。

2017/05/09

Bossa Nova #3:ジャズ・ボッサ

ジャズ・ボッサ系のインストものと言えば、やはりギターを中心にしたアルバムを聴くことが多いが、唯一の例外が、毎年夏になると聴いている、ストリングスの入ったアントニオ・カルロス・ジョビン Antonio Carlos Jobim (1927-94) の「波 Wave」(1967 A&M) だ。ジャズファンでなくとも誰でも知っている超有名なアルバムだがジョビンの書いたボサノヴァの名曲が、ストリングスの美しい響きとジョビンのピアノ、リラックスしたリズムで包まれたイージーリスニング盤である(制作はクリード・テイラー)。全編爽やかな風が吹き抜けるような演奏は、非常に気持ちが良くて何も考えたくなくなる。いつでも聴けるし、おまけに何度聴いても飽きない。(そう言えば夏だけでなく1年中聴いているような気もする。)ジョビンのこのアルバムに限らず、よくできたボサノヴァにはやはり人を穏やかな気分にさせるヒーリング効果があると思う。

ジェリー・マリガン Gerry Mulligan (1927-96) が女性ヴォーカルのジャンニ・デュボッキJane Duboc (1950-)と組んだ「パライソ Paraiso(楽園)」(1993 Telarc) は、スタン・ゲッツとブラジル人ミュージシャンがコラボした1960年代の作品に匹敵する素晴らしいアルバムだと思う。1曲目<Paraiso> のワクワクするようなサンバのリズムで始まる導入部から最後の曲<North Atlantic Run> まで、タイトル通り全編とにかく明るく開放的なリズムと歌声、美しいサウンドで埋め尽くされている。唯一の管楽器であるジェリー・マリガンのバリトンサックスに加え、他のブラジル人ミュージシャンたちによるギター、ピアノ、ドラムス、パーカッション各演奏それぞれが強力にスウィングしていて、音楽的な聴かせどころも満載である。またジャズにしてはいつも「音が遠い」Telarcレーベルの他のアルバムと違い、空間が豊かでいながら、声と楽器のボディと音色をクリアーに捉えた録音も素晴らしく、とにかく聴いていて実に気持ちのいいアルバムだ。ブラジル人作曲家ジョビン、モラエス、トッキーニョの3作品以外の8曲は、マリガンがこのアルバムのために書き下ろした自作曲にデュボッキがポルトガル語の歌詞をつけたものだという。マリガンのバリトンサックスの軽快で乾いた音色と、デュボッキの透き通るような歌声が、聴けばいつでも 「楽園」 に導いてくれる "ハッピージャズ・ボッサの傑作である。

「ジャズ・サンバ・アンコール Jazz Samba Encore」(1963 Verve) は、スタン・ゲッツ(ts) がチャーリー・バード(g)と共演してヒットさせた「Jazz Samba」(1962 Verve) の続編という位置づけのアルバムだ。アメリカ人リズム・セクションも参加しているが、ピアノにアントニオ・カルロス・ジョビン、ギターにルイス・ボンファ Luiz Bonfá (1922-2001) 、ヴォーカルにマリア・トレード Maria Toledo (当時のボンファの奥さん)というブラジル人メンバーが中心となって、ジャズ色の強い”アメリカ製”ブラジル音楽といった趣の強かった「Jazz Samba」に比べ、よりブラジル色を打ち出している。当時のスタン・ゲッツはゲイリー・マクファーランド(vib)、チャーリー・バードらと立て続けに共演してブラジル音楽を録音しており、ボンファたちとこのレコードを録音した翌月に吹き込んだのが、ジョアン&アストラッド・ジルベルトと共演した「Getz/Gilberto」だった。ルイス・ボンファは「カーニバルの朝」の作曲者としても知られるブラジルの名ギタリストで、このアルバムでもボンファのギターには味わいがある。ジルベルト夫妻盤にも負けない、この時代のベスト・ジャズ・ボッサの1枚。

