1970年代後半セロニアス・モンクの晩年に、モンクと同じくニュージャージー州ウィーホーケンのニカ夫人邸で暮らしていたのがピアニストのバリー・ハリス
Barry Harris (1929 -) だった。この二人の音楽的交流についての記録は見当たらないが、1976年にモンクがニューヨーク市内で最後に聞いたのが、ピアノ・バー「ブラッドリーズ」に出演していたバリー・ハリスであり、ニカ邸で最後に一緒にピアノを弾いたのも、1982年2月に自室で倒れていたモンクを発見したのもハリスだった。だから晩年のモンクをいちばん身近で見ていたジャズ・ミュージシャンがバリー・ハリスだったのだ。1988年のモンクのドキュメンタリー映画「Straight No Chaser」には、トミー・フラナガンと共に登場し、モンクの曲を二人で演奏している。ハリスはジャズ教育者、指導者としても著名な人物であり、88歳の今も健在で、ニューヨークでピアノ教師として指導を続けているという。
Breakin' It Up 1959 Argo |
バリー・ハリスは十代でビバップの洗礼を受けているので、パド・パウエルの直系バップ・ピアニストと一般によく言われているが、パウエルのようなきらびやかさや情感の表出はあまり感じられない、どちらかと言えば地味なピアニストだ。トミー・フラナガンの華麗さや洗練とも違うし、デューク・ジョーダンの哀愁や抒情とも違って、もっと土臭くブルージーであり、そういう点ではハンク・ジョーンズに近いものを感じるが(2人ともデトロイト出身だ)、ハリスのピアノの音色はもっとくすんでいて、湿り気があるような気がする。私の愛聴盤、1959年のデビュー・アルバム「ブレイキン・イット・アップ Breakin’ It Up」(Argo/ William Austin-b, Frank Gant-ds)から既にして、(アルバム・ジャケットそのままの)いぶし銀のような独特のシブい音色が聞こえてくる。ピアノの音に色があるかどうかは知らないが、たとえて言えば「鈍色(にびいろ―濃灰色)」だ。そして聴けば聴くほど味の出てくるその演奏は、場末のジャズクラブで一杯やりながら、肩の力を抜いて聴くともなしに聴いているうちに、いつのまにか引き込まれて聴き惚れてしまうようなすぐれたB級名人芸の味わいがあるのだ。だから何度聴いても飽きない独特の魅力がある。
Plays Tadd Dameron 1975 Xanadu |
ハリスはキャノンボール・アダレイとの共演を経て、「At The
Jazz Workshop」(1960 Riverside)のようなライヴ演奏をはじめ、60年代以降トリオ作品を何枚か録音しているが、バラードでもアップテンポでも、このシブい印象は変わらない。その後1970年代半ばにバップ・リバイバルが盛り上がった当時にリリースされた、タッド・ダメロンの曲を取り上げた「プレイズ・タッド・ダメロンPlays Tadd Dameron」(1975
Xanadu/ Gene Ramey-b, Leroy Williams-ds)というアルバムも、若干こもり気味の録音(LP)だが、上記名人芸の味わいが強くて私は好きだ。ハリスの演奏はバド・パウエルのようにあまり肩肘張って正面から聴いてはいけない。本でも読みながら、あるいは軽く酒でも飲みながら「聴くともなしに聴く」のが正しいバリー・ハリスの楽しみ方だろう。
Barry Harris in Spain 1991 Karonte |
私はバリー・ハリスのライヴ演奏を生で聞いたことがないので、音色についての印象はあくまでレコードから聞こえる音のことなのだが、1991年にリリースされたアルバム「Barry Harris In Spain」(Nuba, Chuck Israels-b, Leroy Williams-ds)を聴いて一番嬉しかったのは、ハリス的シブさは変わらないものの、楽器の音、余韻、空気感ともに録音が現代的で素晴らしく、それまで演奏はいいけれどもっと音が良かったら(つまり昔のジャズ音ではなく)…という唯一の不満が初めて解消され、ハリスのいつものブルージーで、ゆったりと深みのある演奏すべてがとても気持ちのいいクリアーな音で楽しめたことである。これによりハリス的聴き方の楽しみが倍加した。やはりいい奏者にはいい録音が必要だ(この後に吹き込んだ日本制作盤も音は良い)。このアルバムは冒頭の〈Sweet Pea〉をはじめ、どのトラックもメロディアスで実に聞かせるが、「At The
Jazz Workshop」でのバラードの名演 〈Don't Blame Me〉を長年愛聴してきた者としては、円熟したハリスによるこの曲の再演もまた嬉しい。もっともっと長生きしてほしいものだ。