星の数ほどいるジャズ・ピアニストの中でも、デューク・ジョーダンと並んでイントロの見事さとメロディ・ラインの美しさで挙げられる双璧の一人がトミー・フラナガン Tommy Flanagan (1930-2001)だ。ジョーダンには素朴で温かくシンプルな美が、フラナガンの演奏には都会的で洗練された華麗な美が感じられる。二人とも、その辺のピアニストでは逆立ちしても弾けない、美しくて分かりやすいメロディと音を次から次へ紡ぎ出す。
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Overseas
1957 Mtronome |
特にフラナガンのピアノ・タッチの美しさからは、強い美意識を持つがこれ見よがしにしゃしゃり出ることはなく、しかし決して手を抜かず、いつでも最善を尽くし、最良の仕事をしようとする日本の誇り高い職人気質と相通じるものを強く感じる。端正なその演奏には、ある意味「日本的」気品すら漂っているかのようだ。しかもあれだけ数多くのセッションに参加しながら常に新鮮な聞かせどころがあり、その手のピアニストにままある「どれを聴いても一緒」というマンネリの印象が全くないところがすごい。リズムは勿論、いかに音とフレーズの引き出しが多いか、そしてその使い方にいかに優れたジャズ・センスと高い技術を持っているか、ということだろう。だからフラナガンのリーダー作にハズレはない。どのアルバムも80点以上で、文句のつけようがない。またサイドマンとしてジャズで言う “versatileなプレイヤー” という呼称はまさしく彼のためにある。いかなる相手であろうと破綻なく合わせ、サイドで参加したどの演奏でも(アップテンポでもスローでも)、思わず膝を叩きたくなるようなリズムと旋律でピアノを唄わせる部分が必ず出てきて、ジャズの醍醐味を味あわせてくれる。特に惚れぼれするような上品で洗練されたメロディ・ラインはフラナガンの真骨頂だ。
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Confirmation
1977 Enja |
1950年代にあまたのジャズ名盤に名を連ね、名脇役として知られている一方、自己のリーダー作はウィルバー・ウェア(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)とのピアノ・トリオ「オーバーシーズOverseas」(1957 Metronome)が最初で、それ以降60年代からはジャズ・ビジネス環境の変化もあり、70年代前半にはエラ・フィッツジェラルドの歌伴を中心とした時期を送るなど10年間ほどは寡作だった。しかし77年に再びエルヴィン・ジョーンズ (ds) を迎えてドイツEnjaレーベルに吹き込んだ、「Overseas」の再演とも言える「エクリプソEclypso」で主役としての登場機会が一気に増加し、その後2001年に亡くなるまでコンスタントに上質なリーダー作をリリースし続けた。特に再び脚光を浴びた70年代後半はバップ復興の流れと、フラナガンもまだ40代で経験、気力、体力ともに充実していたためだろう、全盛期とも言える演奏が目白押しで、Enjaレーベルでの諸作の他、「Montreux ’77 ライヴ」(Pablo)での名演など、どのアルバムも非常に質が高い。
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Jazz Poet
1989 Timeless |
「コンファメーション Confirmation」(1977
Enja) はジョージ・ムラーツ (b)、エルヴィン・ジョーンズ (ds) という上記「Eclypso」と同じメンバーによる演奏で、別take 2曲と、同日録音の他2曲、それに翌78年録音の2曲で編集した言わば「裏Eclypso」である。したがってタイトル曲〈Confirmation (別take)〉 などエルヴィンの煽る躍動感溢れる演奏も勿論楽しめるが、全体に歯切れのよい動的な「Eclypso」に比べ、フラナガンのバラード・プレイが美しい 〈Maybe
September〉、〈It Never Entered My Mind〉 などの印象から、静的なイメージの強いアルバムだ。ジョージ・ムラーツの深々としたよく唄うベースも聴きどころで、フラナガンの70年代を代表する作品の一つとして誰もが楽しめる優れたピアノ・トリオだ。また80年代以降も何枚もの秀作をリリースしているが、中でも「ジャズ・ポエト Jazz Poet」(1989 Timeless)では、ジョージ・ムラーツ(b)、ケニー・ワシントン(ds)と、タイトル通りフラナガンの美的センスが生かされた素晴らしい演奏が聴ける。特に 〈Lament〉 や 〈Glad to be
Unhappy〉のようなバラード演奏はイントロからして溜息が出るほど美しく、さらにルディ・ヴァン・ゲルダーによる録音がフラナガンの美しいピアノの音色を見事にとらえている。