イリアーヌ・イーリアス Eliane Elias (1960-)はクラシック・ピアノも演奏するブラジル出身のジャズ・ピアニストだ。80年代にランディ・ブレッカーと結婚して以降、その美貌もあってボサノヴァのピアノやヴォーカル・アルバムをアメリカで何枚も出している。ヴォーカルは私的にはあまりピンと来ないが(このアルバムでも1曲歌っている)、ピアノはクラシック的な明晰なタッチと、ブラジル風ジャズがハイブリッドしたなかなか良い味があると思う。中でもアントニオ・カルロス・ジョビンの曲を取り上げ、エディ・ゴメス(b)とジャック・デジョネット(ds)、ナナ・ヴァスコンセロス(perc)がバックを務めた初期の「Plays Jobim」(1990 Blue Note) は愛聴盤の1枚だ。彼女をサポートする強力な3人の技もあって、ジョビンの静謐なムードを持つ美しい曲も、快適にスウィングする曲も、どちらも非常に楽しめるピアノ・ボッサ・アルバムだ。

もう1枚は超マイナー盤だが、のんびりと涼しい海辺で聴きたくなるような、ギターとピアノのデュオによるイタリア製ボッサ・アルバムSossego」(2001 Philology)だ。ポルトガル語のタイトルの意味を調べたら平和、静か、リラックスなどが出てくる。多分「安息」が最適な訳語か。そのタイトルに似合うスローなボサノヴァと、<Blue in Green>などのジャズ・スタンダードの全13曲をほぼデュオで演奏したもの。ギターはイリオ・ジ・パウラ Irio De Paula(1939-)というブラジル人で、70年代からイタリアで活動しているギタリスト。ピアノのレナート・セラーニ Lenato Sellani (1926-)はイタリアでは大ベテランのジャズ・ピアニストだ。調べたら二人ともイタリアで結構な数のアルバムをリリースしている。録音時は二人とも60歳過ぎのベテラン同士なので、当然肩肘張らないリラックスした演奏が続く。人生を知り尽くした大人が静かに対話しているような音楽である。聴いていると、海辺の木陰で半分居眠りしながら夢でも見ているような気がしてくる。この力の抜け具合と、涼しさを感じさせるサウンドが私的には素晴らしい。

2017/05/06

Bossa Nova #2:ジョアン・ジルベルト

アントニオ・カルロス・ジョビンと並んで、ジョアン・ジルベルト João Gilberto (1931-) はボサノヴァそのものだ。というか歌のボサノヴァとはジョアン・ジルベルトのことだ、と言ってもいいくらいだ。「ジョアン・ジルベルトの伝説」(1990 World Pacific) というレコードは、ジョアンの初期1959年から60年代初めの頃の3枚の作品を編集した全36曲からなるアルバムだったが、ジョアンの承諾なしに発売したため訴訟問題となって現在は再発できない状況らしい。しかしカルロス・ジョビンの代表曲<想いあふれて Chega de Saudade>から始まるこのレコードは、まさにボサノヴァの名曲のオンパレードで、全曲を通して若きジョアン・ジルベルトの瑞々しい歌声と、ボサノヴァ・ギターの原点というべきあの独特のシンコペーションによるギター・プレイが聴ける。「ボサノヴァとは何か」と聞かれたら、このレコードを聴けと言えるほど素晴らしい内容である。今は中古で探すか、バラ売りされている初期レコードのCDを探すしかないようだ。(同じタイトルで現在ユニヴァーサルから出ている別ジャケットCDは、ジョアン公認と書かれているが、収録内容は異なるようだ)


