いかにもジャズ酒場の入り口といった感じの、地下に向かう薄暗い階段を降りてゆくと、比較的広いスペースの右手に店の白いドアが見える。ドアを開けて中に入ると、左手側には長いカウンターとその前にいくつかテーブル席があり(ここは会話可)、右手側は正面に置かれた大型スピーカー(確かUREI)と正対するように、真ん中に椅子とテーブルが並んでいて、そこは往年のジャズ喫茶伝統の会話禁止の「聴く」専門のスペースである。左手には壁に沿って、こちらは横向きにクラシックな椅子とテーブルが置かれている。ほとんどが一人客で、じっと音に聴き入るか、本を読んでいる(昔のジャズ喫茶の風景そのままだ)。
初めて jamjam の音を聞いたときに本当に驚いたのはその "爆音" だ。オーディオに興味のない人が聞いたら腰を抜かすほどの音量でジャズが鳴っている。田舎の一軒家ならともかく、住宅事情で大きな音で聴けない欲求不満のジャズファンの多くが、ある種のカタルシスを得るために昔ジャズ喫茶に通ったのもこうした音量の魅力があったからだ。だが昔のこの手のジャズ喫茶といちばん違うのは、店の空間のボリュ-ムである。昔の店は、たいていは音量だけ大きくても店の空間が小さいので、音がこもったり、再生帯域のピークが出たりして伸び伸びとした音で鳴らすのは至難の業だったのだ。だがjamjamではちょっとしたスタジオ並みの広い床面積と、何より高い天井高もあって(5mはある?)、空間いっぱいに "爆音" が響きわたって、ひとことで言えば豪快かつ爽快なのである。そしてスピーカーに対峙して置かれた椅子もゆったりとして大きく、昔のようなちまちました椅子ではないところも素晴らしい。ここで一人ゆったりと座って、コーヒーを飲みながら、全身に浴びるようにひたすらジャズを聴く時間は、往年のジャズファンにとってはまさに天国だ。
アナログLPを音源にしてスピーカーから再生される音なので、ヴァーチャル・リアリティの音空間には違いないのだが、各楽器の質感、演奏の場の空気感、奏者の息使いのようなものが実にリアルに再生されている。特にベースやドラムスの音は、これ以上望めないほどの音量と歯切れ良さで腹に響き、しかもヘッドフォン並みの音の輪郭で、シンバルの微妙な打音や音色まで再現している。この全身で感じるオーディオ的快感は、ヘッドフォンや小型スピーカーでは絶対に味わえないだろう。
学生時代を神戸で過ごしたが、1970年前後には、(京都にはあったが)神戸には学生が行けるような、こうした本格的ジャズ喫茶は私が知る限りなかったように思う。よく行ったのは「さりげなく」という小さな店だったが、そこは場所を変えて今でも営業しているらしい。しかし地方ではなく、神戸のような都会の真ん中に、これだけのスペースと音響を提供するジャズ喫茶が今でも存在するというのはほとんど奇跡に近い。有名人の常連も多いと聞くが、それも当然だろう。ただしリクエストは受け付けない。様々なジャズを選り好みしないで聞いて欲しいというマスターの哲学があるからだ。5月以降は禁煙になる予定とのこと。オーディオ、コーヒー、紫煙はジャズ喫茶の3点セットだったが、時代の流れには逆らえないということだろう。jamjamは、いつまでも存続してもらいたいと心から願う店だ。
夜はJR三ノ宮駅から山側へ歩いて10分ほどの中山手通りを越えたところ、北野にある老舗ジャズクラブ「ソネ」に行った。震災から20年以上が経って、三ノ宮駅から山側にかけてのこのあたりもすっかり様変わりして、昔はほの暗い通りだったところが今は明るいネオンの店がひしめいている。「ソネ」は1969年に開店したらしいので(私が入学した年だが、当時の学生には高級過ぎただろう)、もう半世紀近い歴史がある。近くにあったもう一軒の老舗ジャズクラブ「サテンドール」(1974年開店)は残念ながら昨年閉店したらしい。jamjamのハードなジャズとは打って変わって、ピアノ・トリオと女性ヴォーカルという小粋なライヴ演奏をアルコールと料理付きで楽しんだ。客層はだいぶ違うが、この店も広々として、せせこましくなく、味、雰囲気、サービスともに良く、しかもリーズナブルな料金という素晴らしい大人のジャズクラブだ。この店もいつまでも残って欲しいものだと思う。
神戸では町をあげてのジャズ・イベントも毎年開催されているようで、今やジャズの町だ。震災で深い傷を負ってしまったが、今は、半世紀前のどこまでもカラッと明るかった神戸の街が戻って来たようで嬉しい。おしゃれで都会的なのに、北側にすぐそびえる六甲山が四季を感じさせ、高台からはいつも海が見え、街はコンパクトで、中心地から歩いて行けるところにこうしたジャズを楽しめる店をはじめ、何でもある。よそ者を受け入れる開放的な文化がある一方で、関西らしい人情もまだ残されている。神戸は本当に良い街だと思う。神戸に住む人たちは幸せだ。