「ゲッツ/ジルベルト Getz/Gilberto」(1963 Verve)は、当時ヨーロッパから帰国し、ギターのチャーリー・バード Charlie Byrd (1922-99)と共演した「ジャズ・サンバ Jazz Samba(Verve 1962) 他でブラジル音楽に挑戦していたテナーサックス奏者、スタン・ゲッツとジョアン・ジルベルトがアメリカで共作した歴史的名盤だ。録音時ジョアンはこのコラボには満足していなかったようだが(ジャズとボサノヴァの感覚の違いだろう)、結果としてこのレコードはアメリカで大ヒットしてグラミー賞を受賞する。アントニオ・カルロス・ジョビンもピアノで参加し、クールなゲッツのサックスも気持ちの良い響きだし、ジョアンも、当時の妻アストラッド・ジルベルトともに若く瑞々しい歌声がやはりいい。特にアストラッドが英語で歌った<イパネマの娘>が大ヒットし、この後Verveに何枚かゲッツとの共作が吹き込まれている。演奏されたどの曲も超有名で、今やジャズ・ボッサの古典だが、ジャズという音楽とプレイヤーを媒介にしたこのアルバムの大ヒットが起点となって、その後ボサノヴァがワールド・ミュージックの一つとしてブレイクしたのは紛れもない事実である。半世紀経った今聴いても新鮮な響きを失わないという一点で、このアルバムが時代を超えた真にすぐれた音楽作品であることが証明されている

ジョアン・ジルベルトはその後も多くの素晴らしいレコードを残しているが、私はどちらかと言えばスタジオ録音よりライヴ・アルバムが好みだ。ジャズもそうだが、ライヴにはスタジオでの緊張感や「作られ感」がなく、中にはミスしたり完成されていない演奏もあるのだが、一般に伸び伸びとした解放感が感じられ、聴衆の反応と呼吸を合わせてインスパイアされるプレイヤーの「喜び」のようなものが聞こえてくるからだ。演奏や録音の出来不出来より、そうした現場感がなによりリアルで楽しいのである(もちろん実際のライヴ会場にいるのが最高なのだが)。特にジョアンのような音楽は、聴き手あっての場がやはりふさわしいと思う。ジョアンのライヴ録音と言えば、1985年のモントルー・ジャズ祭での「ジョアン・ジルベルト・ライヴ・イン・モントルー João Gilberto Live in Montreux」が素晴らしいライヴ・アルバムだ。若い時代のような瑞々しさはないが、ここでは実に円熟した歌唱が聞ける。会場の盛り上がる反応もよく捉えられていて、それでジョアンが乗ってくる様子もよくわかる。何よりギター1本と歌だけで、これだけのステージをやれるというのがとにかくすごい。


もう1枚のライヴ・アルバム「Eu Sei Que Vou Te Amarはそれから9年後の1994、ジョアン64歳の時のブラジル・サンパウロでのライヴ録音である。TV放送とか、たぶん収録曲数を増やすために編集されているので、終わり方や曲間が不自然な部分もあるが、そこはブラジル製(?)と思えば気にはならない。また声もギターの音もクリアで、ナチュラルに録れており、響きも良い。客人の立場だったモントルーと違い、地元の聴衆を前にしているせいか、どことなく気楽さが感じられるし、歳は取ったが声もギターの調子もこの日は良いようだ(たぶん?)。あまり気にしたことはないが、やはりポルトガル語の歌詞による微妙な表現のおもしろさとか歌唱技術は、現地の人にしかわからないニュアンスというものがあるのだろう。とにかく非常にリラックスしたジョアンの歌とギターによる名曲の数々が、ライヴ会場にいるかのように楽しめる1枚だ。

2017/05/03

Bossa Nova #1:女性ヴォーカル

春が終わり、初夏になるとボサノヴァを聴きたくなる。そこで小野リサのコンサートに出かけた。これまでライヴを聞き逃してきたのでCDでしか聞いたことがなく、「生」の小野リサは初めてだ。聞けば来年はデビュー30周年になるのだそうだ。自分の中ではずっとデビュー当時の彼女しかイメージがなかったが、もうそれなりの年齢になっているということであり、なるほどこちらも歳を取るわけである。長年の私の小野リサ愛聴盤は25年前の「ナモラーダ Namorada」(1992 BMG)だ。トゥーツ・シールマンズのハーモニカや、当時の彼女のシンプルな歌とギターが気に入っているからだ。今回のコンサートはピアノの林正樹他3管のセクステットをバックにして、ボサノヴァだけでなく、ジャズあり、サルサあり、ロックあり、ポップスあり、近年フィーチャーしている日本の歌ありという多彩な構成だった。さながら小野リサのカラオケみたいな趣がないではないが、彼女を小野リサたらしめるあのハスキーでソフトな歌声も、超複雑なメロディの音程を決してはずさないブラジル仕込みの安定したピッチも、もちろんそのリズム感もそうだが、ポルトガル語、英語、日本語を駆使して歌う彼女の歌はやはり素晴らしい。未だにたどたどしい、のんびりした日本語の語りもかえって好感が持てる。しかしポルトガル語の歌が、何と言ってもやはり最高だ。生の小野リサのステージは非常に楽しめた。

私はジャズとボサノヴァをほぼ同時併行で聴き始めたので、ボサノヴァのレコードもこれまでずいぶん聴いてきた。ボサノヴァ・ヴォーカルはジョアン・ジルベルトを別にすれば、やはり女性の歌声が合っている。日本で有名な女性ボサノヴァ歌手というと、古くはアストラッド・ジルベルトであり、今はやはり小野リサだろうが、ブラジルには素晴らしい女性歌手がまだまだいる。私が聴いてきたそういう歌手の一人がナラ・レオンNara Leão (1942-1989)で、彼女の「美しきボサノヴァのミューズ Dez Anos Depois」(1971 Polydor)では、まさにボサノヴァの本道とも言うべき歌唱が聞ける。このアルバムは、ナラ・レオンが1960年代後期にブラジル独裁政権の抑圧から逃れてフランスに一時的に亡命していた時代、歌からしばらく遠ざかっていた1971年のパリで、しかも世界的ボサノヴァ・ブームが去った後に、彼女にとって初めてボサノヴァだけを録音したものだ。大部分がギターとパーカッションによる非常にシンプルな伴奏で24の有名曲を選んでいるが、決してフランス的なアンニュイなボサノヴァではない。

パリで外交官をしていたヴィニシウス・ヂ・モラエスの戯曲を基にした、フランス・ブラジルの合作映画「黒いオルフェ」(1959年)の音楽(ルイス・ボンファ)や、ボサノヴァをフランスに広めたピエール・バルーが出演し、バーデン・パウエルもギターで参加した映画「男と女」(1966)のテーマなど、古くからフランスとブラジルの音楽的結びつきは強い。言語は違うが、シャンソンの語り口とボサノヴァの囁くような歌唱にも共通点があり、クレモンティーヌに代表されるフランスの女性歌手によるフレンチ・ボッサも昔から人気だ。またボサノヴァを生んだ要素の一つ、ジャズ受容の歴史もそうであり、この二つの国には目に見えない音楽的つながりがあるようだ。ナラ・レオンにもフランス人の血が流れていたということなので、この人は言わば生まれながらのボサノヴァ歌いだったのだろう。この時代のブラジルの政治状況を知る人はあまりいないだろうし、当時の音楽家と政治の関わりを今想像するのは難しいが、ここでの歌唱は、パリという街が持つ独特の空気と、故国を離れざるを得なかった当時の彼女の心象を色濃く反映したもののように思える。ジョアン・ジルベルトと同様に、シンプルで美しい最高のボサノヴァが聞けるが、1960年代のジョアンや他の歌手から感じる、哀しみと明るさが入り混じったいわゆるサウダージとは異なる、もっと陰翳の濃い、シャンソン的な深い表現がどのトラックからも聞えてくる。透き通るような、遠くに向かって歌い掛けるような、達観したような彼女の声と歌唱は独特だ。そこに、バルバラのようなシャンソン歌手の歌唱の中にもある何か、ジャンルを超えた普遍的な音楽だけが持っている、人の心に訴えかける力のようなものを感じる。それはまたビリー・ホリデイやニーナ・シモンの、いくつかのジャズ・ヴォーカル名盤から聞こえてくるのと同じ種類のものだ。

もう一人の女性歌手はアナ・カランAna Caram (1958-)だ。アナ・カランはブラジル・サンパウロ出身だが、歌とギターによる弾き語りで1989年にアメリカCheskyレーベルから「Rio After Dark」でメジャー・デビューした。その後何枚か同レーベルでアルバムを吹き込んでいて、この「Blue Bossa」は2001年にリリースしたもの。私が所有しているアントニオ・カルロス・ジョビンが参加したデビュー作と、次作「Bossa Nova(1995)、そしてこの「Blue Bossa」の3枚はいずれも良いが、アメリカ制作ということもあり、上記ナラ・レオン盤とは違っていずれもジャズ色が強く、サウンドもモダンで洗練されている。そしてデビュー時からその素直でクセのない歌とギター、Cheskyレーベル特有のナチュラルな録音によるアコースティック・サウンドが彼女のアルバムの魅力だ。地味だし、ヴォーカルにこれと言った特色は無いのだが、なぜか時折聴きたくなるような温かく、聴いていて心が落ち着くとても自然な歌の世界を持っている。このアルバムにはジャズ・スタンダードとブラジル作品を併せて12曲が収録されているが、本人がギターも弾いているのは1曲だけで、後はバック・バンドに任せて歌に徹している。サックスを含むクインテットによるジャズ的アレンジで聞かせていて、それがまた洗練されたボサノヴァの味わいを一層感じさせる。また声と楽器の音が自然に聞こえるレーベル特有の録音も非常に良い。タイトル曲のジャズ・スタンダード<Blue Bossa>を始めとして、どの曲も柔らかい歌声、包み込むようなサックスの音色が美しく、特にボサノヴァ好きなジャズファンがリラックスして楽しめるアルバムだ。

2017/04/30

春の高知で坂本龍馬と会う

小夏
念願の高知に初めて行った。旬のカツオを楽しみにしていたが、カツオのタタキ、ウツボのタタキ、グレのタタキ、カツオの塩タタキ…と、これでもかとタタかれ三昧だった。高知ではカツオの刺身が高知名物のショウガではなく、ワサビ付きで出るのも意外だった(ショウガは東京だけなのか)。ホタテの子供のような長太郎貝が美味だったが、地元でチャンバラ貝と呼ぶ貝は独特の味がした。どろめと呼ぶ生シラスも味わったが、のれそれ(あなご系の幼魚?)は見た目が今一つ食欲がわかないので、やめておいた。龍馬の好物だったというシャモ鍋は残念ながら機会がなかった。野菜、特にトマトは確かにうまい。芋けんぴもうまい。文旦や小夏はもちろん最高にうまい。自然に恵まれ魚も野菜も果物も新鮮なので、とにかく何を食べてもうまいが、上品さより野性味のあるうまさなのだ(ただし「小夏」は見た目も本当に清楚で、しかも味も爽やかで上品で、まさに柑橘類のプリンセスやーっ!…と彦摩呂風)。

五台山からの眺望
高知に実家のある妻の友人が、次から次へとあちこち車で案内して(引きずり回して)くれるので、どこへ行ったのかよく覚えていないほどだ。覚えているのは……到着後立ち寄った韓国料理店の庭で、目の前をイタチと思われる小動物が歩いて行った。さすが高知だ(生まれて初めて見た)。「はりまや橋」は日本3大…の噂通りだった。最初の日は大雨だったが高知城に行き天守閣まで登り、隣に新しくできた山内家所蔵品や龍馬の手紙などを展示した歴史博物館を見学し、ついでに兜や羽織のコスプレを楽しんだ。翌日からはおおむね晴れたので、桂浜や五台山からの景観を楽しんだ。上から見た高知市は山と川と海に囲まれたきれいな町だ。さらに西に向かって「いの町紙の博物館」で和紙の歴史や製法を勉強し、桜の美しい仁淀川沿いを走り、日高村で名物のトマトを使ったオムライスを食べ、佐川町へ行って「司牡丹」の酒蔵周辺を見て酒を何本か買った後、山また山を越えて南下し、須崎の先の中土佐町の海岸沿いまで行って、老夫婦がやっている地元のしゃれた喫茶店でコーヒーを飲んで、わらび餅を食べ、その後お茶まで出てきたのでびっくりした(高知ではコーヒー後のお茶は喫茶店どこでも普通らしい)。

「おっこう屋」店先
翌日今度は東に向かい、海岸沿いに走って安芸市まで行った。室戸岬まではさらに車で何時間もかかるという。高知市から足摺岬などとんでもなく遠いらしい。帰りに「絵金蔵」屏風絵で有名な(知らなかったが)、香南市赤岡町にある「おっこう(奥光)屋」というおもしろい骨董店に寄った。エルザという名前の謎(?)の女店主と友人でやっている不思議な骨董店だ。様々な陶器やガラス製品、その他諸々が所狭しと並べられている。なかなかの美人猫のいる裏庭でまったりし、コーヒーとパン、加えてタケノコの若竹煮をごちそうになった。どれもうまかった。妻が九谷の小皿を何枚か買った。

安芸近くの海
高知県の海と海岸線はとにかく広く長い。しかしどこに行っても山が海岸のすぐ近くまで迫っているので、残されたわずかな平地にしがみつくように町があり、そこに人が住んでいる。したがって南海トラフ地震を想定した津波対策の看板や避難所があちこちにある。この広さのせいかどうか知らないが、高知人はみな声がデカい。どこの飲み屋でも、ほとんどケンカしているのかと思うほど、若者も年寄りも、男も女も、そこらじゅうで大声で話している。したがってこちらも大声を出さないとよく聞こえない。高知で「静かに」飲むのは至難の業だ。小声でぼそぼそ喋る高知人は、ギャグの苦手な大阪人くらい高知では生きにくかろう。要はみな酒と、話すことが何より好きなのだ。喫茶店がやたらと多いのもそれが理由らしい。しかし、客人に対する「もてなし」の文化があるのだと思うが、受付や、飲食店やどこでも従業員の応対がとても優しい。高知人はたぶん(大部分は)温かくていい人たちだと感じた。

龍馬顔カプチーノ
後ろに迫る山と、前に広がる大海原に挟まれていると、外の世界への期待と想像は膨らみ、やはりいつか外へ出て行って一旗上げたいという気になるのだろう。だから高知の英雄はみな天下国家を語り、動かす人間だ。坂本龍馬、後藤象二郎、岩崎彌太郎、ジョン万次郎…等々。そのかわり出て行きっぱなしで、偉くなって地元に利益を還元しよう、とかいう小さいことには興味がない。思想と行動のスケールが違うのだ。また、どこへ行ってもそこらじゅうに銅像(それも立像)が立っているのも不思議だった。やはり英雄を崇める文化があるのだろうか。その代わり普通の高知の男は、酒好き、博打好き、お喋り好きで、いきなり見知らぬ人間に話しかけたりするし、朝から飲み屋で飲んでいるおっさんも多いらしい(妻の友人の話)。高知女も酒とお喋りは好きだが、働き者だという(確かにそのようだ)。

桂浜・龍馬像横顔
高知一の英雄と言えばやはり坂本龍馬だろう。龍馬が暗殺された京都近江屋跡地とか、東山にある龍馬と中岡慎太郎の墓は以前訪れたことがあるが、桂浜の坂本龍馬像ともついに対面した。像は思ったより大きく、眼前の雄大な太平洋を望んで立っている。今年は龍馬没後150年ということで銅像の隣に櫓が組まれ、龍馬の顔のあたりの位置まで登れるので、せっかくなのでもちろん上ってみた(有料100円)。ただし建築現場の足場のようで足元がグラグラしていて、しかも下が見えるので、高所恐怖症の身には怖い。だがすぐ近くで見る龍馬の横顔はなかなかよかった。(しかし、今回カメラの設定を間違って、撮った写真がみなピンボケ気味だったのが残念。)

そういうわけでイタチと坂本龍馬に出会った旅だった。今回は高知市内にある老舗のジャズ喫茶「ALTEC」にぜひ行ってみたかったが、昨年10月に閉店してしまったという。また一つジャズ喫茶の灯が消えた。代わってネットで探した「木馬」や「クレオール」というジャズ喫茶に顔を出したかったのだが、あちこち行って時間がなくて結局行けずじまいだった。高知を再訪する機会があれば行ってみたい。